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Channel: 内田樹の研究室
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原発供養

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昨日の話の続き。 それぞれの社会集団は、「恐るべきもの」と折り合うために、それぞれ固有の「霊的作法」を持っているという話だった。 日本人は外来のものを排除せず、それを受け容れ、「アマルガム」を作る。 ユーラシア大陸の東端にあり、これから先はない、という辺境民が採用したのは、いわば、「ピジン型」の文明摂取方法だった。 これはヨーロッパの辺境、アイルランドの文明史的地位と構造的に似ている。 聖パトリキウスはケルトやドルイドの土着の神々たちとのまじわりの中でキリスト教を布教した。 そのときに土着の神々を「根絶」するというユダヤの神の苛烈さを避け、地祇たちを生き残らせた。 それがアイルランドに今も生き残る「妖精たち」である。 前に中沢新一さんとおしゃべりしたときに、『伊勢物語』に出てくる「在原業平」というのは固有名詞ではなく、ある種の「集団」ではなかったのか、という話になったことがある。 彼らは「東夷」を平定するために京から東国に派遣されるのだが、その主務は軍事ではなく、房事なのである。 それぞれの土地の権力者たちのもとにまずは彼らの苦手とする「文事」を以て入り込み、土地の風物を歌に詠んで「褒めあげ」、権力者の妻や娘たちを籠絡して、「混血」して、そのまま逃げ出す。 それによって、種族間の非妥協的な対立の隙間に「どっちつかずのもの」が生成する。 そういえば、「そういう話」ってほんとに多いよな・・・と思ったのである。 最近見た映画でも、『特攻野郎Aチーム』と『マチェーテ』がどちらも「そういう話」であった。 『特攻野郎』では“フェイスマン”ペック中尉(ブラッドリー・クーパー)が業平役。 Faceman というのは「金と力がない色男」のことである。 ペック中尉は脱獄したAチームを追跡する軍情報部のソーサ中尉(ジェシカ・ビール)と因縁があり、そのぐずぐずの恋愛関係を利用して、敵味方の筋目をごちゃごちゃにしてしまう。 『マチェーテ』では、あろうことかダニー・トレホが業平。 このインディペンデントな暴力男といい仲になって、彼を別の「組織体」と繋いで、そこに「アマルガム」を作る女の子たちはミシェル・ロドリゲス(メキシコからの不法移民組織)、リンジー・ローハン(ワルモノ組織)、ジェシカ・アルバ(入国管理局)。 すごいね。 トレホくんの活発な「業平」活動によって、組織の筋目はぐちゃぐちゃになり、誰が味方で誰が敵だかよくわからなくなって、話は終わる。 佳話である。 たぶん人類史の黎明期から存在した、「異族との接触に際してのプランB」のようなものとして「業平戦略」は存在したのであろう(「プランA」はもちろん「殲滅」)。 日本の場合はその地理的辺境性と地勢の複雑さ(「落人部落」がどこにでも作れる)ゆえに、異族との接触時に「一方が他方を殲滅する」というプランA的な展開にはならず、同一空間内に微妙に生態学的ニッチを分けて共生するという方向に進んだ。 とりわけ、正規軍同士が対決するという状況ではなく、複数の集団間での利害関係の入り組んだ暴力的なインターフェイスにおいては、「業平」的なものが活躍したのである。 そういえば、『仁義なき戦い』の広能昌三という人物は、菅原文太兄貴が「とれるもんなら、とってみいや」と凄むのでわかりにくくなっているが、あきらかに広島やくざ世界における「業平」的な機能を担っていたように思われる。 彼は親分の山守(金子信雄)にも大久保(内田朝雄)にも明石組の岩井(梅宮辰夫)にも若頭の武田(小林旭)にも打本(加藤武)にも、およそ出てくる極道たちの全員と「関係」を持っている。 村岡組の新年会の場面で、広能は山守を評して「敵味方の筋目がつかん」と難じているが、それはそのまま広能自身について言えることである。彼はまさに「敵味方の筋目をごちゃごちゃにすること」で身の安全を保つ異能の人だったからである。 『仁義なき戦い』のモデルになった美能幸三自身は、山守のモデルとなった山村辰雄から盃を貰っていなかった。まわりからは「山村七人衆」のひとりと目され、山村自身も「うちの若衆」と呼んでいたが、美能はこれを訂正せず、筋目の混乱を最後まで放置するに任せたのである。 「誰とつながっているのか、よくわからない人間」であることのメリットを美能は熟知していたということである。 話があさっての方向へ行ってしまった。 辺境人が採用した「ピジン」型のアマルガム戦略の話をしていたのである。『日本辺境論』でも、『街場のメディア論』でも書いたことだが、これは「土着のコロキアルな言語」の上に「外来のテクスチュアルな言語」を載せて「アマルガム言語」を作るという日本語の構造特性に典型的に現れている。 だから、本来であれば、「原子力」は天神地祇を祀る古代的な作法に従って呪鎮されるべきものであった。 伝統的な日本的なソリューションは「塚」と「神社」である。 「荒々しいもの」は塚に収め、その上に神社仏閣を建立して、これを鎮める。 将門の首塚も、鵺塚も、処女塚も、「祟りがありそうなもの」はとりあえず「塚」を作って、そこに収める。 塚に草が茂り、あたりに桜の木が生え、ふもとに池ができ、まわりで鳥や虫が囀るようになれば、それは「生態系」に回収されたとみなされる。 自然力に任せておけないときは、神社仏閣を建てて、積極的に呪鎮する。 それでもダメなときは、「歌を詠む」「物語に語り継ぐ」という手立てを用いる。 日本では内戦の死者たちは物語によって呪鎮されてきた。『平家物語』は平家の人々と源義経・義仲らを、『太平記』は楠木正成や新田義貞ら敗れたものたちを弔った。幕末の戦いについては、子母澤寛、司馬遼太郎から藤沢周平、浅田次郎に至る無数の作家たちが殺された若者たちのために鎮魂の物語を紡いだ。 日本史上もっともその祟りが畏れられた崇徳上皇にしても、西行法師がその塚に捧げた一首によって怒りを鎮めたと伝えられている。 原子力についても、そもそもその設営のときに、伝来の古法に則って、呪鎮の儀を執り行うべきだったと私は思う。 盛り土をして、原発をそこに収める。土中に置くのである。そして、上には塚を築く。そこに草が茂り、桜が咲き、鳥がさえずるような広々とした場の下に原発を安置する。 もちろん呪鎮のために、そこに神社仏閣を勧請するのである。 「原発神社」 そして、桜が咲く頃には地域の人を集めて、「原発祭り」を挙行する。 荒ぶる神がとりあえずは「よきこと」だけをなし、恐るべき力の暴発を抑制してくれていることを感謝するのである。 私はふざけてこんなことを言っているのではない。 日本人は「こういうやりかた」をするときにいちばん「真剣」になるからである。 ほんとうに「こういうやりかた」をして原発を管理運営していたら、今回のような事故は起こらなかっただろうと私は思う。 それは私たちのDNAの中に根を下ろした「恐るべきもの」との「折り合い」の仕方だからである。 呪鎮の目的は「危険を忘れ去ること」にあるのではない。 逆である。 「恐るべきもの」を「恐るべきもの」としてつねに脳裏にとどめおき、絶えざる緊張を維持するための「覚醒」の装置として、それが必要だったと私は申し上げているのである。 現に一神教文化圏では原発は「神殿」に収められていた。 彼らのDNAの中に残る「超越的なものを畏怖する気持ち」をONにしておくために、そのような装置を用いたのである。 それに倣うなら、私たちの国では「塚」に収め、神社仏閣を以て封印すべきだったのである。 愚かな政治家や官僚やビジネスマンたちは、それを「嗤った」のである。 だが、原発の工事のときにも地鎮祭は行われたはずである(地鎮祭を執行しなければ、建築現場には誰も入らない)。 天神地祇の祟りを嗤うのなら、なぜ地鎮祭の執行を禁止しなかったのか。 地鎮祭をしないと、日本人の大工が入らないというのなら、中国からでもフィリピンからでも建築労働者を連れてきて断行すればよかったのである。 なぜ地鎮祭を行うのか。 それは家を建てる工事でさえ、「恐るべきもの」の不意の闖入についての警戒心がなければ、思いがけない事故が起こることを私たちが知っているからである。 地鎮祭は地祇を鎮めるためのではなく、人間の側の緊張感を亢進させるための心的装置なのである。 だから、ほんとうに人間が最大限の緊張をもって取り組まなければならないリスクの高い仕事に際しては、「超越的なものに向かって祈る」という営みが必須なのである(『ロッキー』でロッキー・バルボアがアポロとの戦いの前に、洗面台に向かって祈るように)。 ロジカルな話を私はしているのである。 名越康文先生と橋口いくよさんとの鼎談のとき、いちばん感動したトピックは橋口さんが震災からあとずっと「原発に向かって祈っている」という話だった。 40年間、耐用年数を10年過ぎてまで酷使され、ろくな手当てもされず、安全管理も手抜きされ、あげくに地震と津波で機能不全に陥った原発に対して、日本中がまるで「原子怪獣」に向けるような嫌悪と恐怖のまなざしを向けている。 それでは原発が気の毒だ、と橋口さんは言った。 誰かが「40年間働いてくれて、ありがとう」と言わなければ、原発だって浮かばれない、と。 橋口さんがその「原発供養」の祈りを捧げているとブログに書いたら、テキサス在住の日本人女性からも「私も祈っています」というメールが来たそうである。 たぶん同時多発的にいま日本全国で数千人規模の人々が「原発供養」の祈りを捧げているのではないかと思う。 私はこの宗教的態度を日本人としてきわめて「伝統的」なものだと思う。 ばかばかしいと嗤う人は嗤えばいい。 けれども、触れたら穢れる汚物に触れるように原発に向かうのと、「成仏せえよ」と遙拝しながら原発に向かうのでは、現場の人々のマインドセットが違う。 「供養」しつつ廃炉の作業にかかわる方が、みんなが厭がる「汚物処理」を押し付けられて取り組むよりも、どう考えても、作業効率が高く、ミスが少なく、高いモラルが維持できるはずである。 私は骨の髄まで合理的でビジネスライクな人間である。 その私が言っているのだから、どうか信じて欲しい。 今日本人がまずなすべきなのは「原発供養」である。 すでに「あのお方」がなされているとは思うが。

人間が人間であるための神について

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前に「辺境ラジオ」で名越康文先生と西靖さんとおしゃべりしたときに、「うめきた大仏」の話が出た。 これは海野つなみさん(このペンネーム、今はちょっと口に出しにくいですね)というマンガ家さんが投稿してくれたものである。 大阪駅の北ヤード開発はずいぶん前から衆知を集めて議論されていたのだが、いまだに話がまとまらないようである。 昨日もある雑誌から「北ヤードの再開発について」、三菱地所の役員ふたりと鼎談して欲しいというご提案を頂いた。 もちろん私が「うめきた大仏」構想の推進者であるということなどご存じないままに出た案であろうから、「私の話を聞いたら、不動産会社の役員さんたちは激怒されることでしょう」とお断りした。 「激怒」くらいで済めばいいが、そのせいで「誰だ、ウチダなんて野郎を連れてきたのは!」と上司に叱責されて起案した担当編集者が進退伺いとか減俸処分とかいうことになっては気の毒である。 でも、私は「うめきた」には大仏しかない、とほんとうに思っているのである。 もし、「うめきた」に大仏建立ということで大阪市民の合意が成立したら、その日をさかいにして、日本は変わるだろう。 私はとりあえずはまず大阪を「宗教観光都市」として再生すべきだと考えている。 もともと大阪は上町台地という南北の台地を中心に形成された街であり、この上町台地は(中沢新一さんの「大阪アースダイバー」に詳しいが)、南に四天王寺、北に石山本願寺という「浄土信仰の二大拠点」があり、この台地と東西にクロスする線(東に「生駒」、西に「西方浄土」)が大阪の霊的な方位をかたちづくっているのである。 大阪のメインストリートである「御堂筋」はご存じのように、北御堂と南御堂という二つの浄土真宗の寺院を結ぶ道筋のことである。 かつて近江や越前や能登から大阪にやってきた一向宗門徒たちは、この界隈に居を構え、「朝夕、御堂の鐘の聞こえる場所」で商売を営むことを願ったのである。 大阪はそのような因子が絡み合って形成された「宗教都市」である。 今日の大阪がしきりに「元気がない」といわれるのは、久しく大阪にその根源的な活力を供与してきた「霊的センター」そのものが衰微していることに多大な理由があると私は思っている。 今日、「街づくり」という行政がらみの話の中で、「そのエリアを霊的にどう賦活するか」というトピックが論じられることはまずないだろう(出たことがないので知らないけど、たぶんないと思う)。 昭和30年代から日本中に造成された「ニュータウン」の類は、いまほとんどがゴーストタウン化している。 それらの団地は、人跡のない丘陵地帯や埋め立て地に作られたので、広漠たる広がりだけがあって、神社仏閣も教会も宗教施設は何一つ勧請されていない。 それがそこに住む人々にある種の「霊的な飢餓状態」を作り出した。 そのエアポケットに乗ずるようにして、新興宗教や、オカルト教団や、ビジネスマインデッドな霊能者たちが「土地を守護する天神地祇」を持たない住宅地に侵入していったのはご案内の通りである。 前にも書いたことだが、阪急電鉄の小林一三は造成した千里ニュータウンの中に寺院の建立を許した。 戦後のデベロッパーの中で、「土地を守護する霊的センター」の必要性を理解できたのは小林一三が最後であろう。 たぶんその後は一人もいないと思う。 六本木ヒルズは霊的にはきわめて脆弱な建物だが、この設計に携わった人たちの中に、「この建物は霊的な守りが弱いので、いろいろと事故が起こる可能性がある」ということをプラニングの段階で指摘したものはいなかったのだろうか。 たぶんいなかったのだろう。 「霊的なプロテクション」などというものには数値的・外形的にお示しできるエビデンスが存在しないのだから、ビジネスマンの頭では無理である。 けれども、60年も生きてくると、いろいろ見聞してわかることもある。 それは人間が暮らす空間には、「霊的な備え」が必須だということである。 その理路はもう述べた。 霊的な備えをしておかないと、鬼神の類が人間を襲うというような話をしているのではない。 人間を襲うのは人間だけである。 人間が住まないエリアには神社仏閣などなくても、何の障りもない。 でも、いやしくも人間が住む場所については、「人間の愚鈍さや邪悪さ」ができるだけ物質化しないような「仕掛け」を凝らすことは必須の仕事である。 霊的装置が呪鎮する相手は天魔鬼神ではなく、生身の人間である。 生身の人間というのは、それぞれの社会集団に固有の「死生観」「霊魂観」を骨肉化している。 そのような宗教的「臆断」からまったく自由な人間など、世界のどこにもいない。 というのも、これもまた繰り返し書いてきたことだが、人間というのは「死者」という概念を有することで、他の霊長類と差別化された種だからである。 「死者」とは、「存在するとは別の仕方で」私たち生きている人間の生き方に関与するもののことである。 死者を正しく祀らないと「祟り」をなすという信憑を持たない集団は世界に一つも存在しない。 一つも、ない。 墓所も持たず、聖地も寺院もなく、死者についての神話も語り伝えず、誰かが死んでも葬儀をしない社会集団というものがどこかにあるなら是非教えて欲しい。 人間は喪の儀礼をなす。 それが人間の定義だからだ。 人間は「存在しないもの」に対しても、定められた礼法に従って、コミュニケーションを試みなければならない(返事はないが)。 だが、それにもかかわらず、「存在しないもの」をあたかも「存在するもの」たちのうちに立ち交じって、さまざまな具体的な働きをするものであるかのように「遇する」という義務からは逃れることが許されない。 人間が一定数以上住む場所には、必ず霊的なセンターを置き、「存在しないもの」に対する配慮を覚醒させ続けることは、人類学的には抗命を許されない絶対的命令なのである。 「存在しないものをして、『存在しないもの』としてそこにあらしめよ」 というのが私たちがそこから逃れることのできない人類学的命令である。 ビジネスマンたちは「『存在しないもの』は存在しないんだから、そんなもののことは考える必要がない」という、実は本人もほんとうは信じていないロジックで、都市から霊的なセンターを次々と放逐していった。 本人もほんとうは自分の言っていることを信じていない。 というのは、もしそれが本当なら、彼らは自分たちの祖先の墓をとうに棄てているはずだし、家族が死んでも葬儀も出さないはずだし、「どうして死体をそのまま生ゴミの日に出しちゃいかんのだ」と市役所に怒鳴り込むはずだからである。 でも、どんな超近代的な、非-霊的なビルを建てるビジネスマンでも、「そんなこと」はしない。 自分は私生活では「存在しないもの」の祟りを信じているのに、会社では「存在しないもの」は存在しないから、そんなものに配慮する必要はないと平気で言い募っている。 それができるのは、会社では彼らは「貨幣」という神さま(これも「存在しないもの」だが)を拝んでいるからである。 この「貨幣という神さま」はたいへん嫉妬深くて、自分以外の神を認めない。 そして、自分のことを「存在するもの」と呼べと信者たちには命じる。 「『存在しないものは』存在しないが、『存在するものは』存在する」というトートロジーのような呪文を「貨幣」信者たちは会社という聖所で毎日唱えさせられているのである。 つまり、ビジネスマンたちは会社では「会社の神さま」を拝み、家では「家の神さま」を拝んでいるのである。 無神論でもなんでもない。彼らもまた一日中「存在しないもの」を拝んでいるのである。 私はそれが「悪い」と言っているのではない。 どうせ拝んでいるんだから、「私はいつも拝んでいます」ということを率直にお認めになればよいと申し上げているのである。 人間は「拝むもの」がなければ、一瞬たりと生きてはゆけぬものなのです、とカミングアウトしてくださればいいのにと申し上げているのである。 そう言っていただいてはじめて「大阪にはちょっと『拝むもの』が足りないような気がするんですけど」という話が始められるのである。 というわけで、どうです「うめきた大仏」建立案。 政治家も官僚もビジネスマンも、真剣に考えてはくれないだろうか。 ほんとうにこれで大阪は起死回生的に蘇生する。 むろん神威によって蘇生するのではない。 大阪に住む人間が大阪を賦活させるのである。 人間というのは「霊的に賦活された気になると、毎日機嫌よく働く」のである。 レヴィナス老師が言われたように、「人間が人間に対して犯した罪は神といえどもこれを代わって償うことはできない」。 同じように、「人間が人間を励まし、癒し、支援する仕事は、神といえどもこれを代行することはできない」のである。 その「神といえどもこれを代行することができない」という一行があるからこそ、人間は「やる気」になるのである。 人間が「私には人間的責務が負託されている」と感じるためには、超越者を経由することが必要なのである。 人間が人間であるためにはどうしたって神霊たちの支援が必要なのである。 これがそれほど理解に難い話であるよう私には思えないのだが。

4月11日から5月5日までの日記

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4月10日からブログを更新していない。
めちゃくちゃ忙しくて、書けなかったのである。
ブログを書くのは、朝起きてすぐ、午前中に書き終えてしまうのだが、このひと月、朝起きてすぐに仕事に出かけるか、メールの返信をするだけで午前中が終わってしまうか、あるいは前日(あるいは前々日)締め切りの原稿を起きると同時に書き出すか、具合が悪くて寝ているか、のいずれかであったために、ついに一日もブログ更新ができなかった。
私にとってブログ日記を書くというのは、単に備忘録にとどまらず、資料のアーカイブであり、また萌芽状態のアイディアを転がすための実験室であもあり、ここに書いたものをコンピレーションして出した本も数知れず。たいへんにたいせつな場であり、一月も何も書かずに放置していたというのは、かつてない。
それだけ生活のペースがout of control になっていたということである。
自分の足元を見る暇もない生き方というのは、よろしくない。
この期間に書き飛ばしたものについても、クオリティ的にはずいぶん不満である。
これから出る自分の本に呪いをかけるようで気の毒なのだけれど、あと一回推敲する時間があれば、もう少しリーダブルなものにできたのにと思うとまことに心残りである。
というわけで、4月23日に骨折してから、深く反省し、もうオーバーペースで仕事をするのは止めにした。
「断筆宣言」はもう「禁煙宣言」と同じくらいしたが、ほんとうにもう「頼まれ仕事」は心を鬼にして断らなければいけないと、この十年で十回目くらいに自戒。
とりあえず、4月10日からあとのできごとについて備忘のために記す。
4月11日(月)
関西テレビでコンプライアンス研修会。
テレビを見ない人間なので、テレビ局に呼ばれて何を申し上げてよいかわからないままに、マスメディアの社会的責務について、一般論を申し上げる。
私の話を聴いて、かなり怒っている人もおられたし、深く頷いている人もおられた。
いろいろ。
関西テレビは例の「あるある大事典」問題で、総務省に睨まれ、マスメディアの仲間たちからも集中攻撃を食らったというトラウマ的体験があり、「マスメディアって、あまりにひどいなあ・・・」という(常識的)実感を持っている。
その点が関西テレビの強みになるのかも知れない(わかんないけど)。
4月12日(火)
東京へ。
昭和大学で理事会。
この4月に昭和大学の理事を拝命することになった。
昭和大学の理事長は小口勝司くん。日比谷高校のときのお友だちである。「かっちゃん」という愛称で、このブログにも何度か登場している。
そのかっちゃんから「理事やって」と頼まれたので、お引き受けした。
医療と教育は社会的共通資本の根幹をなす制度であり、いずれも政治と市場とマスメディアに挟撃されて、この30年間孤立無援の状態で、「癒し」と「学び」のためのフロントラインを守ってきた。
医学教育ということは、いわばその両方の負荷が集中的に加わった現場ということである。
最初の理事会の最後に、震災への救援活動についての短い報告があった。
昭和大学は3月11日の午後8時にはもう救援活動をスタートさせて、医療チームの第一陣を送り込んでいる(理事会時点までに7チーム、のべ150人)。
地方自治体からの要請があったわけではないし、厚労省からの指示があったわけでもない。
誰からも要請がないままに自己決定自己責任での医療チーム派遣である。
派遣される医師、看護師、スタッフたちもすべて自発的に手を挙げた希望者たちである。
「医療者というのは、そういうものだから」とかっちゃんは淡々と言っていた。
95年の阪神大震災のときには、行政からの公式指示を待っているうちに、医療チームの派遣が遅れたことを深く反省して、災害時には「行政からの指示がなくても、とにかく派遣する」ということにしたのだそうである。
「ヒポクラテスの誓い」の方が自治体の要請に優先するのである。
メディアは支援の側のサプライと被災者の側のニーズの「ミスマッチ」について、困ったものだと渋い顔をしている。
そんなことでわざわざ渋い顔をすることはないだろうと私は思う。
平時においてさえ需給関係は原理的にミスマッチなんだから(すべての需給関係が一致することを「欲望の二重の一致」と呼ぶが、これは経済学では「ありえないこと」の同義語である)。
「ニーズの確定を待たずにサプライが先行する」ことでよいと私は思う。
それを嫌うから「300枚の毛布が送られてきたが、避難所に500人いたので、不公平にならないように、一枚も配布しなかった」というような事例が起きるのである。
需給の一致がなければ、贈与は成立しないというのは幼児の発想である。
4月13日(水)
午後、東大の本郷キャンパスにて、柴田元幸さんとNational Story Project Japanの単行本のための対談。
日本人の書く「物語」と、アメリカ人の書く「物語」のあいだの本質的な差について語る。
たいへん面白い対談でしたので、本出たらみなさん買ってね。
それから立川に移動して、朝日カルチャーセンターにて平川くんと対談。
原発のお話。前の週の中沢新一さんをまじえての鼎談の続き。
池上先生がおいでになったので、さっそく身体を見てもらう。
たいへんよろしくないということで翌日に診療をお願いする。
平川くんの車で等々力まで送ってもらい、等々力泊。
4月14日(木)
朝、アシュラムノヴァへ。池上先生に身体の歪みを補正していただく。だいぶ悪いそうである。とほほ。
五反田へ移動して、成瀬雅春先生と対談本のための最後の対談。
これはもうすぐ出ます。
いったん学士会館に戻って、寸暇を惜しんで寝る。
15分ほど寝たところで、松井孝治さんがお迎えに来る。
東京財団というところで、講演とディスカッション。
加藤秀樹さんと松岡正剛さんがコーディネイターで、学者、民主党自民党の政治家のみなさんが十数名ほど。
こちらが知っているのは松井さんと、松本剛明さんと、先日ご飯をご一緒した古川元久さんだけ。ほかに新聞やテレビで見知った顔(樽床伸二さん、河野太郎さん)も。
原発問題に露呈した日本のエリートたちの無能力について、これをどう補正すべきかについて私見をご提言申し上げる。
そのあと10時まで、そのテーマでディスカッション。
帰りぎわに細野豪志さんが飛び込んで来る。
「原発は供養する心がけでやります」といううれしいお言葉を頂く。
ぐったり疲れて学士会館で死に寝。
4月15日(金)

新幹線で帰郷。新大阪で途中下車して歯医者へ。
抜糸だけなので、すぐ終わる。
4月16日(土)
合気道。すごい人数。算えたら、60人近い。
夕方神吉くんたち来る。
重要なご報告。
祝杯を上げに奥さんもいっしょに四人で並木屋へ。
重大なご報告でどっと疲れたらしく、神吉君カウンターで居眠り。
ずいぶん緊張してたんだね。お疲れさまでした。
4月17日(日)
かなちゃんの合気道芦屋道場の十周年演武会。
お稽古してから、30分ほど説明演武。
芦屋道場は道場生のべ160人に及ぶそうである。
10年続けるというのは、たいしたものである。
ご協力くださったみなさん、ありがとう。
それから芦屋で多田塾甲南合気会運営委員会。
会員数が100名を越し、秋からは専用道場が出来て、毎日稽古という体制になるので、組織改編を行わなければならない。
事務方を預かってくださるみなさんと運営委員会を定期的に開いて、秋以降の運営体制について相談することになった。
月謝をどうするか、減免措置をどうするか、道場の掃除をどうするか、法人化の手続きをいつ始めるか・・・などなど私の苦手とする経営問題を優秀な運営委員のみなさまに考えてもらうのである。
4月18日(月)
朝、三宅先生のところ。それから大学へ。名誉教授授与式。それから杖道のお稽古。
4月19日(火)
お休み、終日原稿書き。
4月20日(水)
10時から上棟式。
地鎮祭は神主さんが来たけれど、上棟式は棟梁が差配する。
神事も、餅撒きもはじめてのことである。
光嶋くんの「法被と地下足袋」姿がけなげでありました。
詳細は光嶋くんのブログhttp://www.ykas.jp/jp_news.htmと中島工務店のブログhttp://www.npsg.co.jp/residences/reports/cat36-1.htmlをご覧ください。リアルタイムで工事の進行状況が報告されております。
お忙しい中、おいでいただきましたみなさまにお礼申し上げます。
4月21日(木)
東京へ。第三回伊丹十三賞授賞式へ。
第一回は糸井重里さん、第二回はタモリさん、そして第三回の受賞ということで、「この文脈は何を意味しつつあるのか?」
よくわからないですね。
選考委員の周防正行、中村好文、平松洋子、南伸坊のみなさん。事務局の伊丹プロの玉置泰さん、松家仁之さん、そして宮本信子さん(銀幕のままの笑顔)とご挨拶。
周防さんは奥さまの草刈民代さん(おお、オーラが)もご同行。
中村さんから盾を頂き、平松さんから「そ、そこまで言っていただくと身の置きどころがありません」的授賞理由のスピーチを頂き、宮本信子さんから副賞の賞金を頂く。
それから謝辞を申し上げて、あとはパーティ。
久しぶりに橋本治さんとお会いする。一時は20キロ痩せられたそうだけれど、だいぶ戻られたようで、ほっとする。病み上がりの身体をおして来て頂いて、ほんとうに感謝です。
糸井重里さんとも初対面。なんだか初対面のような気がしないのは橋本さんと中沢新一さんと一緒だったから。
うちの光嶋くんが「ほぼ日」でお世話になるので、どうぞよろしく。
あとはじめてお会いしたのは、岸田秀先生。
岸田先生とは対談本を出す企画がある。ぜひ伊丹十三の話も聞きたいものである。
サバティカルからお戻りの加藤典洋さんともお久しぶりにご挨拶する。加藤さんとの対談本はどうなったのかしら・・・
びっくりしたのは仙谷由人さん。来て、握手して、ぴゅっと帰って行きました。
鈴木晶さん、松井孝治さん、小堀さん、のぶちゃん・かなちゃん、矢内さん、仲野センセ、ドクター、平尾さん、大迫くん、阿部くん、石やん、母上、兄上、シンペーくん、るんちゃん・・・とても数え切れないけど、みなさん、お忙しい中お運びいただきまして、ほんとうにありがとうございました。
二次会は新潮社の足立さんが仕切ってくださって、編集者主体のパーティ。乾杯のご発声は関川夏央さん。心のこもったお言葉ありがとうございました。鶴澤寛也さんが駆けつけて一節弾いてくれました。
三島さん、安藤さん、鈴木さん、三野さん、野木さん、加藤さん、岡本さん、大村さん、白石さん、井之上さん、兵庫さん、大波さん、鳥居さん、杉本さん・・・これまでいっしょに仕事をした編集者の方々、ほとんどが顔を揃えてくれました。
途中からさすがに疲れて、中村好文さん、平松洋子さん、南伸坊さんとのんびりした話をする。平松さんと橋本麻里ちゃんが長いお知り合いと聞いてびっくり。南伸坊さんとは養老先生つながりでぐるりと円環が繋がる。
るんちゃんと連れ立って夜の六本木を歩いて帰る。
はふ~。
4月22日(金)
朝10時から朝日新聞で紙面審議会。
もうさすがにへろへろ。
それでも最後のエネルギーを振り絞って、朝日の紙面についてご意見を具申する。
新聞の文体の定型性については『街場のメディア論』にも書いたとおり、書いている記者自身の「身体実感」が紙面に反映していないことによってもたらされている。
デスクが繰り返し修正しているうちに、記者たち全員が「同じような語り口」になってしまっている。
その結果、一部の記者たちは「記者自身があたかも地声で語っているかのような文体」という定型さえ身につけてしまう。
「定型に落とし込まれた個性」に対する嫌悪が人々を新聞から遠ざけていることについて、記者たちはもう少し厳粛になるべきだろう。
4月23日(土)
そして、疲れ切って帰ってきたところで、合気道の稽古の前に更衣室で足を滑らせて骨折。
でも、こうやってそれまでの10日間を備忘録に書き出すと、「骨折くらいで済んでよかった」と思う。ほんとに。
痛みをこらえつつ2時間半稽古指導。
稽古後、学長対談のゲストに神戸女学院大学に来ていた福岡伸一ハカセを足をひきずりながらお迎えにゆく(この時点ではまだ「捻挫」だと思っていた)。
飯謙学長をまじえてしばらくおしゃべりしてから、福岡ハカセを三宮のKOKUBUにお連れする。
前週も光嶋くんをお連れしたので、二週連続のKOKUBUです。
福岡ハカセとたいへん愉快なひとときを過ごしてから、足をひきずって家に帰る。
4月24日(日)
例会。
足は痛いけれど、3戦して2勝。着実に勝率アップ。
4月25日(月)
朝起きたらもう動けない。
三宅先生のところに這うようにして行って、診断を仰ぐと「第五中足指ぽっきり骨折」とのご診断。全治3週間。
ぐるぐるにテーピングして、松葉杖をいただいて帰る。
すぐにあちこちに連絡して、今後に2週間の全予定をキャンセル。
昼から死に寝。
4月26日(火)~29日(水)
三宅先生のところに行ってテーピングしてもらう。家で死に寝。ときどき起き上がって安藤さんのゲラを直す。
4月30日(土)
下川先生のところに、新人ひとりをご紹介しにお連れする。
ひさしぶりに『安宅』の稽古。仕舞の稽古はもちろん不可。
夕方から青木くんのところでたこ焼きパーティ。
歩くのがしんどいのでパスしようかなと思っていたら、光安さんがお迎えに来てくださいました(泣)。
美味しいたこ焼きと部長のサラダ、光安さんのゴルゴンゾーラのペンネなどばりばり食べて、ちょっとしあわせになる。
5月1日(日)
ほんとうは丸亀で講習会があるはずだったけれど、家でサバ眼寝。
5月2日(月)
終日サバ眼寝。夕方光嶋くんが来て、和楽で打ち合わせ。
5月3日(火)
灘高文化祭で講演。これは家からすぐだし、バイクで行けるので、三節棍みたいな杖(父の形見)を突きながら教壇に登って、高校生たち相手に「諸君!」と獅子吼すると、まるで『セント・オブ・ウーマン』のアル・パチーノみたいでかっこいいかも・・・と思っておでかけ。
「次世代に望むこと」というお題で、東郷平八郎と『安宅』の話をする。
高校生諸君はまじめに聴いてくれておりました。
都立大仏文時代の後輩の松本雅弘くん(鳥取大学)のご令息が偶然にもお二人とも灘高生で、「息子の文化祭のパンフレットをぱらぱら見てたら、ウチダさんが講演やるって書いてあったので・・・」おいでになる。
講演後、久闊を叙す。10年ぶりくらいかな。
今度の次郎くんのところのヒロ子さんの七回忌にもお見えになるそうである。
どうも松本くんとは法事がご一緒ということが多い(故・岸本浩を「送る会」のときも、松本くんと二人だった)。
そういえば、難波江和英さんは岸本の神戸時代の同人仲間で、岸本が死んだあとしばらくして、二人とも相次いで神戸女学院大学に着任し、しばらくして友だちになってから、「死せる共通の友人」がいることを知ったのである。
死者はしばしば「存在するとは別のしかたで」、残された人間の生き方に影響を与える。
5月4日(水)
恒例の「美山町の小林家に山菜てんぷらを食べに行く会」。
去年から光嶋くんが同行している。
光嶋くんはそのあと仕事の打ち合わせで美山町を前後3回訪れているので、もう小林家のみなさんとはすっかり顔なじみである。
今回は『芸術新潮』の取材も兼ねているので、編集の前田さん、カメラの筒口さん、そして足立さんがご一緒。
わらびのおひたし、筍のキッシュ、山菜てんこ盛り冷や奴、そしてコシアブラ、タラ、ウド、タケノコの天ぷら・・・ああ、書き出しているだけでくらくらしてくる。
天ぷらとお酒があまりに美味しいので、取材組5人は異常にハイになって、途中までぜんぜん仕事にならない。
夜がだいぶ更けてから、由紀ちゃんとご夫君の菊池くんが林業の現状について熱く語り出して、ようやく取材らしくなってきたが、その前の与太話盛り上がり過ぎて、ウチダはすでに酔眼朦朧。
5月5日(木)
10時ごろ起きて、例の如く小林家のみなさんを相手に、頭も尻尾もないようなおしゃべり。この時間が一番愉しい。
美山町の宿屋に分宿していた『芸術新潮』組が合流して、まずは記念撮影。それから一同揃って井上さんが土を掘っている現場へ。
美山の土は粘度が高く、また色味もよく、これを漆喰に混ぜる。
すると、美山杉の柱と、その杉を育てた土の壁が隣り合うことになる。
オーストリアから切り出した集成材に中国から輸入した漆喰が並んでいるのとは、家の表情が違ってくるのである。
どこが違うということは数値的には言えないけれど、違うものは違うのである。
お好み焼きと猪肉を囓りながら、そのまま小林家の台所で左官談義。
職人の人の話は、ほんとうに面白い。
日が傾いてきたので、小林家のみなさんに別れを告げて、BMWで新緑の由良川べりのワインディングロードを走り抜ける。
ここは私のもう一つのふるさとである。
淡路島のタチバナさんのところがいずれ「第三のふるさと」になるのだと思う。
今年こそ行かないとね。

弁慶のデインジャー対応について

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5月3日に灘高の文化祭で生徒会主催の講演をした。
そのときの話を少し書いておきたい。
生徒会主催の講演に呼ばれたのは、これがはじめてのことである(そういえば、大学の文化祭というのにもあまり呼ばれた覚えがない)。
お題は「次世代に望むこと」
原発事故以来、また繰り返し集中的にしている「リスクとデインジャー」の話をここでもした。
その話はもういいよ、という人もいるかも知れないけれど、はじめての人はちょとお付き合いください。
危機には「リスク」と「デインジャー」の二種類がある。
「リスク」というのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたりできる危険のことである。「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない危険のことである。
喩えて言えば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り時間1分で、2点のビハインドというのは「リスク」である。
このリスクは監督の采配や、ファンタジックなパスによって回避できる可能性がある。
試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは「デインジャー」である。
対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれていない。
だが、そういう場合でも、四囲の状況を見回して「ここは危ない、あっちへ逃げた方が安全だ」というような判断をできる人間がいる。
こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは生き延びる確率が高い。
でも、いちばん生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに行くと『厭なこと』が起こりそうな気がするから行かない」と言って、予定をキャンセルして、家でふとんをかぶっている人間である。
WTCテロの日も、「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が何人もいた。
彼らがなぜ危機を回避できたのかをエビデンス・ベースで示すことは誰にもできない。
「ただの偶然だ。理屈をつけるな」と眼を三角にして怒る人がいるけれど、そういう人には「そうですよね」と言ってお引き取り願うしかない。
けれども、「どうして私だけが生き残ったのか、理由がわからない」ということは、よくある。その場合に「単なる偶然である」と言って済ませることのできる人はきわめて少ない。
ほとんどの人は「自分だけが生き残った理由」について考える。
少なくとも、ホロコーストを生き延びたエマニュエル・レヴィナスやエリ・ヴィーゼルやウラジミール・ジャンケレヴィッチはそうした。
もちろん、「自分だけが生き残った理由」はわからない。
「おそらくはゲシュタポの気まぐれによって」とジャンケレヴィッチは書いている。レヴィナスはそれをそのまま引用しているので、たぶん「同じ気分」だったのだろう。
けれども、人は他人の「気まぐれ」で手に入れた人生をそのままに生きることはできない。
生き延びた理由は「気まぐれ」でも、そのまま長生して、いざ死ぬときにふりかえって「私が生き残ったことにはやはりそれなりの意味があった」と言い切れなければ、自分が生き残ったときに死んだ人間に申し訳が立たない。
だから、自分自身の人生に加えて、「死んだ人の分まで生きる」という責務を自らに課すことになる。
「あの人があのとき死ななければやっていたかもしれないこと」は「生き残った私」の宿題になる。
その宿題を完了したときにはじめて、「ゲシュタポの気まぐれ」という「人の生き死にに、理由なんかない」という非-人間的無底(anarchie)を人間的意味と人間的秩序が少しだけ押し戻すことができる。
だから、もし大災厄を生き延びた場合には、どんなことがあっても、「生き残ったことは単なる偶然であり、生き延びたことに『理由』を求めるのは愚かなことである」というような発言をしてはならない。
それは死者を二重に穢すことになるからである。
私たちがもし幸運にも破局的事態を生き延びることがあったとしたら、私たちはそのつど「なぜ私は生き残ったのか?」と自問しなければならない。
「他ならぬ私が生き残ったことには理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想でもオカルトでもなく、人間的意味を「これから」構築するための必須条件なのである。
だから、WTCをテロの直前に離れた人が「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気がして」というふうに事後的に自分の「異能」を発見するようになるのは当然のことなのである。
そうすべきなのである。
私が生き残ったことには意味があると思わなければ、死んだ人間が浮かばれないからである。
誰かがそう思わなければ、被害者たちは殺人者の恣意に全面的に屈服したことになるからである。
そして、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、ほんとうに「デインジャーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」ということを身を以て証明しなければならない。
だが、私たちの社会は戦後66年間あまりに安全で豊かであったせいで、危険をすべて「リスク」としてしか考察しない習慣が定着してしまった。
「デインジャー」に対処できる能力はどうすれば開発できるのかについての「まじめな議論」を私はかつて聴いたことがない。
今回の原発事故は「デインジャー」である。
「リスク対応」は十分であったと政府と東電と原子力工学者たちは言う。
たしかに、その通りなのかも知れない。
だが、「デインジャー対応」という発想は彼らにはなかった。
「デインジャー対応」というのは事故前の福島原発を見て、「なんだか厭な感じがする」能力のことである。
その「厭な感じ」が消えるように設計変更を行ったり、運転の手順を換えたり、場合によっては操業を停止したりする決断を下せることである。
それができる人間がそこにいれば、そもそも事故は起こっていない。
事故が起こっていないから、そのような能力を発揮した人が巨大な災厄を未然に防いだという「事実」は誰にも知られない。
それは「事実」でさえないのだから、知られなくて当然である。
けれども、そこから、そのような能力は「存在しない」という結論を導くことは論理的にはできない。
私たち人類は久しく「後一歩のところで破局を迎えたはずの事態」を繰り返し回避したことによって今日まで生き延びてきた。
むろん、「存在しなかった災厄」について、たしかなことは誰にも言えない。
けれども、「存在しなかった災厄は、それを無意識のうちに感知して、それを回避する策を講じた人がいたせいで存在しなかった」という仮定はあきらかに人間的能力の向上に資する。
能の名曲に『安宅』がある。歌舞伎で『勧進帳』と呼ばれる物語である。
これはよく考えると不思議な物語である。
富樫の立てた新関の前で困惑した弁慶は「ただ打ち破って御通りあれかしと存じ候」といきりたつ同行の山伏たちを抑えて、「なにごとも無為(ぶい)の儀が然るべからうずると存じ候」と呟く。
そして、弁慶の「不思議の働き」によって、安宅の関では「起こるはずのこと」(富樫一党と義経一行の戦闘)は起らなかったのだが、それは「白紙の巻物」を「勧進帳と名づけつつ」朗朗と読み上げる弁慶の「ないはずのものが、ある」というアクロバシーと構造的には対をなしている。
『安宅』が弁慶の例外的武勲として千年にわたって語り伝えられているのは、「ないはずのものをあらしめることによって、あるはずのことをなからしめた」という精密な構造のうちに古人が軍功というものの至高のかたちを見たからである。
『安宅』は「存在しないものをあたかも存在するかのように擬制することによって、存在したかもしれない災厄の出来を抑止する」というメカニズムを私たちに示してくれる。
ここでいう「存在しないもの」が「災厄の到来を事前に感知する能力」である。
弁慶の武勲は何よりも白紙を朗朗と読み上げた点に存する。
これはひとつの異能である。
勧進帳を読み上げているときの弁慶は、東大寺建立のため重源上人に北陸道に派遣された山伏に「なりきっている」(強力に化けた義経を打擲するときも)。
この弁慶の憑依力・物語構成力によって、安宅の関には、「そこに存在しない世界」が幻想的に出来する。
この幻想的に構築された物語が、現実の災厄の出来を抑止する。
私が「デインジャー対応能力」と呼ぶのは、ひとつの「物語」である。
そう言いたければ「幻想」と言い切っていただいても構わない。
けれども、幻想を侮ってはいけない。
「存在するはずだったのに、しなかった現実」と均衡するのは、理論的には「存在しないはずなのに、存在してしまった幻想」だけだからである。
それはシーソーのような構造になっている。
それが今日の核戦略における「抑止力」と構造的に相同的であることはまことに皮肉と言う他はないけれど。

浜岡原発停止について

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MBSの「辺境ラジオ」も今回で4回目。
不定期収録、収録時間毎回違う、放送時間毎回違うという、いかにもラジオ的にカジュアルな番組である。
精神科医名越康文先生、MBSの西靖アナウンサーと僕の三人のthree-man talk をガラス窓の向こうから伊佐治プロデューサーが顔を赤くしたり青くしたりしながら見ているという四人組ベース。
今回は「震災」テーマでのトークである。
菅首相が浜岡原発の停止を要請したが、それについての評価から話が始まった。
名越先生も私も、これは官僚や電力会社への根回しが十分にされた上での結論ではなく、総理のトップダウンでの「私案」に近いのではないかという意見だった。
浜岡原発の運転の可否についての議論はもちろん専門的な機関で行っているのだろうが、結論はわかっている。
「安全性に問題はない」である。
でも、東海大地震が起きて、放射性物質が漏出するような事態になったら、政府機関も中電の経営者も原子力工学の専門家たちも、口を揃えて「想定外の事態だった」と言うに決まっている。
福島に続いて静岡で原発事故が起きたら、もう「日本というシステム」に対する国際社会の信用は回復不能のレベルにまで下がるであろう。
メーカーへの送電や、株主への責任や、天然ガスの手当てといったレベルでの不安はあるだろうが、それは首都圏が福島・静岡の事故に挟撃された場合に日本が失うものとは比較にならない。
だから、菅首相の判断を私は支持する。
官僚たちはさぞやご不満であろうし、撤回させるために、いま全力を尽くしているところだとは思うけれど、民意が「反原発」に完全に傾いた今となっては、もう原発推進に舵を切ることはできないだろう。

それにしても、高い確率で大地震が起こる地盤の上に原発を建てた人間はいったい何を考えていたのか。
何も考えていなかったと私は思う。
「2000年問題」というのがあった。
2000年になるとコンピュータが誤作動を起こすかもしれない。どのような事故が起きるか想像もつかない・・・と1999年の12月31日にはみんなどきどきしていた(さいわいたいしたことは起こらなかった)。
なぜこんな問題が起きたかというと、コンピュータの設計をしていた人たちが「そのうち紀元2000年が来る」ということを考えていなかったからである。
もちろん、彼らだって「そのうち紀元2000年が来る」ということは高い確率で想定していたはずである。
しかし、そのことを考えに入れると、コンピュータの設計を変えないといけない。年号表示を2桁増やすことで失われるメモリー量が「もったいなかった」ので、「2000年は、2000年までは、来ない」ということにして(これは命題としては正しい)、考えるのを止めたのである。
それと同じである。
大地震は、大地震が来るまでは、来ない。
命題としては、正しい。
だが、そこから「大地震が来るまでは、大地震のことは考えないでもよい」という実践的命題を導くことはできない。
こういう発想をする人を私が好まないのは、もちろん「無責任」ということもあるけれど、それ以上に「どうせ来るなら、そのときは破局的な事態になった方がいい」という無意識的な願望を抑制できなくなるからである。
「姉歯事件」をご記憶だろうか。
構造計算をごまかして、耐震性の弱い建築物をどんどん建てた人たちがいた。
彼らが単にコストカットして金儲けをしたかった、というのならそれほど罪はない(あるけど)。
でも、彼らは地震が起きて、適正な構造計算をした建物だけが残り、虚偽の構造計算をした建物だけが選択的に倒壊するという事態を怖れた。
その場合にのみ彼らの悪事は満天下に明らかになるからである。
それゆえ、彼らはこう願った。
もし地震が起きるとしたら、中途半端な規模のものではなく、すべての建物が倒壊するようなものでありますように、と。
彼らの犯罪は「自分たちの悪事が露見しないためには、すべての人が破局的な目に遭うことが必要である」というかたちで構造化されていた。
それが何より罪深いと思う。
そのためには彼らは朝な夕なに「どうせ来るなら、日本列島が全壊するような地震が来ますように」と祈る他ないからである。
祈り(というより呪い)の効果を軽んじてはならない。
活断層の上に原発を建てた人たちは地震については何も考えていなかった(というより、考えたくなかった)。
もし地震について何かを考えていたとしたら、姉歯たちに近いことだろうと思う。
「どうせ地震が来て、原発事故が起きるなら、日本列島が全壊してしまうような規模の破局の方がありがたい」と。
というのは、そのとき(つまり、『北斗の拳』的世界においては)、彼らの旧悪を追求するような司直の機能はもう日本列島上には存在していないはずだからである。
だから、無意識的に彼らは活断層の上に原発を建てることを選んだのである。
私はそう思う。
安全に対する手立てを講ずることを怠る人間は、自分が「なすべきことを怠っている」ということを自覚している。
だから、必ず、「どうせ何かが起きるなら、安全について手立てを講じた人間も、手立てを講じなかった人間も、等しく亡びるような災厄が訪れますように」と祈るようになる。
それはその人と属人的な資質とは関係がない。
夏休みの宿題を終えないうちに8月31日を迎えた子どもが、「学校が火事になればいい」と祈るのと同じである。
別にそう祈る子どもが格別に邪悪なわけではない。
宿題をしなかった子どもは必ずそう祈るようになる。
人間の無意識的な祈りと呪いの力を過少評価してはならない。
だから、浜岡原発を停止することに決めたのはよいことだと私は思う。
繰り返しいうように、私は原子力テクノロジーに対しては何の遺恨もない。
テクノロジーは価値中立的なものである。
テクノロジーに良いも悪いもない。
でも、愚鈍で邪悪な人間たちに原子力テクノロジーの操作を委ねることには反対する。
そして、「愚鈍で邪悪な人間たち」というのは端的に「人間というもの」と言うのとほとんど同義なのである。

国旗国歌と公民教育

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 橋下徹府知事率いる大阪維新の会は「君が代斉唱時に教員の起立を義務化する条例案」を今月の府議会に提出する。
府教委はこれまで公立学校に対しては「教育公務員としての責務を自覚し、起立し斉唱する」ことを文書で指示してきた。この三月には卒業式の君が代斉唱時に起立しなかったとして、公立中学教諭が戒告処分を受けている。
維新の会は「思想信条の問題ではなく、従来の教委の指導を遵守するように求める条例である」と説明している。府知事は、教育公務員が教委からの指示に従わないのは業務命令違反であり、今後とも指示に従わないというのなら辞職すべきであるという、さらに強い態度を取っている。
国旗国歌問題については、これまでも何度も書いてきた。私が言いたいことはいつも同じである。
国旗国歌は国民国家の国民的統合の象徴である。
そうであるなら、ことの順番としては、まず「自分が帰属する国民国家に対する、静かな、しかし深く根づいた敬意をもつ国民」をどのようにして創り出してゆくか、ということが問題になるはずである。
もちろん、それ以前に「国民国家なんか要らない」というラディカルなお立場の方もおられる。
「要らない」というのは原理的にはわかる(レーニンを読めば、ちゃんとその理由が理路整然と書いてある)。
でも、原理的に「要らない」というのと、実践的に「じゃあ、なくしましょう」ということのあいだには千里の逕庭がある。
理論的には「なくてもいい」はずなのだが、いきなりなくすわけにはゆかないものはこの世にはたくさんある。
一夫一婦制度も、資本主義経済も、墳墓も、宗教も、賭博も、ヤクザも、ハリウッドバカ映画も、どれも理論的には「なくてもいい」はずなのだが、急にはなくせない。
国民国家も「急にはなくせない」ものの一つである。
もっとよいシステムについての代案が出るまで、これを使い延ばすしかない。
EUが華やかな成功を収めて、ヨーロッパから国民国家というものがなくなってから、「じゃ、アジアでもなくしますか」という議論に入っても遅くはない、と私は思う。
とりあえず国民国家はある。
ある以上、その制度が機能的に、気持ちよく、できるだけみんながハッピーになるように統御することは、私たちの喫緊の実践的課題である。
だから、「自分が帰属する国民国家に対する、静かな、しかし深く根づいた敬意をもつ国民」を組織的かつ継続的に送り出すことは必要である、と私は考えている。
その任を担うのが、学校である。
だから、国旗国歌について論じるとき、教師としては、何よりもまず国民国家という政治的装置の基盤をなす「公民意識」を子供たちにどう教え、いかにして彼らを成熟した市民に形成してゆくのかという教育の本質問題が論件の中心にならなければならない。
だが、刻下の国旗国歌論を徴する限り、ほとんどすべての論者は「法律で決められたことなんだから守れ」といったレベルの議論に居着いており、「国民国家の成熟したフルメンバーをどうやって形成するか」という教育的論件に言及することはまずない。
いわゆる「国旗国歌法」によって国旗国歌は1999年に定められた。
その法律制定当時の首相であった小渕恵三は衆院本会議で、共産党の志位和夫議員の質問に答えて、こう述べた。
学校における国旗国歌の指導は「国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております」
さらにこう続けた。
「政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません」。
私はこの首相答弁はごく常識的なものだと思う。私が首相でも、似たようなことをしゃべったはずである。
国旗国歌法制定の趣旨は「国民として必要な基礎的、基本的な内容」の習得である。
それだけである。
だとすれば、「国民として必要な基礎的、基本的な」学習内容とはいかなるものかという教育論がそこから始まるはずである。
始まらなければならないはずである。
だが、始まらない。
始まったのは教員の処分と違憲訴訟だけである。
この法律は公民教育を督励するためのものであり、教員に儀礼的ふるまいを義務化するものでも、個々の教員の教育理念や教育方法を制約するものでもない。私はそう理解している。
というのも、まさに「公民教育はいかにあるべきか」という激烈で生産的な議論が終わりなく現場の教師たちによって、あるいは親たちによって、あるいは教育学者や教育行政官や政治家を巻き込んで続けられ、その過程でひとりひとりの教員が自説を論証するために、多様な教育方法を創案し、工夫することこそが、日本の子どもたちを市民的成熟に導く捷径であると私が考えているからである。
だが、私に同意してくれる人はきわめて少ない。
話を大阪のことに戻す。
維新の会は条例案を思想信条にかかわる問題ではなく、単なる公務員の服務規定違反の問題であるとしている。
だが、政党が発議し、知事が反対者の免職を示唆し、それに抗して「違憲ではないか」と疑義を呈する人々がいる以上、これは政治問題以外の何ものでもない。
これを怠業とか背任とか情報漏洩とかいった公務員の服務規程違反と同列に論じることはできまい。
繰り返し言うが、国旗国歌問題は「公民意識を涵養する教育はどのようにあるべきか」という、すぐれて教育的な問いとしてとらえるべきだと私は考えている。
だから、橋下知事が主張するような施策によって、子どもたちの公民意識が劇的に向上するという見通しが立つなら、私はそれに賛成してもよい。
いや、ほんとうに。
私はそういう点ではきわめてプラグマティックな、計算高い人間である。
日本がそれで「住み易い国」になるという見通しが立つなら、私は誰とだって同盟するし、誰の靴だって舐める。
けれども、残念ながら、橋下知事は国民国家の公民意識を涵養するために学校教育は何をなすべきかという論件には一片の関心も示していないし、それについてのアカウンタビリティも感じていないようである。
橋下知事は着任以来、大阪府の教育関係者を、教育委員会も、現場の教職員もひとしく罵倒することで有権者のポピュラリティを獲得してきた。
その結果、大阪府民の学校制度に対する信頼と期待はずいぶん低下したと思う。
ある意味、これこそ知事の最大の功績と言ってもいいくらいである。
知事の学校不信・教員軽視は有権者である大阪府民のうちにも拡がり、当然のことながら、大阪府の子どもたちにも深く根づいた。
今の大阪府の子どもたちは、おそらく日本でもっとも学校の教師に対する信頼を傷つけられた集団であろう。
それだけの否定的評価にふさわしい出来の悪い教師たちなのだから、彼らが子どもに侮られ、保護者に罵倒されるのは自業自得だ、と。そう知事は言いたいのかも知れない。
なるほど。ほんとうに、そうなのかもしれない。
現に、おそらく多くの府立学校の教師たちは、知事の期待通り、この条例が可決された後、ずるずると教委の指示に従って、不機嫌な顔で起立して、国歌を斉唱するようになるだろう。
だが、子どもたちはそれを見てどう思うだろうか。
おそらく彼らを「処罰の恫喝に怯えて、尻尾を巻いた、だらしのない大人」だとみなすだろう。
たしかにそう言われても教師たちは反論できまい。
だから、子どもがいっそう教師を侮る趨勢はとどめがたい。
この条例がもたらすもっとも眼に見える教育的効果はそれだけである。
だが、教師たちを脅え上がらせ、上司の顔色をおどおどと窺うだけの「イエスマン」教師を組織的に創り出すことを通じて、いったい知事は何を達成したいのか、それが私にはわからない。
たしかに、教師たちをさらに無気力で従順な「羊の群れ」に変えることはできるだろう。そして、そのような教師を子どもたちが侮り、その指示を無視し、ますます教育崩壊を進行させることはできるだろう。
私にわからないのは、それによって子どもたちは学校教育からいかなる「よきこと」を得るのか、それによって子どもたちの公民意識はどのように向上するのか、ということなのである。

脱原発の理路

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平田オリザ内閣官房参与は17日、ソウル市での講演で、福島第一原発で汚染水を海洋に放出したことについて、「米国からの強い要請があった」と発言したのち、翌日になって「不用意な発言で、たいへん申し訳なく思っている」と発言を撤回して、陳謝した。
発言について平田参与は「この問題には全くかかわっておらず、事実関係を確認できる立場でもない」として、事実誤認であることを強調した。
内閣官房参与、特別顧問の「失言」が続いている。
平田参与の前に、3月16日には笹森清内閣特別顧問が、菅首相との会談後に「最悪の事態になった時には東日本がつぶれることも想定しなければならない」という首相の発言を記者団に紹介した。
4月13日には松本健一内閣官房参与が「原発周辺には10~20年住めない」という首相発言を紹介したのち、撤回した。
震災直後に内閣官房参与に任命された小佐古敏荘東大大学院教授は、政府の原発事故対応を「場当たり的」と批判して、4月29日に参与を辞任した。
私はこれらの官邸に近いが、政治家でも官僚でもジャーナリストでもない方々の「ぽろり」発言はおおむね真実であろうと解している。
彼らはある意味「素人」であるので、官邸に実際に見聞きしたことのうち、「オフレコ扱い」にしなければならないことと「公開してもいいこと」の区別がうまくつかなかったのだろう。
私だって、彼らの立場になったら、「ぽろり」と漏らす可能性がたいへんに高い人間なので、とりわけご本人の篤実なお人柄を存じ上げている平田さんには同情を禁じ得ないのである。
顔見知り相手に内輪で「いや、驚いた。ここだけの話だけどさ、実はね・・・」というふうに言うのまではOKだが、マスメディアやネット上で公開してはならないコンフィデンシャルな情報というものは、官邸まわりに出入りしていれば、ごろごろ転がっているであろう。
「それは言わない約束でしょ」という、「あれ」である。「あるけど、ない」とか「ないはずだけど、ある」というときの「あれ」である。
「そういうもの」がなければ、政治過程だって意思疎通はできない。
それは政治家の方たちと多少お話をする機会があるとわかる。
彼らだって、一皮剥けば「ふつうの人」である。喜怒哀楽があり、パーソナルな偏見を抱えており、あまり政治的に正しくないアイディアだって抱懐している。
それをある程度開示しなければ、自分が政治家として「ほんとうは何がしたいのか、何を言いたいのか」をまわりの人たちに理解させることはできない。
それは「自分のメッセージの解読のしかたを指示するメッセージ」、すなわちコミュニケーション理論でいうところの「メタ・メッセージ」として、通常は非言語的なしかたで(表情や、みぶりや、声のピッチや、あるいは文脈によって)指示される。
顧問や参与のみなさんの「失言」は、発言者が「どういう文脈でそれを言ったか」というメタ・メッセージの聞き違えによって発生したものと思われる。
その「文脈のとり違え」は「私のような『ふつうの人間』に『そういうこと』を平気で言うというのは、『そういうこと』はいずれ天下に周知されることなのだ」という解釈態度によってもたらされたのだと私は思う。
つまり、参与や顧問の方々はご自身を「政治家たちの中に立ち交じっている非政治家」だとは自覚しているのだが、それをつい「ふつうの人間」のことと勘違いしたのではないかと、私は思うのである。
「私のようなふつうの人間」にむかって、「こんなこと」がぺらぺら話されるというのは、「こんなこと」は別にクラシファイドではないのだ、という情報の機密度評価を彼らはなしたのではないか。
ところが、彼らは「クラシファイド情報を開示してもいいクラブ」のメンバーに実はリストされていたのである。
ただそのことがご本人には、はっきりとは伝えられていなかったのである。
「そういうことは、先に言ってくれよ」と平田さんも、松本さんも思ったのではないであろうか。
以上、すべて想像ですので、「ちげーよ」と言われたら、それっきりですけど。
ともかく、私は上に名を挙げた方々はすべて「官邸内で実際に聴いたこと」をそのまましゃべったものと理解している。
おおかたの日本人もそう理解しているはずである。
興味深いのは、マスメディアがこれらの発言が「撤回」や「修正」されたあとに、あたかも「そんなこと」そのものを「なかったこと」として処理しようとしていることである。
「たぶん『ほんとうのこと』なんだろう」という前提から、「『失言』の裏を取る」という作業をしているメディアは私の知る限りひとつもない。
私はこの抑圧の強さに、むしろ驚くのである。
それはつまり、政治部の記者たちは自分たちを「インサイダー」だと思っている、ということである。
政治家たちがリークする「クラシファイド」にアクセスできるのだが、それは公開しないという「紳士協定」の内側で彼らは仕事をしているのである(そうじゃないと「政府筋」の情報は取れない)。
だから、今回のような「クラブのメンバーのはずの人間の協定違反」に対してはたいへん非寛容なのである。
たぶんそうだと思う。
おおかたの読者も私にご同意いただけるだろう。
以上、マクラでした。
さて、その上で、平田発言を吟味したい。
これは私がAERAの今週号に書いたことにだいたい符合している。
私はこう書いた。そのまま採録する。

菅首相が浜岡原発の停止を要請し、中部電力がこれを了承した。政治的には英断と言ってよい。メディアも総じて好意的だった。でも、なぜ急にこんなことを菅首相が言い出し、中部電力もそれをすんなり呑んだのか、その理由が私にはよくわからない。経産省も電力会社も、「浜岡は安全です」って言い続けてきたのだから、こんな「思いつき的」提案は一蹴しなければことの筋目が通るまい。でも、誰もそうしなかった。なぜか。
政府と霞ヶ関と財界が根回し抜きで合意することがあるとしたら、その条件は一つしかない。アメリカ政府からの要請があったからである。
もともとアメリカが日本列島での原発設置を推進したのは、原発を売り込むためだった。ところがスリーマイル島事故以来、アメリカは新しい原発を作っていない。気がつくと「原発後進国」になってしまった。でも、事故処理と廃炉技術では国際競争力がある。
福島原発の事故処理ではフランスのアレバにいいところをさらわれてしまい、アメリカは地団駄踏んだ。そして、「ではこれから廃炉ビジネスで儲けさせてもらおう」ということに衆議一決したのである(見たわけではないので、想像ですけど)。
だから、アメリカはこの後日本に向かってこう通告してくるはずである。「あなたがたは原発を適切にコントロールできないという組織的無能を全世界に露呈した。周辺国に多大の迷惑をかけた以上、日本が原子力発電を続けることは国際世論が許さぬであろう」と。
その通りなので、日本政府は反論できない。それに浜岡で事故が起きると、アメリカの西太平洋戦略の要衝である横須賀の第七艦隊司令部の機能に障害が出る。それは絶対に許されないことである。
だから、アメリカの通告はこう続く。「今ある54基の原発は順次廃炉しなさい。ついては、この廃炉のお仕事はアメリカの廃炉業者がまるごとお引き受けしようではないか(料金はだいぶお高いですが)」。
むろん「ああ、それから代替エネルギーお探しなら、いいプラントありますよ(こちらもお高いですけど)」という売り込みも忘れないはずである。
ホワイトハウスにも知恵者はいるものである。(引用ここまで)

驚いたことに、菅首相の浜岡原発操業中止要請を中部電力が承諾した時点から、ほとんどすべての新聞の社説は(週刊誌を含めて)、ほぼ一斉に「脱原発」論調に統一された。
福島原発において日本の原子力行政の不備と、危機管理の瑕疵が露呈してからあとも、政府も霞ヶ関も財界も、「福島は例外的事例であり、福島以外の原発は十分に安全基準を満たしており、これからも原発は堅持する」という立場を貫いており、メディアの多くもそれに追随していた。
それが「ほとんど一夜にして」逆転したのである。
私はこれを説明できる政治的ファクターとして、平田オリザさんが漏らしたように「アメリカ政府の強い要請」以外のものを思いつかない。
MBSの子守さんの番組でも申し上げたように、日本が脱原発に舵を切り替えることで、アメリカはきわめて大きな利益を得る見通しがある。
(1) 第七艦隊の司令部である、横須賀基地の軍事的安定性が保証される。
(2) 原発から暫定的に火力に戻す過程で、日本列島に巨大な「石油・天然ガス」需要が発生する。石油需要の減少に悩んでいるアメリカの石油資本にとってはビッグなビジネスチャンスである。
(3) 日本が原発から代替エネルギーに切り替える過程で、日本列島に巨大な「代替エネルギー技術」需要が発生する。代替エネルギー開発に巨額を投じたが、まだ経済的リターンが発生していないアメリカの「代替エネルギー産業」にとってはビッグなビジネスチャンスである。
(4) スリーマイル島事件以来30年間原発の新規開設をしていないせいで、原発技術において日本とフランスに大きなビハインドを負ったアメリカの「原発企業」は最大の競争相手をひとりアリーナから退場させることができる。
(5) 54基の原発を順次廃炉にしてゆく過程で、日本列島に巨大な「廃炉ビジネス」需要が発生する。廃炉技術において国際競争力をもつアメリカの「原発企業」にとってビッグなビジネスチャンスである。
とりあえず思いついたことを並べてみたが、日本列島の「脱原発」化は、軍事的にOKで、石油資本的にOKで、原発企業的にOKで、クリーンエネルギー開発企業的にOKなのである。
「日本はもう原発やめろ」とアメリカがきびしく要請してくるのは、誰が考えても「アメリカの国益を最大化する」すてきなソリューションなのである。
私がいまアメリカ国務省の小役人であれば、かちゃかちゃとキーボードを叩いて「日本を脱原発政策に導くことによってもたらされるわが国の国益増大の見通し」についてのバラ色のレポートを書いて上司の勤務考課を上げようとするであろう(絶対やるね、私なら)。
勘違いして欲しくないのだが、私は「それがいけない」と申し上げているのではないのである。
私は主観的には脱原発に賛成である。
そして、たぶん日本はこれから脱原発以外に選択肢がないだろうという客観的な見通しを持っている。
けれども、その「適切な政治的選択」を私たち日本国民は主体的に決定したわけではない。
このような決定的な国策の転換でさえも、アメリカの指示がなければ実行できない、私たちはそういう国の国民なのではないかという「疑い」を持ち続けることが重要ではないかと申し上げているのである。
不思議なのは、私がここに書いているようなことは「誰でも思いつくはずのこと」であるにもかかわらず、日本のメディアでは、私のような意見を開陳する人が、管見の及ぶ限り、まだ一人もいないということである。
原発のような重要なイシューについては、できるだけ多様な立場から、多様な意見が述べられることが望ましいと私は思うのだが、こんな「誰でも思いつきそうな」アイディアだけを誰も口にしない。

国旗問題再論

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卒業式での君が代斉唱時の不起立を理由に、東京都教委が定年後の再雇用を拒否したのは「思想や良心の自由」を保障した憲法に違反するとして都に賠償を求めていた訴訟について、30日最高裁判決が下った。
「校長の教職員に対する起立斉唱命令は合憲」とする判断を下し、原告の上告を棄却した。
判決は「起立斉唱行為は卒業式などの式典での慣例上の儀礼的な性質を有し、個人の歴史観や世界観を否定するものではない」とした。
しかし、起立斉唱行為は教員の日常業務には含まれず、かつ「思想と良心に間接的制約となる面がある」と留保を加え、「命令の目的や内容、制約の様態を総合的に考慮し、必要性と合理性があるかどうかで判断すべき」との判断基準を示した。
今回の判決では、公務員は職務命令に従うべき地位にあるということを根拠に、「間接的制約が許される必要性や合理性がある」と判断して、教委による処分を違憲とした東京地裁判決を取り消した高裁の逆転判決を確定させた。
国旗国歌問題については、これまでの折に触れて書いてきた。
この問題についての私の立場ははっきりしている。
国民国家という制度はパーフェクトなものではないが、とりあえずこの制度をフェアにかつ合理的に運営してゆく以外に選択肢がない以上、集団のフルメンバーは共同体に対する「責任」を負う必要がある、というものである。
責任とは、この共同体がフェアで合理的に運営され、それによって成員たちが幸福に暮らせるための努力を他の誰でもなく、おのれの仕事だと思う、ということである。
「このシステムにはいろいろ問題がある」と不平をかこつのはよいことである。けれども、「責任者出てこい。なんとかしろ」と言うのはフルメンバーの口にする言葉ではない。「問題のうちいくつかについては私がなんとかします」というのが大人の口にすべき言葉である。
そのような大人をどうやって一定数継続的に供給するようなシステムをつくるか。私はそのことをずっと考えてきており、そのために実践的提言も行ってきた。
いくつかの政策的選択がある場合には、「公民意識の高い成員を継続的・安定的に作り出すためには、どちらがより効果的か」ということを基準にその当否を論じてきた。
私が国旗国歌に対する地方自治体の「強制」的な構えに対して批判的なのは、それが公民意識の涵養に資するところがないと思うからである。
同じ事件について7年前にブログに書いたことを採録する。私の意見は基本的に変わっていない。

東京都教育委員会が、今月の卒業式で「君が代」に起立しなかった都立校の教職員180名に戒告などの処分を下した。
起立しなかった嘱託教員は今年度で契約をうち切る方針である。
東京都教育委員会にお聞きしたい。
あなたがたはこのような処分を敢行してまで、「何を」実現しようとされているのか?
愛国心の涵養?
まさかね。
繰り返し書いているように、「愛国心」というのは「自国の国益を優先的に配慮する心的態度」のことである。
「国益」とは理念的に言えば、国民の生命幸福自由の確保のことであり、リアルに言えば、実効的な法治と通貨の安定のことである。
私たちが国益を優先的に配慮するのは、「そうするほうが私的な利益を最大化できるから」である。
当たり前のことだが、独裁者が暴政を揮い、貪吏が私利を追い求め、盗人が横行し、通貨は紙くず同然、交通通信電気などのインフラが整備されていない社会に住むより、そうでない社会にいるほうが、私たち自身の生命身体財産自由が確保される確率は高い。
私たちが国益を配慮するのは、私たち自身の私利の保全を配慮しているからである。
というのが近代市民社会論の基本の考え方であり、この原理に異を唱える人は、とりあえず日本国憲法遵守の誓約をなしてから就職したはずの日本の公務員の中にいるはずがない。
もちろん東京都教育委員会のメンバーの中にもいるはずがない。
どういう手だてをとれば、国益を最大化できるか(それはただちに私自身の私利を最大化することに通じている)を考えることに優先的に頭を使うこと、それが「愛国心」の発露である。私はそう考えている。
しかし、その「愛国頭」が出した結論については、一義的な国民的合意はない。
あるはずがない。
国益は国際関係の文脈に依存しており、ある国が単独で決することができるような問題はほとんどないからである。
たとえば、日本の外交戦略がとるべきオプションは、アメリカの国際社会における威信や影響力が「あとどれくらいもつか」についての評価の違いによって、まったく変わってしまう。
しかし、「あとどのくらいもつか」は未来予測であり、未来について確言できる人間は世界にひとりもいない。
わずかな偶然的ファクターの介入によって状況が一変する可能性はつねにあるからだ。
だから日本が外交上とるべき「ベストのオプション」を確言することは誰にもできない。
できるのは誰の未来予測がもっとも蓋然性が高いかを、データを積み上げて吟味することだけである(それもしばしばはずれるけれど)。
それでも、私はこのような知的作業をていねいに行うことが「愛国心の発露」だと思っている。
というふうに国益と愛国心について基本的な確認をした上で、東京都の教育委員会におたずねしたい。
あなたがたは、今回の処分と「日本の国益のための最適オプション採択の蓋然性の向上」のあいだにどのような論理的関係があるとお考えなのか。
どう考えても、あるようには思えない。
「君が代」と「日の丸」は日本国の象徴である。
「君が代」と「日の丸」に儀礼的な敬意を払うのは、「日本国」に対する敬意を象徴的に表現するためである。
日本国に敬意をもつ人間であれば、誰に強制されなくても自然に国旗には頭を下げ、国歌には唱和する。
神社仏閣を訪れる人間は、誰に強制されなくても自然に頭を下げている。
別に誰かが「こら、頭を下げろ、さげないと処分するぞ」と命令しているからではない。
具体的に私たちに対して何の利益も不利益ももたらしていないような天神地祇に対してさえ、私たちはほのかな敬意を抱き、それを自然にかたちにする。
ましてや具体的に私たちの日々の平穏な暮らしを保障してくれている国家に対して敬意と感謝の念を抱くことがそれほどむずかしいことだと私は思わない。
私自身は、国旗に敬礼し、国歌を斉唱する。
私が生まれてから今日まで、とりあえず戦争もせず、戒厳令も布告されず、経済的なカタストロフも、飢饉も、山賊海賊の横行もなかったこの国に対して、私なりのひかえめな敬意と感謝の念を示すためである。
私が日本国に対して抱いている「ほのかな敬意」は、親日派の外国人が日本に対して抱いている「ほのかな敬意」に質的にはかなり近いのではないかと思う。
それは別にファナティックなものではなし、万感胸に迫るというようなものでもない。
けれども、経験に裏打ちされたものである。
そのような敬意を象徴的に表現することに抵抗を覚える、という方がいるとしても、私はそれはしかたのないことだと思う。
それは世界観の問題というより、経験と経験の評価の差によるものだからだ。
いま、この国の国民であることが、それ以外の国の国民であることより「かなりまし」であるということ、この国に生まれたことが「わりとラッキーだった」ということに気づくためには、それなりの「場数」というものを踏まないといけない。
政情が不安定であったり、経済が混乱していたり、インフラが整備されていなかったり、特権階級が権益を独占していたり、文化資本の階層差が歴然としている社会をあちこちで見て来たあとになると、なんとなく「ふーん、ま、ぼちぼちいい国なんじゃんか、日本も」という気分になってきたりする。
もちろん、まったくそういうふうに感じられない人もいる。
たとえば、個人的に行政や司法から理不尽な扱いを受けた経験のある人が「国家への敬意なんて、持てるわけがない」と思うことは誰にも止められない。止めるべきでもない。
国民国家における市民社会はつねに「私と意見の違う人」「私の自己実現を阻む人」をメンバーとして含んでいる。
その「不快な隣人」の異論を織り込んで集団の合意を形成し、その「不快な隣人」の利益を含めて全体の利益をはかることが市民の義務である。
国旗国歌に敬意を払うことを拒否する市民をなおフルメンバーの市民として受け容れ、その異論にていねいに耳を傾けることができるような成熟に達した市民社会だけが、メンバー全員からの信認を得ることができる。
そのようにして異論に耐えて信認された集団の「統合の象徴」だけが、メンバーから自然な敬意を受けることができる。
私はそう思っている。
自分に敬意を払わない人間を処罰する人間は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した人間である。
ふつう、そのような人間に敬意を払う人はいない。
国家に敬意を払わない人間を処罰する国家は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した国家である。
ふつう、そのような国家に敬意を払う人はいない。
今回の東京都教育委員会の行った処分によって、世界全体で「日本が嫌いになった」人間と「日本が好きになった」人間のどちらが多いかは問うまでもないだろう。
日本を嫌いになる人間を組織的に増やすことによって、東京都教育委員会は、日本の国益の増大にどのような貢献を果たしているつもりなのか、私にはうまく想像することができない。(2004年3月31日)

ご存じの通り、アメリカ合衆国の最高裁は「国旗損壊」を市民の権利として認めている。自己の政治的意見を表明する自由は国旗の象徴的威信より重いとしたのである。
私はこの判決によって、星条旗の威信はむしろ高まっただろうと思う。
国旗国歌の良否について国民ひとりひとりの判断の自由を確保できるような国家だけが、その国旗国歌に対する真率な敬意の対象になりうるからである。
当たり前のことだが、「敬意を表しないものを罰する」というやり方は恐怖を作り出すことはできるが、敬意そのものを醸成することはできない。
「公民」は恐怖や強制によって作り出すことはできない。


ル・モンドならこう言うね

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一昨日の『ル・モンド』の記事を訳してみた。
これが辞任問題についてのフランスの新聞のもっとも新しい報道である。左翼紙『リベラシオン』にはこの問題についての言及はなかった(興味ないのね)
解説部分を訳す。

不信任案否決によって菅直人の政治的延命は果たされたが、この試練によって政権基盤はいっそう脆いものとなった。
3・11以前にすでに不人気であった菅は原発事故処理、10万人におよぶ被災者のための仮設住宅建設の遅れについて、さらに反対派によれば選挙公約の否定についてきびしい批判を受けていた。支持率は20%を切っている。
ぎりぎりの局面で任期前に辞任すると約束したことで民主党内の反対派が不信任案に投票することは阻止したものの、この誓言によって彼の立場はいっそう弱いものとなった。
「震災対応における私の役割がはっきりしたら、私は責任をより若い世代に手渡すつもりである」"Une fois que j'aurai assumé mon rôle dans la gestion du désastre, je transmettrai mes responsabilités à une génération plus jeune",と彼は採決の前に宣言した。彼の前任者鳩山由紀夫によれば、菅は秋に辞任すると約束したとされる。
もう一つ首相を支える要素がある。それは1945年以来もっとも深刻な災害に国が遭遇しているときに、議員たちが政治的なゲームに夢中になっていることを非難する世論である。
メディアはこの憤慨を伝えている。「河を渡っているときには馬を乗り換えない」と朝日新聞はその社説に書いて、政治家たちにこんな「つぶし合い」にかまけている暇があったら被災地に行けと命じている。(記事はここまで。)

興味深い点がいくつかある。
実際に口にしたのは「震災に一定のめどがついた段階、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい」というものである。
「震災に一定のめどがついた段階、私がやるべき一定の役割が果たせた段階」という日本語を『ル・モンド』の東京特派員はune fois que j’aurai assumé mon rôle と訳した。私はそれを「震災対応における私の役割がはっきりしたら」と訳した。
「めどがついた」という日本語独特の動詞の訳語としてフランス人はassumer を選んだ。
assumer は「果たす」という意味ではない(「果たす」ならaccomplir とかremplir そういう完了的なニュアンスを持つ動詞がある)。
assumer は「引き受ける、負う、受け止める、わがものとする」ということである。
assumer la direction d’un service 「ある部局の指揮を執る」とかassumer le risque de l’investissment 「投資のリスクを負う」とかいうときに使う。
つまり、このフランス人は菅総理の使った「めど」という語を「震災対応において総理大臣が何をすればいいかが明らかになった時点」と理解したのである。
だからこの訳語には二重の皮肉が込められているというべきだろう。
それは、「震災対策として総理大臣が何をすればいいかがわかったところで、(まだ何もしていなくても)総理は辞めるつもりでいる」という解釈をしたことと、「総理大臣が何をすればいいかを総理大臣はまだ知らない」という現状認識を示したことである。
日本の報道では鳩山さんは菅総理の辞任を「六月末」というふうに理解していたという点では一致しているので、「秋」とあるのは、特派員の勘違いだろう。
それにしても、この「めど」の解釈は味わい深い。

ポピュリズムについて

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『Sight』のために、平松邦夫大阪市長と市庁舎で対談。
相愛大学での「おせっかい教育論」打ち上げ以来である。
今回は「ポピュリズム」についての特集ということで、市長と「ポピュリズム政治」について、その構造と機能について論じることとなった。
「ポピュリズム」というのは定義のむずかしい語である。
私はアレクシス・ド・トクヴィルがアメリカ政治について語った分析がこの概念の理解に資するだろうと思う。
トクヴィルはアメリカの有権者が二度にわたって大統領に選んだアンドリュー・ジャクソンについて、その『アメリカのデモクラシーについて』でこう書いている。
 「ジャクソン将軍は、アメリカの人々が統領としていただくべく二度選んだ人物である。彼の全経歴には、自由な人民を治めるために必要な資質を証明するものは何もない。」
トクヴィルは実際にワシントンでジャクソン大統領に会見した上でこの痛烈な評言を記した。
そして、この怜悧なフランスの青年貴族はアメリカの有権者がなぜ「誤った人物を選択する」のか、その合理的な理由について考察した。
この点がトクヴィルの例外的に知的なところである。
ふつうは、「資質を欠いた人物を大統領に選ぶのは、有権者がバカだからだ」と総括して終わりにするところだが、トクヴィルはそうしなかった。
ジャクソンは独立戦争に従軍した最後の大統領である(ほとんどの期間を捕虜として過ごしたが)。のちテネシー州市民軍の大佐となり、インディアンの虐殺によって軍歴を積み、クリーク族を虐殺し、その土地93,000㎢領土を合衆国政府に割譲させた功績で少将に昇進した。
米英戦争のニューオリンズの戦いでは、5,000名の兵士を率いて7,500名以上のイギリス軍と戦い、圧勝をおさめて、一躍国民的英雄となった。
さらにセミノール族との戦いでも大量虐殺を行い、イギリス、スペインをフロリダから追い出し、フロリダの割譲を果たした。
「軍功」というよりはむしろ「戦争犯罪」に近いこの経歴にアメリカの有権者たちは魅了された。
建国間もないこの若い国は「伝説的武勲」の物語を飢えるように求めていたからである。
ナポレオンを基準に「英雄」を考えるトクヴィルは、ジャクソン程度の軍人が「英雄」とみなされるアメリカの戦史の底の浅さに驚嘆し、そこにつよい不快を覚えた(それがジャクソンに対する無慈悲な評言に結びつく)。

けれども、トクヴィルはそこから一歩踏み込んで、むしろアメリカの統治システムの卓越性はそこにあるのではないかという洞察を語った。
それはアメリカのシステムはうっかり間違った統治者が選出されても破局的な事態にならないように制度化されているということである。
アメリカの建国の父たちは表面的なポピュラリティに惑わされて適性を欠いた統治者を選んでしまうアメリカ国民の「愚かさ」を勘定に入れてその統治システムを制度設計していたのである。
不適切な統治者のもたらす災厄を最小化するために、一つ効果的な方法が存在する。
それがポピュリズムである。
統治者の選択した政策が最適なものであるかどうかを判断することは困難である(少なくともその当否の検証にはかなりの時間がかかる)。
けれども、それが「有権者の気に入る」政策であるかどうかはすぐに判断できる。
それゆえ、アメリカでは、被統治者の多数が支持する政策、「最大多数の福祉に奉仕する」ものが(政策そのものの本質的良否にかかわらず)採択されることが「政治的に正しい」とされることになったのである。
「重要なのは、被支配者大衆に反する利害を支配者がもたぬことである。もし民衆と利害が相反したら、支配者の徳はほとんど用がなく、才能は有害になるからである」
そうトクヴィルは書いている。
統治者の才能や徳性は被統治者と同程度である方がデモクラシーはスムーズに機能する。
なぜなら、徳や才があるけれど、大衆とは意見の合わない統治者をその権力の座から追い払うのは、そうでない場合よりもはるかに困難だからである。
だから、あきらかに資質に欠けた統治者を選ぶアメリカの選挙民を「バカだ」と言うのは間違っている。
統治者は選挙民と同程度の知性、同程度の徳性の持ち主で「なければならない」という縛りをかけている限り、その統治者がもたらす災厄は選挙民が「想定できる範囲」に収まるはずだからである。
ポピュリズムは一つの政治的狡知である。
そこまで見通したという点で、トクヴィルはまことに炯眼の人であったと思う。
このポピュリズム理解はそのまま私たちが直面しているポピュリズム政治にも適用できる。
ポピュリストを選ぶ有権者たちは、彼らよりも知的・道徳的に「すぐれた」統治者がもたらすかもしれない災厄に対して、無意識的につよい警戒心を持っているから、たぶんそうしているのである。
知性徳性において有権者と同程度の政治家は、まさにその人間的未成熟ゆえに「ある程度以上の災厄をもたらすことができない」ものとみなされる。
けれども、そのような「リアリスティックなポピュリズム」が私たちの国の政治風土をゆっくり、しかし確実に腐らせてきた。
彼我の違いを形成するのは、アメリカのポピュリズムは“建国の父”たちのスーパークールな人間理解に基づく制度設計の産物であるのだが、日本のポピュリズムの場合には、それを設計し運営している人間がどこにもいないという点である。
日本のポピュリズムは法律や政治システムという実定的なかたちをとることなく、「空気」の中で醸成された。
日本の政治家たちが急速に幼児化し、知的に劣化しているのは、すべての生物の場合と同じく、その方がシステムの管理運営上有利だと政治家自身も有権者も判断しているからなのである。
チープでシンプルな政治的信条を、怒声をはりあげて言い募るものが高いポピュラリティを獲得する。
私たちの政治環境は現にそのようなものになりつつある。
社会システムを作り上げるためには成熟した思慮深い人間が一定数必要である。けれども、社会システムを破壊するためには、そのような人間的条件は求められない。
だから、全能感を求める人間は必ず「壊す」ということを政治綱領の筆頭に掲げることになるのである。
そして、現に壊している。
そんなふうにして、いま日本のシステムはあちこちでほころび始めている。

personal power plant のご提案

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関西電力は10日、大企業から一般家庭まで一律に昨夏ピーク比15%の節電を求めた。
どうして、一律15%削減なのか。関電がその根拠を明示しないことに関西の自治体首長たちはいずれもつよい不快を示している。
関電の八木誠社長は会見で、節電要請は原発停止による電力の供給不足であることを強調した。
しかし、どうして首都圏と同じ15%で、時間帯も午前9時から午後8時までと長いのか。
会見では記者からの質問が相次いだが、関電から納得のいく説明はなかった。
関電は経産省からの指示で、今夏を「猛暑」と予測し、電力需要を高めに設定している。
だが、同じ西日本でも中国電力などは「猛暑」を想定していない。
また、震災で関西へ生産拠点が移転することによる電力需要増や、逆に、震災で販路を失った関西企業の生産が減少する場合の電力需要減などの増減予測については、これを示していない。
15%の積算根拠としては、猛暑時の電力不足分6・4%に「予備力」として5%、さらに3.6%の「余裕」を見込んで設定したそうである。
平年並みであれば、いずれも不要の数字である(そもそも「予備力」と「余裕」の違いが私にはわからないが)。
東電の「計画停電」と同じで、原発を止めると「こんなこと」になりますよ、と国民を脅かしつけて、原発の早期再稼働を求める世論形成をしようという経産省と財界のつよい意向を体したものだと考えるべきだろう。

「節電」というのは根本的な矛盾を含んだ要請である。
というのは、電力会社は営利企業であり、電気は彼らの売る「商品」だからである。
「節電」とは要するに「うちの商品をあまり買わないでください」と企業が懇願しているということである。
ふつうそういうことは起こらない。
そういうことを言われたら、「あ、そう」と言って、ほかの店に行って代替商品を買うに決まっているからである。
電気の場合は独占企業なので、それがむずかしい。
でも、できないわけではない。
自家発電システムに切り替えてしまえばいいのである。
大手の企業の多くは自家発電設備を備えている。ただし、ほとんどが化石燃料を使う火力発電であるから、原油価格が高いと電力会社から買う方が安い。
でも、電力会社から必要量が買えなければ、自分で電気を作ることになる。
95年の「電力自由化」によって、それが可能になった。
ポテンシャルとしては、全国の認可自家発電設備は3000箇所以上あり、火力発電の総出力は5380万KW、水力が440万KW。
原発54基の総認可出力(4900万KW)を超える。
これらの発電者を「特定規模電気事業者」と法律ではいう。
英語だと簡単で、PPS:Power Producer and Supplier 「動力を作って供給するもの」。
電力会社が「うちの商品を買わないでください。お出しするものがないのです」と消費者に懇願するのであれば、「よそで買ってくださるか、ご自身で調達してください」というのが筋だろう。

今問題になっている「発送電分離」というのはこの話である。
PPSは発電はできるが、送電のためのネットワークを持っていない。
送電については電力会社の送電線を借りるしかないのだが、その使用料と使用条件がきびしい。
だから、送電部門を発電部門から切り離せば、競争原理が働いて、コストも下がり、経営も透明化するだろうというのである。
むろん電力会社はほかの事業者が電力事業に参入することを喜ばない。
発送電分離についても、激しく反論している。
その論拠は理解できないわけでもない。
だが電力会社はどこかで「独占企業に消費者が依存するしかない」という制度を手放すべきではないかと思う。
その営利企業の収益への固執が、むしろエネルギー政策の新たな、大胆な展開を阻害しているように私には思われるのである。

例えば、ガス会社が開発した「エネファーム」という家庭用の発電設備がある(凱風館にはこれが装備されている)。
これはガス中の水素と酸素を反応させて発電するシステムだが、停電するとモーターが停止して、発電できなくなる。
自家発電装置が電力会社からの送電が切れると止まる・・・というのでは意味がないではないか、とお思いになるだろう(私も思う)。
でも、実際には外部電力が停止しても、自家発電できるテクノロジーをガス会社はもっている(当たり前である)。
しかし、法律上の制約があって、電力会社からの送電が止まると、自家発電装置も止まるようにメカニズムが設計されているのである。

そういう話を聞くと、電力会社の「節電のお願い」をどうしてもまじめに聴く気にはなれないのである。
電力会社がこれまで「オール電化」とかさんざん電力を浪費するライフスタイルを提唱してきた責任を感じるなら、「電気を使わないでください」というだけでなく、「電気はうちから買う以外の方法でも調達できます」という方向に消費者を案内すべきではないのか。

私自身は電力浪費型のライフスタイルよいものだと思っていないので、節電が15%でも50%でも、最終的には100%になっても「それはそれでしかたがないわ」と思うことにしている(それこそはあのフレドリック・ブラウンの『電獣ヴァヴェリ』描くところの牧歌的世界だからである)。
だから、電力会社が「これからはできるだけ電気を使わないライフスタイルに国民的規模で切り替えてゆきましょう」というご提案をされるというのなら、それには一臂の力でも六臂の力でもお貸ししたいと思っているのである。
でも、この15%節電は「そういう話」ではない。
電力依存型の都市生活の型はそのままにしておいて、15%の節電で不便な思いを強いて、「とてもこんな不便には耐えられない。こんな思いをするくらいなら、原発のリスクを引き受ける方がまだましだ(それにリスクを負うのは都市住民じゃないし)」というエゴイスティックな世論を形成しようとしているのである。

繰り返し言うが、私は節電そのものには賛成である。
電力に限らず、有限なエネルギー資源をできるだけていねいに使い延ばす工夫をすることは私たちの義務である。
そして、その工夫はそのまま社会の活性化と、人々の未来志向につながるようなものでなければならない。
70年代に、IBMの中央集権型コンピュータからアップルのパーソナル・コンピュータという概念への「コペルニクス的転回」があった。
同じように、電力についても、政官財一体となった中枢統御型の巨大パワープラントから、事業所や個人が「ありもの」の資源と手元の装置を使って、「自分が要るだけ、自分で発電する」というパーソナル・パワー・プラント(PPP)というコンセプトへの地動説的な発想の転換が必須ではないかと思うのである。
ドクター・エメット・ブラウン(in Back to the future)の考案した「ゴミ発電機」なんか、すごくいいと思う。
誰でもそう思うだろう。
でも、国民の総力をあげてPPP革命による世界のエネルギー地図の塗り替えを企てるという方向に日本が進むことで、むしろ不利益をこうむる人たちが依然としてわが国ではエネルギー政策の決定権を握っている。
それが私たちの不幸なのである。

メルトダウンする言葉

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神戸大学都市安全研究センター主催、岩田健太郎さんがコーディネイターをつとめる「災害時のリスクとコミュニケーションを考えるチャリティー・シンポジウム」が日曜にあった。
参加者は岩田健太郎(神戸大学都市安全研究センター、神戸大学医学部教授)、上杉隆(ジャーナリスト)、藏本一也(神戸大学大学院経営学研究科准教授)、鷲田清一(哲学者、大阪大学総長)と私。
チャリティ・シンポジウムなので、そこで発生するあれこれの収益は被災地に寄付される。
上杉さんの名前は茂木さんのツイッターでよくお見かけするが、私は初対面。記者クラブの閉鎖性と日本の既存メディアの退嬰性を徹底的に批判している独立系ジャーナリストである。
藏本先生はビジネスにおけるリスク・マネジメントの専門家。
私はいったい何の専門家として呼ばれたのか、よくわからない。
「どうしていいかわからないときに、どうしていいかわかるための能力開発」の専門家ということかも知れない。この5年くらい、そういう話ばかりしているから。

どなたのお話もたいへんに興味深いものであった。
原発情報については、この90日間で、官邸・霞ヶ関・東電そしてマスメディアの発信する情報に対する国民の信頼性が深く損なわれたというのが、全員の共通見解だった。
今回の原発事故をめぐる情報管制・情報隠蔽は制度的・構造的なものであって、偶発的・属人的なものではない。
そのすべてに共通するのは、「嘘をついても、ごまかしをしても、無限に言い逃れをして、時間稼ぎをしているうちに『嵐は去る』。なぜならば人間はそれほど長期にわたって同一の論件について注意を向け続けることができないからだ」という、ある意味きわめて洞察に富んだ人間理解である。
それが原発をめぐる情報発信に伏流している。
例えば「メルトダウン」というのがその好個の適例である。
事故発生後、テレビに出て来た「原子力の専門家」たちも、もちろん東電も官邸も、「メルトダウンはありえない」と断言していた。
原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官は事故直後の3月12日の記者会見で「炉心溶融の可能性がある」と発言して、更迭された。
その後も保安院が可能性を示唆した後も(4月19日)、官房長官は「冷却は行われており、メルトダウンは起こらないだろう」という見通しを語っていた。
東電がメルトダウンを認めたのは5月12日。その後に、枝野長官は早い段階からメルトダウンの可能性があるということを官邸はアナウンスしていたと述べた。
ネット上と週刊誌ではこの発言のぶれはずいぶん叩かれたけれど、マスメディアではストレートニュース扱いであった。
マスメディアは「全炉心溶融」(total meltdown)というそれまで使われなかった術語を持ち出して、「炉心溶融」はしたが、「全炉心溶融」はしていないという不思議な言葉づかいで結果的に官邸を側面支援した。
つまり、官邸が「炉心溶融」という言葉でこれまで意味していたのは「全炉心溶融」のことであって、「部分的な炉心溶融」の可能性は事故直後から排除したことがないから嘘は言っていないというのである。
不思議なロジックであるが、政治的には有効な方法であった。
現に、「メルトダウン」という言葉は3月12日から5月20日にかけて、「言った言わない」「定義が違う」「全炉心溶融と部分的炉心溶融では意味が違う」といった煩瑣な議論に繰り返し使われているうちに、だんだん言葉としての喚起力を失った。
私たちはもうその言葉を聴くことに飽きてきている。
その言葉を口にする人間は言い逃れか告発かごまかしか揚げ足取りか、いずれにせよバイアスのかかった文脈でしかその言葉を使わなくなったからである。
「メルトダウン」という語を冷静で科学的で実効的で「にべもない」口調で語る人が必要なのだが、そういう人だけが不在である。

震災と原発事故の後に、さまざまな制度的な欠陥が露呈したけれど、「言葉の軽さ」もその一つだろう。
そして、たしかに言葉が軽くなればなるほど、いったい何が起きたのか、これから何が起きるのか、誰が何をしたのか、何をしようとしているのか、私たちは何をしてしまったのか、これからどうすればいいのかといった一連のリアルで切実な問いの答えもますます不分明になってゆくのである。

わかっていることの一つは、今回の震災と事故に対して多少とでも「有責者」の側に立つ可能性のある人々は一貫して「言葉を軽くすること」に必死になっているということである。
彼らはあるときは無根拠に断言し、あるときは知っていることを隠し、あるときは言ったことを「言わない」と言い、あるときは言っていないことを「言った」と言い、あるときは一方的にまくしたて、あるときは「ノーコメント」の壁を立て、自分の言葉に対する「とりつく島」をひたすら減らすことによって、批判や攻撃を避けようとしている。
そして、それは確かに有効に機能しているのである。
言葉がどんどん軽くなり、人々はどんどん「とらえどころ」がなくなっている。
たぶん彼らは「言葉を軽くすること」でそれぞれの職務上の、あるいは倫理上の責任が軽減できるということを直感的に知っているのである。
その直感は正しい。
けれども、総理大臣からリーディングカンパニーの経営者まで、国立大学の教授から全国紙の社説まで全員が「私の言葉の意味をうるさく訊かないでくれ、言ったことの責任を追及しないでくれ、私が言ったことをいつまでも記憶しないでくれ」と言い出したら、この国の言葉はどうなってしまうのか。
どこかで踏みとどまって、「自分で責任が取れる範囲のことしか言わない、言ったことには自分で責任を取る」という規矩を自分の発言に課すという節度を立て直さなければ、私たちの社会の言論状況はさらにとめどなく劣化してゆくほかないだろう。

小国寡民のエネルギー政策

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先週、中津川市加子母というところを訪れた。
凱風館の工事をお任せしている木造建築専門の中島工務店の中島紀于社長にお招き頂いたのである。
中島工務店は「知る人ぞ知る」木造建築技術のトップランナーであるが、私はもちろんそういうことをまるで「知らない人」なので、光嶋くんから「こういう業者もありますけど」と紹介してもらって知ったのである。
そのとき、中島工務店がこれまで作ってきた建築物のカタログを見せてもらって、「おおお、ここだ」と内心勝手に決めてしまった。
どこがどう「びびび」と来たかのかを言うのはむずかしい。
あえて言えば中島工務店の作る建物には「もどかしさ」があったのである。
何かひどく「言いたいこと」があるのだが、与えられた条件ではそれがうまく言えないので、じたばたと地団駄踏んでいる・・・というような感じがしたのである。
われわれが外国語で話すときに、言いたいことがうまく言えないで、もどかしい思いをしているときの、あの「思い余って言葉足らず」感が中島工務店の作った建物に常ならぬ「生命感」を与えていた。
これらの建物は「言葉」を必要としているように私には思われた。
この場合の「言葉」とは、「そこに住む人間」のことである。
そこに住む人間が「参加」して、家と対話を始め、家そのものがそれまで持っていなかった語彙や音韻をそこに響かせると、それに呼応してはじめて建物が生き始める。
そういう感じがしたのである。
それは申し訳ないけれど、大手の住宅会社が作る既製品的な住宅には感じることのできないものだ。
それらは人間が住み始める前に、商品としてすでに完結している。
そこにリアルな身体をもつ人間が住み、手垢のついた家具が置かれることで、家はむしろその完成度を損なわれる。
だから、住宅雑誌のカメラマンが家の撮影をするときには、そこから住民の生活感を意識させるものは組織的に排除される。
住宅雑誌のグラビアの中に「やきそばUFO」とか「ビッグコミック」とか「さつま白波」とかが写り込んでいるのを見ることができないのはそのせいである。
でも、中島工務店の建てる建物は逆に「そういうもの」が参加しないと成り立たないような「マイナスワン」感を私にもたらした。

でも、そのことは今日の本題とは直接の関係がない。
その中島工務店の中島紀于社長に招かれて加子母に行ったのである。
加子母(「かしも」と読んでください)は人口3300人。そのうち中島工務店の従業員が200人以上。家族を含めると、たぶん人口の3分の1くらいが中島工務店の関係者である。社長が村の中のどこを歩いても知らない人がいない。
それが私に老子の「小国寡民」の理想郷のことを考えさせた。
老子は「小国寡民」についてこう書いている。
「其の食を甘しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しまん。隣国相望み、鶏犬の声相聞こえて、民は老死に至るまで、相往来せず」
「相往来せず」どころか、中島工務店は全国展開している。
でも、それは資本主義企業の「右肩上がりの経済成長」とはめざすところが違うようである。
どうやら、中島社長は加子母における「自給自足」的な共同体実践を全国に「布教」するためにその企業活動を行っているように私には見えた。
加子母の奧の渡合温泉(「どあい」と読んでください)の宿のランプの灯りの下で、中島社長は岩魚の骨酒を呷りながら、「もう電気は要らない」と呟いたからである。
私は岩魚の刺身と岩魚の煮付けと岩魚の塩焼きを貪り喰いながら、社長のその言葉を聞いて、半世紀ほど前に読んだフレドリック・ブラウンの『電獣ヴァベリ』を思い出した(『電獣ヴァヴェリ』は「SFマガジン」掲載時のタイトルで、『天使と宇宙船』に収録されたタイトルは「ウァヴェリ地球を征服す」)。
フレドリック・ブラウンは中学生の私にとってのアイドルであったが、今読み返してみても(昨夜読み返した)、すばらしく面白い。
『ウァヴェリ』は宇宙から飛来した「電気を主食とする生物」のせいで地球上から電気がなくなってしまうという話である。
ラジオのCM作家であった主人公のニューヨーカーは田舎の村に家を買い、19世紀の人々のように、蒸気機関で工作し、馬で移動し、牛で土地を耕し、活字を組んで印刷し、夜になると楽器を手に集まってきて室内楽を楽しむ生活をしている。
それだけの話。
でも、読んでから45年間、私はヴァヴェリのことを一度も忘れたことがない。フレドリック・ブラウンが描いた「電気のない生活」にはげしく惹きつけられたのである。
私はある意味では「精神的なラダイト」だったのかも知れない。
だから、きっと中島社長の「もう電気は要らない」発言に「びびび」と来たのである。
誤解を避けるためにあらかじめお断りしておくけれど、中島社長のいう「電気は要らない」は電力の大量生産・大量消費システムを廃し、生活に必要な電気は自給自足する方がよいという考え方のことであって、それほど過激なことを言われているわけではない(現に、工務店の工場には電動工具がひしめいている)。
それにしても、現役のビジネスマンの口から「もう電気は要らない」という言葉を聞いたのはショックであった。
自分がいかにエネルギー政策について、既存の思考枠組みにとらえられていたのかを思い知らされたからである。
ことの当否や実現可能性や根拠の有無はわきへ置いて、「そういう発想」がなかったおのれの思考の不自由を恥じたのである。

そのあと少し調べているうちに、現在のエネルギー政策がどれほど「時代遅れ」なものであるかがしだいにわかってきた。
コンピュータの場合は、IBM的な中央集権型コンピュータシステムから、1970年代にアップルの離散型・ネットワーク型コンピュータ・システムへの「コペルニクス的転回」があった。
あらゆる情報をいったん中枢的なコンピュータに集積し、それを管理者がオンデマンドで商品として配達して、独占的に設定された代価を徴収する。
そういう情報処理モデルが時代遅れとなった。
今、情報はネットワーク上に非中枢的に置かれて、誰でも「パーソナル」な端末から自由にアップロード・ダウンロードできる。
「中枢型・商品頒布型」モデルから「離散型・非所有型」モデルへの移行、これはひろく私たちの世界の「基本モデル」そのものの転換を意味している。
IBMモデルからアップルモデルへの移行は「情報」そのものの根本的な定義変更を含んでいたからだ。
IBMモデルでは情報は「商品」だった。
だから、退蔵し、欲望や欠乏を作り出し、価格を操作し、高額で売り抜けるべき「もの」としてやりとりされた。
アップルモデルでは情報はもう商品ではない。
それは誰によっても占有されるべきものではなく、値札をつけて売り買いするものでもなくなった。
情報はそれが世界の成り立ちと人間のありようについて有用な知見を含んだものである限り、無償で、無条件で、すべての人のアクセスに対して開かれているべきである。
というのが離散型・非中枢型・ネットワーク型のコンピュータモデルの採用した新しい情報概念である。
そうした方が、情報を商品として市場で売り買いするよりも、人間たちの世界は住み易いものになる可能性が高いという見通しにイノベーターたちは同意したのである。
この基本的趨勢はもう変えることができないだろうと私は思う。

エネルギーもそうなるべきなのだ。
それは本来は商品として売り買いされるべきものではなかった。
「共同体の存立に不可欠のもの」である以上、電力もまた社会的共通資本として、道路や鉄道や上下水道や通信網と同じように、政治ともビジネスとも関係なく、専門家の専門的判断に基づいてクールにリアルに非情緒的に管理され、そのつどの最先端的なテクノロジーを取り込んで刷新されるべきものだったのである。
けれども、電力を管理したのは実質的には政治家と官僚とビジネスマンたちであった。
彼らは「共同体の存立と集団成員の幸福」というものを「自分たちの威信が高まり、権力が強化され、金が儲かる」という条件を満たす範囲内でしか認めなかった。
テクノロジーの進化は、当然電力においても、パーソナルなパワープラントとその自由なネットワーキングを可能にした。
環境負荷の少ない、低コストの発電メカニズムの多様で自由なコンビネーションによって、「電気は自分が要るだけ、自分で調達する」という新しいエネルギーコンセプトが採用されるべき時期は熟していたのである。
電力においてもIBMモデルからアップルモデルへの、中枢型から離散型へ、商品から非商品へのシフトが果たされたはずだったのである。
それが果たされなかった。
旧来のビジネスモデルから受益している人々が既得権益の逸失を嫌ったからである。
原発は彼らの「切り札」であった。
国家的なプロジェクトとして、膨大な資金と人員と設備がなければ開発し維持運営できないものに電力を依存するという選択は、コストの問題でも、安全性の問題でもなく、「そうしておけば、離散型・ネットワーク型のエネルギーシステムへのシフトが決して起こらない」から採用されたのである。
もうこの先何も変わらない、変わらせないために、彼らは原発依存のエネルギー政策を採用したのである。
人々は忘れているが、原発というのは「イノベーションがもう絶対に起こらないテクノロジー」なのである。
原子炉の恐ろしいほどシンプルな設計図からもわかるように、あれは「もう原理的には完成していて、(老朽化と故障と人為的ミスと天変地異とテロが招来するカタストロフ以外には)改善の余地のないメカニズム」なのである。
人々が原発に群がったのは、それが最新のメカニズムだからではなく、「進化の袋小路に入り込んでしまった」メカニズムだったからである。
私たちは原発事故でそのことを学んだ。
私たちは「最新のテクノロジーの成果を享受している」という偽りのアナウンスメントを聞かされることで、「エネルギー・システムでもまた中枢型から離散型へのシフトがありうる」という(コンピュータを見れば誰でもわかるはずの)ことから眼をそらしてきたのである。
今回の原発事故で「節電」ということを電力会社が言い出したことで、多くの市民は「どうして発電送電を民間事業者が独占していなければいけないのか?」という当たり前の疑問を抱いた。
どうして、自家発電してはいけないのか?
サイズも、形式も多様なパワープラントがゆるやかに自由にネットワークしているシステムの方が、単独の事業者がすべてを抱え込んでいるよりも、リスクヘッジ面でもコスト面でもテクノロジーのイノベーション面でも有利ではないのか?
そういう問いを発したときにはじめて、私たちがこの問題についてきわめて不自由な思考を強いられてきたことに気づいたのである。
ツイッター上で紹介したように、すでにさまざまの離散型のパワープラントの開発は30年前から(つまりコンピュータにおけるアップル革命の時点から)始まって、技術的にはもう完成している。
その実用化をきびしく阻害しているのは、端的には「古いビジネスモデルから受益している人たち」である。
原発事故はこの人々が退場すべきときが来たことを意味している。

原発については、さまざまな意見が語られているが、「モデルそのもの」の刷新についての吟味が必要だということを言い出す人はまだいない。
私のような門外漢がこういうことを言わなければいけないという事実そのものが、この論点についての抑圧がどれほど強いものであるかをはしなくも露呈しているのではあるまいか。

祈りと想像力

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名越康文先生と橋口いくよさんとの『ダ・ヴィンチ』鼎談を新大阪のホテルでお昼ご飯を食べながら4時間。
テーマは「原発と祈り」。
先般の橋口さんの「原発供養」に触発され、また「うめきた大仏」構想(これも発案したのは若い女性でした)に「辺境ラジオ」で出会い、21世紀の日本の霊的再生の方向について、だんだん見通しが見えてきた。
「そういう話」のときはなぜかいつも名越先生といっしょというのがさすがに奇縁である。
名越先生はこの数年真言密教の修行に励んでおられ、仏教書を耽読されているので、話はいきなり「祈り」とは、「瞑想」とは、「成仏」とは、「リアル」とは、「居着き」とは・・・といったハードコアな話題に突入。
想像と現実は位相が違うのか、地続きなのか。
私たちは「地続き」だという考えである。
すみずみまで克明に、細密に想像しえた経験からは、私たちは現実の経験とほとんど同じだけの経験知を得ることができる。
実年齢がどれほど幼くても、想像の世界ではセックスしたり、子どもを育てたり、仕事に成功したり、友に裏切られたり、老いたり、死んだことがあるものは、実生活でそれをほんとうに経験した人間と、原理的には同じ質量の(場合によっては、それを超える)経験知を獲得することが可能である。
能の『邯鄲』が教えるように、宿屋で粟粥が煮えているあいだのつかのまに廬生は夢の中で皇帝の地位にのぼりつめ、この世の栄華をきわめ、ついには仙薬によって千年の齢を得て、終わるとも思えぬ時間を過ごす。もう最後の方は時間がすさまじい勢いで経過して、「謡う夜もすがら。日はまた出でて、明らけくなりて。夜かと思へば、昼になり、昼かと思へば、月またさやけし。春の花咲けば、紅葉も色濃く。夏かと思へば、雪降りて、四季折々は目の前にて。春夏秋冬萬木千草も一日に花咲けり。面白や、不思議やな」というSF的狂躁となる。
はっと目が醒めた廬生は千年プラス五十年分の人生を生きた気になって、「夢の世ぞと悟り得て、望み叶へて、帰りけり」と故郷に戻ってしまうのである。
さて、このとき廬生はほんとうに悟りを得たと言えるのかどうか。
私は「得た」と思う。
夢の中で生きた時間は「主観的には」それだけの密度を持っているからである。
夢の中で経験した快楽は快楽であり、苦痛は苦痛である。
現に、今に伝わる古流武道の多くは「夢想神伝」という出自を語っている。
「夢の中で会得した術技は実際の戦場でも使うことができる」ということについての合意がひろく存在していなければ、こういう言葉遣いが定型になるはずがない。
現実というのは私たちが「現実」と名づけているよりもかなりひろい範囲を含んでいる。
私たちは生物学的実体としてはたかだか80年ほどの寿命と、手足を拡げたほどの可動域のうちしか持たないが、脳内現象的には、時空の制約をはずれて、桁外れの拡がりを「経験する」ことができる。
いま、この瞬間、日本にいる二人の人間のうち一方が、想像できるのはせいぜい前後四半期だけであり、他方が想像的に1000年前をリアルに経験できる人間(橋本治さんみたいな人)だとしたら、彼らを「同時代人」としてくくることはあまり合理的ではない。
「彼らは所詮同じ現実のうちにいるのだから、考えていることもだいたい同じである」と推論することは適切ではない。
同じ現実を見ていても、それを前後半年の射程の中で眺めている人間と、前後1000年の幅の中で見ている人間とでは、見えているものが全く違う。
その人が「主観的・想像的に経験したことの沖積土」の上にとりあえずの現実は置かれる。
「楚の国の羊飛山におはします尊き知識」に会って「これから人生どうしたらいいんでしょう」と訊ねようと思っていた廬生の等身大の願いは、邯鄲の夢という巨大な時空の拡がりの上に置かれたときに、その切実さを失った。
自分としてはけっこう切羽詰まっていたつもりでいたけれど、夢を見たあとは、「なんか、もう、どうでもいいや」になってしまったのである。
たぶんそのあとの廬生は故郷の村で、「ぼおっとしたおじさん」になったと思う。でもときどきあのおじさん妙に遠い目をして「栄華などというのはむなしいものだよ」とか呟くんだよね・・・と村の子どもたちに言われるような。

「祈り」の話をしていたのである。
祈りは、遠いものをめざす。
ふつうは現実の目の前には存在しないものをめざす。
私たちは死者を鎮魂するために祈り、未来に実現してほしいことを祈り、つねに今ここにはいない「遠くのもの」をめざして祈る。
祈りを向ける対象が「遠ければ遠いほど」、私たちが祈りを通じて経験するものは深まり、広がる。
多くの人が勘違いしているが、祈りの強度は「切実さ」によるのではない。
それがめざすものの「遠さ」によって祈りは強まり、祈る人間を強めるのである。
だから、おのれの幸福を願う祈りよりも、他者の幸福を願う祈りの方が強度が高く、明日の繁栄を願う祈りよりも、百年後の繁栄を願う祈りの方が強度が高いのである。
そこから如来と瞑想の話になるのだが、もう時間がないので、続きは本文で。

ひさしぶりに授業をしました

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難波江さんの「メディア・コミュニケーション演習」の授業にゲストでお呼ばれした。今週来週二回にわたって『街場のメディア論』を素材に、学生たちとおしゃべりをする。
これまで授業のテキストにこの本を使っていただいたので、その総括的な書評を学生さんたちに書いてもらうというのが課題。
なかなか面白い議論だった。
「マスメディアはもうダメなんでしょうか?」という学生からの質問があったので、「はい」とお答えする。
もうダメです。
よほど心を入れ替えたらなんとかなるかも知れないけれど、これまで通りやっていたら、各新聞の「毎年5万部」の売り上げ減少ペースに歯止めはかからないだろう。
毎年5万部ということは、800万部の朝日新聞の発行部数がゼロになるまで160年かかるということである。
「100万部減るまでにあと20年かかるわけですから」と先日朝日新聞のOBの方がため息をついていた。
それじゃあ、今いる社員たちは根本的な立て直しをしようという気にはならんです。彼らが退職するまでは会社は保ちそうなんだから。
そうですよね。
でも、「こんなこと」をしていたら、「毎年5万部減」で済む保障はない。
惰性の強い宅配制度が支えているので、部数はまだ高いレベルを保っているが、これが「駅売り」だけになったら、とてもこんな数字は出てこないだろう。
マスメディアへの需要はすでに不可逆的に「なくなりつつある」のである。
当のマスメディアだけが、それを直視していない。
みんなが「新聞もテレビももう終わりだ」となんとなくわかっている。
「みんながわかっていること」をメディアが報道しない。分析もしない。解決策を提言もしない。
そうやって、メディアの「知性」への信頼をメディア自身が掘り崩している。
端的な事例は平田オリザさんの「汚染水の廃棄はアメリカの要請」発言である。
そのあと、平田さんは「そのようなことを知る立場になかった」という謝罪のステートメントを発したが、言ったことが「口から出任せ」だったと言ったわけではない。官邸周辺の「どこか」で聞いたのだが、それは「言わない約束」だということまでは確認しなかったのである。
当然、メディアとしては、「アメリカの要請」があったのかどうかについて、発言の真偽について裏づけ調査をするはずだった。
どの新聞もしなかった。
続報は一行もなかった。
鳩山時代から内閣参与として長く官邸に詰め、さまざまな情報を「知る立場にあった」平田オリザさんが「ぽろり」と漏らした情報について、「もしかすると、それに類する指示がアメリカからあったのかもしれない」と仮定して「裏を取る」という作業をした新聞もテレビもなかった。
一つもなかったのである。
それどころか、アメリカは今回の福島原発の事故処理に、どのようなかたちでコミットをしているのか、どのような処理プランを提言しているのか、それはアメリカの中長期的な原子力政策とどういうふうにリンクしているのかといった射程のもう少し広い解説さえ、私は読んだ覚えがない。
「アメリカは何を考えて、何をしているのか」という問いそのものをメディアは自分に禁じている。
そうとしか思えない。
アメリカはつねに自国の国益を最優先させて戦略を起案する。
その「国益の最大化」路線の中で日本の原発事故はどういうふうに位置づけられているのか。
ブログでも繰り返し書いたように、日本の脱原発、段階的廃炉、火力発電への緊急避難、代替エネルギーへの切り替えは、どれもアメリカの国益の増大に資する。
だから、必ずアメリカはそのような方向に向けて日本を誘導するはずである。
その過程で必要とあらば原発処理を技術的に支援して「恩を売り」、必要とあらばあえて日本政府が失敗するに任せて「日本人には原子力テクノロジーをハンドルする能力はない」という国際的評価を定着させるだろう。
そういう大きな文脈でとらえたときにはじめて、浜岡原発の停止も、汚染水の海洋投棄も「アメリカからみると合理的なソリューション」だということがわかる。
アメリカは日本に憲法九条と自衛隊を同時的に与え、それによって日本人を思考停止させることに成功した。
「アメリカは自分たちがしていることの意味をわかっているが、私たちはアメリカがしていることの意味がわからない」という知の非対称によって、私たちはアメリカの属国というステイタスに釘付けにされている。
グレゴリー・ベイトソンのダブルバインド理論そのままである。
日本政府をコントロールするのはアメリカにとってたいへん簡単なのである。
あるときは「優しい顔」を向け、まったく無文脈的に「無関心な顔」や「怒りの顔」を向ける。
それをランダムに繰り返すだけでいい。
それだけで日本人は思考停止し、アメリカへの全的依存のうちに崩れ落ち、ひたすらアメリカの「指示待ち」状態に居着いてしまう。
アメリカの植民地支配のうちでもっとも成功したのは日本支配である。
だから、マスメディアは「日本の対米従属の集団心理的メカニズム」については絶対論じない。
論じることができない。
マスメディア自身がその思考停止の「症状」そのものだからである。
何度も書いたことだが、2005年にEU議会がロシアに北方領土の返還を命じる決議をしたとき、日本のメディアは一紙を除いてこれを報道しなかった。
日本の外交政策を側面支援する決議を欧州議会がしたときに、なぜそれが全国紙の一面トップにならなかったのか。
それは「そのニュースを日本人が知ることを好まない国がある」とメディアが忖度して、その怒りをはばかって「自粛」したからである。
その理路については、何度も書いたので、もう繰り返さない。ブログの記事か、『最終講義』の第三講をご参照願いたい。
私たちの国は過去66年間ずっと、そうやって「アメリカの気持ち」を忖度して、右往左往してきた。
そして、マスメディアはそのもっとも際だった症状である。
自分が病んでいるということ自体を自覚できないほどに深く病んでいる。
だから、たぶん私の書いていることの意味をジャーナリストたちはうまく理解できないだろう。
というような話を学生たちにする。
そのあと、「尖閣諸島問題」や「竹島問題」や「沖縄問題」について、さまざまなご質問をいただく。
これらの問題が解決しないのは、「領土問題が解決しないstatus quo から最大の国益を得ている第三者が解決を妨害しているからだ」という、「いかにもありそうな」仮説については誰も検証しないからであるとお答えする。
どうして他のイシューでは「いくらなんでもそれは無理筋」なヨタ仮説を飛ばしまくる週刊誌も月刊誌も、この「いかにもありそうな」仮説については、そのようなものが存在すること自体を無視するのか。
それについて学生諸君はよく熟慮していただきたい。
では、また来週ね~。


暴言と知性について

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松本復興相が知事たちに対する「暴言」で、就任後わずかで大臣を辞任することになった。
この発言をめぐる報道やネット上の発言を徴して、すこし思うことがあるので、それについて書きたいと思う。

松本大臣が知事に対して言ったことは、そのコンテンツだけをみるなら、ご本人も言い募っていたように「問題はなかった」もののように思われる。
Youtube で見ると、彼は復興事業は地方自治体の自助努力が必要であり、それを怠ってはならないということを述べ、しかるのちに「来客を迎えるときの一般的儀礼」について述べた。
仮に日本語を解さない人々がテロップに訳文だけ出た画面を見たら、「どうして、この発言で、大臣が辞任しなければならないのか、よくわからない」という印象を抱いたであろう。
傲慢さが尋常でなかったから、その点には気づいたかもしれないが、「態度が大きい」ということは別に政治家が公務を辞職しなければならないような重大な事由ではない(それが理由になるなら、石原慎太郎はとうに辞任していなければならない)。
だから、問題は発言のコンテンツにはないのである。
発言のマナーにある。
自分の言葉を差し出すときに、相手にそれをほんとうに聞き届けて欲しいと思ったら、私たちはそれにふさわしい言葉を選ぶ。
話が複雑で、込み入ったものであり、相手がそれを理解するのに集中力が必要である場合に、私たちはふつうどうやって、相手の知性のパフォーマンを高めるかを配慮する。
たいていは、低い声で、ゆっくりと、笑顔をまじえ、相手をリラックスさせ、相手のペースに合わせて、相手が話にちゃんとついてきているかどうかを慎重に点検しながら、しだいに話を複雑な方向にじりじりと進めてゆく。

怒鳴りつけられたり、恫喝を加えられたりされると、知性の活動が好調になるという人間は存在しない。
だから、他人を怒鳴りつける人間は、目の前にいる人間の心身のパフォーマンスを向上させることを願っていない。
彼はむしろ相手の状況認識や対応能力を低下させることをめざしている。
どうして、「そんなこと」をするのか。
被災地における復興対策を支援するというのが、復興大臣の急務であるとき、被災地の首長の社会的能力を低下させることによって、彼はいったい何を得ようとしたのであろうか。

人間が目の前の相手の社会的能力を低下させることによって獲得できるものは一つしかない。
それは「相対的な優位」である。
松本復興相がこの会見のときに、最優先的に行ったのは、「大臣と知事のどちらがボスか」ということを思い知らせることであった。
動物の世界における「マウンティング」である。
ある種の職業の人はこの技術に熟達している。
大臣のくちぶりの滑らかさから、彼が「こういう言い方」を日常的に繰り返し、かつそれを成功体験として記憶してきた人物であることが伺える。
それ自体はいいも悪いもない。
ひとつの政治技術である。
それが有効であり、かつ合理的である局面もあり、そうでない場合もある。
今回彼が辞職することになったのは、政府と自治体の相互的な信頼関係を構築するための場で、彼が「マウンティング」にその有限な資源を優先的に割いたという政治判断の誤りによる。

気になるのは、これが松本大臣の個人的な資質の問題にとどまらず、集団としてのパフォーマンスを向上させなければらない危機的局面で、「誰がボスか」を思い知らせるために、人々の社会的能力を減殺させることを優先させる人々が簇生しているという現実があることである。
「ボスが手下に命令する」上意下達の組織作りを優先すれば、私たちは必ず「競争相手の能力を低下させる」ことを優先させる。
自分の能力を高めるのには手間暇がかかるけれど、競争相手の能力を下げるのは、それよりはるかに簡単だからである。
ある意味で単純な算術なのだが、この「単純な算術」によって、私たちの国はこの20年間で、骨まで腐ってきたことを忘れてはいけない。

コミュニケーションを順調に推移させるためには、「相手が自分の言うことを理解できるまで、知的パフォーマンスを向上させるためにはどうすればいいのか?」という問いが最優先する。
少なくとも30年間の教師生活において、私はそのことを最優先の課題としてつねに考えてきた。

学生に向かって「お前はバカだ」とか「お前はものを知らない」というようなことを告げるのは(たとえそれが事実であったとしても)、教育的には有害無益である。
「お前はバカだ」と言われて、頬を紅潮させ、眼をきらきらと輝かせて、「では、今日から心を入れ替えて勉強します」と言った学生に私は一度も会ったことがない。
教師として私は、若者たちに「知性が好調に回転しているときの、高揚感と多幸感」をみずからの実感を通じて体験させる方法を工夫してきた。
その感覚の「尻尾」だけでもつかめれば、それから後は彼ら彼女らの自学自習に任せればいい。
いったん自学自習のスイッチが入ったら、教師にはもうする仕事はほとんどない。
読みたいという本があれば貸してあげる、教えて欲しいという情報があれば教えてあげる、読んでくれという書きものをもってきたら添削する、行きたいという場所があれば案内する、会ってみたいという人がいれば紹介する・・・それくらいのことである。
それで十分だったと教師生活が終わった今でも思っている。

現状認識やなすべき手立てについて、自分と考え方が違う人と対面状況に置かれたときに、多くの人は、両者の意見の相違の理由をもっぱら「オレが利口で、あいつがバカだから」と思い、口にもする。
だが、当人が言うように、知的力量にほんとうに天地ほどの差があるのなら、相手を説得するくらいのことはできてよいはずである。
クリアーなロジックで、平明な文体で、カラフルな比喩を駆使し、身にしみる実例を挙げて、「なるほど・・・そう言われれば、そうですね」というところまで導けるはずである。
でも、そういうふうな話し方をする人を、私は論争場裏では見たことがない。
論争的場面において、人々は詭弁を弄し、論点をすり替え、相手の思考を遮り、相手が「むずかしいことも理解できるように知性が好調になること」を全力で妨害している。
それは論争の目的が、相手の知性を不調にさせて、ふつうなら理解できることも理解できなくなるように仕向けることだからである。
論争相手を知的に使い物にならなくすることによって「どちらがボスか」という相対的な優劣関係は確定する。
この優劣の格付けのために、私たちは集団全体の知的資源の劣化を代償として差し出しているのである。
よほど豊かで安全な社会であれば、成員間の優劣を決めるために、競争相手を効果的に無能力に追い込むことは効果的だろう。
けれど、それは「よほど豊かで安全な社会」にだけ許されたことであって、私たちの社会はもうそうではない。
私たちは使える知的資源のすべてを最大化しなければどうにもならないところまで追い詰められている。
その危機感があまりに足りない。
メディアの相変わらず他罰的な論調を見ていると、メディアにはほんとうの意味で危機感があるようには思えない。
どうすれば、日本人の知的アクティヴィティは高められるのか、ということを政治家や官僚やビジネスマンやジャーナリストは考えているのだろうか。
たぶん考えていない。
できるだけ「バカが多い」方が自分の相対的優位が確保できると、エスタブリッシュメントの諸君は思っているからだ。
松本大臣の「暴言」は単なる非礼によって咎められるのではなく(十分咎めてよいレベルだが)、この危機的状況において、彼の威圧的態度が「バカを増やす」方向にしか働かないであろうこと(それは日本の危機を加速するだけである)を予見していない政治的無能ゆえに咎められるべきだと私は思う。

若者よマルクスを読もう・韓国語版序文

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石川康宏先生との往復書簡『若者よマルクスを読もう』 韓国語版のためのまえがきを書きました。
韓国語版だけについているものなので、ハングルを読めない日本人読者のためにここで公開することにしました。
すでに韓国語版としては『下流志向』と『寝ながら学べる構造主義』が翻訳されているので、これが三冊目になります。では、どぞ。


韓国の読者のみなさん、こんにちは。内田樹です。
このたびは私と石川先生の共著の「若者よマルクスを読もう」をお買上げいただき、ありがとうございました。まだお買上げではなく、書店で手に取っているだけの方もおられると思いますが、これもご縁ですから、とりあえず「まえがき」だけでも読んでいって下さい。

どうしてこんな本を書くことになったのか、その事情は「まえがき」にも詳しく書いてありますが、もちろん第一の理由は、日本の若者たちがマルクスを読まなくなったからです。
マルクスは1920年代から1960年代まで、約40年間、日本におけるインテリゲンチャ(およびwould be インテリゲンチャ)にとっての必読文献でした。政治についても、経済についても、文学や演劇や音楽についても、どのようなトピックについて語る場合でも、マルクスは不可避のレファレンスでした。マルクスとまったく違う政治的意見を述べるようとするものでさえも、「なぜ、私はマルクスの主張を退けるのか」についての挙証責任を免れることはできませんでした。
ですから、韓国の若い方はあまり御存じないかも知れませんが、日本で長く政権与党であった保守政党、自由民主党の1960年代の国会議員たちの中にも実はかなりの数の「元共産党党員」が含まれておりました(私の義父もそうでした。彼は1930年代の共産党の地下活動家で、戦後自民党の代議士になったときに、そこで、多くのかつての同志に出会いました)。義父は決して例外的な人物ではありません。青年期にマルクス主義的な政治活動にコミットしていたり、それにシンパシーを感じたりしていた人々が、1960年代までは、日本社会の政財官界での中枢の重要な一部分を形成していたのです。
 ですから、「青年というのはマルクスを読むものである」というのは日本では久しく一個の常識であったのです。青年期にマルクスを読んで、そのあとに天皇主義者になるものも、仏教徒になるものも、資本家になるものもおりました。マルクスを読んだらマルクス主義者になるわけではない。というか、マルクスなんか知らないままに自然発生的に天皇主義者である者よりも、マルクスを読んで、その上で天皇主義者になった者の方が、イデオロギー的屈折がある分だけ「大人だ」と思われていたのでした。
なんだかわかりにくい話ですね。すみません。
でも、いったん「極端」まで行ってから「戻ってきた」人の方が、はじめから「そこ」にいる人よりも、自分がしていることの意味をよく理解しているというのは経験的にはたしかなことです。若いときにさんざん道楽してきた人がぽつりと「額に汗して働くことはたいせつだ」と言う方が言葉が重いでしょう?
その点で言うと、逆説的なもの言いになりますが、日本におけるマルクス主義は「マルクス主義者を作り出すため」のものではありませんでした。むしろ「大人」を作り出すための知的なイニシエーションとして活用されたのだと思います。
若いときにマルクスを読んで「一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り変えるべきだ」と信じた若者は、その挫折の経験を通じて、「一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り替え」ようとして人間が行うことは総じて「あまり人間的ではない」ということを学習します。というのは、歴史が教える限り、「一気に、徹底的に社会を人間的なものに作り変えよう」とした政治運動はほとんど例外なく粛清と強制収容所によってそれを実現しようとしたからです。
少年青年の頃に、マルクスを学び、マルクス主義の実践運動に少しでもかかわった人たちは「人間的で公正な社会を今ただちにここで実現するには、人間はあまり弱く、あまりに邪悪であり、あまりに卑劣である」ということを身を以て学びました。これはたいせつな経験的知見です。
それだけではありません。彼らはそういう人間を「許す」こともまた学びました(彼ら自身が多かれ少なかれそういう人間だったからです)。
久しく日本において「マルクスを読む」という営みが青年の成長改訂の必須の一段とみなされていたのは、そのような理由によるのです。
だいぶ前にその習慣が失われました。1980年代以降のことです。
若い人たちがマルクスを読む習慣を失ったことには、さまざまな歴史的理由がありますので、それはそれで仕方がないだろうと私も思います。
なにしろ、青年たちがマルクスに関心をなくした最大の理由は経済成長の成功によって、日本が豊かになったことだからです。私たちのまわりからは「ただちにラディカルに改革しなければならないような非人間的収奪」を目にする機会が激減しました。
マルクス主義へ人を向かわせる最大の動機は「貧しい人たち、飢えている人たち、収奪されている人たち、社会的不正に耐えている人たち」に対する私たち自身の「疚しさ」です。苦しんでいる人たちがいるのに、自分はこんなに「楽な思い」をしているという不公平についての罪の意識が「公正な社会が実現されねばならない」というつよい使命感を醸成します。でも、そういう「疚しさ」の対象は、1970年代中頃を最後に、私たちの視野から消えてしまいました。最後に日本人に「疚しさ」を感じさせたのは、ベトナム戦争のときにナパームで焼かれていたベトナムの農民たちでした。私たちはそれをニュースの映像で見て、ベトナム戦争の後方支援基地として彼らの虐殺に間接的に加担し、戦争特需を享受している日本人であることを恥じたのです。
でも、75年にベトナム戦争が終わったあと、日本人は「疚しさ」を感じる相手を見失ってしまいました。そして、最初のうちは遠慮がちに、やがて大声で「自分たちはこんなに楽な思いをしている。こんな贅沢をしている。こんな気分のいい生活をしている」と自慢げに声で言い立てるようになりました。
そんな社会では、誰もマルクスを読みません。
そうやって日本人はマルクスを読む習慣を失い、それと同時に、成熟のための必須の階梯の一段を失いました。それから30年経ち、人間的成熟の訓練の機会を失った日本人は恥ずかしいほど未熟な国民になりました。
金があること、高い地位にあること、豪華な家に住んでいること、高い服を着ていることを端的に誇らしく思い、能力のある人間が優雅に暮らし、無能で非力な人間たちが路傍で飢えているのは自己責任なのである。能力がある人間が高い格付けを受け、無能な人間が軽んじられ、侮られるのは適切な考課の結果であり、それが社会的フェアネスなのだと広言するような人々がオピニオン・リーダーになりました。

私はそういう考え方は「よくない」と思っています。
共同体はそのメンバーのうちで、もっとも弱く、非力な人たちであっても、フルメンバーとして、自尊感情を持って、それぞれの立場で責務を果たすことができるように制度設計されなければならないと思っているからです。それは親族や地縁集団のような小規模の共同体でも、国民国家や国際社会的のような巨大な共同体でも変わりません。
もっとも弱く、非力なものとともに共同体を作りあげ、運営してゆくためには、どうしてもそれなりの数の「大人」が必要です。十分な能力があり、知恵があり、周囲から十分な敬意や信頼を得ている者は、その持てる資源を自己利益のためではなく、かたわらにいる弱く、苦しむ人たちのために用いなければならないと考える「大人」が必要です。
社会問題はぎりぎり切り詰めると、実践的には「どうやって大人を育てるか」というところに行きつきます。私はそう思います。社会全体を一気に、全体として「正しいもの」にすることはできません。でも、社会はフェアで、手触りの優しいものでなければならないと信じ、そのために自分の持てる力を用いる「大人」たちの数を少しずつ増やすことは可能です。
マルクスを読み、マルクスの教えを実践しようとすることは、近現代の日本に限っていえば、「子どもが大人になる」イニシエーションとして、もっとも成功したものでした。そして、若者たちがマルクスを読まなくなってから、目に見えて「大人」の数が減少した。私はこのふたつの現象の間には関連があると思っています。
ですから、私は「若者よ(もう一度)マルクスを読もう」という提案をすることにしたのです。それは彼らに向かって、「大人になる道筋をみつけて欲しい」ということとほとんど同義です。
同じ提案が韓国の若者たちについても適切であるかどうか。それはわかりません。でも、韓国でも、中国でも、台湾やベトナムやインドネシアでも、事情は日本とそれほど変わらないのでは、と思います。
韓国の場合、元マルクス主義者である政治家や官僚や資本家の数はたぶん日本より少ないでしょう。ですから「マルクスを読むことで成熟する」という私は説明は伝わりにくいかも知れません。けれども、世界中のどの国においても、青年たちの成熟のための階梯は「弱く貧しい人々への、共感と憐憫と疚しさ」を経由せざるを得ないということに変わりはないと私は思っています。

140字の修辞学

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Twitterに「愚痴」、ブログに「演説」というふうに任務分担して、書き分けることにしたら、ブログへの投稿が激減してしまった。
たしかにTwitterは身辺雑記(とくに身体的不調の泣訴や、パーソナルな伝言のやりとり)にはまことに便利なツールであるけれど、ある程度まとまりのある「オピニオン」を書くには字数が足りない。
わずかな字数でツイストの効いたコメントをするというのも、物書きに必要な技術のひとつではあろうが、「それだけ」が選択的に得手になるのは、あまりよいことではない。
というのは、「寸鉄人を刺す」という俚諺から知られるように、「寸鉄」的コメントは破壊においてその威力を発するからである(「寸鉄人をして手の舞い足の踏むところをしらざらしめる」というような言葉は存在しない)。
何より、一刀両断的コメントは、書いている人間を現物よりも150%ほど賢そうに見せる効能がある。
一刀両断的コメントの名人に「引き続き、そのテーマを5000字ほど深めて頂きたい」と頼んでも、出てくるものはずいぶん無惨な出来栄えであろう。
むろん、「寸鉄型」コメンテイターだって、物理的に「長く書く」ことはできる(同じ話を繰り返しせばいいんだから)。
でも、それでは読んでいる方がすぐ飽きる。
長く書いて、かつ飽きさせないためには、螺旋状に「内側に切り込む」ような思考とエクリチュールが必要である。
そして、そのためには「前言撤回」というか、自分が前に書いたことについて「それだけではこれ以上先へは進めない」という「限界の告知」をなさなければならない。
おのれの知性の局所的な不調について、それを点検し、申告し、修正するという仕事をしなければならない。
それがないと、「内側に切り込むように書く」ということはできない。
前言撤回を拒むものは、出来の悪い新書の書き手のように、最初の5ページに書いてあることを「手を替え品を替え」て250ページ繰り返すことしかできない。
最初の5ページに書いてあることのうちにはすでに情報の欠如があり、事実誤認といわぬまでも事実評価に不安があり、推論上の不備があるということを、「最初の5ページを書いている、当のその時に」開示できるものだけが、「内側に切り込む」ように書くことができる。
私はそう思っている。
「寸鉄型」のコメントに慣れるものは、それによって得られるわずかな全能感の代償として、多くのものを失う。
自分の命をかけられるような命題は140字以内では書けない(1400字でも、14000字でも書けないが)。
だから、そこに書かれる言葉は原理的に「軽い」ものになる。
誤解してほしくないが、私は「軽い言葉」を語るなと言っているわけではない。
「軽い言葉」だということを自覚して語って欲しいと言っているだけである。
というようなことを書くと、「ふざけたことを言うな」というご批判が早速あると思うが、如上の理由により、私宛のご批判は「5000字以下のものは自動的にリジェクト」させて頂くので、皆さまの貴重なプライベートタイムはそういうことに浪費されぬ方がよろしいであろう。


「存在しないもの」との折り合いのつけ方について

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ニ期倶楽部というところがやっている「山のシューレ」という催しに呼ばれて、那須高原で二日過ごした。
能楽師ワキ方の安田登さんが対談の相方にお呼び下さったのである。
お題は「能の身体性、能の霊性」。
これまで安田さんとは能楽について何度か対談している。そのつど、だんだん話が深くなる。
先方は玄人、こちらは馬齢は重ねても所詮素人であるから、専門的なことはよくわからない。
けれども、二人とも興味があることが近い。
それは「存在しないもの」とのコミュニケーションである。
「存在しないもの」、端的には「死者」のことあるが、より広く「絶対的他者(Autrui)」と呼ぶこともできる。
神も悪魔も、すべての神霊的なもの、天神地祇、妖精も鬼も河童も山姥も含めて、「存在しないもの」と呼ぶことができる。
「存在しないもの」は「存在するとは別の仕方で」(autrement qu'être) 私たちに「触れてくる」。
端的には「夢を見ているとき」がそうである。
夢の中で私たちが経験する出来事や、そこで出会うものたちは「存在しない」。
けれども、夢の中ではありありと存在している。
そこで私たちが経験する不安や恐怖は「本物」である。
ただし、私たちはそこから逃げることができる。
夢の中で耐えがたい苦痛や恐怖を経験しているとき、それがある閾値を超えると、私たちは厭な寝汗をかいて、はっと目を覚ます。
そして「ああ、夢だったのか・・・」と呟くことができる。
けれども、それはやはり一種の経験であって、夢の中の出来事を経由したことによって私たちのものの見方は変わる。
『邯鄲』の夢枕で盧生は粥の炊けるまでのわずかな時間のあいだに夢の中で数十年に及ぶ人生を駆け抜けるように生きる。そして、目覚めたときにはその分だけ年を取って「現実」に戻ってくる。
もちろん、その経過時間は脳内現象であって、身体的には数分前のままとほとんど変わらない。
けれども、盧生は「主観的には」それだけの歳月を生きたのである。
現に、その夢のあと、盧生は大悟解脱を求めるはずの旅を打ち切って、故郷に戻ってしまう。
それが現実の人間の生き方を変えてしまうのであれば、この夢の中で経験したことは、盧生にたしかに「触れた」ことになる。
「存在するとは別の仕方で」とは、このことである。
私たちは「存在しないもの」に囲繞されている。
私たちの外部にある「自然」は先へ先へと触手を伸ばすと、どこかで「そこから先にはもう手が届かない境位」に達する。私たちは「宇宙の果て」のさらに先に何があるかを私たちが理解できる言語や感覚に即しては語ることができない。
だとすれば、それは定義上は「存在しないもの」である。
私たちの内側に垂鉛を下ろしていっても、同じである。
分子の向こう、原子の向こう、素粒子の向こう・・・と現に存在している私たち自身の内部に深く深く踏み込んでゆけば、やがて、私たちの言語や感覚に即しては語ることのできない境位に達する。
私たちが「存在する」とか「存在しない」とかいう識別法を当てはめて論じることのできる範囲は実は非常に狭い。
「存在する/存在しない」という二分法が適用できる界域は果てしのない「存在しないもの」に覆われているのである。
そのような捉え方をすれば、私たちにとってとりあえず進化上の喫緊の課題が何かはわかるはずである。
それは「存在するもの」の領域をすこしずつ押し拡げ、「存在しないもの」を「存在するもの」に繰り込むことである。
宇宙開発も、分子生物学も、その意味では同じことをしている。
だが、私たちが論じているような「ゲートキーパー」の仕事は、「ゲート」を大きく拡げて、人間たちの領域を拡大することよりもむしろ、「ゲートを守る」ことに軸足を置いている。
「ゲートキーパー」は境界線を超えて「漏出」してくる「もの」たちを防ぎ止めることを主務としている。
ただし、「防ぎ止める」というのは「追い出す」ということではない。
そうではなくて、「お引き取り願う」ということである。
むりやり境界線の向こうに押し戻すのではなく、できることなら、自主的に「帰る」ように仕向けることである。
でも、「じゃあ、帰る」と言わせるためには、その前にひとしきり、彼らが「じたばた」するのに耐えなければならない。
デリケートな仕事である。
「存在しないもの」たちと「交渉する」ためにはどのような能力が要るのか、どのような技法がありうるのか。
「存在しないもの」は秩序の周縁に、理性の統御が弱まるところに出現する。そこをある種の「受信能力」を備えたものが通りかかると、それを手がかりにして、「それ」は境界線の向こうから「漏出」してくる。
能におけるワキの多くは「旅の僧」である。
彼は秩序の周縁である土地に、日のくれる頃に、疲れきってたどり着く。
彼はそこに何らかの「メッセージ」をもたらすためにやってきたわけではない。
むしろ、何かを「聴く」ためにやってきたのである。
彼はその土地について断片的なことしか知らない。だから、その空白を埋める情報を土地のものに尋ねる。
そして、その話を聴いているうちに眠りに落ち、夢を見る。
これが「存在しないもの」との伝統的な「交渉」の仕方なのである。
そして、その一場の劇が終わったとき、「それ」は立ち去り、私たちの世界と「存在しないもの」の世界のあいだの「壁」の穴は修復され、「ゲート」は閉じられる。
そのような仕事を私は「インターフェイスのメンテナンス」と呼んでいる。
この仕事は、「一回やったらおしまい」というものではない。
「どぶさらい」と同じように、エンドレスで行い続けなければならない。
それは積極的に何か目に見える「価値」や「意味」をもたらすわけではない。
「災厄が起こらなかった」というのが、彼らの仕事が順調に推移している証拠なのだが、「起こらなかった災厄」をカウントする計数能力が私たちにはない。
だから、彼らはふつう誰からも感謝されず、誰からも敬意を示されない。
かつて「遊行の民」と呼ばれた人々は、この社会的な責務を担っていた。
その「呪鎮」儀礼は古代から、もっぱら音楽と舞踊と詩歌の朗唱を通じて行われた。
だから、私たちはせいぜいこの芸能を享受したり、巧拙を論じたり、それについての美学を構築するような迂回的な作業を通じてしか、この働き人に報いる方法を知らないのである。
西行は源平の戦いの後、国内を巡歴して、死者たちのために鎮魂歌を歌った。
その時代における最大の「祟り神」は崇徳上皇の怨霊であった。
西行は崇徳上皇が葬られた白峯陵に詣でて、一首を詠み、上皇の霊はそれによって鎮まったと伝えられている。
安田さんによると、芭蕉の「奥の細道」もほとんど趣旨は同じ呪鎮の旅だそうである。
芭蕉が鎮魂しようとしたのは、源義経一行である。
義経と弁慶もまた、その供養の仕方を誤ると、巨大な「祟り神」として王土に障りをなす可能性のある存在だった。
だから『平家物語』から能楽(『鞍馬天狗』、『橋弁慶』、『船弁慶』、『安宅』、『正尊』、『摂待』などなど)に至る無数の芸能によって慰撫されなくてはならなかったのである。
芭蕉の旅はその最後の大きな試みであり、それを芭蕉は「西行のまねび」というかたちで実行した(というのが安田説)。
私自身は武道の修業というのは、この「『異界』とのゲートのメンテナンスができるような心身の能力開発」と共通する要素が強い、と考えている。
芸能であれば、美的な観点からそれを賞美するというかたちでインセンティブが示されるが、武道の場合はやや違う。
「ゲートキーパー」の「メンテナンス能力」は「災厄の接近」を予兆的に感知する「アラーム」の能力に近く、また芸能による呪鎮の原基的形態である「群舞・群唱」は「気の感応」や「合気」という機微に通じる。
能については、そんな話をしたのである。
あまりに変な話なので、会場の皆さんには気の毒なことをした。
でも、それにも懲りずに、そのあとはさらに安田さんと今度は「論語」をめぐって、同じ位(もっとかも)変な話を2時間にわたって繰り広げたのである。
さいわい、この二つのセッションは音声を収録してあるので、活字化することに
安田さんと衆議一決。
3秒考えて、新潮社の足立さんに頼みましょう、ということになりました。足立さん、よろしくね!


ネット上の発言の劣化について

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個人的印象だが、ネット上での匿名発言の劣化がさらに進んでいるように見える。
攻撃的なコメントが一層断定的になり、かつ非論理的になり、口調が暴力的になってきている。
これについては、前に「情報の階層化」という論点を提示したことがある。
ちょっと長い話になる。
かつてマスメディアが言論の場を実効支配していた時代があった。
讀賣新聞1400万部、朝日新聞800万部、「紅白歌合戦」の視聴率が80%だった時代の話である。
その頃の日本人は子どもも大人も、男も女も、知識人も労働者も、「だいたい同じような情報」を共有することができた。
政治的意見にしても、全国紙の社説のどれかに「自分といちばん近いもの」を探し出して、とりあえずそれに同調することができた。
「国論を二分する」というような劇的な国民的亀裂は60年安保から後は見ることができない。
国民のほとんどはは、朝日から産経まで、どれかの新聞の社説を「口真似する」というかたちで自分の意見を表明することができたのである。
それらのセンテンスはほぼ同じ構文で書かれ、ほぼ同じ語彙を共有しており、ほぼ同じ論理に従い、未来予測や事実評価にずれはあっても、事実関係そのものを争うことはまずなかった。
それだけ言説統制が強かったというふうにも言えるし、それだけ対話的環境が整っていたとも言える。
ものごとには良い面と悪い面がある。
ともかく、そのようにして、マスメディアが一元的に情報を独占する代償として、情報へのアクセスの平準化が担保されていた。
誰でも同じような手間暇をかければ、同じようなクオリティの情報にアクセスできた。
「情報のデモクラシー」の時代だった。
これはリアルタイムでその場に身を置いたものとしては、「たいへん楽しいもの」として回想される。
内田百閒と伊丹十三が同じ雑誌に寄稿し、広沢虎造とプレスリーが同じラジオ局から流れ、『荒野の七人』と『勝手にしやがれ』が同じ映画館で二本立てで見られた。
小学校高学年の頃、私は父が買ってくる『文藝春秋』と『週刊朝日』を隅から隅まで読んだ。
それだけ読んでいると、テレビのクイズ番組のすべての問題に正解できた。
そういう時代だった。
だが、70年代から情報の「層化」が始まる。
最初に「サブカルチャー系情報」がマスメディアから解離した。
全国紙にはまず掲載されることがない種類のトリヴィアルな情報が、そういうものを選択的に求める若者「層」に向けて発信され、それがやがてビッグビジネスになった。
「異物が混在する」時代が終わり、「異物が分離する」時代になったのである。
たしかに、筒井康隆の新作を読むつもりで買った月刊誌に谷崎潤一郎の身辺雑記が掲載されていたら、「ここ読まないのに、その分金出すのもったいないよ」と思う読者が出て来ても仕方がない。
メディアの百家争鳴百花繚乱状態が始まった。
そのときも「別に、これでいいじゃん」と思っていた。みんなも「これでいいのだ」と言っていた。
それによって、社会集団ごとにアクセスする情報の「ソース」が分離するようになってきた。
国民全員が共有できる「マス言論」という場がなくなった。
若い人はもう新聞を読まない。テレビも見ない。
必要があれば、ニュース記事はネットで拾い読みし、動画はYou tubeで見る。
「必要があれば」というのは、当人のまわりで「それ」が話題になっているときに、キャッチアップする「必要があれば」ということである。
まわりで話題にならなければ、戦争があっても、テロがあっても、政権が瓦解して通貨が紙くずになっても、どこかの国が水没しても、どこかの国の原発が爆発しても、そんなことは「知らない」。
マス言論というのは、いわば「自分が知っている情報をマップするための、メタ情報」である。
もし、マス言論の場に登録されていない情報を自分が知っている場合、それは「国民レベルで周知される必要のない情報」だという予備的なスクリーニングがかけられたと判断してよい。
「国民レベルで周知される必要のない情報」には二種類ある。
「重要性が低いので(例えば、「今のオレの気分」)、周知される必要がない情報」か「あまりに重大なので(例えば、尾山台上空にUFOが飛来した)、それが周知されると社会秩序に壊乱的影響を及ぼす情報」の二つである。
そして、私たちは長い間のマスメディア経験を通じて、「自分は現認したが、マスメディアに報じられない情報」はとりあえず第一のカテゴリーのものとみなすという訓練を受けていた(ぶつぶつ文句を言いながら、ではあるが)。

それが揺らいできた。
マスメディアの「マップ機能」が著しく減退したからである。
マスメディアのマップ機能が低下すると、私たちは自分の知っている情報の価値を過大評価するようになる。
私が知っていて、メディアが報道しない情報は、「それを知られると、社会秩序が壊乱するような情報」であるという情報評価態度が一般的になる。
やっと話が最初に戻ってきた。
私が今のネット上の発言に見る一般的傾向はこれである。
自分自身が送受信している情報の価値についての過大評価。
自分が発信する情報の価値について、「信頼性の高い第三者」を呼び出して、それに吟味と保証を依頼するという基本的なマナーが欠落しているのである。
ここでいう「信頼性の高い第三者」というのは実在する人間や機関のことではない。
そうではなくて、「言論の自由」という原理のことである。
言論が自由に行き交う場では、そこに行き交う言論の正否や価値について適正な審判が下され、価値のある情報や知見だけが生き残り、そうでないものは消え去るという「場の審判力に対する信認」のことである。
情報を受信する人々の判断力は(個別的にはでこぼこがあるけれど)集合的には叡智的に機能するはずだという期待のことである。
それは自分が言葉を差し出す「場」に対する敬意として示される。
根拠を示さない断定や、非論理的な推論や、内輪の隠語の濫用や、呪詛や罵倒は、それ自体に問題があるというより(問題はあるが)、それを差し出す「場」に対する敬意の欠如ゆえに「言論の自由」に対する侵害として退けられなければならないのである。
繰り返し書いている通り、挙証の手間暇や、情理を尽くした説得を怠るものは、言論の場の審判力を信じていない。
真理についての検証に先だって、自分はすでに真理性を確保していると主張する人間は、聴き手に向かって「お前がオレの言うことに同意しようとしまいと、オレが正しいことに変わりはない」と言い募っているのである。
それは言い換えると「お前なんか、いてもいなくてもおんなじなんだよ」ということである。
私たちはそういう言葉を聴かされているうちに、しだいしだいに生命力が萎えてくる。
それはある種の「呪い」である。
言論の自由には「言論の自由の場の尊厳を踏みにじる自由」「呪詛する自由」は含まれないと私は思う。

情報の「層」化が進行し、私たちはいま「情報の階層化」のフェーズに入っている。
それは端的に言えば「質の良い情報にアクセスできる階層」と「質の悪い情報にしかアクセスできない階層」の分極化である。
だが、問題はそれが「状態」ではなく、「プロセス」だということである。
「質の良い情報」というのは物性のことではない。
そうではなくて、自分の発信する情報が「情報環境全域」の中でどこに位置づけられ、どう機能しているかを「マッピング」できるということである。
「私はこのことを言うことによって『何を言いたいのか』」を言える情報は良質な情報である。
「質の悪い情報」はその逆のもののことである。
それが送受信される文脈、その歴史的機能などについて自省する機制を含まない情報は「質の悪い情報」である。
「オレはこう思う。」とか「オレはこれを知っている。」といったタイプの情報は、そのコンテンツの正否にかかわらず「質の悪い情報」である。
自分の主張に含まれている「思い込み」「事実誤認」「推論の間違い」などについて、価値中立的な視点から精査する自己点検システムを含まないステートメントは、そのコンテンツの正否にかかわらず「質の悪い情報」に分類される。

現在進行している情報の階層化は、端的に言えば、「情報には質の差がある」ということを知っている人たちと、それを知らない人たちの間に広がっている。
情報の階層化は不可逆的に進行する。
「質のよい情報」を取り込む装置を持っている人のところには「質の良い情報」が累積し、「質の悪い情報」をスクリーニングできない人のところには「質の悪い情報」だけしか集まらない。
「情報」はその自体的な正否によってではなく、「それが誤っている蓋然性」についての適正な評価を伴う場合だけに意味がある。
そのことを「知っている人間」と「知らない人間」の間に、急速に、不可逆的なしかたで、情報の階層差がいま進行している。
情報化社会においては、その差は権力・財貨・文化資本のすべての配分に直接反映することになる。

誤解して欲しくないが、私は情報の階層化には反対である。
ネット上に「呪詛」を書き込んでいる諸君は、それによって他ならぬ自分自身を情報化社会の最下層に釘付けにしていることに気づいて欲しいと思って、この文章を私は書いている。
たぶん、ご理解いただけないであろうが。(あ、いけない呪いを書いちゃった。今のなしね)


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