10月29日朝日新聞の朝刊オピニオン欄に、アメリカの地方新聞の消滅とその影響についての記事が出ていた。
たいへん興味深い内容だった。
アメリカでは経営不振から地方紙がつぎつぎと消滅している。
新聞広告収入はこの5年で半減、休刊は212紙にのぼる。記者も労働条件を切り下げられ、解雇され、20年前は全米で6万人いた新聞記者が現在は4万人。
新聞記者が減ったこと、地方紙がなくなったことで何が起きたか。
地方紙をもたないエリアでは、自分の住んでいる街のできごとについての報道がなくなった。「小さな街の役所や議会、学校や地裁に記者が取材に行かなくなった」
「取材空白域」が発生したのである。
カリフォルニアの小さな街ベルでは、地元紙が1998年に休刊になり、地元のできごとを報道するメディアがなくなった。
すると、市の行政官は500万円だった年間給与を十数年かけて段階的に12倍の6400万円まで引き上げた。市議会の了承も得、ほかの公務員もお手盛りで給与を増やしていた。でも住民はそのことを知らなかった。十数年間、市議会にも市議選にも新聞記者がひとりも行かなかったからである。
「地方紙記者の初任給は年間400万円ほど。もし住民が総意でその額を調達し、記者をひとり雇っていれば、十何億円もの税金を失うことはなかった」
もうひとつの影響は地方選挙の報道がなくなったこと。
地元紙が選挙報道をしない地域では、候補者が減り、投票率が低下する。候補者の実績について、政策内容について有権者に情報が与えられないので、選択基準がない。
結果的に現職有利、新人不利の傾向となり、政治システムが停滞する。
都市部でも記者の不足は法廷取材の不備にあらわれている。
法廷取材は公判を傍聴し、裁判資料を請求し精査する記者なしには成立しないが、この手間をかけるだけの人員の余裕が新聞社にはもうない。
もちろんネットはある。けれども、ネットの情報の多くはすでに新聞やテレビが報道したニュースについてのものである。「ネットは、新聞やテレビが報じたニュースを高速ですくって世界に広める力は抜群だが、坑内にもぐることはしない。新聞記者がコツコツと採掘する作業を止めたら、ニュースは埋もれたままで終わってしまう」
この全米調査は、連邦通信委員会の発令によるもので、ネット化の進行とコミュニティーの報道需要についてリサーチしたものである。
わかったことは「自治体の動きを監視し、住民に伝える仕事は自費ではできない。ニュース供給を絶やさないためには、地元に記者を置いておくことが欠かせない」ということだとインタビュイーのスティーブン・ワルドマン氏は言う。
彼はビジネスモデルとしての民間新聞はもう保たないだろうと見通した上で、それに代わるものとして住民からの寄付を財源とする「NPOとしての報道専門組織を各地で立ち上げる」ことを提唱している。
「教師や議員、警察官や消防士がどの街にも必要なように、記者も欠かせない」。
アメリカで起きた「地方紙の消滅と自治体の退嬰のあいだのリンケージ」が日本にもそのまま妥当するのかどうか、それはわからない。
アメリカにおける新聞というものの発生はわかりやすい。
開拓者たちはまず最初に街の中心に教会を建て、それから子供たちのために学校を作り、治安維持のために保安官を選び、巡回裁判所を整備し、防災のための消防隊を組織した。たぶんその次くらい(人口が1000人くらいのオーダーに達したとき)新聞ができた。全国紙から配信される記事と地元記者が足で取材した記事で紙面を構成した。それが広告媒体としての有用性を評価されて、しだいにビッグビジネスになり・・・という順番でことは運んだはずである。
その「広告媒体としての有用性」が崩れてきた以上、「縮小均衡」をめざすのであれば、もとの「小商い」に戻ればよい、と私は思う(ワルドマンさんもたぶんそう思っている)。
記者ひとり、購読者千人くらいの規模なら、今でもたぶん「小商い」は成り立つはずである。
けれども、いちど「ビッグビジネス」の味をしめたものは、二度と「小商い」に戻ろうとしない。小商いに戻るくらいなら、さらに冒険的な仕掛けをして、いっそ前のめりにつぶれる方を選ぶ。
それがビジネスマンの「業」なのだからしかたがない。
でも、新聞はもともとは金儲けのために始まった仕事ではない。
そのことを忘れてはいけない。
ワルドマンさんが言うように、発生的には「警察官や消防士」と同じカテゴリーの制度資本だった。
それが「たくさん売れると、どかんと儲かる」ということがわかったので、「警察官や消防士」とは違うカテゴリーに移籍してしまったのである。
ならば、「どかんと儲からなくなった」以上、時計の針を逆に回して、また「警察官や消防士」と同じカテゴリーに戻る、というのはごく適切な判断であると私は思う。
メディアにきわだった知性や批評性を求める人が多いが、私はそれはおかしいと思う。
警察官や消防士にきわだった身体能力や推理能力や防災能力を求めるのがおかしいのと同じである。
地域の治安や防災はもともと、その地域のフルメンバーであれば「誰でもが負担しなければならなかった、町内の仕事」であった。
誰もが均等に負担すべき仕事であったということは、「誰でもできる仕事」でなければならないということである。
組織のつくりかたが適切であれば、そこにかかわる個人の資質にでこぼこがあっても、治安や防災のような「それなしには共同体が成り立たない社会的装置」はきちんと稼働するのでなければならない。
個人にきわだった身体能力や知性がなければ治安や防災の任に堪えないように作ってあるとすれば、それは制度設計そのものが間違っているのである。
新聞記者も同じである。
それは「誰でも基本的な訓練を受け、それなりの手間さえかければできる仕事」であるべきなのだ。
新聞やテレビはこれからそういう方向にゆっくり「縮んでゆく」ことになると思う。
事業規模が縮むということは、言い換えれば、「その気になれば、誰でも始められるレベルの仕事」になるということである。
新潟県村上市には「村上新聞」という地方紙がある。
そこを訪ねてみた話が村上春樹のエッセイにあった。
三人くらいで回している地方紙である。たいへん好意的に紹介されていた。
私はこういうタイプの新聞が日本列島すみずみにまで数百数千と併存している状態が過渡的にはいちばん「まっとう」な姿ではないのかと思う。
地方紙の存在意義について
有事対応コミュニケーション力について
有事対応コミュニケーション力という本が技術評論社から出る。
震災と原発事故について、危機管理という視点から論じたシンポジウムの記録である。
鷲田清一、上杉隆、藏中一也、岩田健太郎というメンバーで行った。
緊急出版なので、完成度は低いけれど、珍しいメンバーでのシンポジウムだし、チャリティーイベントなので、印税は全額義捐金に回すことになっている。
本は書店で手にとっていただくとして、とりあえず私が書いた「あとがき」を告知代わりに掲載しておく。
あとがき
リスクコミュニケーションについてのチャリティーシンポジウムをやるので、出て下さいと岩田先生に声をかけられた。
岩田先生は「それは何ですか?」的なテーマの場所に私を引き出すことを好む傾向がある。最初に対談したときのトピックは「新型インフルエンザの防疫体制について」だった。その次にお会いした時は「看護教育について」だった。その次は感染症の学会に呼ばれて「パンデミックとメディア」というお題でのスピーチを振られた。もう何が来ても驚かない。
今回は大震災と原発事故をリスク管理という視点から吟味する趣旨の集まりだと伺った。この論件についてはすでにいくつかの媒体で私見を述べているので、私自身はそれに付け加えることはもうほとんどない。だが、さまざまな分野から呼集されたシンポジウム参加者の専門的知見を直接うかがえるのは得難い機会であるので、お招きを受けることにしたのである。
岩田先生はパンデミック、つまり医療分野における「パニック的事態」の専門家である。蔵本先生は企業の危機管理の専門家である。上杉さんは原発事故発生以来、フロントラインでほとんど不眠不休で取材活動を続けているジャーナリストである。そして、鷲田先生は傷ついた人、病んだ人のかたわらに立つ臨床哲学の専門家である。私だけが何の専門家であるか不分明なままその場にいた。
お話をうかがったあと、私の心に一番残ったのは、岩田先生が伝えた現地派遣の医療チームの人々の「寡黙さ」についての証言と、上杉さんが言われた「これからは放射性物質と共に生きる他ない」という言葉だった。
告発や批判ももちろん必要だと思う。デモをするのも必要なことだろう。懲戒や場合によっては刑事罰も必要になるだろう。けれども、「すでに起きてしまったこと」の解明と有責者の特定と同時に、それよりも長い時間をかけて、失われたものと傷ついたものについての「手当て」が続けられなければならない。
もちろん私はこの事態を招いた有責者の告発や補償の要求を抑制すべきだと言っているわけではない。犯罪の場合とおなじように、正義の執行は粛々と、ときには非情に行われなければならない。けれども、それと同時に、この出来事に巻き込まれて物心両面で深い傷を負った人たちの支援のためには、穏やかな声と、手触りの柔らかい言葉もまた整えられていなければならない。そのどちらか一方だけを選ぶということはできない。
私たちに求められているのは、排他的な選択ではなく、糾弾と赦しが、冷たい宣告と暖かい慰めが絡み合った両義的な言葉を使えるような市民的成熟である。そういう構えを「ダブル・スタンダード」だと難じる人もいるだろう。つねに正しいことだけを言い続けたい、正しい行為だけをし続けたいという人にとっては、不愉快な提言に聞こえるかも知れない。けれども、「放射能という十字架」をこれから長い期間背負ってゆく私たち日本人に求められているのは、たぶんそのような種類の「市民的成熟」である。
このシンポジウムで語られた言葉の多くは(私の言葉も含めて)このあと時間が経つにつれて、その現時的な切実さを失うだろう。切迫した出来事に対処するために緊急招集されたシンポジウムで口にされた言葉なのだから、それは仕方がない。その中にあって、たぶん鷲田先生の言葉だけは、かなり長期にわたって、場合によっては「原発事故?ああ、そんな出来事が昔あったようですね」と人々が言い交わすような時代が来ても、まだある種のアクチュアリティを保っているのではないかという気がする。切迫した事態にてきぱきと対処するためにはクリアカットで、ロジカルで、具体的な言葉が必要だ。けれども、鷲田先生がめざしているように、そのような危機的事態をもたらした長い文脈を底ざらえするような言葉を語ろうとすると、言葉はずしんと持ち重りしてきて、自重でねじれ、たわんでくる。
このシンポジウムでは種別を異にするいくつかの語種の言葉が語られた。そのそれぞれの知見を読者のみなさんそれぞれの度量衡に基づいて掬していただきたいと思う。岩田先生のご奔走によって実現したこの試みにおいて提言されたうちのいくつかが実を結ぶこと、ここで示された知見のいくつかが長く読者たちの心にとどまることを一人の参加者として願っている。
最後になったが、東日本大震災によって今も苦しんでいる多くの人々に一日も早く穏やかな生活が戻ることを心からお祈りする。また、シンポジウムの書籍化のためにご尽力下さった技術評論社の安藤聡さんの献身的なお骨折りにもお礼を申し上げたい。
2011年10月
内田樹
Harbor light について
ゼミの卒業生の結婚式でスピーチをするのは、大学の教師にとっては「仕事の一部」のようなものである。
だから、日程さえ合えば、日本中どこでもうかがって、一席弁じることにしている。
どうしてゼミの教師を結婚式に呼ぶのか、ということをあまりこれまで真剣に考えたことがなかったが、今日スピーチしながら、やはりこれは「観測定点」としての機能ということが主なのであろうと思った。
卒業生たちはのどかな4年間を過ごしたあと、多くは卒業してからはなかなかにめまぐるしい人生の変転を経験する。
住むところが変わり、いくつかの職種を経験し、出会いと別れがあって、そしてある日「めでたく華燭の典を迎えられた」わけである。
はたと立ち止まって来し方行く末について熟慮してみたいという気分にもなろうというものである。
『五万節』だって、「学校出てから十余年」と歌っている。
「学校出てから」というのは、実人生の「起点標識」なのである。
私はあれからいったいどんな人生を生きてきて、どれほど変わり、何を達成し、何を失い、どれほど成熟したのか・・・それを確認するために「学校」を代表する人物にご登場願おうではないか、と。
前にも書いたことだが、ある卒業生(奇しくも本日の新婦と同期のゼミ生)と一年ほど前に図書館本館で遭遇したことがあった。
その日は土曜日で私はたまたま雑誌の取材で出校してキャンパスに来ていて、無人の図書館本館でその卒業生にばったり会ったのである。
「あ、先生、来てたんですか?」と彼女はびっくりしていた。私も驚いたが、取材中だったので、立ち話だけで、そのまま手を振って「じゃあね」と別れた。
そのあと彼女はメールをくれて大学に来た理由を教えてくれた。
「転職しようかどうか迷っていたのだが、そういうときには学生時代にいちばん好きで、よく考えごとをしていた場所(図書館本館3階のギャラリー)に行けば、自分がほんとうは何をしたいのかわかるような気がして、休日のキャンパスを訪れたのだ」と。
そのとき私は学校に「そういうはたらき」があることを知った。
大学と教師には、「卒後の自己教育」にとっての観測定点であり続けるという重要な任務がある。
卒業生たちは私を見ると「先生、少しも変りませんね」と言う。
それは客観的な記述をしているのではなく、むしろ彼女たちの主観的願望を語っているのではないか。
「先生は、少しも変わらないままでいてほしい。そうしてくれないと、自分がどれくらい成長したのか、どれくらい変わったのかが、わからない」そういうことではないかと思う。
もし、学校時代の先生が、その後不意に大学の仕事を辞めて、ラッパーになったとか、デイトレーダーになったとか、蕎麦打ちになったとかいうことになると、「学校出てから・・・」という卒業生たち自身の「振り返り」はむずかしくなる。
想像してみても、「60歳過ぎてから突然『自称プロサーファー』になった恩師」とか「70歳過ぎてベガスのカジノで10億稼ぎ、今は若いモデルと六本木ヒルズで暮らしている恩師」とかを囲んでの同窓会はたぶんあまり楽しくないと思う。
変わってしまった先生にどう話しかけていいか、わからないからだ。
卒業生たちは自分の出た学校と自分が習った先生については、いつまでも同じままでいてほしいと願っている。
自分が卒業して何年経っても、同じキャンパスで、同じ先生が、同じような授業をやっていることを心の奥では願っている。
大学が社会状況に合わせてどんどん変化することを「アクティヴィティが高い」とほめそやす人がいるが、彼らは「卒後教育」というものがあることを理解していないのではないか。
大学を卒業したあとも、自己教育は続く。
そのとき自分がほんとうは何をしたかったのか、何になりたかったのか、どんな夢を思い描いていたのかが「そこにゆけば、ありありと思い出せる場所」は不可欠のものである。
スティーブ・ジョブズは your heart and intuition somehow know what you truly want to become と語った。「あなたの心と直感は、なぜかあなたがほんとうは何になりたいのかを知っている」
「あなたがほんとうは何になりたいのか」を知っていると想定された主体 sujet supposé savoir ce que tu veux véritablement devenir であること、それが教師のたいせつな仕事の一つであるのではないかと私は思う。
そのような「知っていると想定された主体」は「あなたの心と直感」の代理を機能的にはつとめることができるからである。
教師というのはもしかすると「道祖神のようなもの」ではないかと思う。
積極的に何か「よいこと」をするわけではない。
でも、それが子供のときに見たままのところに、子供のころのままの姿をしてあることを知ると、ひとは「自分には根がある」という感覚をもつことができる。
どれほどブリリアントなキャリアを積み重ねた人も、自分の卒業した学校がなくなり、自分を教えた先生がいなくなってしまったら、「自分がどれくらい成功したのか」がわからなくなる。
卒業生たちが自分がどんな道程をどこに向かって歩んでいるのかを確認しつつ一歩ずつ進めるようにするためには、「母港」がいつまでもHarbour light を送り続けていることが必要である。
「そこに来れば、もとの自分に戻れる気がする場所」が必要である。
というわけで、卒業生の結婚式では「ウチダセンセって、ほんとにいつまで経っても変わんないわねえ」と教え子たちが深く納得するようなお話をするのである。
さよならアメリカ、さよなら中国
昨日の結婚式では右隣が某自動車メーカーの取締役、左隣が某貴金属商社の取締役だったので、さっそく日本経済の今後について、東アジア圏の経済動向について、現場からのレポートをうかがう。
私は昔から「異業種の人から、業界話を聞く」のがたいへん好きなのである。
あまりに熱心に話を聞くので、相手がふと真顔になって「こんな話、面白いですか?」と訊ねられることがあるほどである。
私が読書量が少なく、新聞もテレビもろくに見ないわりに世間の動向に何とかついていけるのは、「現場の人」の話を直接聞くことが好きだからである。
新書一冊の内容は、「現場の人」の話5分と等しい、というのが私の実感である。
さっそく「TPP加盟でアメリカ市場における日本車のシェアは上がるのでしょうか?」というお話から入る。
「多少は上がるでしょう」というのがお答えであった。
アメリカの消費者は同程度のクオリティであれば、ブランドというものにほとんど配慮しないからだそうである。
トヨタが3200ドルでヒュンダイが3000ドルなら、大半の消費者は迷わずヒュンダイを買う。
一円でも安ければそちらを買う、というのは、私の定義によれば「未成熟な消費者」ということになる。
「成熟した消費者」とは、パーソナルな、あるいはローカルな基準にもとづいて商品を選好するので、消費動向の予測が立たない消費者のことである。
同じクオリティの商品であっても、「国民経済的観点」から「雇用拡大に資する」とか「業界を下支えできる」と思えば、割高でも国産品を買う。あるいは貿易収支上のバランスを考えて割高でも外国製品を買う。そういう複雑な消費行動をとるのが「成熟した消費者」である。
「成熟した消費者」とは、その消費行動によって、ある国の産業構造が崩れたり、通貨の信用が下落したり高騰したり、株価が乱高下したり「しないように」ふるまうもののことである。
資本主義は「勝つもの」がいれば、「負けるもの」がいるゼロサムゲームである。
この勝ち負けの振れ幅が大きいほど「どかんと儲ける」チャンスも「奈落に落ちこむ」リスクも増える。
だから、資本主義者たちは「振れ幅」をどうふやすかに腐心する。
シーソーと同じである。
ある一点に荷重をかければ、反対側は跳ね上がる。
どこでもいいのである。ある一点に金が集まるように仕向ける。
「金が集まるところ」に人々は群がり、さらに金が集まる。
集まった金をがさっと熊手で浚って、「仕掛けたやつ」は逃げ出す。
あとには「そこにゆけば金が儲かる」と思って群がってきた人間たちの呆け顔が残される。
その繰り返しである。
このマネーゲームが順調に進むためには、消費者たちはできるだけ未成熟であることが望ましい。
商品選好において、パーソナルな偏差がなく、全員「同じ行動」を取れば取るるほど、「振れ幅」は大きくなる。
だから、資本主義は消費者の成熟を好まない。
同じ品質なら、一番安いものを買うという消費者ばかりであれば、サプライサイドは「コストカット」以外何も考えなくて済む。
消費者の成熟が止まれば、生産者の成熟も止まる。
現に、そのような「負のスパイラル」の中で、私たちの世界からはいくつもの産業分野、いくつもの生産技術が消滅してしまった。
アメリカの消費者は「未成熟」であることを求められている。
アメリカのように、人々の文化的バックグラウンドがばらついている移民社会では、不可解な消費行動はその人が「なにものであるか」についての情報(おもに収入についての情報)をもたらさないからである。
『ベストキッド』のミヤギさんは不可解な消費行動を取る人なので(庭師のはずだが、家の中に和風のお座敷を作り、ヴィンテージカーを何台も所有している)、お金持ちなんだか貧乏なんだか、わからない。こういう人はたぶんアメリカ社会ではすごく例外的なケースなはずである。
「消費行動がパーソナル」というだけで「神秘的な人」に見えるくらい、アメリカの消費者は単純な行動を社会的に強制されている。
私はそういうふうに理解している。
TPPというスキームは前にも書いたとおり、ある種のイデオロギーを伏流させている。
それは「すべての人間は一円でも安いものを買おうとする(安いものが買えるなら、自国の産業が滅びても構わないと思っている)」という人間観である。
かっこの中は表だっては言われないけれど、そういうことである。
現に日本では1960年代から地方の商店街は壊滅の坂道を転げ落ちたが、これは「郊外のスーパーで一円でも安いものが買えるなら、自分の隣の商店がつぶれても構わない」と商店街の人たち自身が思ったせいで起きたことである。
ということは「シャッター商店街」になるのを防ぐ方法はあった、ということである。
「わずかな価格の差であれば、多少割高でも隣の店で買う。その代わり、隣の店の人にはうちの店で買ってもらう」という相互扶助的な消費行動を人々が守れば商店街は守られた。
「それでは花見酒経済ではないか」と言う人がいるだろうが、経済というのは、本質的に「花見酒」なのである。
落語の『花見酒』が笑劇になるのは、それが二人の間の行き来だからである。あと一人、行きずりの人がそこに加わると、市場が成立する。その「あと一人」を待てなかったところが問題なのだ。
商店街だって店が二軒では「花見酒」である(というか生活必需品が調達できない)。
何軒か並んで相互的な「花見酒」をしていれば、そこに「行きずりの人」が足を止める。
循環が活発に行われている場所に人は惹きつけられる。
だから、何よりも重要なのは、「何かが活発に循環する」という事況そのものを現出させることなのである。
「循環すること」それ自体が経済活動の第一の目的であり、そこで行き来するもののコンテンツには副次的な意味しかない。
「一円でも安いものを買う」という「未熟な」消費行動は、たしかに多くの場合は「商品の循環」を促す方向に作用する。
けれども、つねに、ではない。
後期資本主義社会においては、それがすでに商品の循環を阻害する方向に作用し始めている。
それがこの世界的な不況の実相である。
未熟で斉一的な消費行動の結果、さまざまな産業分野、さまざまな市場が「焼き畑」的に消滅している。
資本主義は「単一の商品にすべての消費者が群がる」ことを理想とする。
そのときコストは最小になり、利益は最大になるからである。
けれども、それは「欲望の熱死」にほとんど隣接している。
商品の水位差がなくなり、消費者たちが相互に見分けがたい鏡像になったところで、世界は「停止」してしまう。
資本主義はその絶頂において突然死を迎えるように構造化されている。
私たちは現に「資本主義の突然死」に接近しつつある。
その手前で、この流れを止めなければならない。
それはとりあえず「消費者の成熟」というかたちをとることになるだろう。
「パーソナルな、あるいはローカルな基準によって、予測不能の消費行動をとる人になること」、資本主義の「健全な」管理運営のために、私たちが今できることは、それくらいである。
TPPは「国内産業が滅びても、安いものを買う」アメリカ型の消費者像を世界標準に前提にしている。
まさにアメリカの消費者はそうやってビッグ3をつぶしたのである。だが、それについての深刻な反省の弁を私はアメリカ市民たちからも、ホワイトハウス要路の人々からも聞いた覚えがない。
日本の車がダンピングをしているというタイプの非難はあったし、自動車メーカーにコスト意識が足りないとか、労働組合が既得権益にしがみついたという指摘はあった。だが、「アメリカの消費者はアメリカの車を選好することで国内産業を保護すべきだった」という国民経済的な視点からの反省の弁だけは聞いた覚えがない。
ビッグ3の売る車の品質に問題があろうと、燃費が悪かろうと、割高であろうと、それが彼ら自身の雇用を支えている以上、国民経済的には「つぶしてはならない。だから、泣いてキャデラックに乗る」という選択を「成熟したアメリカ市民」はしてよかったはずである。
でも、しなかった。
誰も「しろ」と言わなかった。している人間を褒め称えることもしなかった。
そこからわかることはアメリカには「国民経済」という視点がないということである。
「二億五千万人をどう食わせるか」ということは政府の主務ではないということである。
TPPの問題は「国民経済」という概念をめぐる本質的な問題である。
そのことを乾杯のあとのシャンペンを飲みながら改めて感じた。
もう一つ「中国での工業製品生産はもう終わりだ。これからの生産拠点はインドネシアだ」「これから『川上』の経済活動を牽引するのは中国ではない、インドだ」というのも、両方のエグゼクティヴの共通見解だった。
中国の没落は私たちの予想よりもずいぶん早い可能性がある。
というわけで、アメリカと中国は「もうそろそろ終わり」という話を結婚式のテーブルでうかがって、耳学問をしたウチダでした。
さよならアメリカ、さよなら中国(承前)
アメリカの経済がどうしてダメになったのか、ということについてはさきほど書いた。
次は中国の経済がどうしてダメになるのかという第二の論点である。
これはおおかたの見通しと共通すると思う。
誰でもが認めるのは「賃上げ圧力の強化」である。
日本企業が過去集中的に中国に生産拠点を移した最大の理由は「人件費コストが破格に安かった」からである。
だが中国は急速な経済成長を遂げた。そして、ニューリッチ層が出現し、桁外れの誇示的な消費行動を始めた。それが人々の「もっと金が欲しい」という欲望に火を点けた。
朝日新聞は昨日(10月30日)の「ルポチャイナ」で腐敗体質について報告している。
教育、医療、行政という「制度資本」の根幹部分に「拝金主義」が入り込んでいる。
教員採用試験の合否も袖の下次第。教師には保護者から賄賂攻勢がかけられ、「金品をもらった生徒を前の席に集め、丁寧に教える。あとの生徒はほったらかし」「腐敗体質が庶民の日常に入り込み、『すべては金次第』というムードが社会全体を覆う。有能な人材は埋もれ、富は権力者に集中」している。
病院でもまともな診療を受けようと思ったら「紅包(ホンパオ)=ご祝儀」を渡すのが常識。
医師に紅包を渡すと入院費が一気に安くなるので、その方が得なのである。
他の商売でも同じで、行政当局からの規則違反で罰金を命じられたときには、担当者に賄賂を渡せば、罰金が一気に減額される。
だったら、賄賂を渡した方がビジネスライクだ、ということになる。
むろん共産党は不正防止に躍起となっており、悪質な上級行政官には死刑も科しているが、腐敗は止らない。
この間相次いだ鉄道や地下鉄の事故も、業者の「手抜き」がほとんど日常的に行われていることを示している。
これはモラルの低下という問題であり、これは中国製商品全体の信頼性を傷つけ始めている。
それ以上に拝金主義が理由で中国人労働者の労賃も高騰することになった。
もうかつてのような「中国に工場を移せば、安い人件費で利益を出せる」という話ではなくなった。
労賃の安い労働者を探すと、もう「字が読めない、四則計算ができない」というレベルの下級労働者を雇うしかないが、それでは品質管理上のリスクが大きい。
大手の日本企業はほぼ一斉に生産拠点をさらに人件費が安く、労働者のモラルの高い国へ移転させようとしている。
一番人気があるのがインドネシア、そして、ベトナム、マレーシアも「人心が穏やかで、労働者のモラルも中国に比べると高い」という点で評価されている。
このトレンドはたぶんもう止らないだろう。
中国は新製品の研究開発、ビジネスモデルの創出、マネジメントといった「川上」の仕事をこなすレベルにまではまだ達しておらず、もっぱら「川中」の部品調達・製造を担ってきたわけだが、その「製造工場」としてのメリットが失われ始めている。
円高で苦しむ日本企業が、さらなる国際競争力を求めて、ぎりぎりまでのコスト削減のために、雪崩的に中国からより労賃のやすい国へ生産拠点を移転する流れはたぶんもう止らない。
そのときに中国はどうやって9%という経済成長を維持するのか。
パイが大きくなっているときには人はパイの配分に多少のアンフェアがあってもあまり気にしない。でも、パイが縮み始めると配分のアンフェアを人々は許さなくなる。
中国の腐敗体質は国策的に作り出したものである。
「先富論」というのは「格差があればあるほど、利己的なふるまいを勧奨すればするほど、人間はよく働くようになる」という労働観に基づいている。
その人間観はたしかに一面の真理を衝いている。
けれども、それは「全員が富を分かち合う共産主義社会をめざす一行程」として暫定的には許容されても(鄧小平はそのつもりだったはずである)、「社会の最終形態」として受け容れるにはあまりに貧しい。
中国はこれからどうなるのか。
私にはよくわからない。
ただ、このまま事態が進行すれば、どこかの時点で、中央政府のコントロールを超える「カタストロフ」を迎えるだろうということはわかる。
制度資本が劣化し、社会的インフラが劣化し、そして、すでに自然環境が劣化している(80年代に西域で埋蔵量の豊かな油田が発見されたが、採掘の技術だけはあって、運搬や精製の技術がなかったために、採掘された石油の95%は「垂れ流し」にされ、環境汚染の原因となった、という話は昨日自動車メーカーのエグゼクティヴからうかがった)。
社会的共通資本が軒並み崩れ始めている共同体がこの先どうやって生き延びることができるのか。
中国政府はたぶん真剣に頭を悩ませていると思う。
知恵があれば貸して差し上げたいが、何も思いつかない。
教育基本条例再論(しつこいけど)
『赤旗』の取材。大阪のダブル選挙と教育基本条例について。
教育基本条例に反対する「100人委員会」の呼びかけ人に私が入っているので、意見を徴しに来られたのである。
教育基本条例に反対する人たちにはいろいろな立場があり、私のような「教育への市場の介入と、グローバリスト的再編そのものに反対」という原理主義的な反対者はおそらく少数(というかほとんどいない)のではないかと思う。
マスメディアと保護者のほぼ全部と、教員の相当部分は「学校教育の目的は、子供たちの労働主体としての付加価値を高め、労働市場で『高値』がつくように支援すること」だと思っている。
私はそのような教育観「そのもの」に反対している。
この100人委員会にも、私に原則同意してくれる方はほとんどいないだろうと思う。
メディアでも、教育基本条例の区々たる条文についての反論は詳しく紹介されるが、私のようにこの条例を起草した人間の教育観(「学校は市場に安くて使いでのある人材を供給する工場である」)そのものに反対する立場は紹介されることがない。
それはメディア自身がそのような教育観に同意しているからである。
いや、いまさら否定しても無駄である。
「大学淘汰」の状況をおもしろおかしく報道した新聞がどれほど堂々と「競争力のない教育機関は市場から退場すべきだ」と語っていたか、私は忘れていない。
メディアは「競争力のない企業は市場から退場すべきだ」というビジネスルールをそのまま学校に適用して、「競争力のない教育機関は市場から退場すべきだ」と書いた。
この能力主義的命題が実は「競争力のない子供は市場から退場すべきだ」という命題をコロラリーとして導くことにメディアの人々は気づいていなかったのだろうか(気づいていなかったのだと思う)。
能力のない子供、努力をしない子供は、それにふさわしい「罰」を受けて当然だ、というのが能力主義的教育観である。
「罰」は数値的格付けに基づいて、権力、財貨、文化資本すべての社会的資源の配分において「不利を蒙る」というかたちで与えられる。
罰の峻厳さが(報償の豪奢と対比されることで)社会的フェアネスを担保する。
能力主義者はそう考える。
このアイディアは2005年の小泉郵政選挙で劇的な勝利を自民党にもたらした。
このとき小泉が呼号した社会の能力主義的再編(「既得権益を独占する抵抗勢力を叩き潰せ」)に、劣悪な雇用環境にいる若者たちがもろ手を挙げて賛同したことを私はまだよく覚えている。
「橋下政治」に期待する層もこれと重なる。
現に階層下位に位置づけられ、資源配分で不利を味わっている人々がなぜか「もっと手触りの暖かい、きめこまかな行政」ではなく、「もっと峻厳で、非情な政治」を求めているのである。
それは「強欲で無能な老人たちが既得権益を独占している」せいで、彼ら「能力のある若者たち」の社会的上昇が妨げられているという社会理解がいまでも支配的だからである。
彼らは社会的平等や、階層の解消ではなく、「社会のより徹底的な能力主義的再編」を求めている。
それによって、「無能な老人たち」は社会下層に叩き落とされ、「有能な若者たち」が社会の上層に上昇するというかたちで社会的流動性が高まるに違いないと期待しているからである。
このイデオロギーをもっとも熱心に宣布したのは朝日新聞である。
「ロスト・ジェネレーション」論という驚くほどチープな社会理論を掲げて、2007年朝日新聞は全社的規模のキャンペーンを長期展開し、小泉=竹中の構造改革・規制緩和に続いて、社会全体のグローバリズム的再編を強いモラルサポートを与えた。
2005年の郵政選挙から6年、「ロスト・ジェネレーション」論から4年。
日本社会はどうなったのか。
たしかに能力主義的再編は進んだ。
たしかに社会的流動化は加速した。
でも、それは下層から上層への向上でも、上層から下層への転落でもなく、「一億総中流」と呼ばれたヴォリューム・ゾーンが痩せ細り、かつて中産階級を形成していた人々が次々と「貧困層」に転落するというかたちで実現したのである。
「人参と鞭」による社会再編を日本人の多くが支持した。
「もっと甘い人参を、もっと痛い鞭を」と叫びたてた。
でも、そう叫んだ人たちのほとんどは「鞭」を食らう側に回った。
維新の会の教育基本条例は「教育の能力主義的=グローバリスト的再編の政治的マニフェスト」である。
そのようなものが起案されるのは、2005年以降の政治史的・経済史文脈と照らし合わせれば「理解」できないことではない。
けれども、そういうマニフェストは小泉改革やロスジェネ論の「末路」についての歴史的教訓を無視しない限り出てこないだろう。
たぶんこの条例案を起草した人は文科省や中教審の出したペーパーの類は読んだのだろうが、「社会の能力主義的再編」戦略そのものの破綻という歴史的現実についてはそれを読み解くだけのリテラシーを所有していなかったのだと私は思う。
たぶん彼(ら)はいまでも「強欲で無能な既得権益の受益者」を叩き潰して、「能力のある若者」たちが浮かび上がれるように社会的流動性を高めようという命題が有効であると信じている。
驚くべきことに、この命題はまだ有効なのである。
まだ社会の能力主義的再編が「間違った選択だった」ということを誰もカミングアウトしていないからである。
政治家は言わない。自民党の一部は小泉政治の間違いに気づいているが、野党が過去の失政を懺悔しても次の選挙に何のプラスにもならない。民主党の主流はグローバリストであり、「成長戦略なき財政再建はありえない」というような空語を弄んでいる。もちろん「成長戦略」などどこにも存在しない。でも、それらしきものならある。それはTPPのような「国際競争力のある産業セクターへの国民資源の一点集中」戦略である(それが「賭場で負けが込んだやつが残ったコマを張るときの最後の選択肢」と酷似していることは誰も指摘しないが)。
財界人も言わない。言うはずがない。
彼らは「多くの能力のある若者が社会下層に停滞してそこから脱出できない」という現実から「能力があり、賃金が安く、いくらでも替えの効く労働力」を現に享受しているからである。それがいずれ「内需の崩壊」を導くことがわかっていても、ビジネスマンたちは「今期の人件費削減」を優先する。
メディアも言わない。朝日新聞が自紙が主導した社会改革提言の失敗について陳謝するということはありえない。
そもそもメディアで発言している人々のほとんど全部は自分のことを「社会的成功者」だと思っている。
彼らは「成功者とみなされている人々は偶然の僥倖によってたまたまその地位にいるにすぎない」という解釈よりも、「際だった才能をもっている人間は選択的に成功を収める」という解釈を採用する傾向にある。
そのような自己理解からは「われわれの社会は能力主義的に構造化されており、それは端的に『よいこと』である。じゃんじゃんやればよろし」という社会理解が導出されるに決まっている。
つまり、私たちの国では、能力主義的な社会の再編が失敗し、その破局的影響があらゆる分野に拡大しているにもかかわらず、そのことを指摘する人間が「どこにもいない」という痛ましい事態が現出しているのである。
せめて『赤旗』くらいは「そういうこと」を述べてもよいのではないかと申し上げたのだけれど、彼らは彼らで「独裁対民主」「強権政治家対無垢な人民」(泣)というようなスキームで大阪の政治を理解しようとしているらしいので、ここに備忘として録すのである。
ガラパゴス化の症状としてのグローバリズムについて
広島学院の文化祭で、中高生1000人ほどをお相手に講演。
文化祭のキックオフイベントである。
高校生を講堂に集めての講演は何度か経験があるが、中学生ははじめて。
でも、関係ない。
子供たちは「彼らの知性に対する敬意」が示される限り、その限界まで理解力を押し上げてくる、というのは私の揺るがぬ確信である。
「子供にもわかるように話す」人間の話を聴いているうちに知性的、情緒的な成熟が果たされるということはない。
一期一会。1000人の少年たちが私の話を70分間静かに聴いて下さるというのである。
このチャンスを逃すことはできない。
君らの理解力を限界まで高めないと「ついてこられない」話をしようではないか。
というわけで、まず国際関係における「移行期的混乱」についてお話しする。
来年のアメリカ大統領選挙の見通しについて、中国の産業空洞化について、EUの瓦解の可能性について、プーチンの資源外交と北方領土ブラフについて。そして、「激動するグローバル社会」の変化に最も遅れているのが、今頃「国際競争」とか「グローバル人材」とか言っている人々であるという話をする。
世界情勢の変化を見ると、日本は相対的に社会システムが最も安定している国に数えてよい。
これだけの国内的危機を抱えながら、いまだ内戦も、テロも、ゼネストも、流血のデモも、商店の略奪も、人種間抗争も、少数民族の独立運動も、辺境の離脱も、国軍のクーデタも「心配しなくていい国」は世界に例を見ない。
だからこそ、「安全な国の通貨」が買われているのである。
輸出振興のための円安がそんなにご希望なら、政府がこっそりと今あげたうちのどれかを仕掛ければいい、すぐに円は暴落するだろう。だが、それは貿易黒字とトレードオフできるような事態ではない。
繰り返し言うが、日本は世界で群を抜いて社会システムの復元力が強い国である。
この特殊日本的な「メリット」を無化して、他国と同じ「劣悪な条件で」競争させようとするのが、「グローバル化」である。私はそう理解している(同意してくれる人はほとんどいないが)。
今日の毎日新聞に「TPP参加で立ち遅れている業界の尻を叩け」という論説が掲げてあった。
「TPPの圧力を利用して国内改革を進めよう」としているベトナムやマレーシアに「続け」というのである。
この編集委員は「負ける確率の高いゲームに参加した方が、ゲームに負けない確率は高まる」という不思議なロジックを駆使していた。
彼がいったいどういう思考訓練の果てに、このような奇怪なロジックを操るようになったのか、私には想像がつかない。
「溺れないようにするためには、溺れて死ぬほどの目に遭わせるのが捷径である」という人に、私が訊きたいのは、それで溺れたらどうするのか、という素朴な問いである。
それよりは「溺れそうな場所には近づかない」方が生き延びる確率は高いのではないか。
ベトナムやマレーシアの後塵を拝さないためには、まずベトナムやマレーシアの「後に続くべきだ」という命題には論理性が欠けているということに、どうしてこの編集委員は気づかずにいられるのだろうか?
もちろんこの「?」は修辞的な疑問符であって、私は理由を知っている。
それは「どんなにボコボコにされても、命までは取られない。『タンマ』と言えばゲームを中断してもらえる」と彼が思っているからである。
一度きっちり締め上げてやらんと、生ぬるい環境でぬくぬくしている奴らは目を覚まさん、と思っているのである。
「自分が有利に立つためには、わざと不利な条件で戦うとよい」というような言葉がポロリと出るのは典型的な「平和ボケ」の症状である。
「誰も命までは取りゃせんだろ」というこの生ぬるい構えそのものが「ガラパゴス化した日本の症状」なのである。
私の見る限り、「ガラパゴス化」を難じる人々の中には、なぜそう言う夫子ご自身だけは日本人であるにもかかわらずガラパゴス化を免れているのか、その理由を吟味している人のあることを知らない。
日本はこれでもまだ先進国中では相対的に安定した社会システムを維持できている。
これを「他の国並み」にしようというのが「グローバル化」である。
条件をいっしょに揃えれば、自由な競争ができる、と。
それだけ聞くと話のつじつまが合っているようにも聞こえる。
だが、「ゲームへの参加」は先祖伝来の国民的な宝であるところの「社会的安定」(それを他のアジア諸国は有していないのである)を供物に差し出さなければならないほど緊急なことなのか。
内戦もテロもなく、国民皆保険制度で医療が受けられ、年金も僅かなりとはいえ支給され、街頭でホールドアップされるリスクもなく、落とした荷物が交番に届けられる国は一朝一夕でできたわけではない。
先祖たちの営々たる努力の成果である。
この社会的なセキュリティーを市民たちが自己責任、自己負担でカバーしようとしたら、どれほどの代償を支払わなければならないのか、グローバリストたちは考えたことがあるのだろうか。
彼らの特徴はこのような「見えざる資産」をゼロ査定することにある。
それはこの「例外的な安全と豊かさ」のうちで66年間うつらうつらと眠っていた日本人の「平和ぼけ」の症状そのものなのである。
重ねて言うが、私たちが「ぬるい」のは、それでも生きていけるほど豊かで安全な社会に私たちが住んできたことの「コスト」である。
一瞬の油断もできぬ、ヒリヒリした環境に身を置きたいという気持ちは私にもわからぬではない。
でも、そのハードボイルドな気分の代償に「ぬるくても生きられる」この安全と豊かさを放棄してもいい、とグローバリストたちは本気で思っているのだろうか。
そこで自分が生き残れると本気で思っているのだろうか。
私は無理だと思う。
というような感じで、延々と70分間グローバル人材育成教育の悪口を言い続けたのでした。
「グローバル人材」とか「キャリア教育」とか「教育投資」とか「自分の付加価値を高めろ」とかいう人間を信じるな。
そいつらは君たちを「英語がしゃべれて、ネットが使えて、コミュニケーション能力があって、一日15時間働ける体力があって、そして十分に規格化されているのでいくらでも換えが効く人材(つまり、最低の労働条件で雇用できる人材)」に仕立てることで、最低の人件費コストで最大の収益を上げることを求めてそう言っているわけであって、君たちの知性的・感性的成熟には何の関心もないのだ。
そういうやつらの言うことを信じるな。
広島学院はイエズス会のつくったミッションスクールなので、神戸女学院と同じく、教育への政治と市場の介入に対しては、懐疑的な校風であったので、先生方も私の話をけっこう喜んで聞いてくださったようである。
講演のあと、何人かの高校生から握手とサインを求められた。
話が気に入ってくれたのならいいのだけれど。
平松さんの支援集会で話したこと
10月17日の平松邦夫市長を励ます会で「おせっかい教育論-教育基本条例の時代錯誤について」という講演をした。
講演録はそのあと『橋下主義を許すな!』という本に採録された(香山リカ、山口二郎、薬師院仁志との共著、ビジネス社)。
選挙の応援のための、いささか「煽り」の入った本なので、手に取るのを控えた方も多いと思うが、私の書いていることはいつもの原則論である。
教育現場にドラスティックで急激な変化は馴染まない
平松市長から教育関係の特別顧問をと委嘱されて、お引き受けした時に、「大阪市の特別顧問に任ず」という委嘱状を頂きました。紙一枚もらって終わりだろうと思っていたら、いきなり「さあ、これから記者会見です」と言われました。そんな話聴いてなかったので、何の準備もしていない。いきなり記者会見に連れ出されて、「内田さんの顧問としての抱負を」と尋ねられました。何も考えていなかったのですが、そういうときの反射能力はけっこう高いので、「言いたいことが二つあります」と申し上げました。
一つは、隣に座っていた平松さんに対して。「私が市長にお願いしたいことが一つあります。一つだけです。それは地方自治体の首長は教育行政に関与して欲しくないということです。」
横にいた平松さんの顔が一瞬引きつっていたようですけれど、申し訳ないけれど、これは言わざるを得ない。政治家の方が教育行政に関与して、ご自身の教育理念を現場に押し付けるようなことをされては困る。顧問として、市長にまずお願いしたいのは「教育権の独立」にご配慮頂きたいということである、そう申し上げました。
もちろん僕はその前に何度もお会いしていましたから、平松市長の教育理念は良く存じ上げております。立派な考えをお持ちだし、僕も深く共感するところもありました。だからこそ、顧問をお引き受けしたわけです。
でも、市長が個人的に高い教育的見識をお持ちだということと、教育行政に首長が関与するということは、水準の違う話です。もし、平松さんが個人的信念を教育現場に政策的につよく押し付けことが許されるとすると、そのあとに平松さんが市長を辞められあと、今度は平松さんと全く違う教育理念をお持ちの方が市長になられた場合に、その人が「前任者のやったことは全部廃止して、私の信じるところの教育理念を実現してゆく」と言い出したときに、それを阻むロジックがなくなってしまう。政治が教育行政に関与することを一度認めたら、その後教育現場は首長選挙があるたびに、異なる教育理念、異なる教育方法、異なる教育プログラムにそのつど変更しなければならない。
それによって一番混乱するのは現場の教師であり、一番被害を受けるのは当の子供たちです。猫の目のように教育行政や教育現場のルールが変わることで利益を得るものは教育現場にはおりません。
教育現場に朝令暮改はあってはならない。これは教育を語る場合の基本ルールです。
もちろん、そのつどの社会状況の歴史的な変化に応じて、教育は変わります。でも、決して変化は急速なものであってはならない。私たちは人間という「なまもの」を扱っているわけで、缶詰を作っているわけじゃない。子供たちの成長速度という生物学的な縛りがあるんです。それに合わせて、変えるにしてもゆっくり変えなくちゃいけない。
今日は維新の会が提案した教育基本条例案の理論的な難点を指摘していきたいと思っていますが、最大の問題点は、この条例案は「学校教育というのは非常に惰性の強いシステムであって、頻繁な変更になじまない」という現場の人間にとっての常識を理解していないということです。
ある教育方法を導入してから、その効果を検証をするまでには、10年から20年、場合によっては30年、40年かかります。2年や3年で効果が分かるはずがない。
教育は生身の人間が相手の仕事です。子供たちは学校に来る前にすでに、さまざまな思想信条、信教、イデオロギーをもった周囲の大人たちの影響を受けています。その子供たちを学校は迎え入れて、ある種の方向づけをしていく。子供たちの中に深く内面化し、それこそ、血肉化しているものをいじってゆく仕事です。だから、ゆっくりやるしかない。それぞれの子供の個性によって、子供たちが受けてきた家庭教育によって、子供たちは教師の働きかけに違う反応を示す。全級一斉に同じことを教えるわけにはゆかないんです。子供一人一人について、やり方を変えなければいけない。
一つの教育的実験について、統計的に有意な命題を引き出すためには、少なくとも20年はかかる。僕はそう思います。30年以上教師をやってきた人間の経験的な知見として申し上げるのです。最低でも20年。10年では短すぎる。それくらいの時間をとらないと、やってみたことが良かったか悪かったのか、本当に分からないのです。
本気で科学的に教育方法の有効性を評価しようとするなら、ある教育方法について、それを適用するグループと適用しないグループに分けて、その10年後20年後の教育効果を比較するしかない。医薬品の治験と同じです。ある新薬を投与するグループと投与しないグループに分けて、10年後の延命率を見て、この薬は効くとか効かないとか判断する。本当にある教育的実験の効果を科学的に測定しようと思ったら、子供を二つのグループに分けて試すしかないわけですけど、そんな人体実験みたいなことができるはずがない。
人体実験ができない以上、教育現場ができるのは、「マイナーチェンジ」だけです。子供たちの成長に合わせてゆっくり変えてゆく。経験的に「これでまあ大丈夫」という教育方法を実践しつつ、微調整してゆく。
たしかに社会は急激に変化していきます。政治だって変わる。でも、そうした外の社会の変化のスピードに学校は合わせちゃいけないんです。ビジネスなら、新しいビジネスモデルを取り入れて、起業して、市場にその適否の判断を委ねるということができる。それはすぐわかる。ビジネスにおいては「マーケットは間違えない」というルールでゲームをやってますから。正しければ儲かり、間違っていれば倒産する。それだけのことです。でも、実際には設立された株式会社のうち、20年後まで生き残っているのは100社に1社程度でしょう。会社ならそれでいい。でも、こっちは生身の人間が相手なんです。1%なんていう歩留まりで教育モデルを試すわけにはゆきません。100人中99人は「教育に失敗しました」というようなことを教師は言う訳にはゆかない。
教育はビジネスと同日には論じられないというのは、そういうことです。失敗が許されないんです。だから、「長い経験によって、これはまあ大丈夫だということがわかっているやりかた」をベースにして、少しずつ微調整する以外に手立てがない。それに対して、「社会の変化のスピードに対応してない」というような批判を向けるのは、ナンセンスなんです。生身の人間が相手なんですから。ちょっと動かしてみて、間違ったらすぐに戻れるようなように慎重にやってみて、上手く行ったなと思ったら、「こういうやり方、割といいですよ」ということをアナウンスして、また少し進める。尺取り虫のような、こういう緩慢な方法しか教育現場には許されないのです。それが政治や市場と全く違うところなんですが、この一番基本的なことがなかなかご理解頂けない。
政治とマーケットが関与してはならないカテゴリー
今回の維新の会の教育基本条約の前文には、今の教育行政には政治が関与していない、市場が関与していない、それがよろしくないと書いてあります。「市場」ではなく「民の力」というこなれない言葉が使われていますが、たぶん「市場」のことと読んでよろしいのでしょう。政治権力とマーケットが関与していないのは間違いだ、と。ところが、なぜ教育行政に政治やマーケットが関与すべきであるのかということについては、何の根拠も示されていない。教育行政に政治と市場が関与するのは論証の余地なく「当たり前」なことだ、というところから話が始まっている。でも、こっちはその手前の話をしているのです。教育行政に政治や市場は関与すべきではない、という原則的立場から申し上げているわけで、条例案を起草するなら、まずこのような原則的立場にきちんとした反論をしてもらってからでないと、話が始まらない。
政治とマーケットは教育に関わるべきではないというのは、人類学的な常識に属することです。別に僕が言い出した話じゃない。元東大経済学部教授の宇沢弘文先生が、「社会的共通資本論」として述べていることです。
共同体が存立するためにどうしても必要な要素がいくつかあります。それを宇沢先生は「社会的共通資本」と呼んで、三つのカテゴリーに分けています。
第一のカテゴリーに含まれるのは、大気、土壌、海洋、河川、湖沼、森林などなどの自然環境。それがなくては人間は生きていけない一番基本的なものがこれに当たります。第二のカテゴリーは社会的インフラです。上下水道、通信、交通、電力、ガスなどの社会生活に必要不可欠な設備、これが第二。第三のカテゴリーが、宇沢先生が「制度資本」と呼ぶもので、それなしでは集団が存立し得ない社会システム。司法、行政、医療、教育などがこれに入ります。
これらのシステムは共同体存立の根本にかかわることであるから、専門家が専門的な知見と技術的良心に基づいて運営管理しなければならない。政治イデオロギーとマーケットは社会的共通資本の管理運営には絶対にかかわってはならない。
これは考えれば、当たり前のことです。現在の政治システムの中でも、政権交代は起こります。もちろん革命や内戦などが起こった場合には政治システムは劇的に変わる。でも、選挙結果によって、政権党が変わる度に、司法システムが変わり、医療システムが変わり、学校のカリキュラムが変わり、教育目標が変わる、ということになると、その社会はがたがたになってしまう。
例えば、エコロジーについて強固な政治的確信を持っている人が政権に就き、日本の森林を保護すべきであるから、これから木を切ったやつは首を切ると言ったらどうなるか。逆に、金にさえなればいい、海洋も湖沼も山もばら売りして、金にする算段をする政治家が政権をとったらどうなるか。山を崩して、海を埋め立てて工場を作る。排水を川に流す。景勝地を外資に売り飛ばす。その時は短期的にはお金が入っていいかもしれませんが、50年、60年経った後に、そこはもう僕たちは住めなくなってしまう。
それに、社会的インフラストラクチャーにマーケットが関与するとどうなるか。そのことを、我々は福島の原発事故で骨の髄まで経験したのではないですか。あの事故は、電力の供給という、本来専門家が専門的知見と技術的良心に基づいて関与運営すべき仕事に、「潜在的な核兵器開発能力を外交カードとして使いたい」という政治家と、「電力をできるだけ安いコストで作って収益を上げたい」というビジネスマンが関与したことによって起きたものです。政治家やビジネスマンは自己都合で原発のリスクを過小評価し、地震や津波は「想定外」にして、防災コストを切り下げる。もし、ほんとうに専門家が専門的な知見と常識に基づいて原発を管理運営していたら、こんな事故は起きていなかったはずです。
あらゆる社会的な活動のうちに政治的に介入し、ビジネスチャンスを求めるのは、政治家やビジネスマンの本性ですから、これは「やめろ」というわけにはゆかない。そういうものなんですから、しかたがない。でも、「彼らが入ってはいけないエリア」は存在するんです。自然環境や社会的インフラや制度資本は政策的な論争点や金儲けの手段にしてはならない。申し訳ないけれども、ここは抑制して戴いて、現場の者に任せてくれないと困る。専門家には、その技術的良心にかけて共同体を守る使命があります。日本の国土を保全し、国民の健康を守る責務がある。そう思っている人間は社会的共通資本の管理運営については、政治家やビジネスマンの関与にはっきりとした抵抗を示さなければならない。僕はそう思っています。
しかし僕のように考えている人間は極めて少数です。ほとんどいない、といってもいいくらいです。もちろん、現場の先生たちは僕の意見に深く同意を示してくれます。僕はこういう話を文科省のお役人や与党の政治家にも会えばしてます。すると、彼らも僕の話にうなづくわけです。そうです、そうです、と。先日は文科省副大臣に、同じことを申し上げました。「政権交代したけれど、教育行政に政治家は干渉しないでください」と言った。すると、おっしゃるとおりですと言ってくれました。文科省のお役人へも直談判しにいってそう話しても、そうです。おっしゃる通りです、と。われわれだってそう思っているんです。教育を政治と市場から守ろうと必死なんですと言ってくれる。でも、声がでかいので負けちゃうんです、と。みんな言い負かされていて、司法や医療や教育に政治家とビジネスマンは口を出すなと、心では思っていても、はっきり公言する人はほとんどいない。
でも、原理的なことなんですから、そのことははっきり、繰り返し言わないといけないと僕は思います。
教育というのは我々のこの共同体の次世代の「フルメンバー」たりうる人を育成し、継続的に供給するためのものです。政治イデオロギーとも、金儲けとも関係ない。それ以前の話なんです。みなさんが楽しく政治やビジネスができるような社会のそもそもの基礎づくりとして学校は存在する。
子供たちは商品じゃないし、人材でもない。彼らは次代の我々の共同体のメンバーです。それを作り出さなければいけない。社会を担う成熟した公民をきちんと育成してゆかなければ、この共同体そのものが保たないから。
裁判が正邪の「裁き」を下すように、医療が「癒し」の機能を担うように、教育は「学び」の機能を担うものです。裁き、癒し、そして学び、これは人類が誕生したときから、その最初の人間集団から既に存在していたはずです。
裁きのシステムと医療のシステムと教育のシステムを持っていた集団は効果的にその成員たちを守ることができ、衣食住のような生活資源をフェアに分配できた。そういう集団だけが生き残り、裁きや癒しや学びのシステムを持たなかった集団は滅びていった。当然ですね。集団内部で正邪理非の判定が行われない、怪我しても病気をしても誰もケアしてくれない、大人たちは子供たちを放置して、生き延びるための技術も知識も教えない・・・そんな社会集団が存続できたはずがない。
制度資本というのは、そういう太古的なものなんです。代議制民主主義や資本主義ができるよりはるかに昔から存在した。だから、それに今の政治イデオロギーやビジネスモデルが適用できるはずがないんです。
教育の目的は、そういう古代的な集団を思い浮かべればすぐ理解できるはずです。狩猟や採取で生きている集団なら、大人は子供たちに狩りの仕方を教える、食べられる植物と毒草や毒キノコの見分け方を教える、火の起こし方、道具の作り方、気象の見方、集団における正しいふるまい方を教える。生きて行く上での基本的な技術を、ある程度の年齢になれば必ず年長者が組織的に子供たちに教えたはずなんです。子供たちに自分のたちが祖先から伝えられたものを継承しておかないと、その集団そのものが存続し得ないから。学校教育の機能もそれと同じです。集団そのものを存続させるための知恵と力を子供たちに授けること、これに尽くされる。
学校教育の目的は、次世代においてこの集団を支える成熟した市民を一定数(全部とはいいません)、継続的に供給していくことです。それが教育の第一目的です。最初で最後の目的です。それ以外の目的は全て副次的なものに過ぎません。
ですから、ある教育方法について、その適否を吟味する基準があるとすれば、それは提唱されたその教育方法に従った場合、子供たちの公民的成熟にどのようなプラス効果があるのか、それを見る以外にない。あなたが提唱されるその教育方法を適用すると、子供たちが成熟した市民に育つ上で、どのような効果が期待されるのか、その見通しをまずお聞かせ願いたい。そう問うべきだと僕は思います。
しかし、今行われている教育についての議論の中で、「子供たちの公民的成熟に資するかどうか」という基準に基づいて教育実践の適否を論じる人はほとんどいない。
今日は会場にメディアの方もいらしているので申し上げますが、教育について議論する新聞やテレビ番組が多く存在しますが、今のような基準から教育改革の適否を論じたメディアを見たことがない。こういうことをやると点数が上がる、偏差値が上がる、英語ができるようになる、読解力が上がる。たしかにそんな話はしている。きっとそれが教育の全部だと思っているんでしょう。でも、そんなものが一体何になるのか。そんなものを僕は教育の目的だとは思っていません。
学力とは何か
今の日本の子供たちは劇的に学力が低下しています。それは僕も認めます。でも、その人たちの言っている「学力」と僕が言っている「学力」はたぶん全く別のことです。彼らが「学力」と読んでいるのは、単に成績のこと、点数のことです。
確かに、そういう意味での学力も下がっている。これは事実です。絶対的な知識の学力は二〇年前に比べて確かに下がっています。予備校では同学齢集団に、毎年同時期に同じ難度の模試を受けさせます。偏差値は同学齢集団内部のポジションを示す数値ですから、それをみても「学力」の経年変化はわからないが、試験の素点を見れば絶対学力の変化がわかります。それによると、素点は毎年下がっている。20年前からずっと下がり続けている。
でも、問題はそのことではないんです。成績が下がっていることより「学ぶ力」が劣化していることが問題なんです。ふつう「学力」というのは点数のことです。数値で示されるものです。でも、そんなものでは学力の一部分しか測定できない。「学ぶ力」そのものは測定できない。
学ぶ力とは何か。乾いたスポンジが水を吸うように、自分が有用だと思う知識や技術や情報をどんどん貪欲に吸い込んで、自分自身の生きる知恵と力を高めていって、共同体を支え得るだけの公民的成熟を果たすこと。それを「学ぶ力」という。僕はそう理解しています。
スティーブ・ジョブズと嘉納治五郎に見る「教育の意味」
学力を構成する条件は三つあります。
第一に自分自身の無知、非力についての強い不全感、不満足感。オレはものを知らない、もっと知りたい、世界の成り立ちについてもっと知りたい、何で世の中にはこんな仕組みになっているのか、どうして人間はこんなふるまいをするのか、それを理解したい。でも、自分にはまだわからない。だから知りたい。そういう自分自身の無知と無力さに対する不全感、「もっと大人になりたい」という切実な願い。これが学力を構成する第一の要件です。どれほど試験の成績がよくても、「オレは必要なことは全部もう知っているので、これ以上学ぶべきことはない」と豪語する子供がいたら、その子にはもう「学ぶ力」がない。その理屈はおわかりになるでしょう。
第二番目は、誰が私のこの不全感を埋めてくれるのか、それを探しあてる力。「メンター(導き手)」、自分を導いてくれる人、それを見当てる力です。本当に強い不全感を持っている子供は必ず「この人について行けば大丈夫」、この人なら、本当に自分が何をしたいかを教えてくれるという直感が働きます。
先ごろ亡くなったスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチがあります。僕が言いたかったことを彼は全然違う言葉で言っていて、僕は深い共感を覚えました。彼がその中でこう言っていました。半生を振り返って得た結論が、一番大事なことは、「あなたの心と直感に従う勇気を持つことだ」(the courage to follow your heart and intuition)と。どうしてかというと、ここが素晴らしいんですが、「あなたの心と直感は、あなたが本当は何になりたいかを知っているからである(they somehow know what you truely want to become)」。
これを僕は本当に素晴らしい言葉だと思いました。僕の言う二番目の学力というのはこれのことです。「勇気」です。
こういうことを勉強すると、これこれこういういいことがある、この知識や技能や資格や免状はこういうふうにあなたの利益を増大させる、というような情報に耳を貸すな、とジョブズは言っているんです。だって、まわりの人が「これを勉強しろ。これを勉強すると得をするぞ」と言い立てている通りに勉強するなら、勇気なんか要りませんから。勇気が要るのは、「そんなことをしてなんの役に立つんだ」とまわりが責め立てて来るからです。それに対して本人は有効な反論ができない。でも、これがやりたい。これを学びたい。この先生についてゆきたい。そう切実に思う。だから、それを周囲の反対や無理解に抗して実行するためには勇気が要る。自分の心の声と直感を信じる勇気が要る。
ジョブズは大学に入って半年でドロップアウトしてしまいます。授業に興味が持てなくて。ドロップアウトした後は自分が興味を持てる授業だけ聴いた。そのときにカリグラフィー、習字ですね、その授業を受けた。さまざまな美しい書体について勉強した。その勉強が何の役に立つのか、授業を受けている時にはわからなかった。でも、10年後にわかった。最初のアップルのコンピュータを設計するときに、ジョブズは「パーソナルコンピュータは複数の美しいフォント(書体)を持つマシーンでなければならない、字間は自在に変化しなければならない」と思ったからです。タイポグラフィーの美しさというコンセプトをジョブズははじめてパソコンに持ち込んだのです。カリグラフィの授業を受けたという経験がなければ、僕たちはたぶん今でも複数の「フォント」から好きな字体を選んで字を書くということはなかっただろうとジョブズは言ってました。
ドロップアウトした後、どうしてカリグラフィーを履修したのか。それは彼が「自分の心と直感に従った」からです。そのときには、いったい将来自分のがどんな職業に就くことになり、今習っているこのことがどんなかたちで実を結ぶか、予測できなかった。でも、10年後に振り返ってみたら、そこにははっきりとして線が結ばれていた。
ジョブズはこれを「点を結ぶ」(connection the dots)という言い方で表現しています。僕たちは「何となく」あることがしたくなり、あることを避けたく思う。その理由をそのときは言えない。でも、何年か何十年か経って振り返ると、それらの選択には必然性があることがわかる。それが「点」なんです。自分がこれからどういう点を結んで線を作ることになるのか、事前には言えない。「点を結ぶ」ことができるのは、後から、回顧的に自分の人生を振り返ったときだけなんです。
教育はまさにそのような行程です。教育を受ける前には、自分がどうしてそれを勉強するのかその理由はわからない。だから、教育を受けるに先立って、「これを勉強したら、どんないいことがあるんですか?」という理由の開示を求めるのは間違っている。ほんとうに必要な勉強は、「それをやらなければならないような気がするが、どうしてそんな気がするのかは説明できない」というかたちでなされるものだからです。学ぶに先立って学ぶことの意味や有用性について「教えろ」というのは間違っているんです。
「学び」というのは、なんだか分からないけど、この人についていったら「自分がほんとうにやりたいこと」に行き当たりそうな気がするという直感に従うというかたちでしか始まらない。ただし、この導き手、メンターというのは実にさまざまなありようをする。必ずしも生涯にわたって弟子に敬愛される恩師というわけではない。道を教える役割ですから、場合によっては、会って次の角まで連れて行って終わりということだってある。
夢枕獏が、講道館柔道の創始者、嘉納治五郎を主人公にした『東天の獅子』という小説を書いていますが、そこにメンターについての興味深いエピソードが出てきます。
嘉納治五郎は、九歳の時から漢学と英語とドイツ語を学び、明治十年には東京大学に入って学んだ秀才です。大学に入って、これから日本の近代化を担う国家須用の人材となるという周囲の期待を担った治五郎少年はなぜかそのとき日本の伝統的な柔術をやりたいと思った。とにかく柔術がやりたい。どこで教えてくれるのか、あちこち聞き回った。でも、明治初期ですから、武術に対する社会的ニーズは地に落ちている。修業する人も、教える人もいない。周囲の人たちも、どうして治五郎少年がそんな時代遅れの技術を習いたがるのか、誰も理解してくれない。
当時、行き場を失った柔術家たちは「骨接ぎ」で生計を立てていた。それで、治五郎少年は街を歩いて、骨接ぎがあると、そこを訪ねて「もしご存じなら、柔術をご教授願えないか」と頼み込んだ。でも、どこにも、そんな時代遅れのものを教える物好きはいない。でも、ある日、八木百之助という人に出会う。天神楊心流という古流を伝えている骨接ぎの先生です。でも、八木は自分では教えることができないので、同門の福田八之助を紹介しようと言う。そして、治五郎少年を福田八之介のところまで連れてゆく。八木さんの場合は、来た人を次の角まで連れていっただけですね。でも、そこで治五郎少年は福田先生に出会い、柔術の手ほどきを受け、先生の死後は、その同門の磯正智に就いて学び、そこで起倒流の飯久保恒年に会って、柔術に熟達し、明治十五年に、講道館を開く。
この先生たちは、みな嘉納治五郎にとってのメンターなわけです。全員が「嘉納治五郎が進むべき道」を受け渡すように指示してゆく。でも、メンターと言っても、一生の師というわけではない。中には「ある角から次の角まで」道を教えてくれるだけという人もいる。でも、この人がいなかったらその次はなかった。やっぱり、必要不可欠のメンターではあったのです。その出会いを後から振り返ると、みごとに「点がつながって線になっている」。ジョブズの言うconnectiong the dots です。
ジョブズや嘉納治五郎の修行時代の話は学校教育の一番のベースにあるのが何かということをみごとに伝えていると思います。嘉納治五郎少年は柔術がやりたかった。でも、何で柔術がやりたいのか、うまく説明できなかった。言葉にできなかった。でも、やりたい。そういうものなんです。スティーブ・ジョブズがどうしてカリグラフィーのクラスを履修したのか、その理由をその時点では言えなかったのと同じです。学びの始点においては自分が何をしたいのか、何になりたいのかはわからない。学んだあとに、事後的・回顧的にしか自分がしたことの意味は分からない。それが成長するということなんです。
成長する前に「僕はこれこれこういうプロセスを踏んで、これだけ成長しようと思います」という子供がいたら、その子には成長するチャンスがない。というのは、「成長する」ということは、それまで自分が知らなかった度量衡で自分のしたことの意味や価値を考量し、それまで自分が知らなかったロジックで自分の行動を説明することができるようになるということだからです。だから、あらかじめ、「僕はこんなふうに成長する予定です」というようなことは言えるはずがない。学びというのはつねにそういうふうに、未来に向けて身を投じる勇気を要する営みなんです。
教育の効果というのは事後的にしか分からない。ジョブズにしても嘉納治五郎にしても、自分がある時点で受けた教育の意味がずっと後になるまでわからなかった。たぶん、僕たちは死ぬ間際になるまで自分の受けた教育の価値はほんとうは分からない。教育の意味は受けたその時点で開示されるわけじゃない。その時点ではわからない。教育を受けた結果、自分自身が現に成長を遂げたことによって、受けた教育の意味がわかる。それを語れる語彙を持ったこと、その価値を考量できる度量衡を手に入れたことこそが教育の贈り物だからです。
そういう非常にダイナミックなかたちで教育の価値、教育のアウトカムは現実化する。ですからもし教育に意味があるとすれば、それは教育を受けた人がそれによって成長したということです。成長しなければ、教育の意味は発見されないし、認知されないし、言葉にならない。
子供を教育産業の消費者にした結果は
ですから、知識や技術で得る免状や資格といったものが、教育の目的だと考えるのは完全な誤解です。どうして、そんな誤りが起こるのか。それは、ビジネス・マインドで教育を考えるからです。教育を商品とみなしているからです。
子供たちが五〇分間黙って授業を聞くとか、校則を守るとか、教師に対して恭順な態度を示すとか、そういうことは彼らにとって「苦役」だと考えられている。これが子供たちが学校に差し出す「代価」です。これだけの代価を払っているのだから、それにふさわしい商品を出せ、と。そういう「商取引」のスキームで今の子供たちは教育を見ています。
実際に、「子供たちは消費者です。彼らクライアントのニーズに見合うようなより質の高い教育商品教育サービスを提供するのが学校の使命です」と平然と言い放つ学校関係者がいます。メディアもそういう言葉を無批判に垂れ流している。教育とは商取引の一種である、というのが現在もっとも流布している教育についての誤解です。申し訳ないけれど、そういうことを言う人たちは、教育の本質を全く分かっていない。教育は商品ではありません。
もし教育が商品だとしたら、誰にもわかる使用価値や交換価値のある商品だとしたら、子供の「学び」という「苦役」が貨幣であって、それを差し出す代償に知識や情報や技術や資格や免状のようなかたちで教育商品が手に入るのだとしたら、何が起きると思いますか?
考えればすぐにわかります。子供たちは消費者としてふるまおうとする。賢い消費者としてふるまおうとする。
賢い消費者とはどんなものでしょう。それは「最も安い代価で、最も価値のある価格を買おうとする人」のことです。最少の学力、最少の学習努力で最高の教育商品を手に入れた子供が「最も賢い消費者」だということになる。そして、現にそうなっている。
今の子供たちは賢い消費者になるべく懸命に努力をしています。その点については、感動的なほどまじめです。最低の努力で得られる最高の結果をめざしている。費用対効果のことだけ考えている。ですから、授業に出るのは出席日数ぎりぎり。授業中もこれ以上意識を散漫にしては理解できないギリギリまで意識の集中を控える。レポートや試験では60点ぎりぎりを狙ってくる。この「60点ぎりぎりを狙ってくる」ための努力の真剣さに、僕はほとんど感動するのです。「素晴らしい」と思ってしまう。まさに彼らにとっては、それこそが一番真剣な競争なんです、60点で済む試験のために、70点分、80点分の勉強をするのは、恥ずかしいと思っている。それは100円の価値しかない商品に200円、300円を払う消費者と同じように愚かなことだと思っている。
以前、ある東大出の若者と話をしていて、あまりにものを知らないので驚いたことがありました。さすがに「何で君はそんなにものを知らないんだ」と訊ねました。すると、彼は「だって僕全然勉強しませんでしたから」と明るく笑って答えました。僕はそれを聞いて胸を衝かれました。彼は自慢しているんです。子供の頃から一夜漬けで試験をクリアーし、レポートは人のを丸写しし、試験はカンニング。要領だけで、全然勉強しないで超一流の学歴を手に入れました。そんな僕って「賢い消費者」でしょう。そう彼は誇ってるんです。無知で無学なまま東大卒業の資格を得た自分が誇らしいんです。消費者マインドを刷り込まれた子供たちのこれが末路だと思いました。でも、今の日本社会は学校教育の場で子供たちにそのようにふるまうことを要求している。
教育を商取引の枠組みでとらえる人々が陥るもう一つの誤謬は、学校とは子供たちを選別し、格付けする場だと思うことです。そういう人がたくさんます。子供たちは格付けされねばならないと考えている。一斉テストで一番からビリまで順番に点数をつけて、差別化する。そして、上位者には報償を与え、下位の者には罰を与える。そうすると、学力が上がると思っている。人間というのは報酬を約束すれば喜び、罰を与えれば縮み上がる、そう思っている。「人参と鞭」です。
でも、これは人間についてのあまりに浅薄な理解としか言いようがありません。そんなことをしても、子供たちの「学び」は決して起動しません。そもそも、彼らが求めているような「学力」さえ上がらない。
子供たちを閉じ込めて、閉鎖集団の内部で相対的な優劣をつけて、相対的優者に報酬を、劣者に罰を与えるということをしたら何が起こるか。集団全体の学力が下がるだけなんです。必ず下がる。なぜかというと、閉じられた集団の中の相対的な優劣を競うのであれば、自分の学力を上げることと、まわりの学力を下げることは「同じこと」だからです。そして、自分の学力を上げるのと、まわりの子供たちの学力を下げるのでは、後の方が圧倒的に費用対効果が高い。だから、子供たちを競争的環境に追い込めば、子供たちは互いに争って、となりの子供たちの学習意欲を失わせようとする。必ずそうなる。
みなさん、自分の子供の授業参観にゆかれたことがありますか?行ったら驚きますよ。みなさんが子供の頃と教室の雰囲気が全く違うということが分かる。御存じですか、子供たちは授業を聞かないんです。聞いているのは前の十人ぐらいだけ。あとの子供たちは私語をしたり、ゲームをしたり、立ち歩いたりしている。
これは彼らが消費者マインドを完全に内面化したことの結果です。授業は商品なんです。それに子供が価値を認めれば、真剣に授業を聴いてもいい。それほどの価値がないと思えば、自分の判定基準に従って、学習努力を適宜按分する。この授業は50%程度の集中にしか値しないと思えば、授業時間の50%は他のことをする。
ところが、勉強したくないなら、まわりの邪魔にならないように、ぼんやり空想にふけるとか、本を読むとかしていればいいのですが、そうはしない。その暇があれば、他の子供たちの学習を妨害しようとするんです。
人の学習意欲を減殺する方法にはいろいろなものがあります。「やる気」を殺ぐことであれば、何でもいい。「くだらねえよな、こんなこと勉強しても、意味ねえよ」というメッセージをまわりに発信できれば、何でもいい。
こんな話があります。僕のゼミの学生が、近くの学習塾で講師のバイトをしていました。学習習慣が身についていない子供たちを集めて、勉強するという態度そのものから指導する塾です。彼女は非常に忍耐強い教師でしたので、その努力が功を奏して、とうとうある子供が机に座って勉強するという態度が身に着いてきた。そして、学校の授業にもなんとか追いついてきた。それどころか、学習進度が学校より一単元分だけ進んだ。そんなこと、その子供にしたら、はじめての経験なわけです。そうしたら、この子供は学校で何をしたか?その子は自分だけが習っていて、級友たちがまだ習っていないことを教師が教え始めたら、立ち上がって歌を歌い始めたそうです。
いったい、どうしてあの子はそんな態度をとったのでしょうと、学生が僕のところに訊きに来た。僕はそれを聞いて、その子は実はきわめて合理的にふるまったんじゃないかと思ったのです。
それまで、学習態度が身についていないので、学校の授業がぜんぜんわからなかった子供が、学校の進度に追いつき、追い越した。だったらどうするか。ようやく競争における相対優位に立ったのです。このポジションを死守しようと思ったら、級友たちの学習を妨害するのが最も効率的である。そう考えたのです。
別に計算したわけじゃなくて、無意識に子供たちはそうしている。子供たちをよく観察すれば分かります。今どきの中高生は、他の生徒の学習を妨害するのに全力を注いでいます。電車の中で、高校生たちが「TPPに参加すべきか否か」とか「プーチンの対日外交はどうなるだろうか」とか、そんな話しているの聞いたことあります?ないでしょう?いや、すればいいと思うんですよ。良く分かんなくても。TPPって、あれって農業がやばいんじゃないの、とか。いや、お前はわかってないよ。国際競争力のない産業分野は淘汰されるしかないんだよ、とか。そういう話したってよさそうじゃないですか?でも、絶対しない。子供同士で話すときに、それが少しでも学校の成績の向上にかかわるような話題は絶対に選ばない。アニメの話とか、アイドルの話とか、そういうのはいいんです。いくらトリヴィアルな知識を披瀝してもかまわない。成績に関係ないから。成績に全く関係がないことがわかっているトピックについてなら、子供たちは異常に能弁になる。逆に、その話題に触れることによって、自分の周りの子供たちの成績がちょっとでも上がりそうな話題は徹底的に回避する。文学の話もしない。それを聞いた友だちの国語の成績が上がるかも知れないから。歴史の話もしない。世界史の成績が上がるかも知れないから。政治の話もしない。政経の成績が上がるかも知れないから。まわりの子供の学力が上がりそうなことは絶対に話さない。これはもう、日本の子供たち全員に深く深く内面化した習慣です。嘘だと思うなら、町中でおしゃべりしている中高生のそばににじり寄って、彼らがどんな話をしているか聞いてみてください。
これはまさに教育に競争原理と市場原理を持ち込んだことの結果です。閉鎖集団内の相対的な競争の優劣にだけに子供たちを熱中させたことの結果です。そのせいで、お互いに足を引っ張り合い、お互いの学力を下げることに懸命な子供たちが大量生産された。
彼らを学習させるために、市場原理主義者たちは「自己利益」を道具に使いました。「勉強するといいことがあるよ」と利益誘導した。勉強すると、高い学歴が手に入るよ、いい会社に入れるよ、高い年収が取れるよ、レベルの高い配偶者が手に入るよ・・・というふうに教え込んだ。自己利益の追求を動機にして学習意欲を引きだそうとした。その結果何が起きたか。
たしかに子供たちは「努力」するようにはなりました。でも、それは学習努力じゃありません。「最低の努力で最大の結果を出す」ための、費用対効果のよい勉強の仕方をみつけるために知恵を絞った、ということです。「勉強しないで、勉強したのと同じ結果が得られる、もっと楽な方法」を見つけ出すための努力です。
一番確実なのは、まわりの子供たちの学習意欲を殺ぐことです。勉強なんかすんなよ。くだらねえことやめろよ、と説いて回る。この「まわりの子供に勉強させない」ために今の日本の子供たちが割いている努力は半端なものではありません。それだけの努力を自分の学習に向けたら、ずいぶん成績だって上がると思うのだけれど、それでは費用対効果が悪いから、やらない。だって、問題は費用対効果なんですから。
だから、もっと賢い子供は「勉強すると『いいこと』があるよ」という利益誘導を聞かされているうちに、「勉強する」という部分をショートカットして、いきなり「いいこと」だけを手に入れる方法を考えるようになる。もし「いいこと」というのが端的に金のことを言っているなら、学校なんか行くことはない。無駄な勉強することない。インターネットを使って株でもやろう、ということになる。賢いですよね。でも、中学生が学校不登校になって、家でインターネット使って株の売買して数億円儲けたということになったら、今の教育関係者は誰も彼を批判できるロジックを持たない。学校行ってしっかり勉強すると、結果的に高い年収が手に入るよと言って学習を誘導してきた人間には、それを批判する言葉がない。オレ、もう金あるから、教育は受ける必要ないよと子供に言われたら、もう何も言い返せなくなる。
利益誘導は学習の動機づけにならないんです。「オレ、もう金あるよ」という子供は勉強しない。同じように、「オレ、金なんか要らない」という子供も勉強しない。実際にはこのタイプの子供の数が思いがけなく多い。経済合理性で子供たちの学習を動機づけようとする人たちの最大のピットフォールは「金なんか、要らない」という「無欲」な子供たちには手も足も出せないということなんです。
だから「人参と鞭」戦略は無効だと言っているんです。
相対的な優劣だけ問題にしていれば、集団全体の学力は下がる。必ず下がる。現に下がっている。利益誘導すれば、目端の利いた子供は学校に行かないで「金」だけ手に入れるショートカットを選び、「金なんか要らない」という子供たちは学校に行かないようになる。そのパーセンテージがもう半端じゃないところまで来ている。
教育というのは自己利益のために受けるものじゃない。君たちは次世代の集団を支えるフルメンバーにならなければならない。私利の追求と同様に、それ以上に「公共の福利」に配慮できる公民にならなければならない。僕たちは子供たちにそう言わなければならないんです。でも、今の子供たちは、「公共の福利」なんて言葉を聞いたら、たぶん鼻で笑います。われわれは30年かけて、「公共の福利」とか「社会的フェアネス」とか「市民的な成熟」と言った言葉を鼻で笑うような子供たちを作りあげてきたんです。いい加減、もうそういうのは止めなきゃいけない。
学校教育は、次世代の公民を育てるためにある
ここまでの話で、維新の会の教育基本条例のことはもう言わなくてもおわかりと思います。あの教育基本条例を起草した人は骨の髄まで市場原理と競争原理に毒されている。教育は商品である。子供や保護者はクライアントである。最も少ない代価で最も上質な商品を提供する教育機関が淘汰に耐える。生き延びた教育機関が良い教育機関で、ダメな教育機関はマーケットから退場しなければならない。そういう考えです。通常の営利企業なら確かにそうでしょう。でも、学校は営利企業じゃない。学校は金儲けのために作られた組織じゃない。そのことがわかっていない。
株式会社なら、100社起業して、99社が10年後につぶれたとしても、別に誰も困らない。つぶれたビジネスモデルは出来が悪く、生き延びたビジネスモデルはすぐれていたというだけの話です。でも、学校教育は100人育てて、99人が失敗しても、一人成功したからいいじゃないかというわけにはゆかない。一人だけ生き残って、99人の失敗作はそのへんで野垂れ死にしても仕方がないだろうというわけにはゆかない。
同じことを何度も言いますけど、学校教育は次世代の公民を育てるためのものです。われわれの社会が存続するためには、まっとうな公民が不可欠である。から学校教育がある。教育の受益者は子供自身じゃない。社会そのものが受益者なんです。一生懸命子供が勉強してくれて、市民的に成熟してくれると、それで得をするのは社会全体なんです。社会全体がそれで救われる。僕らが助かり、子孫が助かり、共同体が助かる。だから、子供たちに向かっては「学校に通って、きちんと勉強して、市民的成熟を遂げてください」と強く、強く要請しなければならない。
子供たちが学校の教育の主人公であるのではありません。よくそういう言い方がされますけれど、それは違います。子供たちが自分のハートや直感を信じて、進むべき道を自己決定をしていくということについてはもちろん子供たちが教育の主人公です。でも、彼らがそのハートや直感を信じて、自分の潜在可能性を開花しなければならないのは、そうすると彼らに個人的に「いいこと」があるからではありません。子供たちが生きる知恵を高め、生きる力を強めてくれると、社会全体にとって「いいこと」があるからなんです。
子供たちが教育を受けるのはもともとは公的な要請です。だから教育は義務なんです。「まっとうな大人」が一定数いないと世の中はもたない。だから、教育を受けさせる。
でも、今の日本の教育は「大人を育てる」ということをほとんど教育目標に掲げることがない。僕は「大人を育てる」といった文言を中教審の答申にも、文科省の通達にも見た記憶がありません。
この維新の会の基本条例にも、「学び」とか「成熟」とか「公共の福利」といった言葉は一度も出てきません。一万五千字もある条文の中に一度も出てこない。「市民」も「公共性」も出てこない。出てくるのは「競争」とか「人材」とか「グローバル」とかいう言葉ばかりです。
前文の終わりのところには、こう書いてあります。
「大阪府における教育の現状は、子どもたちが十分に自己の人格を完成、実現されているとはいい難い状況にある。とりわけ加速する昨今のグローバル社会に十分に対応できる人材育成を実現する教育には、時代の変化への敏感な認識が不可欠である。大阪府の教育は、常に世界の動向を注視しつつ、激化する国際競争に対応できるものでなければならない。教育行政の主体が過去の教育を引きずり、時宜にかなった教育内容を実現しないとなれば、国際競争から取り残されるのは自明である。」
教育の目的は競争に勝つことだと書いてあります。競争に勝てる人材を育成することだ、と書いてあります。彼らは「激化する国際競争」にしか興味がないんです。だから、教育現場でもさらに子供同士の競争を激化させ、英語がしゃべれて、コンピュータが使えて、一日20時間働いても倒れないような体力があって、弱いもの能力のないものを叩き落とすことにやましさを感じないような人間を作り出したいと本気で思っている。そういう人間を企業が欲しがっているというのはほんとうでしょう。できるだけ安い労賃で、できるだけ高い収益をもたらすような「グローバル人材」が欲しいというのは間違いなくマーケットの本音です。
だから、ここにあるのは基本的に「恫喝」です。能力の高いものだけが生き延び、能力のないものは罰を受ける。国際社会は現にそういうルールで競争をしている。だから、国内でも同じルールでやるぞ、と言っている。能力の高い子供には報償を、能力の低い子供には罰を。能力の高い学校には報償を、能力の低い学校には罰を。そうやって「人参と鞭」で脅せば、人間は必死になると思っている。人参で釣り、鞭で脅せば、学校の教育能力が上がり、子供たちの学力がぐいぐい高まるとたぶん本気で信じている。そんなわけないじゃないですか。それはロバを殴ってしつけるときのやり方です。子供はロバじゃない。子供は人間です。
でも、これはひとり維新の会だけの責任じゃありません。中教審も文科省も、みんな同じことを言ってるんですから。文科省のホームページを見る、とにかく国際的な経済競争に勝ち残ることが国家目標であると堂々とうたっている。金儲けが国家目的だと、ほんとうに書いてある。
そんな「せこい」動機では人間は努力しません。自分の限界を超えるようなことはしない。それがなんでわからないのか。
日本は世界三位の経済大国ですよ。これだけの経済大国でありながら、世界に対してなんら強い指南力を発揮できないでいる。国際社会で侮られている。それは事実です。でも、それは日本に「金がない」からじゃありません。軍事力がないからでもない。日本に大人がいないからです。国際社会の中の子供だと思われているからです。成功した他国のモデルをどうやって真似たらいいか、それをきょろきょろ探している。最小限の努力で最大限の利益を得るためにはどうしたらいいのか、そればかり考えている。国際社会における威信がそんなに「せこく」て、小利口なふるまい方をする国に寄せられるはずがないじゃないですか。国際社会から十分な敬意を寄せられたいと、本気で思うなら、二一世紀の国際社会を導くような骨太の、雄渾な、品格のある、「世界はかくあるべきだ」というヴィジョンを提示するしかない。国力というのは、そういうものじゃないんですか?マレーシアのマハティールだって、シンガポールのリー・クワン・ユーだって、小国の元首であるにもかかわらず、世界中がその言動に注目していた。経済力や軍事力のせいじゃないですよ。国際社会が傾聴するに足るだけの堂々たるヴィジョンを語ったからです。日本の総理大臣のステートメントに誰も耳を貸さないのは、中身がないからです。どうやったら儲かるのか、どうやったら「バスに乗り遅れずに済むか」というようなことだけ考えている人間の話を誰がまじめに聞きますか。
日本が国際社会で「負けて」いるのは、金儲けが下手だからじゃありません。国際社会を導いてゆくという気概がないからです。「バスに乗り遅れちゃいけない」というような言葉を政治家が口走るということは、自分でバスを設計して、路線を決め、運転し、乗る人を集めるという発想が彼らにはまったくないということを暴露している。すでに他人がルールを決めたゲームの中でどうやってうまく立ち回るかだけ考えている。そんな国の人間の話を誰が聞くものですか。誰がその指南力に服しようとするものですか。
申し訳ないけれど、維新の会の教育観というのはもう時代遅れなんです。それでは通用しない。これまでずっと維新の会の言うようなことばかりやってきたんです。その結果がこうなんです。それを改革すると称して、さらに競争を激化して、恫喝におびえるイエスマンや、自分さえよければそれでいいというようなエゴイストをこれ以上作り出して、いったい日本をどうしようというんですか?
今はもう競争の時代じゃありません。もう一回足を止めてゆっくりと、なぜ日本がこんなになってしまったのかを反省すべき時です。そして、その最大の理由が公共の福利に配慮を向ける成熟した市民を育ててくることに失敗した、という点に求めるべきなんです。われわれ自身が自らの市民的成熟の努力を怠ってきた。だからこそ、日本の子供たちは「こんなふう」になってしまった。これはたしかにわれわれの罪です。だからこそ、その反省を踏まえて、共同体をどうやって再興していくか、次代の担い手を忍耐強く育てていくことが求められている。
子供たちを競争に追いやったり、格付けしたり、「グローバル人材」に育て上げたりすることが今われわれがなすべきことではありません。世界はほんとうに激動しているんです。新しい指導的なアイディアを世界中の人が求めている。
アメリカはこれからどうなるのか?もし来年共和党の、茶会が支持するような大統領が選出されたら、アメリカの世界戦略はどう変わるのか?中国のポスト胡錦濤政権がどうなるか?社会的インフラがこれ以上ほころび、格差がこれ以上拡大したときに中国がどうなるかなんて誰にもわからない。EUはどうなるのか?いくつかの国が脱退して、空中分解する可能性だってある。ロシアはプーチンが出てくる。アメリカの大統領にうっかり国際感覚のまったくない人間が選ばれた場合、プーチン相手で勝負になりますか?米ソ関係は一気に緊張するかも知れない。プーチンなら「北方領土返還」というような提案をいきなり出してくる可能性がある。「沖縄の米軍基地の撤去」を交換条件にするなら、これはロシアにとっては有利な交渉ですからね。そういう「激動」の中で日本はどうふるまうべきか、そういう話を誰かしてますか?東アジア、西太平洋の状況がどう変わるか、まったく予断を許さない状況にあるときに、「国際競争で勝つ」って、何の話をしているんですか?これ日米安保もEUも中国の政体も全部「今のまま」ということが前提での話でしょう。時代が変化しないことを前提に、今の国際社会のルールのままでこれからもずっとゲームが続くという前提で教育を論じている。悪いけどいったい、どこに「時代の変化への敏感な認識」があるんです?「激化」してるのは、国際競争じゃない。構造そのものなんです。維新の会のような「古い」政治装置ごときしみ始めているんです。
申し訳ないけれど、この教育基本条例を特徴づけているのは、「時代錯誤」です。なんとも古めかしい、二〇年位前のスキームのまま教育を語っている。維新の会代表の橋下さんは自分が時代のトップランナーだと思っているでしょうから、こういうことは言われたくないでしょうけれど、教育基本条例については、彼の最大の問題点は「感覚が古過ぎた」ということです。
たぶん、平松さんもご自身の政策は「ちょっと古いかも」って自覚されてると思います。まあ年も年だし、性格的にも割りと保守的な方ですから。でも、橋下さんは自分を最先端を走っていると思っている。一番新しいことをやっているつもりでいる。でも、考えていることはずいぶん古い。「それはもう使えない」ということがわかった道具を最新流行だと思い込んでいる。それに気づいていない。
これからはどうやって共同体を再生させてゆくか、乏しい資源をどうやってフェアにわかちあうか、競争的環境を抑制して、お互いに支援し合い、扶助し合うネットワークをどう構築するかということが喫緊の政治課題となる。そういう歴史的状況の大きな変化が始まっているんです。そんな歴史的激動のときに、「人参と鞭」のような古典的な道具を持ち出してきて、社会的連帯の解体を進めようとする歴史感覚の悪さに僕はつよい不安を感じるのです。
もう時間なので、このへんで終わりにします。これだけ立錐の余地もないくらい人が集まるというのも、平松市長の市政に対する高い評価、今後の選挙に対する期待が反映していると思います。僕は神戸市民なので、選挙は「対岸の火事」なんですけども、平松さんには、穏やかで、忍耐強く、すっと背筋の伸びた目線で、日本の五〇年後百年後を見据えるような射程の遠い政策を語っていただきたいと思っています。
『百年目』のトリクルダウン
子守康範さんのMBSラジオ『朝からてんこもり』に三ヶ月に一度出演している。今回は「冬の出番」。
日曜に迫った大阪ダブル選挙の話は放送の中立性に抵触するデリケートな話題なので、微妙に回避。
子守さんが今朝の新聞記事から、ユニクロの柳井会長兼社長の「グローバル人材論」を選んだので、それについてコメントする。
柳井のグローバル人材定義はこうだ。
「私の定義は簡単です。日本でやっている仕事が、世界中どこでもできる人。少子化で日本は市場としての魅力が薄れ、企業は世界で競争しないと成長できなくなった。必要なのは、その国の文化や思考を理解して、相手と本音で話せる力です。」
ビジネス言語は世界中どこでも英語である。「これからのビジネスで英語が話せないのは、車を運転するのに免許がないのと一緒」。
だから、優秀だが英語だけは苦手という学生は「いらない」と断言する。
「そんなに甘くないよ。10年後の日本の立場を考えると国内でしか通用しない人材は生き残れない。(・・・)日本の学生もアジアの学生と競争しているのだと思わないと」
「3-5年で本部社員の半分は外国人にする。英語なしでは会議もできなくなる」
これは「就活する君へ」というシリーズの一部である。
私は読んで厭な気分になった。
たしかに一私企業の経営者として見るなら、この発言は整合的である。
激烈な国際競争を勝ち残るためには、生産性が高く、効率的で、タフで、世界中のどこに行っても「使える」人材が欲しい。
国籍は関係ない。社員の全員が外国人でも別に構わない。
生産拠点も商品開発もその方が効率がいいなら、海外に移転する。
この理屈は収益だけを考える一企業の経営者としては合理的な発言である。
だが、ここには「国民経済」という観点はほとんどそっくり抜け落ちている。
国民経済というのは、日本列島から出られない、日本語しか話せない、日本固有のローカルな文化の中でしか生きている気がしない圧倒的マジョリティを「どうやって食わせるか」というリアルな課題に愚直に答えることである。
端的には、この列島に生きる人たちの「完全雇用」をめざすことである。
老人も子供も、病人も健常者も、能力の高い人間も低い人間も、全員が「食える」ようなシステムを設計することである。
「世界中どこでも働き、生きていける日本人」という柳井氏の示す「グローバル人材」の条件が意味するのは、「雇用について、『こっち』に面倒をかけない人間になれ」ということである。
雇用について、行政や企業に支援を求めるような人間になるな、ということである。
そんな面倒な人間は「いらない」ということである。
そのような人間を雇用して、教育し、育ててゆく「コスト」はその分だけ企業の収益率を下げるからである。
ここには、国民国家の幼い同胞たちを育成し、支援し、雇用するのは、年長者の、とりわけ「成功した年長者」の義務だという国民経済の思想が欠落している。
企業が未熟な若者を受け容れ、根気よく育てることによって生じる人件費コストは、企業の収益を目減りさせはするが、国民国家の存立のためには不可避のものである。
落語『百年目』の大旦那さんは道楽を覚えた大番頭を呼んで、こんな説諭をする。
「一軒の主を旦那と言うが、その訳をご存じか。昔、天竺に栴檀(せんだん)という立派な木があり、その下に南縁草(なんえんそう)という汚い草が沢山茂っていた。目障りだというので、南縁草を抜いてしまったら、栴檀が枯れてしまった。調べてみると、栴檀は南縁草を肥やしにして、南縁草は栴檀の露で育っていた事が分かった。栴檀が育つと、南縁草も育つ。栴檀の”だん”と南縁草の”なん”を取って”だんなん”、それが”旦那”になったという。こじつけだろうが、私とお前の仲も栴檀と南縁草だ。店に戻れば、今度はお前が栴檀、店の者が南縁草。店の栴檀は元気がいいが、南縁草はちと元気が無い。少し南縁草にも露を降ろしてやって下さい。」
これが日本的な文字通りの「トリクルダウン」(つゆおろし)理論である。
新自由主義者が唱えた「トリクルダウン」理論というのは、勝ち目のありそうな「栴檀」に資源を集中して、それが国際競争に勝ったら、「露」がしもじもの「南縁草」にまでゆきわたる、という理屈のものだった。
だが、アメリカと中国の「勝者のモラルハザード」がはしなくも露呈したように、新自由主義経済体制において、おおかたの「栴檀」たちは、「南縁草」から収奪することには熱心だったが、「露をおろす」ことにはほとんど熱意を示さなかった。
店の若い番頭や手代や丁稚たちは始末が悪いと叱り飛ばす大番頭が、実は裏では遊興に耽って下の者に「露を下ろす」義務を忘れていたことを大旦那さんはぴしりと指摘する。
『百年目』が教えるのは、「トリクルダウン」理論は「南縁草が枯れたら栴檀も枯れる」という運命共同体の意識が自覚されている集団においては有効であるが、「南縁草が枯れても、栴檀は栄える」と思っている人たちが勝者グループを形成するような集団においては無効だということである。
私が「国民経済」ということばで指しているのは、私たちがからめとられている、このある種の「植物的環境」のことである。
「そこに根を下ろしたもの」はそこから動くことができない。
だから、AからBへ養分を備給し、BからAへ養分が環流するという互酬的なシステムが不可欠なのである。
柳井のいう「グローバル人材」というのは、要するに「どこにも根を持たない人間」のことである。
だから、誰にも養分を提供しないし、誰からも養分の提供を求めない。労働契約にある通りの仕事をして、遅滞なくその代価を受け取る。相互支援もオーバーアチーブも教育も、何もない。
そういうふうに規格化されて、世界どこでも互換可能で、不要になればそのまま現地で廃棄しても構わないという「人材」が大量に供給されれば、企業の生産性は高まり、人件費コストは抑制され、収益は右肩上がりに増大するだろう。
繰り返し言うが、一私企業の経営者が求職者たちに「高い能力と安い賃金」を求めるのは、きわめて合理的なふるまいである。
だが、そんなことが続けば、いずれ日本国内の「南縁草」は枯死する。
多国籍企業はそのときには日本を出て、「南縁草」が繁茂している海外のエリアに根を下ろして、そこで新たな養分を吸い上げるシステムを構築するだろう(そして、そこが枯れたらまた次の場所に移るのだ)。
後期資本主義の「栴檀」たちは『百年目』の船場の大店と違って、「根を持たない」から、そういうことができる。
誤解してほしくないが、私はそれが「悪だ」と言っているわけではない。
現代の企業家にとって金儲けは端的に「善」である。
けれども、『百年目』の時代はそうではなかった。
私はその時代に生きていたかったと思う。
それだけのことである。
「辺境ラジオ」で話したこと
名越康文先生と西靖さんとのコラボ、『辺境ラジオ』の公開収録がクリスマスイブのMBSで行われた。
名越先生が最初から飛ばして、ずいぶん過激な内容となった(と書くとまるで名越先生のせいみたいだが、もちろんそれに応えて暴走したのは後の二人も同じです)。
放送は25日の25時半(というのは深夜放送の言い方)。『辺境ラジオ』はそのうち活字化される予定である(発行元は140B)。
その中でいくどか社会制度そのもののとめどない劣化(政治、経済、メディア)について言及された。
政治過程の劣化はすさまじいが、これまでそれなりに(ぎりぎり)合理的にふるまってきたように経済活動についても、ビジネスマンたちの思考は混濁し、5年10年というスパンについて見通しを述べられる状態にない。
思考停止している人間の特徴はすぐに「待ったなし」と言うのでわかる。
「待ったなし」というのは「選択肢の適否について思考する時間がない(だから、とりあえず一番でかい声を出している人間の言葉に従う)」ということしか意味していない。
だから、「待ったなし」で選択された政策はそれがどれほどの災厄を事後的に引き起こした場合でも、その政策を選択した人間は責任をあらかじめ解除されている(「待ったなし」だったんだから、最適解を引き当てられるはずがないという言い訳が用意されているのである)
ひどい話だ。
メディアもしかり。
このままでは新聞もテレビも雑誌も情報の発信源としての信頼性の下落を食い止められないだろう。
オルタナティブとしてのネットについても、私の見通しはあまり明るくない。
ネットに繁殖している言葉の多くは匿名であり、情報源を明らかにしないまま、断定的な口調を採用している。
ネットは実に多くの利便性をもたらしたが、それは「匿名で個人を攻撃をするチャンス」を解除した。
今ネット上に氾濫している言葉のマジョリティは見知らぬ他人の心身の耗弱をめざすために発信される「呪い」の言葉である。
呪いの言葉がこれほど空中を大量に行きかったことは歴史上ないと私は思う。
名越先生が昨日も指摘されていたが、「抑鬱的、攻撃的な気分で下された決断は必ず間違う」という心理学的経験則に従うなら、ネット上で攻撃的な口調で語られている言明のほとんどは構造的に間違っていることになる。
誤解して欲しくないが「間違う」というのは、その時点での整合性の欠如や論理の破綻やデータの間違いのことではない(そういう場合も多々あるが)。
そうではなくて、「間違った言葉」というのは結果的にその言葉を発した人間を不幸な生き方へ導く言葉のことである。
抑鬱的な気分の中で、攻撃的に口にされた言葉は事実認知的に「間違っている」のではなく、遂行的に「間違っている」のである。
発している当人たちを後戻りのできない「不幸な生き方」へと誘う言葉がネットの上に大量に垂れ流されている。
「呪いの言葉」は「自分に対する呪い」として時間差をおいて必ず戻ってくるという人類の経験知は誰もアナウンスしない。
あれもダメ、これもダメ。
そうやって指折り数えると、まるで希望の余地がないようであるが、これほどシステマティックにものごとが悪くなるというのは、ふつうはない。
ふつうはないことが起きたときは、解釈規則を変えた方がいい。
シャーロック・ホームズもそう言っている。
「うまく説明できないこと」が重なって起きれば起きるほど、それを説明できる仮説(まだ誰も立てていないが)は絞り込まれるからである。
私の解釈は、この制度の全体的劣化は「システムそのものの根本的な作り直し」について私たちのほぼ全員が無意識的に同意を与えていることと解すべきだろう、というものである。
「根本的」というのはほんとうに根本的ということである。
2011年はさまざまな「問題」がランダムに提示された一年だった。
2012年はこれらの問題群に伏流している「論理的な構造」がしだいに露出してくる一年になるだろう。
それがどのような構造なのか、私たちが選ぶことになるオルタナティブとはどのようなものなのか、それについてはこれからゆっくり考えたいと思う。
「ゆっくり考えている余裕なんかないんだよ。事態は待ったなしなんだ」と怒号する人々がきっといると思うけれど、彼ら自分たちが「古いシステム」と一緒に「歴史のゴミ箱」に投じられるハイリスクを冒していることに気づいた方がいいと思う。
いや、ほんとに心配してるんです。
劇化する政治過程・カオス化する社会
今朝の日経発表の世論調査によると、野田佳彦内閣の支持率は36%で、11月末から15ポイント急落した。
不支持は14ポイント上昇の56%で、9月の内閣発足以来はじめて支持率を上回った。
内閣発足から3ヶ月で支持率が30ポイント以上下がったのは2008年の麻生内閣以来。
とくに福島第一原発の事故について首相が16日に原子炉の低温停止状態を受けて「事故収束」を宣言したことについての不満が高く、「納得できない」が78%で、「納得できる」の12%を大きく上回った。
争点の消費増税については、15年頃までに段階的に10%まで引き上げる政府案に賛成が38%、反対が53%。前回調査より賛成が7ポイント下落、反対が6ポイント上昇。
興味深い数字である。
なぜ、これほど急落するのか、私には理由がよくわからないからである。
たぶん政権発足3ヶ月でできることは「せいぜいこの程度」だろうと私は思っていた。
日米関係が劇的に改善されて普天間基地問題が片付くとか、尖閣諸島問題や竹島問題に交渉のめどが立つとか、拉致問題が解決するとか、東北の復興が急ピッチで進むとか、原発事故の原因と現状が徹底的に検証されて、官邸発の原発情報の信頼性が高まるとか、そういうことがほんとうに起こると日本国民の多くが期待していて、3ヶ月で「そうなっていない」という理由で支持から不支持に転換したというのなら、わかる。
そのような無根拠な楽観的期待を抱いたご本人の政治的見通しの不適切は脇へ置いても、話の筋は通っている。
問題は「そんなことははじめから期待していなかった」という方々である。
その方々がなぜ支持から不支持に切り替わったのか、その理由が私にはわからない。
基地問題も領土問題も拉致問題も三ヶ月では解決しないだろうし、解決のめども立たないだろう。経済指標も好転しないだろう。雇用も創出できないだろう。税収も増えないだろう。公務員制度改革も進まないだろう。財政規律も保てないだろう。
私はそう思っていた。たぶん多くの人もそう思っていたはずである。
そのような人が、この三ヶ月の野田内閣の実績を見て、「支持」から「不支持」に変わるということの理由が私にはよくわからないのである。
それほど劇的な失政があったと私は思っていない。
できる範囲内では(それが狭いというのが問題だが)一生懸命仕事をしているのではないかと思っている(さしたる成果が上がっていないというのが問題だが)。
でも、首相の器量も内閣の短期的な成果見通しも、内閣発足時点で「たぶんこの程度だろう」ということは私たちの多くにはわかっていたのではないのか。
その予想通りであった政治的達成に対して「劇的に評価を変える」ということはふつう起こらない。
ふつう起こらないことが起きた場合には、特殊な仮説を立てる必要がある。
それまでこの種の現象については適用されない仮説を案出する必要がある。
私が言っているのではなくて、シャーロック・ホームズが言っているのである。
前にも引いたが、もう一度。
「君にはもう説明したはずだが、うまく説明できないもの(what is out of the common)ものはたいていの場合障害物ではなく、手がかりなのだ。この種の問題を解くときにたいせつなことは遡及的に推理する(reason backward)ということだ。このやり方はきわめて有用な実績を上げているし、簡単なものでもあるのだが、人々はこれを試みようとしない。日常生活の出来事については、たしかに『前進的に推理する』(reason forward)方が役に立つので、逆のやり方があることを人々は忘れてしまう。統合的に推理する人と分析的に推理する人の比率は五〇対一というところだろう。」
(Sir Arthur Conan Doyle, A Study in Scarlet)
「前進的に推理する」人たちはAという出来事があり、Bという出来事が時間的に後続した場合に「AがBの原因である」というふうに推論する人である。
Bという出来事があったときにその前段を振り返ると、「いかにも原因顔をした出来事」たちがずらずらと並んでいる。「前進的に推理する人」たちは、その中からいちばん使い勝手のよいAを選んで、「これが原因だ」という仮説を立てる。
今の場合であると、出来事Bは「野田内閣の不支持率の急上昇」。
ほとんどの人はこの出来事の「原因」として、「野田内閣の失政」を選ぼうとする。
「遡及的に推理する」というのは、その逆。
Bという出来事があったときに、遡及的に振り返ってみて、その中に「うまく説明できないもの」を探すのである。
今の場合なら、「野田内閣の失政として際立った失敗がない」というのが「うまく説明できないもの」である。
そこから私たちは仮説を案出する。
際だった失政がないにもかかわらず、「劇的に」支持率が低下したのは、有権者たちが今政治過程に求めているのは、「劇的なもの」それ自体だからである、というのが私の提出する仮説である。
彼らは「劇的に支持率が低下した」という事実そのもののうちに、「政治過程に期待するもの」をすでに見出して、それなりの「満足」を得ている、というのが私の仮説である。
「劇的な破綻」、「劇的な制度崩壊」、「劇的な失敗」・・・そういうものが「緩慢な破綻」や「進行の遅い制度崩壊」や「弥縫策が奏功しない失敗」よりも選好されている。
人間的諸活動のtheatricalization (劇化)と呼んでもいい。
社会制度が破綻することによって自分自身が「いずれ」受けるはずの苦しみよりも、社会制度が劇的に破綻するのを「今」鑑賞できる愉悦の方が優先されている。
このままゆけば野田内閣はあと半年保つまい。
野党は総選挙を望むだろう。マスコミもそう言うだろう。
民主党は大敗して、政権の座から転げ落ちるだろう。
けれども、自民党にも公明党にも少数政党のどこにも日本を混迷から引き出すような骨格の太い見通しを語れる政治家はいない。
ここを先途と、秦の始皇帝が死んだ後や隋の煬帝が死んだ後の中原のように、天下を狙うポピュリストやデマゴーグがわらわらと出てきて、総選挙報道は諸勢力の合従連衡を論じて、ヴァラエティショー的な興奮で沸き立つだろう。
人々は「それ」が見たいのである。
その気持ちは私にもわかる。
でも、そんな政治過程の「劇化」をおもしろおかしく享受している間、日本の政治過程は停止し、傷みきった制度はさらに崩れてゆく。
そのことについては、誰も考えないようにしている。
考えても仕方がないからである。
それよりは「目先の楽しみ」だ。
とりあえず長い間社会の柱石であった諸制度ががらがらと壊れて行くさまを砂かぶりで見ることだけはできる。
屋根が崩れ、柱が折れたあと、どうやって雨露をしのぐのか、それについては考えない。それよりも屋根が崩れ、柱が折れるのを眺める爽快感を楽しみたいのである。
制度が崩れるのを見る権利くらい自分にはあると思っている人が増えている。
「制度はオレに何もしてくれなかった。だから、そんなものが崩れたって、オレはすこしも困らない」
そう思っている人たちがたぶん増えている。
そのせいで、医療制度がまず崩れ、続いて教育制度が崩れ、行政制度も崩れつつある。
どんな社会制度も耐用年数が過ぎれば壊れてゆくのは当たり前である。
でも、「その先」にどのような社会制度を構築するのか、そのプランについて創造的な議論がないままに、ただ制度の崩壊を喜んでいると、制度解体のあとに、一時的に「カオス」が到来する。
カオスというのは、誤解している人が多いが、社会全体が混乱し、みんなが苦しむということではない。
局所的には秩序があり、条理が通り、正邪理非の判定が下されているのである。そこでは「だいたい今まで通りの暮らし」ができる。
でも、そうではない「不条理な界域」がしだいに増えてくる。
そこでは、ものごとの適否の判定基準が効かない。約束とか信義とかいうものが成り立たない。誰もがおのれひとりの自己利益確保を最優先する。
だから、「不条理な界域」では、長期的な計画が立てられない。集団で何かを共同所有したり、共同管理するということもできない。他人に自分のたいせつなものを負託することもできない。
人々は自分の手元に自分の資源を後生大事に抱え込み、つねにそれを背負って生きることを強いられる。
「人を見たら泥棒と思う」人々で埋め尽くされた界域で生きることの非能率がどれくらい個人のパフォーマンスを低下させるかは、誰でも想像すればわかるだろう。
カオス的社会というのは、「そこそこ条理の通る局所的秩序の内側に住む人」と「無-底の不条理界域に置き去りにされた人たち」に二極化する社会のことである。
「共同的に生きる知恵と技術をもつ人々」と「誰も信じず、自己利益だけを追求する人々」が「上層」と「下層」に決定的に分離する社会のことである。
階層間で、集団的な営為の質において、知的生産において、乗り越えがたい断絶が深まる社会のことである。
今日本はゆるやかにではあるが、すでにカオス化の兆しを示している。
上に書いたように、それは一時的・過渡的な制度の機能不全であり、必ずしも社会全体を覆い尽くすわけでもない。
けれども、「一時的」とは言っても、それが30年、50年というスパンのものであれば、人によっては「一生をカオスのうちで過ごした」という人も出てくる。
社会全体を覆い尽くすわけではないといっても、「局所的な秩序」に帰属できず「生まれてから死ぬまで、暮らした場所のすべてはカオスだった」という不幸な人も出てくる。
「制度的時間」と「人間的時間」はスケールが違う。
「百年後には平和と繁栄がきます」とか「ここではない場所では人々は幸福に暮らしています」と言われたからといって、今自分が味わっている苦痛や貧困が耐えやすくなるということはない。
制度が生成し、壊れ、また再生するときの「制度的な時間の流れ」と、人間が生まれ、育ち、死ぬまでの「人間的な時間の流れ」は、人間にとってはまるで違うものなのである。
ツイッターとブログの違いについて
『街場の読書論』という本を書き上げた。
ブログコンピ本なので、ゲラをいただいたのは一年近く前なのだが、他の仕事が立て込んでいて、手が回らなかったのである。
ブログのコンピ本というのは、他にあまりなさっている方がいないようだが、私は「よいもの」だと思う。
書いているときに「これはいずれ単行本に採録されるかもしれない」と考えている。
だから、そのときになってあわてないように、引用出典とかデータの数値とはについては正確を期している。
ブログ上で他の方の著書から引用するときに、発行年や頁数まで明記する人はあまりいないが、こういう書誌情報は「あとになって」調べようとすると、たいへんに時間がかかるものである。
ほんとに。
それにそうしておくと、ブログが「ノート代わり」に使える。
ブログには検索機能がついているので、キーワードを打ち込むと、そのトピックについて私が書いたことがずらずらと出てくる。
その中に必要なデータのかなりの部分が含まれている。
Twitterはこういう使い方はできない(引用の書誌情報なんか書いていたら、140字分のスペースがすぐに埋まってしまう)。
だから、どんなナイスなアイディアが浮かんでも、論文の一章分くらいの素材をTwitter上に残しておいて、あとでそのままコピペして使うという芸当はできない。
Twitterには「つぶやき」を、ブログには「演説」を、というふうになんとなく使い分けをしてきたが、二年ほどやってわかったことは、Twitterに書き付けたアイディアもそのあとブログにまとめておかないと、再利用がむずかしいということである。
Twitterは多くの場合携帯で打ち込んでいるが、これはアイディアの尻尾をつかまえることはできるが、それを展開することができない。
指が思考に追いつかないからである。
だから、Twitterは水平方向に「ずれて」ゆくのには向いているが、縦穴を掘ることには向いていない。
そんな気がする。
ブログは「縦穴を掘る」のに向いている。
「縦穴を掘る」というのは、同じ文章を繰り返し読みながら、同じような文章を繰り返し書きながら「螺旋状」にだんだん深度を稼いでゆく作業である。
Twitterだと自分の直前のツイートがすぐに視野から消えてしまう。
誰かのツイートがはさまると、もう自分の先刻のアイディアの「背中」が見えなくなる。
「アイディアの背中」というのは、けっこうたいせつなものである。
自分の脳裏をついさきほど「横切った」アイディアがある。
それは「あっ」と思って振り返ると、もう角を曲がりかけていて、背中の一部しか見えない。
そういうものである。
長い文章を書いているときは、その「背中」がけっこう頼りなのである。
自分が進んでいる道が「どうも展望がない」ということがわかって、「そうだ、あのときのあのアイディアについてゆけばよかったんだ」と思うことがある。
振り返って、走り戻って、「アイディアの袖口」をがしっとつかむ。
そして、いっしょに「角を曲がる」。
長い文章を書いているとそういうことができる。
ほんとに。
言語学では「パラダイム」という言い方をする。
ある語を書き付けると、それに続く可能性のある語群が脳内に浮かぶ。
原理的には、文法的にそれに続いても破綻しないすべての語が浮かぶ(ことになっている)。
例えば、「梅の香が」と書いたあとには、「する」で「匂う」でも「香る」でも「薫ずる」でも「聞える」でも、いろいろな語が可能性としては配列される。
私たちはそのうちの一つを選ぶ。
だが、「梅の香がする」を選んだ場合と、「梅の香が薫ずる」を選んだ場合では、そのあとに続く文章全体の「トーン」が変わる。
「トーン」どころか「コンテンツ」まで変わる。
うっかりすると文章全体の「結論」まで変わる。
そういうものである。
このパラダイム的な選択を私たちは文を書きながらおそらく一秒間に数十回というぐらいのスピードで行っている。
そのときに「選択に漏れたもの」がある。
そして、そのとき「その語を選択したあとに続いたかもしれない文章と、そこから導かれたかもしれない結論」が「一瞬脳裏をよぎったのだが、もう忘れてしまったアイディア」である。
これをどれだけたくさん遡及的に列挙できるか。
それが実は思考の生産性にふかくかかわっていると私は思う。
自分の思考はあたかも一直線を進行しているかのように思える。
ふりかえると、たしかに一直線に見える。
でも、実際は無数の転轍点があり、無数の分岐があり、それぞれに「私が採用しなかった推論のプロセスと、そこから導かれる結論」がある。
分岐点にまで戻って、その「違うプロセスをたどって深化したアイディア」の背中を追いかけるというのは、ものを考える上でたいせつな仕事だ。
「なぜ、ある出来事は起こり、そうでない出来事は起きなかったのか?」
これは系譜学的思考の基本である。
「起きてもよいのに、起きなかった出来事」のリストを思いつく限り長くすることは知性にとってたいせつな訓練だ。
「起きてもよいことが起きなかった理由」を推論する仕事は「起きたことが起きた理由」を推論するのとはかなり違う脳の部位を使用するからだ。
これもたぶんreason backward の一つのかたちなのだと思う。
というわけで、来年からはもっとブログに時間を割こうと決意したのでした。
「腹の読めないおじさん」から「のっぺりしたリーダー」へ
毎日新聞の取材で「リーダー論」について訊かれる。
どういうリーダーがこれから求められるのか、というお話である。
大阪のダブル選挙に見られたように、時代は「あるタイプのリーダー」をつよく求めている。
そのトレンドは仮に「反・父権制」(anti-paternalism)的と呼ぶことができるのではないかと思う。
このトレンドは個別大阪の現象ではなく、日本社会全体を覆っており、それどころか国際社会全体を覆い尽くしているように見える。
かつて国際政治の立役者たちは「父」たちであった。
ヤルタ会談に集ったルーズベルト、チャーチル、スターリンの三人が図像的に表象していたのは「あらゆることを知っており、水面下でタフな交渉をし、合意形成に至れば笑顔を見せるのだが、そこに至る過程での熾烈な戦いと、そこで飛び交った『カード』についてはついに何も語らない父たち」である。
「父」たちの特徴は「抑制」と「寡黙」である。
彼らは何を考えているのか、よくわからない。
ただ「いいから、私に任せておきなさい」というだけである。
なぜ彼らに任せておけばよろしいのか、その理由については特にご説明があるわけではない。
「いいから、任せておきなさい。悪いようにはしないから」と言うだけである(それを言いさえしない場合もある)。
彼らに任せたせいで、どんな「いいこと」があるのか、その予測も語らない。
ただ、思慮深そうなたたずまいと、低い声と、抑制的な感情表現を示すだけである。
そういう場合、私たちはなんとなく「じゃあ、この人のいうことに従おうか」という気になる。
政治というのは「そういう人たち」がやるものだと私たちは久しく思っていた。
19世紀から20世紀半ばまではそうだった。
どうして「任せておけた」のか。
それはたぶんその人のことを「公人」だと思えたからである。
公人とは「自分の反対者を含めて集団を代表できる人」、「敵とともに統治することのできる人」のことである(これはオルテガの定義だ)。
反対者や敵対者も含めて代表してもらえるなら、「自分」がそこから漏れることはないだろうと思えて、「じゃあ、お任せします」ということになったのである。
スターリンたちが「そういう人」ではなかったことを私たちは今では知っているが、同時代の同国人の相当数から「そういう人」だと思われていれば指導者としての機能を担う上でとりあえず支障はなかったのである。
その「父」たちが政治の表舞台から退場する。
20世紀の中頃から後のことである。
カズオ・イシグロの『日の名残り』は1930年代にヨーロッパ諸国の「紳士たち」がダーリントン伯爵の館に集まって、ドイツの運命について語り合うエピソードがひとつの柱になっている。
その秘密会議に招かれたアメリカの下院議員がこの「紳士たち」に向かって、「みなさんは政治のアマチュアだ」となじる場面がある。
紳士たちが集まって秘密裏の談合で国際政治について重要決定をくだすような時代はもう終わった。政治過程というのは、もっと「にべもない」ものである。名誉や友愛というようなものはもはや国際政治のファクターではない。クールでリアルな利害得失の計算が必要なのだ。これからはわれわれプロに任せなさい、と下院議員は言う。
たしかに、その後の歴史は彼の予言のとおりに推移した。
物語の中では、ヨーロッパの紳士たちの善意にもとづく支援によってドイツを健全な国家として再生することを夢見たダーリントン伯爵は結果的にナチの台頭に加担することになり、「反逆者」の汚名を着たまま死ぬ。
『日の名残り』というのは執事とメイドの話だと思って読んでいたが、よく考えるとこれは政治主体の歴史的交代を副旋律に絡めた小説だったのである。
カズオ・イシグロは「紳士たち」が退場して「プロたち」が国際政治を取り仕切るようになる推移を控えめな哀しみのうちに回顧した。
1960年代にジョン・F・ケネディがアメリカ大統領になった。
それが「おじさん」から「お兄ちゃんへ」の、「原父」から「悪い兄たち」への交代の劇的な指標だったと思う。
大統領就任のときケネディは弱冠44歳だった。
前任者のアイゼンハワーは70歳、アメリカのゴールデン・エイジの8年間大統領職にあった「アメリカで最後の古いタイプのリーダー」だった。
「古いタイプのリーダー」ということは「何を考えているのか、よくわからないおじさん」だったということである。
それは彼の軍歴によく現れている。
アイゼンハワーの軍歴のきわだった特徴は平時の長期にわたる停滞と戦時における異常な速度の昇進である。
アイゼンハワーは少佐から中佐に昇進するまで16年間を要した。アメリカが相対的な平和と繁栄のうちにあった1930年代を彼は同期生が昇進するのを指をくわえて眺めながらまるまる少佐という低い階級で過ごしたのである。
第二次世界大戦勃発時にアイゼンハワーは一介の中佐に過ぎなかった。
そのような凡庸な(というより劣悪な)軍歴しかもたない軍人が、抜擢され、ノルマンディー上陸作戦を成功させ、ヨーロッパ戦線の連合軍450万人を指揮し、5年で中佐から陸軍元帥になった。
これはアメリカ陸軍における昇進スピードの最速記録であり、おそらくこのあと破られることがないだろう(ナポレオン軍にはあったと思うが)。
一介の中佐が開戦後あっいう間に元帥まで超スピード昇進したのは、彼が「想定外の事態」に遭遇したときに、例外的に手際よく最適解を選択できるだけでなく、起案した作戦計画を遅滞なく実行できる人物だということがひろく軍隊内部で知られていたからである。
頭のよい参謀なら「最適解」を選ぶことができるかも知れない。けれども、起案したその「最高の作戦」を実施するためには、連合軍内部での利害調整や思惑のすりあわせや腹の探り合いやらを手際よく片付けられなければならない。
アイゼンハワーはブラッドリーやパットン将軍といった前線指揮官の信頼を勝ち取り、チャーチルやド・ゴール将軍のような腹の底の見えない同盟者たちと巧みに連携し、ソ連軍のジューコフ元帥やスターリンとさえタフな交渉をした。
このような仕事ができる人のことを「豪腕」という。
「豪腕」というのは、前にも書いたことがあるが、暴力的に「無理を通す」人のことではない。
「あいつはもののわかった人間だから」という評価が安定している人のことである。
だから、頼まれた方は、何がどう「よほどのこと」かはわからないけれど、あいつがわざわざ頼んでくるくらいだから、「よほどのこと」なのだろう。とすれば、断るわけにはゆくまいと思う。
そういうふうに交渉相手に思わせることのできる人だけが「無理を通せる」。
アイゼンハワーは「天才的な管理能力と交渉力」があったと言われるが、それは彼があらゆる機会をとらえて、「いずれ大事なことを頼みそうな相手」には「貸し」を作っておくということを心がけていたからだと私は思う。
とくに不遇の16年間を彼はもっぱら軍隊の内部に、「いずれ大事なことを頼みそうな相手」を見出し、ケアするという仕事を丁寧にやっていたのであろう。
さまざまな部署に散らばっている「この人の頼みは断れない」と思ってくれる人のことをスパイ用語では「アセッツ」と呼ぶ。
「アセッツ」をどれほど広い範囲に多様なレベルに展開しているか、それによって、その人の「政治力」は決定される。
こういう「どこに何を隠しているのかわからない」人がひさしく国際政治の登場人物であった。
ケネディの話をしているところだった。
アイゼンハワーやチャーチルやド・ゴールのような「腹の読めないおじさん」が退場して、それに代って、頭は切れるが、考えることはわりとシンプルで、話はわかりやすいが、構想の射程が短く、喜怒哀楽の感情が豊かで、腹の中がよく見えるという「青年」政治家が超大国のリーダーになった。
ケネディは19世紀だったらまず大国のリーダーにはなれるはずのない人物である。
彼はもう「ややこしい交渉ごと」をしなかった。
ケネディがやった唯一の苛烈な外交交渉はキューバ危機だが、このときケネディは「フルシチョフでも『この人の頼みなら断れない』人に仲介してもらう」というような古典的な手立てを講じなかった。そういうアイディアそのものが彼にはなかったのかも知れない。
ケネディがしたのは「チキンレースでブレーキを踏まなかった」ことだけである。
だから、フルシチョフがミサイル撤去を決定しなければたぶん米ソは第三次世界大戦に突入していた。
さいわい第三次世界大戦が起きなかったので、ケネディの政治手腕についてはあまり問題にされないが、けっこう危ないところだったのである。
そして、ケネディの「成功」が呼び水となって、1960年代から世界のリーダーたちは「腹の読めないアセッツおじさん」たちから「チキンレースでブレーキを踏まないガッツな兄ちゃん」たちに順次入れ替わっていった。
その趨勢は21世紀に入ってますます強化されている。
オバマもプーチンもサルコジもベルルスコーニもブレアやブラウンも、あるいは本邦の人気政治家たちの顔を思い浮かべてもらえば、「言うことは簡単だが、妙に強気なお兄ちゃん」政治家たちが選好されていることがわかる。
何を考えているのかよくわからないけれど、「まあ、ここは私に任せておきなさい。悪いようにはしないから」と低い声でつぶやくような政治家はまったく人気がない。
そういう歴史的なトレンドの中に私たちは今いる。
それはそれなりの歴史的条件が要請したものだから、良い悪いを言っても始まらない。
だが、私の見るところ、どうもこれは「グローバル化」の副産物のようである。
ケネディは東西冷戦構造という枠組みが要請したリーダーである。
「東西冷戦構造」とは言い換えると、「半分ずつグローバル化した世界」のことである。
社会主義圏は社会主義圏として規格化・標準化し、自由主義圏も圏まるごと規格化・標準化した。
そういうのっぺりした世界では、政治家たちもだんだんのっぺりしてくる。
冷戦構造が終わって、今度は「世界全体が規格化・標準化」した。
政治家たちはさらにのっぺりしてきた。
グローバル化がこの先さらに進行すれば、政治家たちはさらにのっぺりしてくるだろう。
「のっぺり」というのは、自分と価値観が違う、正否の判断基準が違う、宗教が違う、言語が違う、美意識が違うような人間と交渉することにぜんぜん興味もないし、適性もない人間のことである。
全員が同じルールでゲームをしているときに相対優位に立つための術には優れているが、「違うルール」でゲームをしている人間のことはまったく理解できないし、理解する必要も感じない。
それが「のっぺりしたリーダー」である。
世界がそういう人間たちで覆われたあとに、「想定外」が起きたときにどうするのか。
それを考えると、今のうちから「リスクヘッジ」として、「もしものときに無理を通せる」タイプの人々を政治経済の要路に配置しておいたほうがよろしいのではないか。
というようなお話をインタビューではした。
あまりに変な話なので、たぶん記事にはならないだろうと思うので、ここに備忘のために録すのである。
年末吉例・2011年の重大ニュース
大晦日なので、恒例の「個人的重大ニュース」をまとめることにする。
重要性とは関係なくランダムに思いついたまま列挙する。
(1) 定年退職した
2011年3月末日をもって21年間勤めた神戸女学院大学を定年退職した。ほんとうに楽しい大学での楽しい仕事だった。
だから、「あっというま」に21年経ってしまった。
むかし近所にいた「ジョジョ」ちゃんという女の子が小学校時代の6年間のことをまったく記憶していないとカミングアウトしたことがある。
「あまりに楽しかったので、何も覚えていない」のだそうである。
なるほど。
そういうものかも知れない。
(2) 退職したら暇になると思っていたら、全然ならなかった
4月からは「毎日が夏休み」だと思って、いろいろなことを企画していた。
ひとつは初夏にイタリア旅行に行くこと。
山本浩二画伯とふたりで車を借りて、北イタリアをドライブして、きれいな街があったら、そこに泊まって、美味しい郷土料理を食べて、美味しいワインを飲んで、翌日はまた次の街をさがして目的地もなくのんびりドライブする・・・
そんな1週間を計画していたのだが、実際には一泊の国内旅行さえ行けなかった(講演での国内移動はあったが)。
ひとつはアルベール・カミュの『反抗的人間』の翻訳。
『異邦人』の翻訳を退職後の「たのしみ」にとっておいたのだが、これは野崎歓さんが手をつけてしまったので、たぶん誰も手を出さない『反抗的人間』を少しずつ訳してみようと思っていた。
だが、一行も訳せず。
ひとつはレヴィナス三部作の第三部「時間=身体論」。
これはちょっと書き始めたが、50枚くらい書いたところで、袋小路に入って、そのまま放置してある。
書いている自分自身のスケールを大きくしないと扱えない問題なので、これについては焦らない。
むしろ並行して書いていた「合気道私見」の方がレヴィナス論の素材としては使い勝手がよさそうであるので、しばらくは「武道における時間意識」というトピックという搦め手から攻めることにする。
これは稽古それ自体が「仕込み」なので、お稽古しながらも、実は着々とレヴィナス論の準備は進んでいるのである(と自分には言い聞かせている)。
ともあれ、そういった退職前に思い描いていた「夏休み企画」はおおかたが破産した。
わかったことは「毎日が夏休み」を達成するためには、「心を鬼にする」必要があるということである。
「無理です。できません。厭です。やりません」という台詞を無慈悲に人々に投げつけることができなければ、「夏休み人生」は私の身には決して訪れない。
そのことがわかった。
(3) 凱風館が完成した
宿願の専用道場凱風館が神戸市東灘区住吉本町に完成した。
11月から合気道の稽古に活用している。
琉球表の畳と杉の壁板と漆喰と檜の床材につつまれて、たいへん幸福な時間を過ごしている。
まだ能舞台としての使用は一回だけ(「舞台開き」のときに翁の番囃子と独鼓を演じた)。
1月15日に下川先生のお稽古で使い、下川正謡会の新年会も今年は下川先生のお宅の稽古舞台ではなく、試しに凱風館で行うことになっている。
イベントとしての正式利用は1月22日の甲野善紀先生の講習会が最初になる。
このあと、成瀬雅春先生、安田登さん、守伸二郎さん、高橋佳三さん・・・といった身体技法の専門家たちのワークショップを定期的に開くつもりである。
楽しみである。
寺子屋活動の方は4月から。
これは大学院の聴講生たちの要望で再開するゼミである。
毎週火曜日の5限(4時40分から6時10分)。
もう定員の30名が満席になってしまったので、新規の参加は無理であるのだが、「立ち見席」(というより畳に腹ばい席)でもいいというご希望が何人かからあるので、塾頭のフジイさんとご相談せねばならない。
(4) 第三回伊丹十三賞を頂いた
3月11日大震災の翌日、足止めを食っていた直江津から金沢に向かう列車の中で松家さんから携帯に電話があって受賞を教えて頂いた。
第一回が糸井重里、第二回がタモリ、そして私という不思議なラインナップである。
伊丹十三は俳優、エッセイスト、CM作家、映画監督など多彩なキャリアをもつ異能の人であったが、それにちなんで、文章表現分野と映像放送分野から一年交替で人選するということで、私は「文字部門」でご推挽頂いたのである。
伊丹十三は私がもっとも影響を受けたクリエイターであるので(「追っかけ」までしたのだ)、その名を冠した賞を頂くのはたいへん名誉なことである。
授賞式では宮本信子さん、伊丹プロの玉置泰さん、選考委員の周防正行さん(と草刈民代のご夫妻)、中村弘文さん、南伸坊さん(これがご縁でそのあと『呪いの時代』の装丁をお願いすることになった)、平松洋子さん(これがご縁でそのあと『「おじさん」的思考』の文庫版解説をお願いすることになった)にお会いした。
そして、退院後久しぶりの橋本治さん、ヨーロッパから帰ってきた加藤典洋さん、中沢新一さん、鈴木晶さん、関川夏央さん、鶴澤寛也さん、橋本麻里さんたちが駆けつけてくれた。
糸井重里さんとはこのときはじめてお会いした。
岸田秀先生ともはじめて。このときに往復書簡本を出すという企画について「夏の終わりくらいにこちらからお送りします」とお約束したのだが、いつのまにか冬になってしまった・・・岸田先生、すみません!
仙谷由人さんも松井孝治さんも来てくれたし、編集者もこれまで一緒に仕事をした方々がほぼ全員集まってくれたし、身内の甲南麻雀連盟も主要メンバーがずらりと揃ってくれた。
みなさん、ほんとうにありがとうございました。
これが5月6日のことで、「お返し」に松山の伊丹十三記念館を訪れ、松山で受賞のお礼の講演をすることになった。それが11月29日。
内田家社員旅行を兼ねていたので、藤井さんとキヨエさんが仕切ってくださって、「社員」のみなさんはバスで松山まで行って市内観光、道後温泉に入って、講演聴いて、宴会やって、翌日は記念館に寄って、宮本信子さん中村弘文さんと記念撮影して、帰りに丸亀の明水亭でうどんを食べたのである。
バスのドライバーが「内田家」という団体名称の意味がわからなくて、不安がっていた。
そうでしょうね。
玉置さんに記念館の所蔵品を見せて頂いて、宮本信子さんからいろいろお話をうかがって、あらためて伊丹十三という人に深い親しみと敬意を抱いたのである。
(5) 東日本大震災と福島原発事故があった
「個人的な重大ニュース」は外の世界の出来事とは基本的にはリンクしない個人的な出来事ばかりを書いているのだが、この災害には私も間接的なかたちで巻き込まれた。
もうずいぶんこれについては書いているので、すでに書いたことはここでは繰り返さない。
来年以降も抱え込むことになる「宿題」のうち優先性の高いものだけランダムに書き留めておく。
-「対口支援」を国家的規模の災害支援においてはデフォルトにすべきだということを震災直後の大学支援の段階から提言していたのだが、政府はついにこれを主導することをしなかった。
現場と現場が政権中枢を経由しないでダイレクトに繋がるという支援策が、生身の身体が傷つき、病み、苦しんでいるときにはもっとも効率的だしきめ細やかなものになると私は信じているが、中枢的・上意下達的な「統制」を望む人々はこれを嫌ったのである。
だが、これほどの規模の被害が中枢的に統御できるはずがない。
結果的に「中枢」はブロウ・オフして、震災からの復興はどうにもならないくらいに遅れ、多くの人が回復不能な傷を負った。
-問題は現在中枢にいる人たちが「サイズの問題」にきわめて鈍感だということである。
あるサイズの組織や出来事には対処できるモデルが、サイズが変わると適用できないということがある。
そのことが「わからない」という人が非常に多い。
というのは、サイズの変化がモデルの変化を要請するときの「分岐点」は理論的には導出できないからである。
「あ、このサイズになったら、これまでのモデルは使えない」ということがわかるのは「身体」である。
現在の政権中枢には、そのような意味で「身体」を持っている人がほとんどいない。
それが問題なのだが、「それが問題なのだ」ということが彼らにはわからないのである。
-原発事故被災者の共同体単位での「移住」計画について。
これはもう本気で具体的な計画起案がなされるべきだろうと思う。
かつて飢饉や支配者の暴政に対する抵抗で「逃散」ということが行われた。
集団で逃れた人々は新しい無住の土地を開墾して、そこに定住した。
明治の屯田兵も「植民」だったし、戦後は東京近郊でも、多くの土地に大陸からの帰還者たちが「入植」した。
日本全土にはいま少子高齢化で耕作放棄地が急増している。高齢化による限界集落では伝統的な産業の継承ができず、山林が荒廃し、自然環境の劣化が進行しているところがいくらもある。
町村単位での集団移動について、政府はシミュレーションくらい始めてもいいのではないか。
-帰農支援。
これは震災に限定されない。日本全体の21世紀戦略の一環である。
食糧安保の基本は「自給自足」である。
エネルギー安保も「自給自足」である。
経済のグローバル化は国内の雇用や地域経済を破壊するだけでなく、自給自足のための前提条件そのものを破壊する。
これに対して「国民経済の再構築」という大きな筋目を通すことが必須である。
そのことを政治家もビジネスマンもメディアもまだ理解していない。
だが、若い人たちは直感的にそのことを理解している。
だから、帰農志向が、意識の高い若い人たちのあいだでは、誰による使嗾もないままに、自然発生的・同時多発的に亢進している。
当然のことだろう。
「自分の食べるものは自分で作る」
それをデフォルトにする人たちが出てくるのは、グローバル経済環境における雇用条件の絶対的窮乏化趨勢のもたらす必然である。
その方が「生き延びるチャンス」が高いからだ。
「国策としての帰農支援」を政策に掲げる覚悟のある政治家はいるのか。
たぶんいないだろう。
(6) 平松邦夫大阪市長のお手伝いをした。
『おせっかい教育論』でご一緒した平松市長に乞われて去年の5月に大阪市の特別顧問になった。
個人的な教育関連のアドバイザーなので、特別な仕事は何もしなかったのだが、市長選挙があのようなバトルになったので、勢い引き出されて、維新の会の教育基本条例批判について支援集会で話したり、生まれて初めて選挙事務所というところに入ったりした。
そういう「なまぐさい」場所には隠居の身としてはあまり近づきたくないのだが、平松さんが市長選のあとも、市政をチェックするシンクタンクのようなものを作るという。
個人的なおつきあいの範囲で、お手伝いできる限りのお手伝いはするつもりである。
(7) たくさん本が出た。
今年もたくさん本を出したわけではなく、本が勝手に出たという感じですけど。
【単著】
『最終講義』(技術評論社)
『うほほいシネクラブ』(文春新書)
『増補版・街場の中国論』(ミシマ社)
【共著】
『大津波と原発』(中沢新一、平川克美との共著、朝日新聞出版)
『原発と祈り』(名越康文、橋口いくよとの共著、メディアファクトリー)
『有事対応コミュニケーション力』(鷲田清一、藏本一也、上杉隆、岩田健太郎との共著、技術評論社)
『橋下主義を許すな!』(香山リカ、山口二郎との共著、ビジネス社)
【共編】
『嘘みたいな本当の話』(高橋源一郎との共編、イースト・プレス)
【文庫化】
『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫、2001年せりか書房刊の同名単行本の文庫化、解説・釈徹宗)
『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』(文春文庫、2004年海鳥社刊の同名単行本の文庫化、解説・門脇健)
『「おじさん」的思考』(角川文庫、2002年晶文社刊同名単行本の文庫化、解説・平松洋子)
『期間限定の思考』(角川文庫、2002年晶文社刊同名単行本の文庫化、解説・小田嶋隆)
『橋本治と内田樹』(ちくま文庫、2008年筑摩書房刊の同名単行本の文庫化、解説・鶴澤寛也)
『街場の大学論』(角川文庫、2007年朝日新聞社刊の『狼少年のパラドクス』の文庫化、
【集成への再録】
『人間はすごいな』(日本エッセイストクラブ編、11年版ベストエッセイ集に「なまずくん、何も救わない」が採録)
『2011ベストエッセイ』(日本文藝家協会編に「年の取り方について」が採録)
【外国語訳】
『私家版・ユダヤ文化論』(韓国語版)
『若者よ、マルクスを読もう』(韓国語版)
来年はまず中沢新一さんとの四年越しの共著『日本の文脈』(角川書店)が出る。
それから『街場の読書論』(太田出版)。
この二つはもうゲラが上がっているので、あとは印刷するだけ。
それから(お待たせしました)『クリエイティブ・ライティング講義 街場の文体論』(ミシマ社)。これはまだ第三講までですけれど、力入ってます。
『すまい作り論』(新潮社)は「芸術新潮」連載の単行本化。
岡田斗司夫さんとの対談本。タイトル未定(徳間書店)。
とりあえずこの5冊が既定。
それから『辺境ラジオ』(名越康文と西靖との共著、140B)もたぶん出ますね。わかんないけど、たぶん。
『合気道探求』に書いた「合気道私見」を骨にして、現段階における武道的身体論をまとめる予定。これは光文社新書から。
個人的には平川君と「移行期」をめぐる往復書簡をやりとりしたいと思っているのだが、どこか企画してくれないであろうか。きっと安藤さんが息せき切って「うちで出します!」と走り込んでくるだろうけど。
などなど。
以上重大ニュースは7つ、それくらいで十分でしょう。
来年こそは、できるだけ重大事件がない静かな一年でありますように祈念したい。
では、みなさんもよいお年をお迎え下さい。
困難な時代を生きる君たちへ
神戸新聞の元日配達号に「中高生のために」一文を草して欲しいと頼まれた。
困難な時代を生きる君たちへというタイトルを頂いた。
神戸新聞購読者以外の方の眼には止まらなかったものなので、ここに再録する。
みなさんがこれから生きて行く時代はたいへんに困難なものとなります。
戦争に巻き込まれるとか、大災害に襲われるとかいうことではありません。そうではなくて、みなさんがこれから幸福な人生を送るために、どういう努力したらいいのか、その「やりかた」がよくわからないということです。
まじめに受験勉強をして、いい大学を出て、一流企業に就職したり資格や免状を手にすれば、あとは生計について心配はしなくてよいというような「人生設計」を立てることがむずかしくなった。
ただし、「むずかしくなった」だけで、まるで不可能になったわけではありません。そこがむしろ問題なんです。受験勉強なんか無駄、学歴なんか無意味、資格や免状も無価値というところまでいっそ徹底していれば、頭の切り換えもできるのですが、そうではありません。報われると信じて努力して報われる人もいるし、努力したのに報われなかった人もいる。
その分かれ目にはっきりした法則性がないのです。それが私たちの時代の「困難さ」の実体です。
グローバル経済の中で、努力と報酬の間の相関が希薄になりました。みなさんが名前も知らないような遠い国で国債が値下がりしたり、不動産バブルがはじけたり、洪水が起きたりすると、いきなり勤めていた会社の株価が暴落したり、人員整理されたりする。「どうして?」と訊いても、誰もうまく答えられない。私たちが顔を知っている人たちの間でなら、努力したことや才能があることはわかってもらえます。でも、グローバル経済体制で私たちは顔の知らない人々、何を考えているのかわからない人たちと深いつながりを持ってしまった。その人たちの身に起きたことが私たちの生活にいきなり死活的な影響をもたらす。私たちはそういう時代にいます。
そういう時代にみなさんはどう生きればいいのでしょう。私に言えるのは一つだけです。どんな学問や仕事を選ぶにしても「努力することそれ自体が楽しい」ことを基準にして下さい。日々の努力そのものが幸福な気分をもたらすなら、グローバルスタンダード的にどう「格付け」されるかなんて、どうだっていいじゃないですか。
私自身は20代からずっと哲学の本を読むことと武道の稽古に打ち込んできました。とても楽しい時間でした。結果的にそれで生計を立てることができましたが、若いときは「そんなことやって何になるんだ」と言われ続けました。でも、気にしなかった。みなさんも「それが何の役に立つのかわからないけれど、どうしてもやりたい、やっていると楽しい」ことをみつけてください。そうすれば、「努力したけれど報われなかった」という言葉だけは口にしないで済むはずです。
メルマガの予告編「格差社会について」
メルマガに書いたのはこの4倍くらいの量ですので、「予告編」をブログに掲載することにしました。こういう話がこれから二転三転するんですけれどね、もちろん。
まずはイノウエくんの質問から。
第二回
「最近は、「今の世の中は閉塞感に満ちている。それは世の中が膠着しているからだ。そしてなぜ膠着しているかと言えば、既得権益を貪る老害たちが若者にチャンスを回さないからだ」と考える人が多い気がします。しかし、私はこの考え方がしっくりきません。
確かに個別に見ていけば、「さすがにもう前線は退いて、若い人にその席を譲ってもいいのではないか?」と思う人はいます(けっこうたくさんいますね……)。でも社会全体の構造を考えると、年長者全員の物分かりがよくなって「若者に笑顔やチャンスやお金をふりまいた」からといって、世の中が良くなるようには思えないのです。年長者がある意味で「壁」になり、青年がその「壁」を乗り越えるためにあらゆる工夫をする。そうした活動の中で、世の中というのは活性化していくのではないでしょうか。
良くも悪くも、時代は動いていきます。とくに二十一世紀前半の日本は、激しく動きそうです。そんな中で、「大人」はどのような行動を取るべきなのでしょうか。内田先生、教えてください!」
こんにちは。第二回の質問にお答えします。
元日のNHKテレビで「日本のジレンマ」という番組をやっていましたね。30-40代の若手知識人を集めた円卓会議のようなもので、格差の問題、そして、この質問にあったように「世代間対立」のことが論じられていました。最初は面白く見ていたのですが、途中でなんだかうんざりして消してしまいました。
その少し後に、平川克美くんとだいたい月一ペースでやっているラジオの対談番組の収録のときにその話題になりました。平川君もこの番組を見ていて、僕と同じように、途中でうんざりして消してしまったそうです。
何でうんざりしちゃったんだろうね、というところから話が始まりました。
「金の話しか、してないからじゃないかな」というのが二人の合意点でした。
格差の問題、年金の問題は今は「世代間における社会的資源の分配の不公平」という枠組みで論じられています。
その問題設定のしかたそのものは間違っていないと思います。
ご存じのように、年金制度は少子高齢化という人口分布のアンバランスによってもはや制度の体をなしていない。現行の賦課方式(現役世代が年金受給者を支える)ではもう高齢者のヴォリュームゾーンを支えきれない。だから、これを積み立て方式(同年齢集団で支え合う)に切り替えようということが提案されたりしている。
話としては整合的です。
だから、平川君と僕が違和感を覚えたのは、そこで話されていることの「コンテンツ」に論理的な不整合があるとか、データが間違っているとかいう理由からではありません。
「なんで、そんな話ばかりするの?」という「話題占有率」の異常な髙さが僕たちの違和感の所以でした。
というのは、どこまで記憶をたどっても、僕たちは若い頃に年金について熱く論じたことなんかなかったからです。
もちろん、年金は払っていました。年金けっこう高いねというようなことは給与明細みながら言ったことはあったでしょう。でも、その話で僕たちが熱く語りあったことは一度もなかった。
どうせお前たちはお気楽な身分だったからだろうという厭味を言う人がいるかも知れませんけれど、僕たちは大学卒業後に二十代後半で起業していたので、シビアな会社経営者だったのです。それでも、年金のことなんかほとんど話題にしなかった。
理由の一つは、年金受給年齢まで生きてると思っていなかったからですね。
これは単に「想像力がなかったから」と言った方がいい。
その時代の平均余命と医療の進歩を勘案すれば、かなり高い確率で年金受給年齢まで生きていることはありえたわけですが、それでも「年金をもらう自分」の姿をどうしても想像できなかった。
それは60-70年代というのが、社会的な変動期で、国家的規模で「想定外」の出来事が続発して、「もう先のことはわかんねえや」的な諦観とノンシャランスの入り交じったような気分が横溢していたせいです。
だって、60年代前半において、平均的日本人が自分の未来について抱いていた最大の不安は「核戦争の勃発」だったんですから。
ほんとですよ。
62年のキューバ危機のとき、米ソはほとんど核戦争の手前までチキンレースで意地を張り合っていました。
スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』(64年)もスタンリー・クレイマーの『渚にて』(59年)も松林宗恵の『世界大戦争』(61年)も、愚かな政治家たちのせいで世界が核戦争で滅びる話です。それらの映画はかなり高い確率でこれから地球上に起きそうな出来事を描いている、僕たちはそう思って見てました。だいたい、『世界大戦争』なんか、小学校の社会学習で先生に連れられてクラス全員で見に行ったんですよ!今思えばあれは「心の準備」をさせるための教育的配慮だったんじゃないでしょうか(映画のラストはフランキー堺と乙羽信子と星由里子のふつうの一家が核ミサイルが日本の着弾するまでの短い時間に「最後の晩餐」を囲む場面なんですからね)。
60年代前半は「核戦争が起きて、人類は滅亡するのかも知れない」という暗澹たる予測が「常識」だった時代だったんです。そういっても、若い人にはなかなか信じてもらえないかもしれないけれど、あの時代の、例えばクレイジー・キャッツの映画の底抜けの明るさなんかも、「核戦争の不安」を抜きにするとうまく理解できないと思います。ある種「やけくそ」なんです。明日はどうなるかわからない。だったら、どっと楽しくやろうじゃないか、と。とにかく前の戦争のときとは違って、いくらわいわい騒いでも馬鹿笑いしても、隣組のオヤジに説教されたり、特高に捕まったりする気遣いだけはないんだから・・・たぶん、そんな気分だったと思います。せっぱつまった明るさなんですよ、あれは。
そういう気分のときに「年金の話」とか、しないでしょう、ふつう。
60年代後半から70年代前半までは今度は核戦争じゃないですけど、世界的なスケールで政治的激動の時代でした。中国では文化大革命が始まっていました。アメリカは国外ではベトナムでナパーム弾で農民たちを焼き払い、国内ではヒッピームーヴメントの絶頂期で、公民権運動に続いてブラックパンサーがラディカルな活動を始めていました。ドイツではバーダーマインホフグループが、イタリアでは赤い旅団がテロ活動を行い、フランスでは「五月革命」と呼ばれる学生=労働者の運動が首都を覆い尽くしていました。
世界が明日どう変わるかわからない。誰にも予想がつかない。そんな激動の時期が10年近く続いたのです。
そういう気分のときに「年金の話」とか、しないでしょう、ふつう。
その後は今度はいきなり非政治的な、享楽と奢侈の時代に急転換しました。バブルの時代です。
女子大の教室のドアをあけるとむせかえるようなプワゾンの匂いがし、18歳の少女たちがミンクやシルヴァーフォックスのコートを来て練り歩き、時給750円のラーメン屋のお兄ちゃんがロレックスをはめ、家賃3万円のアパートの駐車場にベンツやBMWが並んでいて、ふつうのおじさんがフランスやオランダでシャトー(森と池つき)を買い、ふつうのおばさんがパリ16区にアパルトマンを買うという、まことに奇妙な時代でした。日本中の人々が株と不動産取引に夢中でした。それは彼らに言わせると「道に落ちているお金を拾うようなもの」なのだったのだそうです。立ち止まって、屈み込めば、誰でもお金が手に入る、そんな時代でした。
たしかに、この時代の人たちはほとんど「金の話」しかしませんでした。
僕は1985年に開かれた高校のクラス会のことをよく覚えています。最初から最後まで株と不動産の話だけで終わりました。僕はどちらとも無縁だったので、まったく級友たちの談笑の輪に入ることができず絶望的な気分になったのを覚えています。
そのときも誰も「年金の話」はしませんでした。そんな「はした金」のことなんかどうだってよかったのです。
ともかくそんなふうに生まれてから今日まで、年金のことをまじめに熱く語ったことが一度もなかった世代の人間なので、若い知識人たちが年金制度について熱心に制度のディテールについて適否を論じ合う姿を見て、なんだか「奇妙な夢」を見ているような気になったのです。
勘違いして欲しくないのですが、それが「悪い」と僕は言っているわけではありません(社会制度のあるべきかたちについて真剣に語るのが悪いことのはずはありません)。そうではなくて、正月早々に、おそらく同世代の中で際立って才知にあふれた方々が一堂に会して、そこで「年金制度」について、放送時間の半分近くを費やしたことに僕はびっくりして、うろたえてしまったのです。
僕の本音の声を漏らすならば、「今って、そんな話している場合なの?」ということでした。
(以下メルマガに続く)
なんか、ここまで読んだ人たち、すごく怒りそうですけど、このあと「そんなに怒らないでください、実はですね・・・」というお詫びと言い訳がありますので、がまんして続きを読んで下さい(と営業)。
ポスト・グローバリズムの世界、あるいは「縮みゆく共同体」
アメリカの最近の国勢調査で、白人の人口が2歳時以下の幼児の過半数を割った。
ヒスパニック系(16.3%)がアフリカ系(12/6%)を抜いて、マイノリティの最大集団になった。
ヒスパニックは出生率2.3で、白人を0・5ポイント上回っている。
アメリカにおいて白人が少数民族になる時代が近づいている。
ヒスパニックは英語を解さないスペイン語話者を多く含む。
都市の黒人たちはすでに「エボニクス」という、英語と文法も語彙も違う独特の言語を有している。
「社内公用語は英語とする」というような「守旧派的」な雇用条件を課す企業が出てくるのも、こうなると時間の問題である。
これを文化の多様化と言って言祝ぐ人もいるかも知れない。だが、国民国家が共通言語を喪失するという事態は「多様化」というよりはむしろ「分裂」と呼ぶ方がふさわしいだろう。
アメリカは国家としての統合軸を失いつつある。
植民地時代はジョン・ウィンスロップが掲げた「新大陸に理想の福音国家を創る」という宗教的なモチベーションがあった。
独立戦争の時は「独立宣言」が市民たちを統合した。
その後も、ひさしく法外に豊かな自然資源がヨーロッパの窮民たちを受け入れ、そこに自立と自助の道徳と高い社会的流動性が生まれた。
でも、東西冷戦が終わり、アメリカは「崇高な」存在理由を失ってしまった。
もうアメリカに人類を進歩と豊かさに導く倫理的なリーダーを求める人はいなくなった。
アメリカは他国と同じようなモラルハザードと、他国と同じような貧しさに苦しむ「どこにでもある普通の国」になりつつある。
普通の国が普通の国であることに何の不思議もない。
だが、アメリカの場合は「普通の国」になる、ということそれ自体が「普通じゃない」事態なのである。
アメリカはかつて一度も「普通の国」になったことがないからである。
オバマ大統領は四年前に、彼の前任者が地に落としたアメリカの倫理的威信を回復し、アメリカをもう一度「偉大な国」たらしめようと望んでホワイトハウスに入った。
でも、彼は、イラク撤兵を除くと、その約束のほとんどを実現できなかった。
オバマがもう一度オバールオフィスの主となることができても、「アメリカの没落」という基本的な趨勢は変わらないだろう。
「アメリカの没落」とは、「アメリカの普通の国化」ということである。
別に恥ずかしいことではない。
けれども、アメリカという国は「普通じゃない」ことを、それをほとんど唯一の存在理由にして国民的統合を成り立たせて来た国なのである。
それが「普通の国」になるというのは、国民的統合の「軸」を失うということである。
世界の人々をアメリカに惹きつけてきたのは、それが「例外的な国」だったからである。世界の人々がアメリカの犯してきたさまざまな誤りに対して異常に寛大だったのは(罰するには巨大すぎるという理由と並んで)この国が「例外的な国」だったからである。
「ずいぶんひどいことをする国だが、それはアメリカが『世界の希望』を担うという歴史的使命をうまく処理できないせいで起きたことで、利己のためではないのだ」というかたちで私たちはアメリカの誤謬を「やむなく」認めてきた。
そのような「特別扱い」の権利を国際社会はもうこれからアメリカには認めないだろう。
「次の大統領」は「なぜ、アメリカだけが世界の安定と繁栄のためのコストを引き受けなければならないのか。アメリカはアメリカだけのことを考えていればよいではないか」という国民の声に屈服するだろう。
もちろんこれまでもアメリカは自国の国益を最大化するために行動してきた。けれども、その時も「これは一国の利害得失のためのことではなく、世界のための行為なのだ」という大義名分をどんな詭弁を弄してでも手放さなかった。
「普通の国」ではない、というのが彼らが超法規的な仕方で自国の国益を守ってきたときの切り札だった。
でもアメリカ人は「自国さえよければそれでいい」という恥ずかしいほどリアルな本音を口にできる「普通の国」の国民であることを願うようになった。
この流れは今に始まったわけではない。
ソ連は七十年間にわたる「国際共産主義運動」の大義名分を捨てて、恥ずかしいほどリアルな「普通の国」になった。
中国もなった。
EUはまだ意地を張って、「欧州統合」の理想を掲げているが、現実には、ヨーロッパでは「移民排斥」や「ユーロ離脱」を公然と掲げる右翼政党がどこでも支持率を急伸させている。
フィンランドでもオランダでもデンマークでも、「なりふり構わぬ本音」を人々は口にし始めた。
フランスも今年が大統領選挙であるが、去年の支持率調査では極右の国民戦線のマリーヌ・ルペンがサルコジ、オランドを抑えて首位につけた。
ルペンの公約は「移民排斥」と「ユーロ離脱」である。
それは単にEU理念の否定というだけでなく、「自由・平等・博愛」のフランス革命理念の否定でもある。
もう、きれいごとなんか言ってられない、ということである。
人権の本家であるフランスにして、そこまで追い詰められているということである。
実際の選挙結果は「(展望のない)現状維持」あたりに落ち着くのかもしれないが、それでも私たちの前に現状からの政治的なオルタナティブとしては「世界中のすべての国の『普通の国』化趨勢」しかないという事実は揺るがない。
これから世界のすべての国が「普通の国」になる。
グローバリゼーションとは、そういうことである。
でも、行き過ぎたグローバリゼーションに対する補正の動きは当然のことながら「ローカライゼーション」というかたちをとる。
具体的には、「共同体のダウンサイジング」である。
共和党の掲げる「世界の警官」廃業論や連邦政府の権限縮小論がはその適例である。
世界の人口は70億を越えた。中国一国で14億である。14億というのは、19世紀末の世界人口である。
それだけの人間を19世紀的なシステムでコントロールできるはずがない。
というので「世界政府」としての国際連合や、「国民国家の廃絶への道」としてのEUの理念が提示されたのだが、それがうまく機能していない。
サイズが大き過ぎたのだ。
だから、世界は今「ダウンサイジング」のプロセスに向かっている。
というのが私の現状理解である。
私自身、「顔の見える共同体」の必要性をつよく感じていることはこれまでも繰り返し書いてきた通りである。
幼児や高齢者や病人や障害者を含む集団を維持するためには、「集団内の弱者を支援し、扶助し、教育することは成員全員の当然の義務である」という「倫理」が身体化しているような集団がどうしても必要である。
「倫理」とは原義において「倫(なかまたち)」と共にあるための「理法」のことである。
「なかま」のいない人間に倫理は不要である。
「私には仲間はいない。いるのは手下と敵だけだ」という決めの台詞を何かの映画で見た記憶があるが、そういうのが「倫理のない人」である(たしかにこの人物は邪魔な人間、気に入らない人間をじゃんじゃん殺していた)。
仲間がいると人間の可動域は制約され、自由は抑制されるが、その代わりに「ひとりではできないこと」ができるようになる。
「ケミストリー」と言ってもいい。
自分に「そんなこと」ができるとは思ってもいなかったことが「仲間」の登場によってできるようになる。
一方で何かを失い、一方で何かを得る。
帳尻が合う場合もあるし、合わない場合もある。
「仲間がいてよかった」と思うこともあるし、「いない方がよかった」と思うこともある。
でも進化の淘汰圧は「仲間がいる種」だけを残した。
だから、私たちは「仲間とともに生きる理法」を学ばなければならない。
そして、この理法のいちばん基礎的な取り決めは、「最適サイズ」をどこにとるか、ということである。
倫理がきちんと機能するかどうか、それを決定するのは、実は「サイズの問題」なのである。
どこまでを「倫」(なかま)に含めるか。
それについてある程度筋の通った基準を決めておかないと、「理」は働かない。
倫理の有効性は、まことに身も蓋もない言い方をすれば、「その利害を優先的に配慮し、その人たちと共生することが自然な情理にかなっているように思える集団のサイズ」を適正にみきわめられるかどうかにかかっている。
「『倫理の効果はサイズによって決まる』というような非倫理的な妄言を吐く人間は厳しく弾劾されねばならない(そんなことをいう人間は私たちの仲間ではない)」というような言明はその「身も蓋もない」思考の好個の例である。
「倫理の効果はサイズの関数である」というのは事実認知的命題であり、「その集団のサイズをどう高いレベルに維持するか」は遂行的な課題である。
私は「事実認知から始まらないと遂行的課題は達成できない」というごく常識的なことを申し上げているだけである。
ポスト・グローバリズムの世界は、「縮む世界」となる。
この趨勢はとどめることができないと私は思う。
その事実をまっすぐに見据えて、その地滑り的な体制の変化の中で、「近代が夢見た(捨てられようとしている)理想」、すなわち「数百万、数千万の人々を結びつける宏大な共生感をもたらしうる何か」を掬い上げることが私たちのとりあえずの仕事であるように私には思われるのである。
わかりにくい話で済まない。
平川くんの『小商いのすすめ』と併読して下さると、私の言わんとするところも幾分かわかりやすくなるような気がする(まだ読んでないので、わからないけど)。
日本のメディアの病について
フランスの雑誌 Zoom Japon から「日本のメディアについて」寄稿を求められた。
フランス人に日本のメディアの劣化の病態とその由来について説明する仕事である。
どんなふうに語ったらよいのか考えた。
とりあえず人間の成熟とメディアの成熟は相同的であるということで説明を試みた。
こんなふうな言葉づかいで日本のメディアについて語る人はあまりいないが、それは「外国人に説明する」という要請を私たちがものを書くときにほとんど配慮することがないからである。
いつもそうである必要はないが、ほんとうに死活的に重要な論件については、自分の書いたことが外国語に訳されて、異国の人々に読まれたときにもリーダブルであるかどうかを自己点検することが必要だと私は思う。
ではどぞ。
2011年3月11日の東日本大震災と、それに続いた東電の福島第一原発事故は私たちの国の中枢的な社会システムが想像以上に劣化していることを国民の前にあきらかにした。日本のシステムが決して世界一流のものではないことを人々は知らないわけではなかったが、まさかこれほどまでに劣悪なものだとは思っていなかった。そのことに国民は驚き、それから後、長く深い抑鬱状態のうちに落ち込んでいる。
政府の危機管理体制がほとんど機能していなかったこと、原子力工学の専門家たちが「根拠なき楽観主義」に安住して、自然災害のもたらすリスクを過小評価していたことが災害の拡大をもたらした。それと同時に、私たちはメディアがそれに負託された機能を十分に果たしてこなかったし、いまも果たしていないことを知らされた。それが私たちの気鬱のあるいは最大の理由であるかも知れない。
メディアは官邸や東電やいわゆる「原子力ムラ」の過失をきびしく咎め立てているが、メディア自身の瑕疵については何も語らないでいる。だから、私たちは政治家や官僚やビジネスマンの機能不全についてはいくらでも語れるのに、メディアについて語ろうとすると言葉に詰まる。というのは、ある社会事象を語るための基礎的な語彙や、価値判断の枠組みそのものを提供するのがメディアだからである。メディアの劣化について語る語彙や価値判断基準をメディア自身は提供しない。「メディアの劣化について語る語彙や価値判断基準を提供することができない」という不能が現在のメディアの劣化の本質なのだと私は思う。
メディアはいわば私たちの社会の「自己意識」であり、「私小説」である。
そこで語られる言葉が深く、厚みがあり、手触りが複雑で、響きのよいものならば、また、できごとの意味や価値を考量するときの判断基準がひろびろとして風通しがよく、多様な解釈に開かれたものであるならば、私たちの知性は賦活され、感情は豊かになるだろう。だが、いまマスメディアから、ネットメディアに至るまで、メディアの繰り出す語彙は貧しく、提示される分析は単純で浅く、支配的な感情は「敵」に対する怒りと痙攣的な笑いと定型的な哀しみの三種類(あるいはその混淆態)に限定されている。
メディアが社会そのものの「自己意識」や「私小説」であるなら、それが単純なものであってよいはずがない。「私は・・・な人間である。世界は・・・のように成り立ってる(以上、終わり)」というような単純で一意的な理解の上に生身の人間は生きられない。そのような単純なスキームを現実にあてはめた人は、死活的に重要な情報-想定外で、ラディカルな社会構造の変化についての情報-をシステマティックに見落とすことになるからだ。
生き延びるためには複雑な生体でなければならない。変化に応じられるためには、生物そのものが「ゆらぎ」を含んだかたちで構造化されていなければならない。ひとつのかたちに固まらず、たえず「ゆらいでいること」、それが生物の本態である。私たちのうちには、気高さと卑しさ、寛容と狭量、熟慮と軽率が絡み合い、入り交じっている。私たちはそのような複雑な構造物としてのおのれを受け容れ、それらの要素を折り合わせ、共生をはかろうと努めている。そのようにして、たくみに「ゆらいでいる」人のことを私たちは伝統的に「成熟した大人」とみなしてきた。社会制度もその点では生物と変わらない。変化に応じられるためには複雑な構成を保っていなければならない。
メディアの成熟度にも私は人間と同じ基準をあてはめて考えている。その基準に照らすならば、日本のメディアの成熟度は低い。
全国紙は「立派なこと」「政治的に正しいこと」「誰からも文句をつけられそうもないこと」だけを選択的に報道し、テレビと週刊誌は「どうでもいいこと」「言わない方がいいこと」「人を怒らせること」だけを選択的に報道している。メディアの仕事が「分業」されているのだ。それがメディアの劣化を招いているのだが、そのことにメディアの送り手たちは気づいていない。
ジキル博士とハイド氏の没落の理由は、知性と獣性、欲望抑制と解放をひとりの人間のうちに同居させるという困難な人間的課題を忌避して、知性と獣性に人格分裂することで内的葛藤を解決しようとしたことにある。彼が罰を受けるのは、両立しがたいものを両立させようという人間的義務を拒んだからである。だが、その困難な義務を引き受けることによってしか人間は人間的になることはできない。面倒な仕事だ。だが、その面倒な仕事を忌避したものは「人格解離」という病態に誘い込まれる。私たちの国のメディアで起きているのは、まさにそれである。メディアが人格解離しているのである。解離したそれぞれの人格は純化し、奇形化し、自然界ではありえないような異様な形状と不必要な機能を備得始めている。
メディアは「ゆらいだ」ものであるために、「デタッチメント」と「コミットメント」を同時的に果たすことを求められる。「デタッチメント」というのは、どれほど心乱れる出来事であっても、そこから一定の距離をとり、冷静で、科学者的なまなざしで、それが何であるのか、なぜ起きたのか、どう対処すればよいのかについて徹底的に知性的に語る構えのことである。「コミットメント」はその逆である。出来事に心乱され、距離感を見失い、他者の苦しみや悲しみや喜びや怒りに共感し、当事者として困惑し、うろたえ、絶望し、すがるように希望を語る構えのことである。この二つの作業を同時的に果たしうる主体だけが、混沌としたこの世界の成り立ちを(多少とでも)明晰な語法で明らかにし、そこでの人間たちのふるまい方について(多少とでも)倫理的な指示を示すことができる。
メディアは「デタッチ」しながら、かつ「コミット」するという複雑な仕事を引き受けることではじめてその社会的機能を果たし得る。だが、現実に日本のメディアで起きているのは、「デタッチメント」と「コミットメント」への分業である。ある媒体はひたすら「デタッチメント」的であり、ある媒体はひたすら「コミットメント的」である。同一媒体の中でもある記事や番組は「デタッチメント」的であり、別の記事や番組は「コミットメント」的である。「デタッチメント」的報道はストレートな事実しか報道しない。その出来事がどういう文脈で起きたことなのか、どういう意味を持つものなのか、私たちはその出来事をどう解釈すべきなのかについて、何の手がかりも提供しない。そこに「主観的願望」が混じり込むことを嫌うのである。
「コミットメント」的報道は逆にその出来事がある具体的な個人にとってどういう意味を持つのかしか語らない。個人の喜怒哀楽の感情や、信念や思い込みを一方的に送り流すだけで、そのような情感や思念が他ならぬこの人において、なぜどのように生じたのかを「非人情」な視点から分析することを自制する。そこに「客観的冷静さ」が混じり込むことを嫌うからである。
「生の出来事」に対して、「デタッチメント」報道は過剰に非関与的にふるまうことで、「コミットメント」報道は過剰に関与的にふるまうことで、いずれも、出来事を適切に観察し、分析し、対処を論ずる道すじを自分で塞いでしまっている。
私たちの国のメディアの病態は人格解離であり、それがメディアの成熟を妨げており、想定外の事態への適切に対応する力を毀損している。いまメディアに必要なものは、あえて抽象的な言葉を借りて言えば「生身」(la chair)なのだと思う。同語反復と知りつつ言うが、メディアが生き返るためには、それがもう一度「生き物」になる他ない。
バリ島すちゃらか日記
2月17日
久しぶりの休日は、一年ぶりのバリ島バカンス。
ほんとうに休みなく働いている。まさか退職した後にこれほど忙しくなるとは思っていなかった。
4月から「毎日が夏休み」になるかと思っていた。
実際には「毎日が月曜日」という悲惨な暮らしがそれから始まった。
退職したら、半年ほどは完全休養して、旅行にいったり、ふらりと温泉に逗留したり、映画を観たり、レヴィナス論を書き継いだり、カミュの「反抗的人間」の翻訳をしたり、多田先生のイタリアの講習会に行ったりして幸福な人生を過ごす予定だった。
そんなことを夢見て、大学での最後の数年を歯を食い縛って耐えたのである。
でも、夢見たことはひとつも、ひとつも実現しなかった。
結局一年間ひたすらディスプレイに向かって締め切りに追われて原稿を書き、講演をし、取材を受け、対談をし、ゲラを直し、「残念ながら、もう新規の仕事を容れる余裕はありません。貴意に添えず申し訳ありません」とメールに書き、新幹線に乗って東奔西走するうちに終わってしまった。
もちろん、楽しいこともあった。
武道とお能の稽古にはこれまでよりたっぷり時間を取れた。
凱風館が完成して、たくさんのお客さんを家にお迎えした。
新しいわくわくする出会いにも恵まれた。
でも、「退職したら、やろう」と夢見ていたことは一つもできなかった。
もちろん、私のスケジューリングが甘かったということだけではない。
3月11日の震災と原発事故がわが国のシステムの本質的な脆弱性を露わにし、それについて批判的検証を加え、オルタタティブを提示するという緊急な責務が言論にかかわるすべての人間に課せられたのである。
私も禿筆を以って口を糊している以上、この責務から逃れることは許されない。
それに加えて、大阪では「維新の会」というきわめて危険な政治運動が大衆的人気を得て、地方自治体を超えて、国政進出まで窺うという思いがけない流れが出てきた。
平松邦夫前市長に特別顧問として迎えて頂いた身である以上、当事者責任は免れられず、ダブル選挙にも平松陣営の一人としてかかわることになった。
震災と維新の会さえなければ、もっと穏やかな退職生活が過ごせたことは間違いないが、事実を前には、言ってもせん方ないことである。
ともあれ、久しぶりに、ほんとうに久しぶりに、電話もメールも届かない僻遠の地に逃れ出ることができたのである。
6日間ゆっくり骨休めするのがもちろん第一であるが、忙しさにかまけて更新を怠っていたブログに毎日日記を書き、落ち着いて考えることのかなわなかったトピックについてこの機会に再考してみたいと思う。
幸い雨季のバリは、毎日長い時間豪雨が降り、海岸にもプールサイドにもいられない。雨が降り続ける間は(一日続くこともある)部屋で昼寝をするか、持ってきたシャーロック・ホームズを読むか、書き物をするかしか、時間の過ごしようがない。
今は飛行機の中。
9時関空集合で、集まったのは「内田家社員旅行」にご参加の13人プラス赤ちゃんひとり。
リピーターは、私の他には、ジロちゃん、ともちゃん、ジュリー部部長、総務部長、フクダくんの6名。残りは新顔である。「ジュリー部長令嬢」「総務部長令嬢」「赤ちゃん」「ナカノ教授」「教授夫人」「ヒラマツ氏」「ヒラマツ夫人」「アカボシくん」である。
定時に全員集合し、シモヤマくんに案内されて、とりあえず無事出国。
ラウンジでビール、機内でシャンペン、ワイン、ビール、ブランデーをきこしめして、午後2時段階ですでに酩酊状態である。
ただいま東シナ海上空を飛翔中。
昼食後爆睡。入国手続き(機内で済ませちゃうのだ)で一度起こされたが、再び爆睡。次に目が覚めたらもうデンパサール近く。
この飛行機寝心地よいですね。
前に(タムラくんとクロやんと)乗った時はガルーダは機材がボロいという印象があったが(実際に長くヨーロッパ路線に就航が許されなかった)、ずいぶんきれいになったものである。
インドネシアも急速に経済成長を遂げているのである。
あと10分で着陸。
2月18日
バリ島二日目。
今回もいかなるアクティヴィティにも参加せず、ひたすらプールサイドとビーチとベッドで時間を過ごす予定である。
「バカンス」というのはご案内のとおり「空虚」というのが語源である。
だから、「アクティヴィティ満載の空虚」というのはほんらい論理矛盾なのである。
できる限り何もしない。
部屋の中を歩く時も、できるだけゆっくり歩く。ビールもできるだけゆっくり飲む。シャワーを浴びるときもかなうかぎり緩慢に身体を洗う。
「日本一のイラチ男」であるところのウチダにとっては、それこそが「バカンス」なのである。
それくらいのことなら日本にいてもできそうだが、これができない。
だから、それだけのことをするために、わざわざ7時間も飛行機に乗って来たのである。
バリ島ではそれが可能になる。
だって、バリの人たちって、私のこの理想をその執務態度のうちにすでに体現されているからである。
嘘だと思ったら、どなたでもいい、それぞれのお仕事をされているバリ島のみなさん(税関職員でもバスの運転手でもホテルのベルボーイでも)の写真を任意に撮影して、そこに「ふきだし」をつけて「いいよ、べつに」という文字を書き込んでご覧なさい。
もう、これ以外にないというくらいにジャストフィットすることがわかるであろう。
take it easy
それがバリ島の皆さんが全身から発信してくるメッセージなのである。
うちの奥さんは「ハワイの方がいい」とおっしゃるけれど、ハワイの皆さんはここまでレイドバックしていない。もうちょっと勤勉であるし、ビジネスマインデッドである。
けれども、ウチダが餓えるように求めているのは、何よりもこの「わし、どーでもえーけんね感」なのである。
レイドバック。
それこそ私に本質的に欠如している感覚である。
「無聊を託っているウチダ」というものを見た方はおられるだろうが(それとて最近は稀だが)、「無為に頽落しているウチダ」というものを見た方はまずおられないと思う。
余人の眼から私がきわめて無為に見えたのは、おそらく駿台予備校に通っていた18歳のころであると思うが、そのときは受験生だったので、無為以外の時間はずっと受験勉強をしていたのである。
無為といっても、映画を観て、麻雀をやって、本を読んで、ジャズを聴いていたのだから、ある意味ではほとんど「勤勉」だったとも言える。
ともかく、ぼんやりしていることができない。
バカンスだって、こうやって「私はいかにして楽しくレイドバックしているか」ということを早起きしてばりばりiPadに向かって入力しているわけであるので、ぜんぜん空虚じゃないじゃない。
さあ、そろそろ朝ごはんをLagoonaに食べにゆくとするか。
途中でイグアナを見つけたら、写真撮影をせねば。
朝ごはんの席にてナカノ先生ご夫妻と「中国人はなぜあのように声が大きいのか」「中国人はなぜ列を作ることをあれほど忌避するのか」「中国人はなぜあのように不機嫌な顔をデフォルトにしているのか」など、中国人問題について学術的な意見交換を行う。
話題の選択と隣席が中国人であった事実との間にはいかなる内在的な関連性も存在しない。
朝食後、イグアナを探して散策。発見して、フルタ君に送信。
では、仕事を始めようと思ったが、配線がこんがらがっている。
コンセントからiPad とiPodとgalaxy の充電の電源を取っていて、かつiPodからヘッドフォンのコードが伸びているので、全部で四本の線がデスク上で絡み合っている。
なぜ、コードは放置しておくと解決不能な仕方で絡み合い、放置しているうちにきれいに整列するということが起きないのであろう。
エントロピーの法則と関係があるのだろうか。
今度森田くんに聴いてみよう。
プチ仕事が一段落ついたので、ではプールにでも行こうかと思ったら、にわか雨が降って来た。
そういうもんですよね。
というわけでで、さらに仕事を続ける。
前回は雨の降るときはベランダで『Onepiece Strong Words』の解説を書いていた。
ずいぶん長いものを書いたけれど、それはそれだけ長い時間雨が降っていたということである。
今やっているのは昭和女子大学でやった講演録のゲラチェック。
これはどなたがテープ起こししたのか知らないけれど、クオリティの高い仕事である。
このまま手を加えなくてもいいくらいきちんと刈り込んであって、聞き漏らしもない。
でも、そういう素材をもらうと、こちらはすっかりいい気分になって、じゃあもっと加筆しようという気になる。
そのせいで、どんどん元の講演とは違う内容になってしまうのだが、そういうふうに創作欲を刺激してくれるのがよい「テープ起こし」である。
でも、申し訳ないけれど、新聞雑誌の対談や取材のテープ起こし原稿の大半はそのままでは使えない。
たぶん、インタビュイーの方たちの多くは、そんなこと気にしないでそのまま活字化することを許可してしまうのだろうが、私は「たしかにこんな『内容』のことは言ったけれど、『言い方』が違うでしょう・・・」というのが気になる。
こういう「言い方」をする人間だと思われたくない。
メディアによって、こちらのメッセージは必ず「縮減」される。
込み入ったロジックは忌避され、英語や漢語は簡単な類義語に置き換えられる。
でも、私はなぜかそういう「言い方」がしたいのである。
したいんだから、させて欲しい。
ある単語一つがきっかけで、思いがけない精神の風景が広がるということがある。
メディアはそういう単語ひとつ、音韻ひとつ、修辞ひとつのもつ生成的なインパクトを過小評価する傾向にある。
短いエッセイや映画評を読んで、すぐにAmazonに走って「まとめ買い」するということは決して稀ではないが、ジャーナリストについてはそういう経験をしたことがない。
コンテンツ的には立派なことが書いてあるが、その人の書いた本を、金を出してまでは読む気になれないのである。
それでいいのだ、という言い分もわかる。
ある種の匿名性がジャーナリストには課せられている。だから個体識別できない文体であえて書いているのだ。それはむしろわれわれのプロフェッショナリズムの現れなのだ、と。
そうかもしれない。
でも、そのプロフェッショナリズムは「繰り返し読む気になれない」文体をあえて選ぶことを求めているのだろうか。
私のような固有名で生きている書き手に「個体識別できない文体」を要求して、メディアはいったい何を得るつもりなのだろう。
私にはよくわからない。
ふと気がついて振り返ると、雨が上がっている。
とりあえずパンツと靴下を洗濯。ポロシャツはランドリーサービスに出す。
日が照って来たら、海水パンツにはき替えてビーチに出かけよう。
時計をみると、まだ11時過ぎ。お昼ご飯にはちょと早い。
泳いでから、プールサイドのレストランで、ハンバーガーとビールのお昼ご飯にしようっと。
快晴のプールサイドでヒラマツさんと並んでサンバーン。
ときどき泳ぐ。
去年は旧正月に当たっていたので、中国人がたいへんに多かったけれど、今年は少ない。
日本人のグループや新婚さんもいない。
多いのは相変わらずロシア人。
プールサイドのレストランのメニューも英語・ロシア語・日本語である。
バリ島のこのグレードのホテルは「各国の小金持ち」がクライアントのヴォリュームゾーンを形成しているので、定点観測していると、今はどのあたりの国が「小金持ち」を輩出しているかを知ることができる。
今は中国とロシアなんですね。
日本人はそれほどいないけれど、たぶん「いい顧客」だと思う。
従業員の「わりとなれなれしい接客態度」からそれと推察される。
あまりクレームもつけないし、大声も出さないし、ホテルがわからすれば気楽なお客さんなのであろう。
ロシア人も静かである。
かつてバリ島はオーストラリア人とアメリカ人中心のリゾートであったが、もう時代はずいぶん変わってしまったようである。アメリカ人なんか、もうどこにいっても、みかけることがなくなった。
ヒラマツさんご夫妻とプールサイドでご飯。
フローズンダイキリ、クラブサンド、バリハイドラフト。
空は限りなく青く、お腹は一杯、微醺を帯びて、すっかりいい気分になり、一度のお部屋に戻って、葉を磨いてお昼寝することにする。
目が覚めたら今度は海で泳ごうう。
ビーチで昼寝。海で一泳ぎしていたら雨が降ってきたので、部屋に戻って熱いシャワーを浴びて、バリハイビールを飲んだら、また眠くなってきた。ずるずるベッドに移動して、7時半まで爆睡。
よく寝るなあ。
起きるとさすがに暗い。
またシャワーを浴びて、私と同じく相方のいないともちゃんを誘って、Lagoonaへ。
同行の皆さんの大半はオプショナルツアーで夕陽を見るツアー(晩御飯付き)にお出かけなのである。
レストランに行くとナカノ教授ご夫妻がいたので、ご一緒させて頂く。
ナカノ教授は人も知る座談の名手である(おかしいことを言った後、聴衆がそのおかしさに気づく前に「自分受け」で笑い出すという特技をお持ちである。武道的に言うとこれは「先を取る」と言って、たいへん高度な技なのである)ので、談論風発、話頭は転々として奇を究め、要約することが叶わぬのである。
晩御飯はSurf and Turf Platter (「磯波と芝生の大皿」、すなわち海産物とお肉の一緒盛り)。ステーキ、鶏の手羽先、ツナ、海老、蟹、烏賊のグリルとフレンチフライとサラダが一枚の大皿にどんと乗っている。それにバリハイビールとハッテン・ロゼの1/2カラフ。
爆笑と満腹でたいへん満ち足りて、お部屋に戻る。
iPod でビーチボーイズを聴きながら寝酒のChivas Reagalの水割りを飲み、シャーロック・ホームズの冒険の続きを一頁読んだあたりで、睡魔に襲われる。
おやすみなさい。
2月19日
朝、7時起床。
外は薄曇り。
午前中は仕事をして、日が出てきたらプールで泳ぎ、午後はバリニーズマッサージに行くことにする。
8時にラグーナに朝ご飯にゆくと、ナカノ先生ご夫妻がいたので、前夜に続いて、ご一緒。
フクダ君と相方のアカボシ君も同席して、潮風に吹かれながら、たいへん快適な朝ご飯。
話題は例によって、爆笑続きの医療ネタ。
あまりに危ない話ばかりだったので、一つとして採録がかなわぬことが残念である。
朝ご飯の後、これでおかえりになるナカノ先生ご夫妻にさよならを告げて、部屋でプチ仕事。
外を見ると、きれいな青空が広がっている。
はやく泳ぎにゆきたいが、仕事のケリがつかない。
ようやく11時に一段落したので、海パンに着替えてプールサイドへ。
ともちゃんが一人でいるので、お隣に座る。
ゆく途中、コモド大トカゲがプールサイドを歩いているのを見て一驚を喫する。
イグアナがいることは前年知ったが、まさかコモドドラゴンまで。
ともちゃんの証言によると、私に出会う前にプールを悠々と泳ぎ切っていったそうである。
ドラゴンに噛まれたとか、そういう場合にアヨドヤリゾートは責任をとってくださるのであろうか。
爬虫類に囓られるのを回避するのは自己責任でしょうと言われそうな気がする。蚊に刺されたからといってホテルの責任を問う人はおらんでしょうと言われたら、反論できないし。
コモドドラゴンが肉食がどうかは知らないけれど、プールで会ったときにはそうっと逃げることにしよう。
お昼はバリハイドラフトと揚げ春巻(美味い)と軽め。
今日は夜がみんなでおでかけなので、控えめにしておくのである。
あまりに日差しが凄いので、ビーチに行ってさらに太陽光を摂取するというともちゃんと別れてお部屋に戻り、仕事の続き。
これが一段落したらスパにゆくのである。
鏡を見ると、もう真っ赤に日焼けしている。
立派なvacancier である。
あと二日さらに焼き上げるのであるから、雪の日本に帰ったら、きわめて場違いな風貌となるであろう。
夜はひさしぶりに全員で晩御飯。ホテルの外のシーフードレストランにゆく。
インドネシアのお店は暗い。昭和20年代の東京のお店もこれくら暗かったなあ・・・と思い出す。
お蕎麦やさんとか、昼間は真っ暗、夜だってぽつんとちびた白熱電球が下がっているだけだった。
なんだか懐かしい暗さである。
そこで、鰯みたい魚に魚醤をかけたものや烏賊の串焼きなどを食して、ぬるいビンタンビールを飲む。
なんだか昭和20年代の高架下の居酒屋にいるような(行ったことないけど)気分がしてくる。
ブータンに取り憑かれたように通う人がいるけれど、彼らもそこに「昔の日本の風景」があるような気がするらしい。
棚田に松並木に冠雪したヒマラヤに「ぐっ」と来るのだそうである。
バリ島が「来る」のも、たぶんそれに近い。
がたがたの道路舗装、きたないドブ、縁台に座り込んで所在なげな人々。
そういうのを見ると「なんか、なつかしい」と思う。
2月20日
朝、7時起床。
Twitterで岡田斗司夫さんが公開読書で「パブリック」という本を取り上げて、新しいタイプの公共性について書いている。
たいへん面白かった。
とくにプライバシーと社会性はトレードオフの関係にある、という指摘に同意。
不思議なことだが、個人情報を公開するほどに、安全性は高まる。
これは家を建てるときにセキュリティの専門家から教えてもらった。
いちばん無用心なのは「塀が高くて、中が見えない家。道路ではないもの(暗渠とか空き地)に接している家」だそうである。
いちばん安全なのは、「塀がなくて、家の中まで道路から見える家、人の出入りが多い家」だそうである。
前に学校に乱入して教員や児童が殺傷された事件が続いたことがあった。
その後、ほとんどの学校は学校は閉鎖的なものにした。
これは学校教育にとってきわめて危険なことだろうと私は思った。
学校は(とくに初等教育は)「地域に開かれている」ことが必要だ。
子供たちを地域社会の人たちがいつも見守っていられるというのが、学校の安全のためにはたいせつな条件なのである。
子供たちが「私たちはあなたたちを見守っている」という人々のメッセージを全身に浴びながら学校に通うという経験は、学校教育にとってきわめて本質的なことなのである。
だが、ほとんどの学校は「危機管理」の要請によって、重い鉄の扉で学校を閉鎖し、中を見えないようにした。
そうしろと保護者たちに要求されたら断れないでしょうとある学校で聞いた。
きっぱり断るべきだったのだが、教員たちに「学校は地域に開放されているべきだ」という確信がないのである。
そのための理論的基礎づけがなければ、「危機管理をしっかりしろ」という要請の前には屈服するしかないだろう。
教育実習のためにある中学校を訪問したとき、がっちり閉まった鉄の扉の前で立ち往生していたら、校舎の二階の窓から子供たちが声をかけてくれた。
「そこのインターフォンで名前を言うんだよ!」
なるほど。
「どうもありがとう」と二階の窓に鈴なりになっている子供たちにお礼を言った。
私がその学校について覚えているのは、二階から大声で入り方を教えてくれた子供たちの笑顔だけである。
もし、あれが入り口の扉の前に立っても学校の内側がまったく見えないような設計だったら・・・と思うと、ひどく気鬱になる。
そのときに校長先生に「扉に厳重に施錠していますが、地震とか火事とかあったときに、どうやって子供を逃がすんですか?」と訊いたら、「そうなんです。それが心配なんです・・・」と答えていた。
ほんとにね。
岡田さんの話はネット上での匿名性に及んでいた。
匿名であることによって得られた発言の自由は、それがどのような個人によって担保されているかが公開されていないことによって、信頼性を損なわれる。
この「言論の自由と信頼性のゼロサム関係」について、匿名の発信者はあまりに楽観的だと私は思う。
私自身は、匿名で発信された情報は基本的に信用しない。
たぶん、同じようなプリンシプルを持っている人は多いと思う。
私が情報の信頼性の判定基準にしているのは、発信者の「生身の人間としての、ほんとうらしさ」であって、「コンテンツのほんとうらしさ」ではないからである。
「生身の人間としてのほんとうらしさ」は本人に会って、その声を聞いてみないとわからない。
150人という「ダンバー数」は、おそらく情報について「裏を取れる」作業の限界でもある。
それくらいまでなら、「その話、ほんと?」という追加質問が可能である。
「ダンバー数」とは「ものを頼める人」の数の上限のことだが、「ものを頼む」ことのうちには、「質問」も含まれるだろう。
「このトピックについては、この人の情報や情報評価は信頼できる」という人がさまざまな分野にわたって150人いれば、私たちの世界認識はかなり精度の高いものになるだろう。
そのためには、そういう人たちの質の高い情報を一方的に受信できるというだけでは足りない。
「こちらからの質問に対してかならず誠意ある応答がある」という条件を要する。
この条件はきびしい。
私にもいろいろな質問をネット経由でしてくる人がいる。
答える場合もあるし、答えない場合もある。
「これまで本に繰り返し書いてきたこと」を質問してきた場合には答えない。
調べる手間を惜しむ人に、その時間を節約させてあげる義理はこちらにはない。
私が必ず回答するのは、「その人に、いずれこちらからも質問する可能性がある人」である。
よほど博愛的な気分になっているときを除くと、私が質問に答えるのは、「これから先も互恵的な情報のやりとりがあることが高い確度で予想される場合」に限られる。
その数の上限が150人くらいではないかと思うのであるが、この数は「生身の人間の生物としてのキャパシティ」ということを勘定に入れないと出てこない。
ジュリー部長、総務部長、アカボシさんとだらだら朝ごはんを食べてからおしゃべり。
雨がしとしと降っている。
今日の午前中は泳げそうもない。
部屋で二つ目のプチ仕事を仕上げる。
雨が上がって、青空が見えてきたので、プールサイドへ。
寝転んで、「The sign of four」 の続きを読む。
う~む、ちょっと構成に難ありかな。
最後の「告白」がちょっと長過ぎる。
でも、セポイの乱の「反乱軍に殺される側」の恐怖を描いたところは、けっこうどきどきする。
時代が時代だから、恐れを知らぬ差別表現の乱れ打ちである。
昔読んだときは「すごいこと書くなあ。旧時代の書き物なんだなあ」といささか当惑しながら読んだのだけれど、今読むと「すごいこと書くなあ。こんな「政治的に正しくない」書き方、今だったら校閲が真っ赤に入って、絶対許されないもんな。ガッツあるなあ」とむしろその剛胆に感心してしまう。
「時代の流れ」を感じる。
戻って、熱いシャワーを浴びて、Getz /Gilbert を聴きながら、きんきんに冷えたバリハイビールを飲む。
遠くで「ぼわいん」というバリの晩鐘(みたいなもの)の音が聴こえる。
ぼわいん。
7時にロビーで待ち合わせして、ヒラマツさんご夫妻、ともちゃん、フクダ君とBali collection へ。
UNOというイタリアへゆく。
バリ島のイタリアンはなかなかのレベルである。ピザとパスタがちゃんとしている。
ビンタンビールとカロボナーラと赤ワインと白ワインでプチ酩酊しつつ、フクダ君の恋愛事情とビジネス事情について、いろいろうかがう。
若い人たちはほんとうに労働条件が悪く、その中で真剣に「老後」の生活について考えているので、胸が痛む。
「老後」についての予測が割に合うのは、社会のかたちがこのまま推移する場合に限られる。
でも、今の世界をみていると、どう考えても、「社会のかたちがこのまま推移する」とは思われない。
アメリカが没落し、EUが解体し、中国の経済成長が止まったときに、日本社会に何が起こるかを正確に予測できる人間なんかいない。
移行期には、危機耐性のつよいライフスタイルを構築するしかない。
さまざまな職業、さまざまな階層、さまざまな技能、さまざまな知恵を持っている生身の人たちと互酬的・互恵的なネットワークを「平時から」構築しておくのである。
そういうものは「危機」のときに、金で買うことができないし、メール一本で配達してもらうこともできない。
というか、「危機」というのは、「それまでなら誰でも金さえあれば手に入ったものが、手に入らなくなるとき」のことである。
そういうネットワークの構築には長い時間とこまやかな配慮と自分の側からの絶えざるオーバーアチーブが必要である。
それは、植物を育てるように、毎日丹念に手入れして、たいせつに作り上げてゆくものなのである。
自分の生命を託す自動車のエンジンや制動装置や足回りをこまめに点検するのとそれほど違う仕事ではない。「壊れてからJAFを呼べばいい」ということが「できない」ときのための備えなのである。
日本の戦後67年の繁栄と平和がもたらした最大の「平和ボケ」症候は「危機耐性のつよいライフスタイルを作り上げる」ということの必要性を人々が真剣に考えなくなったということである。
みんな「自分さえよければそれでいい」と思っている。「競争的環境」や「格付けによる資源分配」が「できる」ということそのものが「平和と繁栄」のうちにおいてだけであるということを忘れている。
競争や、資源の奪い合いなんか「危機」でもなんでもない。ただの「ゲーム」である。
ルールがあって、レフェリーがいて、ランキング委員会があって、アリーナがあるときにしかそんなことはできない。
危機というのは、そういうものが全部吹っ飛んでしまった後にどうやって生き延びるのか、という切迫のことである。
歴史が教えているように、競争的なマインドの人間は危機を生き抜くことができない。
危機とは「一人では生きてゆけない」状況のことだからである。
だから、それを生き延びるためには、他の人々とある種の「共生体」を形成できる能力が必要である。
論理的に考えれば誰でもわかることだが、自己利益よりも、帰属する集団の公共的な利益を優先的に配慮するという習慣を深く内面化させた人間たちでかたちづくる共生体がもっとも危機耐性が高い。
個人的にどれほど強健であっても、「自分さえよければそれでいい」と思っている人間たちの集団は脆い。疑心暗鬼を生じ、わずかのきっかけで崩壊する。
だから、「危機に備える」というのは、貯金することでも、他人を蹴落として生き延びるエゴイズムを養うことでもなく、「自己利益よりも公共的な利益を優先させることの必要性を理解できる程度に知的であること」である。
いま「 」で括った部分を一言に言い換えると、「倫理的」となる。
現代社会で「喧嘩腰」で生きている人間は総じて「平和ボケ」に罹患していると見て過たない。
穏やかな笑みをたたえて、「袖擦り合う」まわりの人々との互恵的関係をたいせつにしている人の方が、はるかに真剣に危機の到来に備えていると私は思っている。
2月21日
朝から快晴。
バリ最終日である。
夕方のチェックアウトまで、プールとビーチで泳いで、ピナコラーダ飲んで、真っ黒に日焼けして飛行機に乗る。
ふつうなら一日に二回はスコールがあるのだが、それもなく、終日晴れ。
のんびりした、まことによいvacancyでありました。
旅行の手配にお気遣い頂きました、ジュリー部長はじめ皆さまに感謝です。
また来年もぜひお願いします。
来年は平川君、わっしい、小田嶋さんにもお声かけしてみます。皆さん忙しい身の上ですけれど、きてくれると楽しいですね。
沖縄の基地問題はどうして解決しないのか?
沖縄タイムスの取材で、沖縄の基地問題について少し話をした。
この問題について私が言っていることはこれまでとあまり変わらない。
沖縄の在日米軍基地は「アメリカの西太平洋戦略と日本の安全保障にとって死活的に重要である」という命題と、「沖縄に在日米軍基地の70%が集中しており、県民の91%が基地の縮小・撤収を要望している」という命題が真っ正面から対立して、スタックしている。
デッドロックに追い詰められた問題を解くためには、「もう一度初期条件を点検する」のが解法の基本である。
まず私たちは「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」という問いから始めるべきである。
ところがまことに不思議なことに、沖縄の基地問題を論じるためにマスメディアは膨大な字数を割いてきたが、「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」といういちばん大本の問いにはほとんど関心を示さないのである。
どこを仮想敵国に想定し、どこを仮想同盟国に想定し、どういう軍事的緊張に、どういう対応をすることを基本とする軍略であるのか、といういちばん重要な問いをメディアはほとんど論じない。
例えば、米露関係や米中関係、米台関係、米韓関係は、多様な国際関係論的入力によって短期的に激変する。
東西冷戦期には、米露がその後これほど親密になり、ほとんど「パートナー」といえるほどに利害が近接することを予想した人はいないだろう。
中国についても同じである。iPadの商標問題でアップルが焦っているのは、中国市場がiPad、iPhoneの巨大市場であり、中国との友好関係なくしてアメリカ経済の維持はありえないことを知っているからである。米中関係ではイデオロギーよりもビジネスが優先しており、両国の間に軍事的緊張関係を生じることは仮にホワイトハウスや中南海が腹をくくっても、米中の財界人たちが絶対に許さない。
米韓関係もデリケートだ。南北関係が緊張すれば「北から韓国を守る」米軍への依存度は高まるが、統一機運が高まると「アメリカは南北統一の妨害者だ」という国民感情が噴き出してくる。その繰り返しである。
その韓国ではすでに米軍基地の縮小・撤収が進んでいることはこれまでブログで何度も取り上げた。基地全体は3分の1に縮小され、ソウル駅近くの米軍司令部のあった龍山基地は2004年にソウル市民たちからの激しい移転要請に屈して移転を余儀なくされた。
フィリピンのクラーク空軍基地、スービック海軍基地はベトナム戦争のときの主力基地であり、アメリカ国外最大の規模を誇っていたが、フィリピン政府の要請によって1991年に全面返還された。
これらの事実から言えるのは、「アメリカの西太平洋戦略とそれに基づく基地配備プラン」は歴史的条件の変化に対応して、大きく変動しているということである。
当然、これらの全体的な戦略的布置の変化に即応して、沖縄米軍基地の軍略上の位置づけも、そのつど経時変化をしているはずである。
だが、その変化について、それが「沖縄における米軍基地のさらなる拡充を求めるものか」「沖縄における米軍基地の縮小撤収を可能にするものか」という議論は政府もメディアも扱わない。
というのは、沖縄の米軍基地はこれらの劇的な地政学的変化にもかかわらず、その軍略上の重要性を変化させていないからなのである。
少なくとも、日本政府とメディアはそう説明している。
だが、もし地政学的条件の変化にかかわらずその地政学的重要性を変化させない軍事基地というものがあるとすれば、論理的に考えれば、それは「その地域の地政学的変化と無関係な基地」、つまり「あってもなくても、どちらでもいい基地」だということになる。
そのような基地の維持のために膨大な「思いやり予算」を計上し、沖縄県民に日常的な苦痛を強いるのは、誰が考えても政策的には合理的ではない。
つまり、沖縄基地問題がスタックしている第一の理由は、「沖縄に基地はほんとうに必要なのか?必要だとすれば、どのような機能のどのようなサイズのものがオプティマルなのか?」というもっともリアルでかつ核心的な問いについて、日本政府が「それについては考えないようにしている」からなのである。
もっともリアルで核心的な問いを不問に付している以上、話が先に進むはずがない。
だが、そろそろこの問いに直面しなければならない時期が来ているのではないか。
アメリカの共和党の大統領候補であるロン・ポールは沖縄を含む在外米軍基地すべての縮小・撤収を大統領選の公約に掲げている。
これが公約になりうるということは「在外米軍基地はアメリカの国益増大に寄与していない」という考え方がアメリカ国内でかなり広く支持されてきているということを意味している。
アメリカの世論調査会社ラスムセンによると、米軍が安全保障条約によって防衛義務を負っている56カ国のうち、アメリカ国民が「本気で防衛義務を感じている」国は12カ国だそうである(その中に日本が入っていることを願うが)。アメリカが「本気で防衛義務を感じない」国々を守るために他国の数倍の国防予算を計上していることに4分の3の米国民はもう同意していない。
大統領選の行方はまだ未知数だが、オバマが再選されても、共和党の大統領が選ばれても、国防費の削減はまず不可避である。
そのときにアメリカが日本の基地に対してどういう提案をしてくるか。
考えられるのは二つである。
(1)在日米軍基地の管理運営コスト、兵器のアップデートに要する費用、兵士の給与の大半または全額を日本政府が負担すること
(2)在日米軍基地の大胆な縮小・一部の撤収(この場合は、アメリカの国防上必須な軍事的機能の一部を、日本の自衛隊が安全保障条約の同盟国の義務として担うことも条件として付される)。
どちらもやたらに金がかかる話だから、財政規律の立て直しに必死な日本政府が「そんなことは考えたくない」と思うのはよくわかる。
気持ちはよくわかるが、いずれこの提案はアメリカから出てくる。
「もっと金を出す」か「自前で国防をするか」どちらかを選べと必ず言ってくる。
そして、今の日本政府には金もないが、国防構想はもっとないのである。
戦後67年間ずっとアメリカに日本は国防構想の起案から実施まで全部丸投げにしてきた。
自分で考えたことないのである。
国防はもちろん軍事だけでなく、外交も含む。
日本のような小国が米中という大国に挟まれているわけだから、本来なら、秦代の縦横家のよくするところの「合従連衡」の奇策を練るしかない。
だが、「日米基軸」という呪文によって、日本人はスケールの大きな合従連衡のビッグピクチャーを描く知的訓練をまったくしてこなかった。
ここでアメリカに去られて、自前で国防をしなければならなくなったときに、対中、対露、対韓、対ASEANで骨太の雄渾な東アジア構想を描けるような力をもった日本人は政治家にも外交官にも学者にもいない。どこにも、一人も、いない。
だって、「そういう構想ができる人間が必要だ」と誰も考えてこなかったからである。
日本のエスタブリッシュメントが育ててきたのは、「アメリカの意向」をいち早く伝えて、それをてきぱきと実現して、アメリカのご機嫌を伺うことのできる「たいこもち」的な人士だけである。
アメリカが日本の国防を日本の主権に戻した場合に、日本にはその主権を行使できるだけの力がない。
できるのはとりあえずは自衛隊の将官たちを抜擢して、閣僚に加え、彼らに国防政策の起案と実施を丸投げするだけである。
国民のかなりの部分はこれに賛同するだろう。既成政党の政治家より制服を着た軍人さんたちの方がずっと頼りになりそうだし、知的に見えるからだ。
だが、政治家たちも霞ヶ関の官僚たちもメディアも「軍人に頥使される」ということを想像しただけでアレルギーが出る。
さきのいくさの経験から、軍人たちを重用すると、政治家と官僚が独占してきた権力と財貨と情報が軍部にごっそり奪われることを知っているからである。
だから、「日本に国防上の主権を戻す」という、独立国としては歓呼で迎えるべきオッファーを日本政府は必死で断ることになる。
国防上の主権は要りません。
主権を行使する「やり方」を知らないから。
これまで通り、ホワイトハウスから在日米軍司令官を通じて自衛隊に指示を出してください。
それが日本政府の本音である。
だから、日本政府に残された選択肢は一つしかないのである。
アメリカが帰りたがっても、袖にすがりついて、「沖縄にいてもらう」のである。
金はいくらでも出します。消費税を上げて税収を増やすので、それを上納しますから。どうかいかないで。Don’t leave me alone
それが日本政府の本音である。
だから、「アメリカの軍略の変化」については言及しないのである。基地問題がスタックしているのは、「スタックすることから利益を得ている当事者」がいるからである。
ひとりは「もめればもめるほど、日本政府から引き出せる金が増える」ということを知っている国防総省であり、ひとりは「いつまでもアメリカを日本防衛のステイクホルダーにしておきたい」日本政府である。
交渉の当事者双方が、「話がつかないこと」の方が「うっかり話がついてしまうこと」よりも望ましいと思っているのだから、沖縄の基地問題の交渉は解決するはずがないのである。
悲しいけれど、これが問題の実相なのである。
別に沖縄問題の裏事情に通じているわけではないが、新聞を読みながら推理すると、こう考えるしか合理的な説明が存在しないのである。
というお話をする。
たぶんこれほど長い話は紙面に出ないと思うので、ここに録すのである。