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Channel: 内田樹の研究室
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丸亀revisited

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守伸二郎さんにお招きいただいて、多度津で合気道の講習会を行う。
考えてみると、私を合気道の講師に呼んでくださるのは広い世界で守さんだけである。
講演やシンポジウムの依頼はいくらも来るのに(全部断っているが)。
来年からはぜひ各地の合気道の講習会にお呼びいただきたいものである。
などと言っておきながら、依頼が来たら「やっぱ、家でごろごろしてたい~」とか言って断るのかも知れないので、あまり信用しないように。
坂出ICで守さんに拾っていただいて、まずは多度津でお昼。
本格的なフレンチだったのでびっくり。
ワインが飲みたくて目の前がくらくらする。
ここの包み揚げは絶品です。
「看板を出していないレストラン」なのである。
一日にランチが8名、ディナーが8名まで。もちろん完全予約制。二ヶ月前から予約入れないと席が取れないそうである。
お腹がいっぱいになってホテルで昼寝していると、もう講習会なんかどうでもよくなるが、そうもゆかない。
40名ほどの申し込みがあり、合気道をやっている方が3割程度。あとは初心者である。
大阪の朝カルからモリモトさんコニシさんも来ている。
べつに丸亀まで来なくても、芦屋でもやってるんですけど・・・
肩胛骨と股関節を伸ばしてから、呼吸法、体捌き、それから転換。
さまざまなアプローチから四方投げ。
2時間半の稽古だったけれど、終わりの頃には、全員が四方投げ裏表がちゃんとできるようになっていた。
みなさん、優秀な生徒さんである。
それから明水亭に移動して、懇親会。参加者の半数以上がそのまま参加。
合気道に興味を持つ人には医療と教育の関係者が多い。懇親会も半数が医療・教育に携わる方々であった。
メディア論を書いているときに、とりあえずいちばん「不出来」なのが医療と教育に関する報道であるということを書いた。
おそらくそれはこの二つの領域が本来「なまもの」を相手にしているからだと私は思う。
「なまもの」は定型になじまない。
とりあえず「善悪・正邪」というような二元論的な切り分けになじまない。
そもそもそれは「主体と他者」というスキームを採ってはならない領域なのである。
しかし、メディアの定型は「被害者と加害者」「政治的に正しい者と政治的に正しくないもの」の二元論である。
それはメディアの宿命であり、その是非を言い立ててもしかたがない。
けれども、二元論的な思考しかできない知性(そういうもの「知性」と呼べるとしたら)では「なまもの」は手に負えないということは覚えておいた方がいいと思う。
医療や教育の現場の方たちは身体を経験主義的・機能主義的に取り扱うシステム、きわだって「非メディア的なもの」に惹きつけられる。
武道は「身体を機能主義的に取り扱う」ということに徹底している。
そこが、スポーツと違う。
スポーツは「勝ち負け」や「数値」や「記録」といったデジタルデータが一次的に重要なエリアであり、「なまもの」としてのアナログな身体には用がない。
だから「スポーツをやって身体を壊す」ということが起きる。
「健康法を実践したら病気になった」とか「長寿法をやったら早死にした」ということは笑い話ではなくて身近に無数の実例がある。
それは身体「そのもの」ではなく、身体の「出入力」を優先的に配慮することの必然である。
武道が身体の出力(強弱勝敗)を重んじないのは、それはあくまで「身体そのもの」のパフォーマンスの変化の指標にすぎないからである。
いわば体温のようなものである。
私たちはもちろん体温計が示す度数を気にすることがある。それが身体内部で起きている計測しにくい現象の断片的な指標だからである。
でも、その指標自体には意味がない。
だから、現に「世界体温選手権」というようなものはない。
空腹も眠気も「だるさ」もすべて身体そのものの機能についての重要な指標だが、「世界空腹選手権」も「世界眠気選手権」も「世界だるさ選手権」も存在しない。
「大食い選手権」はあるが「眠気選手権」はない。
「大食い」は数値化できるが、「眠気」は数値化できないという理由が一つだが、もう一つの理由は「大食い」は身体がそれを求めていなくても脳が消化器に強制できるが、「眠気」は制御できないということである。
私たちが興味をもつのは「身体が求めていること」であり、それだけである。
当然ながら、その方が「いのちがけ」だからである。
「大食い」の皿数は原理的に人間の生き死にに関係ないが(食い過ぎて胃が破れて死んだというような場合は別だが)、「空腹」は生き死ににかかわる。
私の身体はどのような姿勢をとることを求めているのか。何に触れたいのか、何に触れられたいのか、どのような響きを感じたいのか、どのような声で語りかけられたいのか、何を食べたいのか、何を飲みたいのか。総じて、どのように生きたいのか。どのように死にたいのか。
生きることにかかわるさまざまな「訴え」を高い精度で感知するための技法が武道である。
私たちが焦点を合わせているのは、インターフェイスで出来している「震え」のようなものであり、そこを透過して入力するもの、出力するものには二次的な意味しかない。
けれども、この「震えのようなもの」はメディアの語法がもっとも扱うことの不得手なものである。
もちろんメディアにも医療や教育について言いたいことを言う権利はある。
けれども二元論的な語法で語る限り、それらの領域における「なまの情報」には原理的にアクセスできないということは覚えておいた方がいい。
翌朝9時に丸亀を出て神戸に帰る。
会議が一つと取材が一つと稽古が一つ。
取材は集英社の『Spur』で、お題は村上春樹。
もちろんBook3の話がメインなのだが、本は土曜の朝についたものの、土曜はクーさんの結婚式、日曜は丸亀だったので、私はまだ読んでいないのである。
読んでいない本についてはお話しできないので、村上春樹作品一般を論じる。
取材を記事に起こすライターは江南亜美子さん。
はじめてお会いする方だが、ヘビー・リーダーで、打てば響く合いの手の良さ、こちらもつい身を乗り出して村上春樹文学論を熱く語ってしまう。
「この世界」はどんどん女性たちの独壇場になりつつあるなあとの感を強くする。
「編集者」とか「ライター」というのは、もしかするともともと「産婆」とか「巫女」とかいうのと似た機能の仕事なのかもしれない。
現に、「できる」男性編集者はみなさん「おばさん」キャラだし。
この村上春樹論は掲載誌のスペースが少ないので(1時間半しゃべったのだけれど、記事になるのは1頁分だけ)、テープ起こししていただいたものに少し手を入れて『村上春樹にご用心』の増補改訂版にボーナストラックでお付けする予定です。
お楽しみに~


大人への道

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お休みの日だけれど、取材が二件あるので大学へ。
最初は花王の研究所のみなさん。30代の中堅どころのチームリーダーのみなさんが「ちかごろのわかいもん」をどうやって組織人に仕立て上げたらよろしいのでしょうかという悩みをかかえていらしたのである。
よくぞ私のところに「それ」を訊きに来られましたな。
Right time, right placeとはこのことです。
前日の週刊ポストの取材もほとんど同趣旨のお訊ねであった。
要するに「共同的に生きる」ということの基礎的なノウハウが欠如した社会集団がいるのだけれど、それを「どうしたらいいのか」という問いである。
「どうしたらいい」のかという対症的な問いの前に、「どうしてこのような集団が発生したのか」という原因についての問いが立てられなければならない。
同じことをもう繰り返し書いているので、詳しくはもう書かないが、要するに「自己利益を優先的に追求すること」「自分らしく生きること」がたいへんけっこうなことであるというイデオロギーが80年代から20年余にわたり官民あげての合意によって、日本全体に普及したことのみごとな結果である。
当の若い方たちに責任があるわけではない。
自己利益と自分らしさの追求が国策的に推奨されたのは、それが集団の解体を促進し、市民たちの原子化を徹底し、結果的に消費活動の病的な活性化をもたらしたからである。
考えれば当然のことだ。
資本主義は市民の原子化・砂粒化を推し進める。
「他者と共生する能力の低い人間」は「必要なものを自分の金で買う以外に調達しようのない人間」だからである。
それこそ理想的な消費者である。
それゆえ、高度消費社会は、「自分が自分の手で稼いだものについては、それを占有し、誰ともシェアしてはならない。『自分らしさ』は誰とも共有できない商品に埋め尽くされることで証示される」と信じる子どもたちを作り出すことに国力を傾けた。
共生能力が低く、自己利益の確保を集団の利益の増大よりも優先させる若者たちは官民挙げての国民的努力の「成果」以外のなにものでもない。
それについて「誰の責任だ」と凄んでみても始まらない。
そのような若者たちのありようについては、ある年齢以上の日本人全員に責任がある(私自身は「そういうのはよろしくないです」とずっと言ってきたが、私の声がさっぱり「世論」の容れるところにならなかったのは畢竟私の非力さゆえであり、その意味では、この否定的状況について私もまたその有責者であることに変わりはない)。
何より、このような共生能力の欠如は、日本社会が例外的に豊かで安全である限りは市場に活気をもたらす「プラス」の要因であったことを私たちはどれほど苦々しくても認めなければならないと思う。
そのような理想的消費者の出現のおかげで現に企業はおおいに収益を上げたわけであるから(花王さんも含めてね)、いまさら「困った」と言われても困る。
「痩せたい。でも食べたい」というのと同じである。
この世が成熟した市民ばかりになれば、市場は「火が消えたようになる」けれど、それでもいいですか、ということである。
というのも、「成熟した市民」は、その定義からして、他者と共生する能力が高く、自分の資産を独占せず、ひろく共用に供する人間だからである。
それは自分もあまりお金をつかわないし、人にもつかわせない人、ということである。
「成熟した市民」とは言い換えれば「飢餓ベース」「貧窮ベース」の人間のことである。
危機的状況でも乏しい資源しかない場所でも生き延びることができる「仕様」の人間のことである。
記号的・誇示的な消費活動ともっとも無縁な人たちである。
だから、資本主義は市民の成熟を喜ばない。
そのことを肝に銘じておこう。
日本社会が「子ども」ばかりになったのは資本主義の要請に従ったからである。
「子ども」というのは「安全ベース」「飽食ベース」の人間のことである。
危機的状況や資源の乏しい状況で「まっさきに死ぬ」個体のことである。
年齢とは関係ない。
安全で豊かな社会は「子ども」ばかりでも別に支障なく機能する。
けれども、安全でも豊かでもなくなりはじめた社会においては「子ども」であり続けることは生存戦略上著しく不利になる。
というのも、週刊ポストも花王さんも、「ぶっちゃけた話」をすると、私に訊きに来たのは実は「こいつら、棄ててもいいですか?」ということだったからである。
いや、隠さなくてもよろしい。
口には出さなかったけれど、内心ちょっとは思っていたでしょ。
「子ども」が邪魔なんですけど・・・って。
私の答えは「だめです」というものである。
「子どもが邪魔だから子どもを切り捨てる」というのは「子どもの発想」だからである。
大人はそんなふうには考えてはならない。
子どもを大人にする方法について考える。
子どもを大人にする方法はひとつしかない。
それは「大人とはこういうものである」ということを実見させることである。
「子ども」たちが「子ども」であるのは、実は長い歳月のあいだ「子ども」しか見たことがなく、成熟のロールモデルを知らないからである。
申し訳ないが、親も近所のおじさんおばさんも学校の先生もバイト先の店長もテレビに出てきてしゃべる人たちも、みんな「子ども」だったのである。
「子ども」以外見たことがない人がどうして「大人」になれよう。
かつて『「おじさん」的思考』に漱石論を書いたときに、その末尾に私はこう記した。それを再録して筆を擱くことにしよう。

夏目漱石は「青年はどうやって大人になるのか」という主題を掲げて明治末年に多くの作品を書き残した。それは単に作品の「主題」が青年の成熟であったということに止まらず、漱石自身が「欲望の中心」となり、漱石を範とする成熟の運動に読者たちを巻き込むという仕方で遂行されたのである。
「おとな」とは、「『おとなである』とは、これこれこう言うことである」という事実認知を行う人のことではない。実際に「子ども」を「おとな」にしてしまったことによって、事後的にその人が「おとな」であったことが分かる、という仕方で人間は「おとな」になる。
だから明治40年、夏目漱石が東京帝国大学を辞して朝日新聞に『虞美人草』を執筆する決意をしたとき、漱石は近代日本最初の「大人」になったのである。


普天間基地問題がかたづかない理由

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毎日新聞からの電話取材。お題は「普天間基地問題」。
新聞の電話取材で数行のコメントで、基地問題のようなむずかしい問題を論ずることは事実上不可能である。
その行数では、理解しがたい話を「情理を尽くして」説得することはできない。
基地問題は「解のない問題」である。
変数が多すぎる。
アメリカ政府、日本政府、沖縄県民がとりあえず当事者であるが、もちろんその内部にも異論が混在している。
アメリカの軍部の中でも、海兵隊の基地問題に対しては、他の三軍は冷ややかである(これは日本の新聞はほとんど報道しない)。
「ヘリコプター基地なんか、沖縄に要らない」と広言する軍人たちももちろん米軍内部にはいる。
いて当然である。
軍事はすべて「もし、こんなことが起きたら」という未来予測に基づいて計画される。
未来予測だから、誰が正しい予測をしているかは「ことが起きるまで」誰にもわからない。
「打てる手はすべて打っておく」というのは安全保障上の基本だが、「打てる手」資源に限りがある場合は、どこかで傾斜配分しなければならない。
四軍は予算の配分についてはゼロサムの関係にある。国防予算の額は限られており、それを陸海空軍と分配しなければならない。
それぞれの軍は軍備をさらに充実させたい。けれども残り三軍は既得権を手放さない。
さて、どうするか。
これはシンプルな問いなので解は一つしかない。
「よそから徴収する」である。
米軍にとって、世界でいちばん金が取りやすい国はもちろん日本である。
日本で基地のことでごねれば、いくらでも金が出てくることを彼らは知っている。
平たく言えば、「みかじめ料」である。
あとの三軍がいい顔をしないのは、こうやって海兵隊が「みかじめ料」を取り立てると、そのあとにたとえば海軍が在日基地の拡充を計画したときに、日本国民が「またですか・・・」と厭な顔をするのがわかっているからである。「このあいだ、今月分お払いしたじゃないですか」
あのね、それは海兵隊が持ってっちゃったから、こちらには一ドルも回ってきてないのね。
そんな説明、日本人にはわからない。
アメリカのリベラル派たちがこの問題に対してさっぱり協力的でないのは、西太平洋におけるアメリカの軍事戦略の妥当性を支持しているからではない。
金を出すのが他国政府である限り、海兵隊が沖縄で何をしようと、それによってアメリカ国内の「政治的に正しい政策」のために割かれる予算が減る気づかいがないからである。
仮に、ヘリコプター基地の建設費用が「アメリカの国家予算」から支出される場合(それが福祉や医療のための予算を削って計上されるものなら)、アメリカのリベラル派は黙っていないであろう。
「そんなものは軍略上不要である」ときっぱりとエヴィデンスを掲げて言い立てる人たちがたくさん出てくるはずである。
いまアメリカに「そういうこと」を言う人がいないのは、「自分の財布が痛む話じゃない」からである。
どなたにも優先順位というものがある。まずは自分の都合を配慮することを責めるわけにはゆかない。
けれども、こういう種類の軍事的要求が別にアメリカ国民の「一枚岩の国論」の表出であるというふうに見るべきではない、ということは踏まえておいた方がよろしいかと思う。
沖縄県民、政権与党内の合意形成が不調であるのも、当然で、そもそも「要るのか要らないのかについてさえ当事者間で合意できていないものの移転先」について話しているのである。
これにすぱっとしたソリューションがあるはずがない。
それを「ある」かのように語り、それが実現できないのは首相の個人的無能ゆえである(だから首をすげ替えればよい)という、メディアが採用している定型への落とし込みはよろしくないと思う。
それは問題を個人的無能に帰すことで「ほんとうは何が問題なのか」という問いをネグレクトすることだからである。
片づかない問題は片づかないだけの理由がある。
その理由をクールかつリアルに列挙してみることは、たいていの場合、問題にアドホックなソリューションをあてがうよりも生産的であると私は思う。

非実在有害図書

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東京都青少年健全育成条例について基礎ゼミの発表がある。
「表現に対する法的規制」というものについて私は原理的に反対である。
ふつうは「表現の自由」という大義名分が立てられるけれど、それ以前に、私はここで言われる「有害な表現」という概念そのものがうまく理解できないからである。
まず原理的なことを確認しておきたい。
それは表現そのものに「有害性」というものはないということである。
それ自体有害であるような表現というものはこの世に存在しない。
マリアナ海溝の奥底の岩や、ゴビ砂漠の砂丘に、あるいは何光年か地球から隔たった星の洞窟の壁にどのようなエロティックな図画が描かれていようと、どれほど残酷な描写が刻まれていようと、それはいかなる有害性も発揮することができない。
「有害」なのはモノではなく、「有害な行為」をなす人間だからである。
全米ライフル協会は「銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ」と主張しているが、そのワーディングをお借りすれば「有害な表現が有害なのではない、有害な人間が有害なのだ」ということである。
人間だけが有害であり得る。
マンガやアニメや小説が自存的に「有害」であるということは(残念ながら)不可能なのである。
間違いなく、有害性というのは人間を媒介とすることによってしか物質化しない。
だとすれば「有害表現」は「人間が有害な行為を遂行するように仕向ける表現」以外での定義を受け付けない。
では、どのような表現が「人間を有害な行為の遂行に導く」のか。
つまりどのような表現が「ほんとうに有害」なのか。
これについては定説がない。
今回の条例が採用しているのは、「有害な表現は人間を有害な行為に導く」という命題である。
けれども、この命題はトートロジーであり、論理的には何も言っていないのと同じである。
「有害な表現」という主語はそれが「有害な行為」の主因であるということが論証されない限り、「有害」という形容詞を引き受けることができない。
たしかに「有害な行為」というものは事実として存在する。
性犯罪や殺人はとりあえず被害者にとっては間違いなく「有害」である。
けれども、「まちがいなく有害な表現」というものはこの世には存在しない。
それは、その図書なり図画に触れたことが「有害な行為」の一因であったということが証明されたあとに、遡及的にはじめてその有害性を認知される「仮説」としてしか存在しない。
そして、この仮説はかつて証明されたことがない。
今回の論件をめぐる議論でもおそらく多くの人がすでに指摘していると思うので、屋上屋を重ねることになるが、だいじなことなので、もう一度繰り返す。
統計が教える限り、「有害」表現規制と「有害」行為の発生のあいだには相関関係がない。
よく「最近・・・な事件が増えていますが」というようなことをワイドショーのコメンテイターが口走る。「最近少年犯罪が増えていますが」とか「家庭内における殺人事件が増えていますが」と簡単に口にするが、それはその人の主観的印象に過ぎず、統計的には過半が無根拠である。というか積極的に「嘘」である。
例えば、前にもこのブログで書いたが、少年犯罪は戦後一貫して減り続けており、日本は「少年犯罪が異常に少ない国」ということでヨーロッパから視察団が来るような国なのである。
「家庭内殺人」も少ない。
「殺人事件全体に占める家庭内殺人の比率」は相対的に高いが、それは殺人事件そのものが減少しているからである。2007年には統計史上最低値を記録した。
わが国の、殺人事件発生率は、人口10万人あたりの1件で、先進国中ではアイルランドと並んで最低である。
ロシアは日本の22倍、イギリスは15倍、アメリカは日本の5倍、ドイツ、フランス、イタリアも日本の3倍である。
2009年の殺人発生件数(1097件)は戦後最低を記録した。
今回の条例は青少年の犯罪を憂慮して起案されたもののようであるが、少年犯罪だけを見ても、強姦件数が最多であったのは1958年の4649件であり、以後減り続け、2006年は116件にとどまっている。
半世紀で「最悪の時代」の2.5%にまで減少している。
少年犯罪件数が最高であった1950年代末を私はリアルタイムで経験しているが、私の記憶する限り、1958年に街には「有害図書」を子どもたちが自由にアクセスできるような機会はなかった。
もちろん、コンビニもなかったし、書店の子どもの手が届く本棚にはそんな本はなかった。
エロゲーも、ポルノビデオもなかった。
性に関する情報から子どもたちは遮断されていた。
そのような状況のときに、少年の性犯罪発生件数が最多を記録した。
この事実から私たちが推論できるのは、性犯罪の多発と「有害」図書のあいだに有意な相関は見られない、ということである。
私が言いたいことは3点である。
第一に、「有害表現」というのは「有害行為」が生じたあとに、遡及的に措定されるものであり、自存的に存在するものではない。
性犯罪や暴力行為は、遺伝形質によっても、家庭環境によっても、教育によっても、信教によっても、イデオロギーによっても、もちろんそうしたければ「有害表現」によっても説明可能である。
けれども、それはあくまで「仮説」的な前件にすぎない。
同じ環境に育ち、同じ教育を受け、同じ本を読み、同じ映画を観ても、ある人間は殺人者や強姦者になり、ある人間はそうならない。
ふちぎりぎりまで水が満たされたコップに最後の一滴が加わって水があふれたときに、その一滴を「原因」だと言うことは適当ではない。
そう言いたい人間は言えばよいが、それは起きた出来事についてほとんど有用な知見を含まない。
第二に、前項にもかかわらず、性交や暴力についての表現規制によって、そのような行為が効果的に抑制されたという事実は私の知る限り存在しない。
それは結局のところ「有害表現」という「もの」は存在しないということである。
現代世界で、性描写についての禁圧がもっとも厳しいのはイスラム圏であるけれど、女性の人権が軽視され、性暴力がもっとも激烈なのは当のイスラム社会である。
現代世界で、もっとも暴力的なのはアメリカであるが、そのアメリカは1934年から68年まで、ヘイズコードによって映画での性描写と暴力がきびしく規制されていた。その表現規制はアメリカがその間太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争で数百万人のアジア人を殺すときには抑制的には機能しなかった。
第三に、そもそも「有害行為」が増加しているという現状認識そのものが、統計的事実を見る限り正確とは思われない。
「日本はこれまで以上にきびしい表現規制が必要であるほど有害な行為が増加している」ということを統計的に証明できない限り、そもそもこのような条例についての議論は始まらないはずである。
誰が、どういう根拠によって法規制の喫緊であることを証明したのか、それを東京都の関係者は開示しているのであろうか。
私が言いたいことは、以上三点である。
「有害」な行為は件数がいくら減少したとはいえ、たしかに現代日本社会に厳として存在する。
それを規制することは私たちの願いである。
けれども、ほんとうに有害な行為を抑制したいと望むのであれば、「どのような歴史的・社会的原因によって有害行為の発生件数は増減するのか?」についてもう少し真剣に考察するところから始めてもよろしいのではないか。
都庁には、それなりの人的資源があるはずである。
それをどうしてもう少し世の中の役に立つことに使わないのであろうか。

はなやぐらの会

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土曜日は合気道のお稽古のあと、甲南麻雀連盟四月例会。
お稽古はなんだかめちゃくちゃ人が多くて(新入門の人がまた数名)、50人くらいがひしめいていた。
春ですね。
例会は画伯がお二人ゲストを連れてきて、光安さんも初登場したせいで、ひさしぶりに4卓。
15畳ほどのリビングに4卓なので、酸欠状態となる。
甲南麻雀連盟も入会条件を制限せねばならないかも。
条件は
(1) 連盟規約を遵守し、雀士の本分に悖らざること
(2) 勝って驕らず、負けて愚痴らぬこと
(3) 雀道奥義を極めるため精進怠らぬこと
(4) 終電に乗り遅れぬこと
(5) ワイングラスを割らぬこと
(6) お皿をいつもと違うところにしまわぬこと
(7) 振り聴リーチで九筒を自摸らぬこと
(8) オーラスで倍満を振り込まぬこと
など、一部に総長の個人的意見も含まれているが、以て諒とされよ。
というわけで新たに光安さんを新会員に迎えたのである。
本来であれば「先輩たちの手荒い歓迎」を受けるはずだったのだが、先輩たちの方がどうも手荒な目に遭わされたようである。
日曜は紀尾井小ホールの鶴澤寛也さんの「はなやぐらの会」に東京へ。
そこで会った人は(会った順)
新潮社の足立さん、寛也さんのお嬢さんのカオルさん、アルテスの鈴木くん、うちの大学の井出さん(久田舜一郎先生のお弟子なのだ)とその妹さん(寛也さんのお弟子なのだ)、鈴木晶・灰島かりさんご夫妻、刈部さん、矢内賢二さんご夫妻、橋本治さん、萩尾望都さん、三浦しをんさん、るんちゃん。
最初に矢内さんと三浦さんのたいへん愉快な解説があって、客席がほどよく温まったところで、新版歌祭文』野崎村の段(お染久松)竹本駒之助(人間国宝)が太夫で、寛也さんの三味線。
最後のダブル三味線がたいへんグル―ビーでした。
神楽坂の寛也さんの稽古場の1階の四川料理梅香meishan(すばらしく美味しい!)で打ち上げ(神楽坂に行ったらぜひどうぞ。03-3260-2658、月曜定休)。
ダブル鈴木(晶さんと茂さん)とダブル内田(樹とるん)でわいわい食べかつ飲む。
そのまま3階の稽古場へ移動、雪中梅をいただきつつの三次会へ雪崩れ込む(私が一番好きなお酒であるところの雪中梅はなんと寛也さんの亡きお父上のご実家が作っているお酒なのだ。聴いてびっくり)
晶さんのところのお嬢さん(碧さん)が見えたので、鈴木家と内田家と寛也家の「みんな娘ばかり」家族であれこれとおしゃべり。
そのあとるんちゃんと等々力の母の家に。
母が具合が悪いという電話をかけてきたので、お見舞いである。
思ったほど悪くはなかったの、ほっと安心。
そのままお泊りする。

「大反論」に反論(じゃないけど)

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週刊ポストの中吊り広告を見て、びっくりした話は昨日ツイッターに書いた。
「上野千鶴子に内田樹が大反論!」というアオリの効いたタイトルがつけてあるけれども、もちろんこれはポスト編集部の客寄せ「羊頭狗肉」タイトルであって、中身は「大反論」などいうほど気合いの入っていない「いつもの話」である。
その中の上野「おひとりさま」論に直接言及した箇所は以下の通り。

 『おひとりさまの老後』には強い違和感を持ちました。あの本の核心は「家族が嫌い」ということをカミングアウトした部分でしょう。「家族に何の愛情も感じてないから、世話になる気もないし、世話をする気もない」と考えている人が現に大量に存在している。でも、その心情は抑圧されていた。上野さんがそれを代弁したことがひろく共感を呼んだのだと思います。でも、ぼくはそれは「それを言っちゃあ、おしまいだよ」という言葉だったと思います。
 「ひとりで生きる」ことが可能だというのは、それだけ社会が豊かで安全だということです。その前提条件が満たされた場合にのみ、「そういうこと」が言える。その前提が成立しないところでの「おひとりさま」はきわめてリスクの高い生き方だと思います(・・・)
フェミニズムはある条件内では整合的な社会理論ですけれど、経済の「右肩上がり」が前提になっている。「活発な消費活動を行えるだけの資力がある」ということが「おひとりさま」ライフの暗黙の前提です。
21世紀に入ってからは、「消費活動をどうやって活性化するか」だけを考えていればいいという状況ではなくなっています。ぼくたちは「貧しい資源をやりくりする」状況に適応しなければならない。
上野さんの「おひとりさま」コミュニティーはあくまで「強者連合」でしょう。お金があり、社会的地位があり、潤沢な文化資本のある人はそこに参加できて、快適に暮らせるでしょうけれど、その条件を満たす人は今はもうごく少数しかいない。その人たちにしてもお金がなくなったり、失職したり、病気になって自立能力を失ったら、快適な「おひとりさま共同体」からは出て行かなければならない。貧しいとき、病めるときにはその支援をあてにできない共同体にはあまり意味がないとぼくは思います。それより、緊急の問題は大多数の「ひとりでは暮らせない」人たちがどうやって他者と共生するスキルを開発することでしょう。

別に「大反論」などというものではない。
ある種の社会理論はそれが適合する歴史的条件のときがあり、適合しないときもある。
フェミニズムは「豊かな時代」の社会理論である。
社会が豊かで安全であるときは妥当するカバリッジが広く、社会が貧しく危険なものになればカバリッジが狭くなる。
それだけの話である。
別にフェミニズムには原理に致命的な瑕疵があるとか、その歴史的使命を終えたとかいうことを申し上げているのではない。
それを信奉することによって「生きやすくなる人」と「生きにくくなる人」の比率を私は問題にしているのである。
若く、貧しく、社会的リソースへのアクセスが限られている人たちには、「ひとりで生きるため」に努力するよりも、「共生のためのスキルを高めるため」に努力する方が生き延びるチャンスが高いということをアナウンスしているだけである。
長く苦しい努力の末に、豊かな社会的資源をひとりで享受できる立場になれた人は、好きでもない他人と共生する能力など必要などないのだから、そういう人たちが「そんなものは要らない」と言うのは正しい。
でも、そのようなことが言える人を標準にした社会理論の適用範囲はすでにそれほど広くはないし、これからはさらに広くなくなるだろう。

労働について

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月曜の「キャリア教育」の一こまと、専攻ゼミで「働くとはどういうことか」についてお話する。
月曜の方は大教室で180人の学生さんを相手にマイクで講義という、ふだんしないことをする。
お相手は2,3年生。
就活についてはまだ不安だけという学年だけれど、バイトの経験はあるし、キャリアパスのための資格や免状のための科目はすでに履修しているし、セカンドスクールにも通っているものもいるから、「働く」ことについて漠然とした先入観は有している。
けれども、彼女たちの抱いている労働観は家庭教育とこれまでの学校教育の過程でずいぶん歪められている。
彼女たちは「ワーク」を「競争」のスキームでとらえている。
閉じられた同学齢集団内部で相対的な優劣を競うことが「ワークする」ことだと思い込んでいる。
そう教えられて二十歳近くまでやってきた彼女たちには、社会に出てから後は「ワークする」ことの意味が違ってくるという消息がうまく呑み込めない。
「働くとはどういうことか」について、原理的な話をする。
競争や消費は個人単位での活動だが、労働はそうではない。
労働は原理的に集団で行うものである。
労働においては、努力とその報酬が「個人単位」ではなく、「集団単位」で考量される。
だから「仕事ができる人」というのは、「個人的に能力の高い人」のことではなく、「集団のパフォーマンスを向上させることのできる人」を指す。
端的に言えば「他者に贈与できる人間」のことを指す。
その理路を学生たちに縷々説き聞かせる(むずかしいけどね)。
同じことを前に『日本の論点』に書いたので、その一部を引いて論じた。
それを再録しておく。

人間だけが労働する。動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。ライオンはお腹がいっぱいになったら昼寝をする。横をトムソンガゼルの群れが通りかかっても、「この機会に二三頭、取り置きしておこうか」などとは考えない。「労働」とは生物学的に必要である以上のものを環境から取り出す活動のことであり、そういう余計なことをするのは人間だけである。
どうして人間だけがそんなことをするのか。
それは「贈与する」ためである。ほかに理由は見当たらない。
もし、腹一杯のライオンがそれでも獲物を狩ったとしたら、その獲物は誰かに(仲間のライオンかハイエナか禿鷲かあるいは地中の微生物か)「贈り物」として与える以外には用途がない。
「働く」ことの本質は「贈与すること」にあり、それは「親族を形成する」とか「言語を用いる」と同レベルの類的宿命であり、人間の人間性を形成する根源的な営みである。そのような根源的なものについては、それが何かを一義的な言葉づかいで語ることはできない。例えば、「言語とは何か」と私たちは問うことができるけれど、その問いは言語によって行うしかない。「貨幣とは何か」という本を書くことはできるけれど、その本を書いた経済学者はその印税の支払いをおそらくは貨幣で求めるはずである。労働もそれと同じである。
人間以外の動物はしないことはたぶん労働である。「たぶん」という限定を付すのは、それが労働であるのかどうかは事後になって、それを「贈り物」として受け取る他者の出現を待ってしか判明しないからである。
労働は価値を創出する。だが、価値というものは単体では存在しない。価値というのは、それに感動したり、畏怖したり、羨望したりする他の人間が登場してはじめて「価値」として認定されるからである。
ガレージにこもって基板にはんだ付けいる青年がしていることが「労働」かどうかはその時点ではわからない(短期的スパンを取れば、消費するだけである)。だが、彼の作った電子ガジェットが爆発的に売れて、気がついたら大富豪になってしまったということになると、回顧的には「あのとき彼は労働していたのだ」ということになる。
どういう行為が「働く」ことであり、どういう行為がそうでないのかは、働き始める前にはわからない。働いて何かを創り出した後に、それを「欲望する」他者が登場してきてはじめてそれは労働であったことが遡及的にわかるのである。そういうふうに労働は時間の順逆が狂ったかたちで構造化されている。
「穴を掘って、それをまた埋める」という作業の繰り返しそのものは労働ではない。いかなる価値も創り出していないからである。ドストエフスキーは、人間はそのような作業の無意味さに耐えられぬであろうと書いた。だが、もし、その作業の従事者たちが、穴の掘り方や土の運び方について工程を工夫し、システム改善について議論することが許されていた場合、私が試みるささやかな工夫に驚いたり、感心したりする他者の顔を私が想像できたなら、それは限りなく労働に近づいていると言うことができるだろう。
私の大学の同僚の島﨑徹さんは少年の頃カナダに渡り、ダンスのレッスンを受けながら、レストランで皿洗いのバイトをしていた。そのとき、島﨑少年は独創的な皿洗いシステムを思いついて、それを提案して、受け容れられた。それから何十年か経って、世界的なダンサーになった後、島﨑さんはかつて働いていたそのストランを訪れてみたことがあった。ふと厨房を覗いてみると、人々は「島﨑システム」で皿を洗っていた。
佳話である。
このとき、島﨑さんにとって、皿洗いの経験は、その言葉の本来の意味において、労働になったのだと私は思う。ある仕事が数十年経って、「労働になる」ということがありうるのである。その人がなしとげたことの意味は、仕事そのものではなく、それが他者に何を贈ったかで決まるからである。
島崎さんは皿洗いを通じて見知らぬ人々に(効率的で気分のよい皿洗いシステム)という「贈り物」をした。その「贈り物」を現に享受している人々がカナダの一隅に現に存在している。その事実によって、少年時代の労働は(当時受け取った賃金の他に)いくばくかの価値を加算されたのである。
「現に享受している」という言い方は正確ではないかもしれない。島﨑さんは、おそらく皿洗いをしているときすでに、賃金以上のものを、未来において彼が開発したスキルの恩恵を受益する人々のことを想像するというかたちで、前倒しで受け取っていたはずだからである。そして、たぶんそのときすでに彼は例外的に陽気で働き者の皿洗いとして、厨房の雰囲気を明るくしていたはずである。
「島﨑システム」の恩恵の受益者である「次代の皿洗い」はまだ出現していない。それは仮説的にしか存在しない。けれども、自分がなした仕事から何らかの喜びや愉悦や利益を受け取る他者がいつか出現するであろうという予測をもてるならば、それは、労働に今ここで価値を加算するのである。
逆の例を考えればわかる。地球最後の日に、生き残った最後の一人がいたとする。彼が画期的な癌特効薬を発明しようとも、宇宙の全事象を説明できる理論を完成させようとも、それはもう労働ではない。その成果を享受しうる他者がもうどこにもいないからである。労働の価値は労働そのものに内在するわけではない。その成果を享受する他者たちによって事後的に賦与されるのである。
何年か前、武術家の甲野善紀先生とレストランに入ったことがあった。私たちは七人連れであった。メニューに「鶏の唐揚げ」があった。「3ピース」で一皿だった。七人では分けられないので、私は3皿注文した。すると注文を聞いていたウェイターが「七個でも注文できますよ」と言った。「コックに頼んでそうしてもらいますから。」彼が料理を運んできたときに、甲野先生が彼にこう訊ねた。「あなたはこの店でよくお客さんから、『うちに来て働かないか』と誘われるでしょう。」彼はちょっとびっくりして、「はい」と答えた。「月に一度くらい、そう言われます。」
私は甲野先生の炯眼に驚いた。なるほど、この青年は深夜レストランのウェイターという、さして「やりがいのある」仕事でもなさそうな仕事を通じて、彼にできる範囲で、彼の工夫するささやかなサービスの積み増しを享受できる他者の出現を日々待ち望んでいるのである。もちろん、彼の控えめな気遣いに気づかずに「ああ、ありがとう」と儀礼的に言うだけの客もいただろうし、それさえしない客もいたであろう。けれども、そのことは彼が機嫌の良い働き手であることを少しも妨げなかった。その構えのうちに、具眼の士は「働くことの本質を知っている人間」の徴を看取したのである。
働く人が、誰に、何を、「贈り物」として差し出すのか。それを彼に代わって決めることのできる人はどこにもいない。贈り物とはそういうものである。誰にも決められないことを自分が決める。その代替不能性が「労働する人間」の主体性を基礎づけている。
その「贈り物」に対しては(ときどき)「ありがとう」という感謝の言葉が返ってくる。それを私たちは「あなたには存在する意味がある」という、他者からの承認の言葉に読み替える。実はそれを求めて、私たちは労働しているのである。
今、若い人たちがうまく働けないでいるのは、そのことに気づいていないからだと思う。彼らは「働くとはどういうことか」についての定義があらかじめ開示されることを求める。働くとどういう報酬が自分にもたらされるのかをあらかじめ知りたがる。それが示されないなら、「私は働かない」という判断を下すことも十分合理的だと考えている。けれども、残念ながら、「働くとはどういうことか」、働くとどのような「よいこと」が世界にもたらされるのかを知っているのは、現に働いている人、それも上機嫌に働いている人だけなのである。

学生たちは、途中から私語をやめて、黙って聞き入っていた。
出席カードの裏に授業の感想を書いてもらった。
「これからバイトをするのがたのしみになりました」と何人かが書いてくれた。
それでよいのだよ。

男性中心主義の終焉

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『プレシャス』のオフィシャル・パンフレットが届いた。
不思議な映画である。
あちこちの映画祭で受賞しているけれど、どうしてこの映画がそれほど際立つのか、たぶん日本の観客にはその理由がよくわからないのではないかと思う。
それについて書いた。

変わった手触りの映画だな・・・と思った。「ふつうの映画」と違う。どこが違うのか考えたがわからない。そのまま寝て、一晩寝たら、明け方にわかった。
「男が出てこない映画」だったのである。
「看護師ジョン」役でレニー・クラヴィッツがクレジットされているけれど、2シーンだけ、台詞もわずか。プレシャスの成長を暖かく見守る「いい人」という記号的なかたちでしか物語に関与しない。
プレシャスのあこがれの数学の先生も、プレシャスを意味もなく突き飛ばす暴力的なストリートキッズたちもいずれも、人間な深みのない図像として記号的に処理されている。
一家の不幸そのものの原因であり、この物語の「天蓋」(キャノピー)をかたちづくっているのは娘をレイプし、妊娠させ、ウィルスをまき散らして去るプレシャスの「父」である。彼の発する瘴気が映画全体を覆い尽くしている。だが、その「父」は身体の一部と、かすれ声として幻想的に回想されるだけで、映像の前面にはついに登場しない。
主人公も、校長も、国語の先生も、クラスメートも、福祉課の職員も、物語を前に進め、主人公に慰めや癒しや励ましをもたらす役割はすべて女たちが担っている。母だけは例外的に暴力的でエゴイスティックな悪女だが、彼女がこのような人間になったことについての責任も結局は「諸悪の根源」たる父に送り戻される。
ここまで徹底的に「図式的」な映画は珍しい。
あきらかに監督はこの図式性を自覚し、計算し抜いた上で映画を作っている。本作が各種の映画祭で獲得した驚くべき数のトロフィーのリストを見ればその戦略のたしかさは理解できる。アメリカ人はまさに「こういう映画」を渇望していていたのである。その理路について少し説明したい。
これまで作られたすべてのハリウッド映画は、ジョン・フォードからウディ・アレンまで、『私を野球に連れてって』から『十三日の金曜日』まで、本質的に「女性嫌悪(misogyny)」映画だった。女性の登場人物たちは男たちの世界にトラブルの種を持ち込み、そのホモソーシャルな秩序を乱し、「罰」として男たちの世界から厄介払いされた(「悪い女」は殺され、「良い女」は一人の男の占有物になる)。女たちにはそういう話型を通じて父権制秩序を補完し強化する役割しか許されなかった(と私が言っているわけではない。70年代からあと山のように書かれたフェミニスト映画論がそう主張していたのである)。
『プレシャス』はその伝統にきっぱりと終止符を打った。本作はたぶん映画史上はじめての意図的に作られた男性嫌悪映画である。
本作の何よりの手柄は、過去のハリウッド映画が無意識的に「女性嫌悪」的であったのとは違って、完全に意識的に「男性嫌悪的」である点である。本作の政治的意図は誤解の余地なく、ひさしく女たちを虐待してきた男たちに「罰を与える」ことにある。だが、その制裁は決して不快な印象を残さない。それは、その作業がクールで知的なまなざしによって制御されているからである。
『プレシャス』は、アメリカ社会に深く根ざし、アメリカを深く分裂させている「性間の対立」をどこかで停止させなければならないという明確な使命感に貫かれている。その意味で、本作は映画史上画期的な作品であると私は思う。その歴史的な意義が理解され、定着するまでには、まだしばらくの時間を要するだろう。だから、「映画史の潮目」の生き証人になりたい人はこの映画を見ておく方がいいと思う。

アメリカというのは何にせよ極端な国であり、極端から極端に一気に針が振れる。
ヘイズコードで暴力と性描写を30年にわたって禁圧してきた後、アメリカ映画はスプラッタと裸まみれの映画を量産するようになった。
白人男性の主人公だけが「いい思い」をする映画を山のように作ったあとに、70年代以降は「フェミニスト・オリエンテッド」映画や「マイノリティ・オリエンテッド」映画など「政治的に正しい映画」を量産するようになった。
女性嫌悪映画は1920年代以来のハリウッドの伝統である(どうして1920年代に突然ハリウッドが「女性嫌悪」的になったかについては、私の『映画の構造分析』に詳しく書いてあるので、興味のある方はそちらをどうぞ)。
『プレシャス』はその時代が終わったことを示している。
たぶんこれから後はハリウッド発の「男性嫌悪映画」が量産されることになるであろう。
もちろん、これまでも男性登場人物は記号的に処理され、葛藤や逡巡や成熟が女性固有の出来事とされたドラマは存在した(女性作家の書く物語の多くはそうである)。
けれども、男性のクリエイターが男性嫌悪的なドラマを進んで作り出すようになったのは新しい傾向である。
そこにはアメリカのマッチョな文化がもたらしたあまりに多くの破壊に対するアメリカ男性自身の自己嫌悪が反映しているのだと思う。
私自身は『プレシャス』を歓迎したアメリカの観客たちの反応を健全なものだと思う。
アメリカの文化は「女性的なもの」へと補正されなければならないという見通しに私は深く同意する。
『プレシャス』は、その作業が「女性たちだけのホモソーシャルな集団」によって担われる以外にないと告げている。
男にはアメリカを「住みよい社会」にする仕事において果たす役割はほとんどない。
そのようなメッセージを男性のフィルムメーカーたちが発信し、それに対しておそらくその半数が男性である映画賞の審査員たちが同意を示した。
アメリカ男性よる伝統的なアメリカ的男性中心主義文化の否定。
あいかわらずアメリカ人のやることは過激である。


東に行ったり西に行ったり

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ハードな三日間。
4月30日、教授会研修会で、大学のミッションステートメントについて研修。途中でアドミッション・ポリシー分科会を抜け出して、新幹線で東京へ。
「アドミッション・ポリシー」というのは大学がどういう学生を入学させたいのか、その「理想」を語るという趣旨のものである。
そのような「理想とする学生像」を提示できない大学にはペナルティが与えられるであろうという教育行政からのご指導である。
ほとんどの大学が志願者確保に苦しんでいる実情を勘案すると、ずいぶんシニックな考え方のようにも思われる。
だが、ほんらいは「こういう教育がしたい」という建学の理想がまずあり、「そのような教育を受けたい」という学生はその後に、その理想に「感電」するようにして登場するという順序で学校教育は生成したのである。
だから、「まず理想を」というのは順序としては正しい。
順序としては正しいが、口ぶりがよろしくない。
「きちんとしたミッションステートメントを提示すべきだ」というのは一般論としては正しい。
だが、それを「きちんとしたミッションステートメントを提示せよ」と命令法で語るのは間違っている。
それは、行政が大学をある種の「幼児」として扱っているということだからである。
ミッションステートメントを明らかにせよと「上」から言われて感じるのは、入学試験や就職試験の面接で「で、キミはうちに入ったら、何をしたいわけ?ん。具体的に言ってみたまえ」と査定している面接官の前でぺらぺらと作文を読み上げている受験生のポジションにいる気分である。
教育機関を査定される側の「おどおどした」ポジションに置くことを文部行政は好む。
だが、朝令暮改の行政指導に右往左往し、「こんなもんでよろしいでしょうか?」と上目遣いをするような教育機関ばかりになったときに、日本の教育はその理想状態に達すると彼らが考えているとしたら、彼らの知性はかなり不調であると判じてよろしい。
人は幼児のように扱えば、幼児のままであり、成人のように扱えば、成人に変わる。
それは私の経験則である。
わが教育行政は「高等教育機関を幼児のように扱う」ことのリスクについて危機感が少ない。
その危機感の欠如が高等教育の土台を掘り崩している可能性について懸念する人は教育行政の要路に一人もおられぬのであろうか。
池袋のジュンク堂にて、Monkey Business 三周年記念のトークセッションにご招待いただき、編集長の柴田元幸さんと「アメリカ」について語り合う。
私のアメリカ論の中心テーマは「日本人はアメリカ人の気持ちになることができない」というものである。
つよい心理的な抑制がかかっていて、私たちはアメリカ人に共感することができない。
いや、私はアメリカ人のことがよくわかっている、とおっしゃる方も大勢おられるであろう。
彼らが言っているのは、「外から見たときの」ある種の「パターン」についてである。
私が訊きたいのは、そういうものではない。
アメリカの国民的なアイデンティティーの中核部分を形成している「西漸の情熱」「旧大陸への憎悪」「武装権」「キリスト教原理主義」「先住民虐殺事実の忘却」「ニューカマーへの組織的迫害」「女性嫌悪」といった一連の行動を生み出す「胎」のようなものに私たちの想像力は届くのか、ということである。
この「アメリカ的なものの胎」に触れることをめざす研究者は私の知る限りほとんどいない。
ほとんどのアメリカ専門家はすでに制度化し物質化した「アメリカ」については詳しい。けれども「アメリカ」をそのようなものたらしめた本源的な力については言及しない。
それは富士山の造型や植生や登山ルートについては詳しいが、富士山をそのようなものたらしめた地下のマグマの状態については何も語らない人に似ている。
その「胎」のごときものの蠢動を感知し、それに部分的に共振できるような身体をもつ人の語る「アメリカについての言葉」を私は聴きたい。
柴田元幸さんはそれができる数少ない日本人の一人である。
トークセッションのあと、版元のヴィレッジブックスの平井さん、イーストプレスの浅井さんと四人でプチ打ち上げ。
さらにディープな話が繰り広げられる。
平井さんが必死になってICレコーダーで録音していたので、Monkey Businessの次号ではジュンク堂のあとワインを飲みながらの柴田さんとのトークも収録されるかもしれない。
お楽しみに。
山の上ホテルに投宿。早起きして、広島の多田先生の講習会へ向かう。
GWのどまんなかにぶつかってしまったので、東京駅は朝から大混雑。広島行きの指定席はソールドアウト。とりあえず新大阪まで行き、そのあと新大阪発、広島行きの列車に乗り継いで、午後の講習の開始時刻にようやく会場にたどりつく。
夕方までばんばん稽古して、さすがにへろへろになる。
日頃受け身というものをほとんど取らないで、「口先合気道」に専念しているせいで、ごろごろ床に転がされると、だんだん起きるのが面倒になる。
それに四月以降、合気道も杖道も、会議や授業が重なって、ほとんど週日の稽古ができない状態なので、体力がだいぶ落ちている。
それもあと11ヶ月の辛抱である。来春からは思う存分稽古するぞ。
ホテルで汗を流して、5分ほど仮眠して、懇親会会場へ。
冷たいビールをごくごく飲んで、辛い四川料理をぱくぱく食べて、多田先生を囲んで愉快な時間を過ごす。
先生から「リゾット・コン・シャンパーニュ」のレシピを伺った話はツイッターに書いた。
一回にシャンペン一瓶を投じるそうである。
え、一瓶?いったいどれほどのお米を・・・とお訊ねすると、「イタリア米一パック」というご返事。
1パックはたぶん1キロ(7合)。それを父子おふたりで一食でお食べになるのだそうである。
センセ、それ食べ過ぎでは・・・
先生をとなりのANAホテルまでお送りしてから、二次会へ。
ほかの場所で飲んでいた諸君も合流して、15人ほどになってフレンドリーなおばさんたちばかりのフェミニンな居酒屋へ雪崩れ込む。
「フレンドリーなおばさんたちばかりのフェミニンな居酒屋」というのはまことに斬新なコンセプトである。
そこでホッピーなどひとしきり痛飲。
11時にホテルに帰り、たちまち爆睡。翌朝8時まで9時間寝。
朝ご飯を食べて、タクシーで講習会のある武道館へ。
途中、S嬢が道路中央にバッグを落とし、それが市電に轢かれて、携帯、デジカメなどが大破するという事故があった(市電は急停車、しばらくダイヤに乱れが生じた)。
S嬢は前日より「新大阪にて新幹線乗り遅れ」「ロッカーの鍵紛失」「二次会会場よりタクシー乗り遅れ」と立て続けにトラブルに見舞われていたが、これで四つめ。
たいへん不運な方なのか、それとも・・・。いずれにせよ、今後の動きに道場関係者の注目が集まっている。
講習会無事に終了。多田先生をお見送りして、いつものように広島駅「第二麗ちゃん」にて、広島焼き(スペシャル:卵、イカ、海老、焼きそば入り)を食べ、生中をごくごく飲む。
初夏の一日稽古して、身体中の水気が絞り出されたあとなので、このときの冷たい生中はほんとうに「甘露」である。
恒例のごとく「もみじ饅頭」を購入し、新幹線待合室にて、同じ列車で帰る清恵さん、谷尾さん、ウッキーと寛也さんにいただいた雪中梅で乾杯。
美味しい~
別の新幹線に乗る諸君がぞろぞろ前を通るので、そのつど呼び止めては乾杯。
車中にてもさらににぎやかに乾杯が続くのであった。
みなさん、お疲れさまでした。楽しかったね。
今年の参加者は31名。来年はもっと増えそうなので、往復バスを仕立てて、ホテルもまとめて予約することにする。ほとんど合宿と変わらない。

基地問題再論

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さる新聞社より電話取材で、またまた普天間基地の話。
鳩山首相が沖縄に行ったが、はかばかしい成果がなかったことについて、その政治責任をどう考えるかというお訊ねである。
「はかばかしい成果がある」というのはどういう場合を指すのか、まず新聞社はそれを明らかにすべきであろうということを申し上げる。
他人の仕事について「はかばかしい成果が上がらなかった」というコメントを下すためには、「はかばかしい成果」は何かをまず明らかにする必要がある。
だが、メディアは普天間基地問題について、「こうすべきである」という具体的な提言をなしていない。「米政府も政権与党も沖縄県民もみんなが満足するソリューション」を提示せよと言っているだけである(だが、そのようなソリューションは存在しない)。
何度も言っているように、基地問題は変数が多すぎるために「正解のない」問題である。
私たちに出来ることは、「変数」を列挙し、そのうち「定数」に置き換えられそうなファクターをひとつずつ増やしてゆくことくらいである。
定数としてまず決めておくべきことは、日本国民は国内の米軍基地を「いずれ撤去すべきもの」と思っているのか、「恒久的に存続すべきもの」と思っているのか、どちらか、である。
私は「日本国内にある駐留米軍基地がすべての撤去されること」を求めるのは主権国家として当然の要求であると思っている。
メディアの論調を徴するに、国内に治外法権の外国軍基地が恒久的に存続することを「望ましい」と思っている人たちもおられるようだが、その方たちにはその理路をお示し頂きたいと思う。
そして、多少想像力があったら、私に向かって説いたのと同じことを、例えば幕末の京都の四条河原や、日露戦争中の日比谷公園で道行く人に声高に説き聞かせた場合、誰にも殴られずにいる可能性がどれくらいあるかについて考えてみるとよろしいかと思う。
私はとりあえず、「国内に治外法権の外国軍の駐留基地を持つ限り、その国は主権国家としての条件を全うしていない」という一般論についての国民的合意を形成したいと願っている。
それだけである。
そのようなささやかな願いでさえも、共有してくれる国民は決して多くないのである。
毎日新聞に先日普天間基地問題についてコメントをした。
それをそのまま採録しておく。

普天間問題の根本にあるのは、米国が日本に基地を置いていることのほんとうの意味について私たちが思考停止に陥っているということだ。
米国は日本に基地を置いている理由の一つは日本が米の軍事的属国だということを私たち日本人に思い知らせるためであり、もう一つは、中国、北朝鮮という「仮想敵国」との間に「適度な」緊張関係を維持することによって、米の西太平洋におけるプレザンスを保つためである。
米軍基地はすでにあるものであり、これからもあり続けるものだと私たちはみな思い込んでいるが、米国は90年代にフィリピンのクラーク空軍基地とスービック海軍基地から撤退した。2008年には韓国内の基地を三分の一に縮小し、ソウル近郊の龍山基地を返還することに合意した。いずれも両国民からの強い抗議を承けたものである。
米国防総省は沖縄の海兵隊基地については、県外移転も問題外であるほどに軍事的重要性があると言い、日本のメディアはそれを鵜呑みにしている。だが、その言い分とアメリカが海東アジア最大の軍事拠点と北朝鮮と国境を接する国の基地を縮小しているという事実のあいだにどういう整合性があるのか。とりあえず私たちにわかるのは、日本国民は韓国国民やフィリピン国民よりもアメリカに「侮られている」ということである。
普天間基地問題では、基地の国外撤退を視野に収める鳩山首相に対してメディアは激しいバッシングを浴びせている。米国を怒らせることを彼らは病的に怖れているようだ。だが、いったい彼らはどこの国益を配慮しているのか。先日会った英国人のジャーナリストは不思議がっていた。
日本人は対米関係について考えるとき、決して対等なパートナーとして思考することができない。この「属国民の呪い」から私たちはいつ解き放たれるのか。

私の寄稿したすぐ横では、ある軍事ジャーナリストが沖縄に海兵隊があることの必要性について、歩兵ヘリコプターと揚陸艦の三者が一体でなければならないという戦術上の理由を挙げていた。
「現在の移転案では、三者が離れ離れになる。例えば、朝鮮半島で紛争が起きた場合でも、時間的ロスが多い。米側がのむわけがない。」
なるほど。
そこで、ひとつ質問。
朝鮮半島で紛争が起きた場合、いちばん時間的ロスが少ないのは、紛争地域に海兵隊基地があることである。
ところが、朝鮮半島の米軍は基地の縮小を受け容れている。
この事実はどう説明できるのであろうか。
別にそれほどややこしい話ではない。
韓国国内に基地を持っていることには軍略上の利益がある。
基地をもっていることで韓国内に深刻な反米運動がおこることには外交上の損失がある。
利益と損失を考量した上で、アメリカ政府は外交上の損失を避けた。
これは、現在の東アジア情勢においては、合理的な政治判断である。
つまり、米国の同盟国が「恒久的な米軍基地が国内にあることは同盟関係にむしろマイナスである」という主張をなした場合に、アメリカはその主張が合理的であれば、聞く用意がある、ということである。
しかるにこと沖縄については、海兵隊基地の基地機能が多少とでも損なわれるような提案は「アメリカはのむまい」と専門家たちは口を揃えて言う。
それはどれほどアメリカがごねても、同盟関係は少しも揺るがないであろうとアメリカ政府が思っていると彼らが思っていることを意味している。
アメリカ政府がほんとうのところどう思っているのか、私にはわからない。
けれども、日本はアメリカに対して反抗できないという「属国」条件を日本の軍事専門家たちが「定数」にして、そのコメントを述べていることはわかる。
彼らのその現状認識が十分にリアリスティックなものであることを私は喜んで認める。
けれども、その場合には、やはりコメントをするたびごとに「われわれはアメリカの軍事的属国民であり、軍事に関しては、アメリカの意思に反する政策決定をすることができないのだ」ということを明らかにし、「だから」という接続詞のあとに、自説を展開していただきたいと思う。
あたかも主権国家が合理的な判断として国内に外国軍基地を置くという「選択している」かのように語るのはフェアではないと私は思う。

越くんとリーダーシップについて話す

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越くんがやってくる。
越くんは2001年にブザンソンで知り合った青年である。
いまは全日空商事にお勤め。
9年前、恒例のフランス語研修、ブザンソン駅でTGVを降りると、ブルーノくんと大柄のアジア人の青年が私たちを迎えてくれて、手際よく学生たちのトランクを列車からおろしてくれた。
なんとなくブルーノくんの知り合いのアジア圏の人だろうと思って、フランス語でお礼を言って並んで歩いていたら、「ぼく日本人です」と言ったのでびっくりした。
青山学院がCLAに派遣した長期留学生のメンバーのひとりで、もうブザンソンに長い。
私たちがブザンソンに滞在していた2週間のあいだ、毎日のようにオテル・メルキュールに遊びに来て、あれこれ学生たちの世話を焼いてくれて、夜はいっしょにご飯を食べ、カフェで遅くまでおしゃべりをした。
やはり青学からの留学生だったユリちゃんと越くんのふたりはブルーノくんとの合気道の稽古にも参加してくれた。
ユリちゃんは日本に帰ったあと、自由が丘道場に入門して、私の「妹弟子」というものになったのである。
越くんは帰りのパリまで同行してくれて、9月11日の夜にサンミシェルのカフェで(前回、東川さんと黒田くんとカルバドスを飲んだのと同じカフェ)また日本で会おうねと約束してお別れしたのであった。
(そしてカフェから帰ったらテレビの臨時ニュースで同時多発テロのことを知ったのである)。

ちょうどその日に、朝からWTC内のオフィスにいたのだが、なんだか急に外に出たくなって、ビルの104階から地上まで降りたところでビルに飛行機が衝突したという、たいへん危機センサーのよい人を父親に持つ女性が今回の越くんの神戸旅行にご同行されていた。
うちの奥さんと四人で、元町の「グリルミヤコ」へ。
お店が北野から元町へ移転してからまだ一度もお訪ねしていなかった。
ひさしぶりに神戸牛のヘレカツが食べたくなったので、遠来のお客さんをお連れしたのである。
その話題から危機センサーをはじめとする人間の潜在能力について語る。
危機を察知し、無意識のうちにそれを回避する能力は生物の生存本能のうちもっとも有用なものだが、その生理学的・解剖学的な仕組みはわかっていない。
でも、それを高めるための訓練システムがどういうものかはわかっている。
センサーの感度を鋭敏に保つ方法は経験的には一つしかない。
それは「不快な情報にはできるだけ触れない」ことである。
不快な情報は不快であるから、私たちはその入力を遮断するか、(うるさい音楽に対してするように)「ヴォリュームを絞る」ようにする。
つまりセンサーの感度を意図的に下げるのである。
それによって、外界からの不快な入力は「カット」される。
けれども、それは同時に危機シグナルに対するセンサーも「オフ」になるということである。
「不快な」シグナルといっしょに「危険な」シグナルもカットされてしまう。
『おしゃれ泥棒』でピーター・オトゥールがやったように、繰り返しアラームが誤作動すると、警備員はアラームそのものを切ってしまう。泥棒はそれからゆっくり仕事にとりかかる。
ここから導かれる実践的教訓は「アラームがじゃんじゃん鳴るような環境には身を置かない」ということである。
「不快な入力」が多い環境にいると、人間は鈍感になる。
鈍感になる以外に選択肢がないのだからしかたがない。
けれども、それによって危機対応能力は劇的に劣化する。
子どもは、できるだけ快適な感覚入力だけしかない、低刺激環境で育てる方がいい、というのは私の経験則である。
たしかにそうやって育てると「ぼや~っとした」子どもにはなるだろうけれど、危機回避能力は身に着く。
そういう人は無意識のうちに「もっともリスクの少ない道」を過たず選択するので、人々はしだいに「この人についてゆけば安心」ということを学習する。
戦場におけるもっとも信頼される指揮官は「銃弾が当たらない人」である。その人のあとにぴったりついてゆけば、弾も飛んでこないし、地雷も踏まないし、道に迷って敵軍のど真ん中に出ることもない。そういうことが経験的に知られている将校のあとに、兵士たちはかたまってついてゆくようになる。その一挙手一投足を注視するようになる。
それがその語の本当の意味での「リーダーシップ」であると私は思う。
古来、伝説的な勲功を誇る軍指令官が「ぼんやりした容貌」の人であったと言われるのはゆえなきことではあるまい。
現代の「エリート教育」と言われるものはそのほとんどが(すべてが)「不快なストレスが加圧されたときに、それに対して鈍感になれる力」を涵養するプログラムである。
しかし、「ストレス耐性の強い個体」は多くの場合、危機センサーが不調である。
そのような人間はタフな心身の能力を活用して死活的危機をひとりだけ生き延びることはできても、あとに従ってくる人たちを生き延びさせることはできない。
人を従えて進む人間に必要なのは「危機に遭遇しないですむ道を選ぶ」力である。
そのような能力の少なくともベースの部分は低刺激環境においてしか育むことができないと私は思う。
でも、当今の「リーダーシップ論」において、そのようなことを語る人はいない。

というような話をおふたりはたいへん興味深そうに聴いている。
たちまち2時間半ほど経ってしまった。
おふたりともまた遊びに来てくださいね。

困ったときは老師に訊け

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文學界の鼎談で、日帰り東京ツァー。
行きの車中で、週刊文春の普天間基地問題特集のための原稿書き。
同じ話を繰り返すのに、いいかげん飽きてきた。
私が言っていることは九条論のときからほとんど変わっていない。
それは私たちの眼に「解きがたい矛盾」と見えているものは、「ほんとうの矛盾」から眼をそらすためにつくりだされた仮象の矛盾だということである。
九条と自衛隊は矛盾していない。
それはアメリカが「日本を無害かつ有用な属国たらしめる」という政治史文脈の中で選択された。
アメリカにとってこの二つの制度は「二個でワンセット」のまったく無矛盾的な政策である。
それを日本人たちが「相容れぬものである」として、護憲派・改憲派に分かれて互いに喉笛に食いつきそうな勢いで争っているのは、いったんそれが「実は無矛盾的である」ということを認めてしまえば、「日本がアメリカの軍事的属国である」ことを認めざるをえないからである。
真の矛盾は日米関係にある。
そこに「矛盾はない」と強弁し、日米関係は良好に推移しており、すべての問題は国内問題であり、それゆえすぐれた為政者さえ登場すればハンドル可能であると人々は信じようとしている。
私はそのような無理な心理的操作にも「一理はある」と思っている。
現にそのように問題を先送りすることによって(つよい言い方をすれば、「狂気を病む」ことによって)、日本は65年間の平和と繁栄を手に入れた。
私はそれをかつて「疾病利得」と呼んだことがある。
利得は利得であり、みごとな達成である。
けれども、それが「疾病」を代償に手に入れたものであることは忘れないほうがいい。
この心理機制のルールは、疾病のもたらす損失は決して利得を超えることがあってはならないというものである。
だが、普天間基地問題について語る人々を見ていると、「日米間には何の利害対立もなく、真の対立は国内にある」という主張がメディアを覆い尽くしている。
国内問題であると彼らが主張するのは、それが「取るに足らぬ問題」であり、「私たちはそれをハンドルできる」と言いたいからである。
言い換えれば、「これは身内のことであり、アメリカには関係のないことだ(首相の首をすげ替えたり、政権をまた交代すればいずれ解決する)」と彼らは言いたいのである。
「真の問題から眼をそらす」ためのこの国民的努力を私は決して軽んじているわけではない。
それは私たちの国に伝えられた一種の「伝統芸能」のようなものだからだ。
けれども、どこかで私たちは腹を決めるべきだろう。
このまま「私は健康だ」と言い続けて、病を押し隠すのか、どこかで「私は病んでいる」と認めて、その上で、私たちが「病とともに生きる」ことを可能にするより包括的な「国家についての物語」を再編するのか。
書いているうちに東京に着く。
紀尾井町の文藝春秋ビルへ。
沼野充義、都甲幸治のおふたりと村上春樹論を語るのである。
沼野先生とははじめて。温顔の碩学である。
沼野先生は鞄一杯に参考文献をご持参(5キロくらいあったんじゃないかしら)。都甲さんは最年少で、東大で沼野先生の学生だったこともあり、いささか緊張気味。私だけひとりぼんやりしている。
話は村上春樹の「世界」はどのように構造化されているのか、という問題をめぐる。
「父」の問題については、すでに何度か書いた。
Book3では「母になる」という新しいテーマ(たぶんこれまでの村上作品では一度も主題的には扱われたことのないテーマ)がせり出してくる。
「母になる」とはどういうことか、について私の考えはまだまとまっていない(なにしろなったことないから)。
けれども、これはレヴィナスの「繁殖性」(fécondité)という概念とふかいところで繋がっているような予感がする。
レヴィナスは『全体性と無限』の終わり近くで「子を持つこと」と「女性化すること」という謎めいた主題を提示した。
それについて私はかつてこのような文章を書いたことがある。
 
私たちはエロス的関係にあって、ウロボロスの蛇に似た不思議な循環構造のうちに絡め取られている。というのは、愛し合う人々が官能的に志向しているのはそれぞれの相手の官能であり、その相手の官能を賦活しているのはおのれ自身の官能だからである。
官能において、主体の根拠は愛するもののうちにも愛されるもののうちにもない。エロス的主体は「私は・・・できる」という権能の用語で官能を語ることができない。というのは、愛において私の主体性を根拠づけているのは、私が「愛されている」という受動的事況だからである。

「主体はその自己同一性をおのれの権能を自ら行使することによってではなく、愛されているという受動性から引き出している。」(TI,248) 

このとき、主体の主体性を構成しているのは、能動性ではなく受動性であり、おのれの確かさではなく、不確かさである。そして、この官能における決定的な主体の変容をレヴィナスは「女性化」と呼ぶのである。

「主体のこの不確かさは主体の自己統制力によっては引き受けられない。それは主体の柔和化(attendrissement) 、主体の女性化(effémination) なのである。」(TI,248)

レヴィナスが「女性」と名づけてきたものは経験的な女性ではなく、存在論的カテゴリーである、ということを私たちはここまで繰り返し書いてきた。それがどのようなものであるのか、ようやくその輪郭がはっきりとしてきた。「女性」とは受動性を糧とする主体性-あらゆる主体性に先行する主体性-の別名なのである。

「場所を得ること(position) から始まった主体性の劇的変容がエロス的関係の中で生起する。自らに場所を与えることを通じて、『ある』の匿名性を停止させ、光に向けて開かれた実存の一様態を確定した男性的・英雄的主体性がここで変容を遂げる。」(TI,248)

「男性的・英雄的な主体」はあらゆる経験を通じて、私としての同一性を保ち続ける。だが、それは言い換えれば、私は私でしかなく、私自身に釘付けにされているということでもある。いわば男性的な私はすみからすみまで私で充満させられている。私自身によって全身を満たされていることによる私のこの窒息状態(encombrement de soi) からの解放はエロスによってもたらされる。

「エロスはこの窒息状態から解放し、私の自己回帰を停止させる。」(248)
(『レヴィナスと愛の現象学』、せりか書房)

村上春樹の文学的成熟はその必然として、「男性的・英雄的主体の柔和化・女性化」という究極の主題へと向かいつつあるのであろうか。
よくわからないけれど、実に興味深いトピックではある。
というようなことを語りたかったのであるが、あまりに話が長くなりそうだったので、割愛。加筆の段階で、少しだけ言及することになるかもしれない。
とりあえず『Engine』の書評欄で、ちょっとだけ「母」と「時間」の問題に触れる予定。
それにしても、「困ったときのラカン頼み」「困ったときのレヴィナス頼み」の汎用性の高いことには驚くばかりである。

アメリカから見る普天間問題

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普天間基地問題について、アメリカの人はどう考えているのだろうと思っていたら、知人から次のようなテクストがあることを教えていただいた。
しゃべっているのは、チャルマーズ・ジョンソンさん(カリフォルニア大学教授、政治学部長、中国研究センター所長などを歴任。その後、日本および環太平洋地域の国際関係を研究する民間シンクタンク“日本政策研究所”(JPRI)を設立)。
記事はhttp://diamond.jp/articles/-/8060で配信されたもの。その一部を採録する。

―鳩山政権は普天間問題で窮地に立たされているが、これまでの日米両政府の対応をどう見るか。

まったく悲劇的だ。両政府は1995年の米兵少女暴行事件以来ずっと交渉を続けてきたが、いまだに解決していない。実を言えば、米国には普天間飛行場は必要なく、無条件で閉鎖すべきだ。在日米軍はすでに嘉手納、岩国、横須賀など広大な基地を多く持ち、これで十分である。
そもそもこの問題は少女暴行事件の後、日本の橋本首相(当時)がクリントン大統領(当時)に「普天間基地をなんとかしてほしい」ということで始まった。この時、橋本首相は普天間飛行場の移設ではなく、無条件の基地閉鎖を求めるべきだったと思う。

―普天間を閉鎖し、代替施設もつくらないとすれば海兵隊ヘリ部隊の訓練はどうするのか。

それは余った広大な敷地をもつ嘉手納基地でもできるし、あるいは米国内の施設で行うことも可能だ。少なくとも地元住民の強い反対を押 し切ってまでして代替施設をつくる必要はない。このような傲慢さが世界で嫌われる原因になっていることを米国は認識すべきである。
沖縄では少女暴行事件の後も米兵による犯罪が繰り返されているが、米国はこの問題に本気で取り組もうとしていない。日本の政府や国民 はなぜそれを容認し、米国側に寛大な態度を取り続けているのか理解できない。おそらく日本にとってもそれが最も簡単な方法だと考えて いるからであろう。

-岡田外相は嘉手納統合案を提案したが、米国側は軍事運用上の問題を理由に拒否した。

米軍制服組のトップは当然そう答えるだろう。しかし、普天間基地が長い間存在している最大の理由は米軍の内輪の事情、つまり普天間の海兵隊航空団と嘉手納の空軍航空団の縄張り争いだ。すべては米国の膨大な防衛予算を正当化し、軍需産業に利益をもたらすためなのだ。
米軍基地は世界中に存在するが、こういう状況を容認しているのは日本だけであろう。もし他国で、たとえばフランスなどで米国が同じことをしたら、暴動が起こるだろう。日本は常に受身的で日米間に波風を立てることを恐れ、基地問題でも積極的に発言しようと しない。民主党政権下で、米国に対して強く言えるようになることを期待する。(・・・)
日本にはすでに十分すぎる米軍基地があり、他国から攻撃を受ける恐れはない。もし中国が日本を攻撃すれば、それは中国にこれ以上ない 悲劇的結果をもたらすだろう。中国に関するあらゆる情報を分析すれば、中国は自ら戦争を起こす意思はないことがわかる。中国の脅威などは存在しない。それは国防総省や軍関係者などが年間1兆ドル以上の安全保障関連予算を正当化するために作り出したプロパガンダである。過去60年間をみても、中国の脅威などは現実に存在しなかった。
北朝鮮は攻撃の意思はあるかもしれないが、それは「自殺行為」になることもわかっていると思うので、懸念の必要はない。確かに北朝鮮の戦闘的で挑発的な行動がよく報道されるが、これはメディアが冷戦時代の古い発想から抜け出せずにうまく利用されている側面もある。
(・・・)
―日本では普天間問題で日米関係が悪化しているとして鳩山政権の支持率が急降下しているが。

普天間問題で日米関係がぎくしゃくするのはまったく問題ではない。日本政府はどんどん主張して、米国政府をもっと困らせるべきだ。これまで日本は米国に対して何も言わず、従順すぎた。日本政府は米国の軍需産業のためではなく、沖縄の住民を守るために主張すべきなのだ。日本人が結束して主張すれば米国政府も飲まざるを得ない。(・・・)
同じ日本人である沖縄住民が米軍からひどい扱いを受けているのに他の日本 人はなぜ立ち上がろうとしないのか、私には理解できない。もし日本国民が結束して米国側に強く主張すれば、米国政府はそれを飲まざるを得ないだろう。

これは私が海外特派員協会で英国人のジャーナリストから聞いたこととほぼ同一の内容である。
彼は韓国における基地縮小のプロセスを例に引いて、「もし日本国民が結束して米国側に強く主張すれば、米国政府はそれを飲まざるを得ないだろう」という見通しを語った。
私が韓国における基地縮小のための国民的運動について何も知らないと言うと、彼はひどく驚いていた。
日本のメディアはそれを報道していないのか。
韓国民が米軍人や家族に対して、基地周辺でのレストランや商店への入店拒否などの激しい排斥運動を通じて国民の意思を示したということを君は知らないのか。
私は知らないと答えた。
あるいは小さな外信では紹介されたのかもしれないが、これを範として日本列島内の基地の縮小撤去のために国民的運動を起こそうというようにた提言したメディアのあることを私は知らなかった。

私が基地問題について書いていることは前からほとんど変わらない。
それはもう少し時間的にも空間的にも大きな文脈で問題を見た方がいいのではないか、ということである。
滑走路の距離が何メートルであるとか、紛争地に飛ぶのに要する時間が何分であるとか、「くい打ち」だと工費がいくらかかるとか、そういうテクニカルな議論に入る前に、まず「すること」があるのではないかと申し上げているのである。
なぜ、日本国民が結束して米政府に対して「基地は要らない」という要求をなすための合意形成を支援するといういちばん常識的な仕事をメディアは選択的に放棄するのか。
メディアはこの問いに答える義務があると思う。
まだ誰も答えてくれない。

リンガ・フランカのすすめ

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大学院のゼミで、シェークスピアの受容史について論じているときに(いったい何のゼミなんだろう)通訳翻訳コースの院生から、私の論の中にあった「言語戦略」という概念についての質問を受ける。
言語は政治的につよい意味を持っている。
母語が国際共通語である話者は、マイナー語話者(たとえば日本語話者)に対してグローバルな競争において圧倒的なアドバンテージを享受できる。
なにしろ世界中どこでも母語でビジネスができ、母語で国際学会で発表ができ、母語で書かれたテクストは(潜在的には)十億を超える読者を擁しているのである。
自国のローカルルールを「これがグローバル・スタンダードだ」と強弁しても、有効な反論に出会わない(反論された場合でも、相手の英語の発音を訂正して話の腰を折る権利を留保できる)。
だから、自国語を国際共通語に登録することは、国家にとって死活的な戦略的課題である。

ご案内のとおり、20世紀末に、インターネット上の共通語の地位を獲得したことによって、英語は競合的なヨーロッパ言語(フランス語、ドイツ語、ロシア語)を退けて、事実上唯一の国際共通語となった。
世界中どこでもグローバルな競争に参加するためには英語を習得することが義務化している。
そして、その「グローバルな競争」なるものは「英語を母語とする人々」がすでにアドバンテージを握っている「構造的にアンフェアな競争」なのである。
一言語集団にこれほどまでの競争上のアドバンテージが与えられたことは、人類史上おそらくはじめてのことである。
ことの良否はわきに置いて、まずそのことを事実として認めよう。

多くの人はリアリストであるので、「では英語を勉強せねば」と考える。
そして、英語学習に励むことになるのであるが、その場合にマイナー言語を母語とする英語学習者に示される学習方法は、ほとんど例外なしに「オーラル・コミュニケーション」を中心にしたものとなる。
「会話はいいから、まず文法と講読を」ということを言う英語教育者はきわめて少数である。
誰もが「まず発音」と言う。
なるほど。
だが、このような学習法の提案がもっぱら英語を母語とする人々から提言されていることを見落とすべきではない。
なぜ、彼らは「オーラル重視」ということ「ばかり」言うのか。
彼らは英語が国際共通語になり、多くの人が英語を解することからもちろん利益を得ている。
なにしろ、世界中どこに行ってもIs there anyone who can speak English? と問えばだいたいの用事は済むのである。この問いに誰も答える人がいなければ、肩をすくめて「野蛮人の国に来ちまったぜ」とひとりごとをいえば気持は片付く(用事は片付かないけど)。
けれども、英語が国際共通語になり、自在に英語を使う人間がある程度以上の人数を超えた時点で「英語を母語とする国民」が現在享受しているアドバンテージは失われる。
当然である。
それが国際共通語になった国語のかかえる「背理」である。
自国語が国際共通語であることは自国民に多くの利益をもたらす。
けれども、国際共通性があまりに高まると、その利益は失われる。
国際共通語には「損益分岐点」が存在する。
それは「こちらの言うことは向こうに通じるが、向こうが耳障りなことを言い出したらこちらには通じなくなる」程度の英語力である。
それが非英語圏の人々がとどめおかれるべき理想的な英語力レベルなのである。
外交交渉でも、ビジネスシーンでも、国際学会でも、英語話者がしゃべる話はその場の全員が理解できて当然であるのだが、非英語圏の人間が話すことについては英語話者は「まるで幼児の話を聴いているような見下し目線」をとることが許され、「何を言っているのかわからない」といってリジェクトする権利が留保されている、そのような非対称的な言語状況においてはじめて自国語が国際共通語になったことによって得られる利益は「最大化」する。
だから、私がいまアメリカ国務省の小役人で、言語を戦略的に考えるポストにあれば、「非英語圏の人間には、オーラル中心の語学教育法を勧奨すべし」というレポートを長官に提出するはずである。

なぜオーラル・コミュニケーション中心の学習法が言語の非対称性を維持する上で有利であるかについてはこれまでに何度も書いた。
植民地ではオーラル中心の語学教育を行い、読み書きには副次的な重要性しか与えない。
これは伝統的な帝国主義の言語戦略である。
理由は明らかで、うっかり子どもたちに宗主国の言語の文法規則や古典の鑑賞や、修辞法を教えてしまうと、知的資質にめぐまれた子どもたちは、いずれ植民地支配者たちがむずかしくて理解できない書物を読むようになり、彼らが読んだこともない古典の教養を披歴するようになるからである。
植民地人を便利に使役するためには宗主国の言語が理解できなくては困る。
けれども、宗主国民を知的に凌駕する人間が出てきてはもっと困る。
「文法を教えない。古典を読ませない」というのが、その要請が導く実践的結論である。
教えるのは、「会話」だけ、トピックは「現代の世俗のできごと」だけ。
それが「植民地からの収奪を最大化するための言語教育戦略」の基本である。
「会話」に限定されている限り、母語話者は好きなときに相手の話を遮って「ちちち」と指を揺らし、発音の誤りを訂正し、相手の「知的劣位」を思い知らせることができる。
「現代の世俗のできごと」にトピックを限定している限り(政治経済のような「浮世の話」や、流行の音楽や映画やスポーツやテレビ番組について語っている限り)、植民地人がどれほどトリヴィアルな知識を披歴しようと、宗主国の人間は知的威圧感を感じることがない。
しかし、どれほどたどたどしくても、自分たちが(名前を知っているだけで)読んだこともない自国の古典を原語で読み、それについてコメントできる外国人の出現にはつよい不快感を覚える。

日本の語学教育が明治以来読み書き中心であったのは、「欧米にキャッチアップ」するという国家的要請があったからである。
戦後、オーラル中心に変わったのは、「戦勝国アメリカに対して構造的に劣位にあること」が敗戦国民に求められたからである。
私はそれが「悪い」と言っているのではない。
言語はそのようにすぐれて戦略的なものである。
英語圏の国が覇権国家である限り、彼らが英語を母語とすることのアドバンテージを最大化する工夫をするのは当然のことである。
非英語圏に生まれた人間は「それだけ」ですでに大きなハンディを背負っているような「仕組み」を作り上げる。
これを非とする権利は私たちにはない。
日本だって70年前には東アジアの全域で、「日本語話者であることのアドバンテージが最大化する仕組み」を作ろうとして、現に局所的には作り上げたからである。
けれども、ハンディキャップを負う側にいる以上、「どうやって英語話者の不当に大きなアドバンテージを切り崩すか」ということを実践的課題として思量するくらいのことはしてもよいと思う。

私からのご提案はとりあえず一つだけ。
それは、びっくりされる方もおられると思うが、「英語」という包括的な名称の廃絶である。
かわりに暫定的に「lingua franca」という言語カテゴリーを作る。
かつてヨーロッパにおいてはラテン語がそうであった。
知識人たちはローカルな国語を生活言語として持つ一方で、ラテン語で著述し、書簡を取り交わした。
私はこの「リンガ・フランカ」はフェアな仕組みだったと思う。
というのは、ラテン語については「ラテン語を母語とする国民」というものが存在しなかったからである。
知的競争に勝つチャンスは、とりあえずヨーロッパの言語圏においては平等に分配されていた。
この状況を21世紀のリンガ・フランカについても適用すべきではないかと私は思う。
では、「英語」ではないところの「国際共通語(リンガ・フランカ)」とは何か。

福岡伸一先生がこんなエピソードを紹介していた。
アメリカで分子生物学の学会があった。
福岡先生がその開会セレモニーに参加したとき、学会長の挨拶があった。
学会長はドイツ人の学者であった。
彼はこう言ったそうである。
「この学会の公用語はEnglish ではありません」
会場はどよめいた。ではいったい何語で学会は行われるのであろうか・・・
学会長はこう続けた。
「この学会の公用語はPoor Englishです」
私はこの構えを支持するものである。
Poor English はシェークスピアやポウを読むための言語ではない。
それは「英語を母語としない人々同士が意思疎通を果たす」という目的だけに限定されたリンガ・フランカである。
Poor Englishをオーラル・コミュニケーションの場で用いる際のいくつかの規則をここで定めておきたい。
(1) 決して話者の発音を訂正してはならない
(2) 決して話者の文法的間違いを訂正してはならない
「発音の間違い」や「文法的な間違い」が指摘できるということは、「正しい発音」や「正しい文法的表現」が「正解」として知られているということである。正解がわかっているからこそ、それが「誤り」であるとして訂正可能となるのである。
正解がわかっているということは、話者が「何を言いたいのか」はすでに知られているということであり、それはPoor English においては十分なコミュニケーションが成立しているとみなされる。
(3) ただし、自分より話すのが下手な人の「言いたいこと」をより適切な文に「言い換え」て対話を継続することは許される。
(4) Poor Englishは学校教育のどの段階から開始しても構わないが、教師は「英語を母語としないもの」とする。
とりあえず、私が思いついたルールは以上の4点である。

非英語圏の英語教育は「リンガ・フランカ教育」と「英語教育」に二分すべきだと思う。
この二つは別のものでなければならない。
日本の英語教育が失敗しているのは、この二つを混同しているせいである。
「リンガ・フランカ」では日常的コミュニケーションでもっとも使用頻度の高い語から教える。
「英語」でははやい段階から英米文学の古典を教える。
「リンガ・フランカ」では身ぶり手ぶりもピジンもすべて正規の表現手段として認められる。
「英語」では、古典を適切な日本語に翻訳すること、修辞的に破綻のない英文を作ることを教育目標に掲げる。
中学なら時間割の時間配分は5:1くらいでよろしいであろう(もちろんリンガ・フランカが5)。高校になったら3:1くらいにして、大学ではできたら2:1くらいまでに持ってゆく。
これは「英語がほぼ独占的な国際共通語になった」という歴史的状況に対処するための、たぶんいちばんプラクティカルなソリューションであると私は思う。

小学生程度の英語を流暢に話す技能を「英語ができる」と評価することに私は反対である。それは「リンガ・フランカがよくできる」という項目で評価し、「英語ができる」という言い回しは「仮定法過去完了」とか「現在分詞構文」とかがぱきぱきと説明でき、He is an oyster of a man というようなセンテンスを嬉々として作文に使う子どものために取っておきたいと思うのである。
どうであろうか。
難波江さんの意見聞きたいんですけど、どうでしょうね。

言葉の力

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ツイッターで「言葉の力」と題する原稿を書いたとつぶやいたら、「読みたい」というリクエストがたくさん(三通)あった。
専門的な媒体に書いたので、ふつうの方の眼に触れる機会は少ないであろうから、リクエストにお応えして、ここにその一部を抄録することにする。

力とは外形的数値的に表示できるものではなく、ほんらいは内在的・潜勢的な資質であろうという話のあとに、こんなふうに続く。


たとえば「胆力」というのは、つよいストレスに遭遇したとき、その危地を生き延びる上で死活的に重要な資質だが、それは危機的状況にあっても「ふだんと変わらぬ悠揚迫らぬ構え」をとることができるという仕方で発現される。
つまり、外形的に何も変わらない、何も徴候化しないということが胆力の手柄なのである。だから、「チカラ」をもっぱら外形的な数値化できる成果や達成によって計測することの望む人の眼に「胆力」はたぶん見えない。
当然ながら、彼らは「胆力を練るための教育プロセス」というようなものについては考えない。
そのようなものがありうるということさえ考えない。

「生命力」も同じである。「生きる力」とは平たく言ってしまえば「何でも食える」「どこでも寝られる」「誰とでも友だちになれる」というベーシックな三種の能力にほぼ尽くされる。
要するに、与えられた場に適応し、手持ちの有限のリソースを最大限活用する能力である。
無人島に漂着するとか、最前線に送られるとか、ぎりぎりの環境を生き延びるためには必須のものだが、現代の学校教育には、そのような能力を育てるための体系的プログラムは存在しない。

「学力」も同じである。
ほとんどの人はこれを「成績」と同義語で、点数化し、優劣を比較できるものと思っている。
けれども、学力とは文字通り「学ぶ力」のことである。
それはたまたま外形的に成績や評価として表示されることもあるが本来はかたちを持たないものだ。
というのは、「学ぶ力」とは「自分の無知や非力を自覚できること」、「自分が学ぶべきことは何かを先駆的に知ること」、「自分を教え導くはずの人(メンター)を探り当てることができること」といった一連の能力のことだからだ。
これらの力は成果や達成では示されない。
学ぶ力は「欠性態」としてのみ存在する。
何かが欠けているという自覚の強度のことを「学ぶ力」と呼ぶのである
「おのれの未熟の自覚」、「ある種の知識や技能についての欠落感」、「師に承認されたいという欲望」といったものは存在するとは別の仕方で私たちの生き方に深い影響を及ぼすのである。
「学ぶ力」は欠性的にしか存在しない。
だが、それを励起し、支援し、開発するための実践的プログラムはもちろん存在する。
経験を積んだ教師はそのことを知っている。
悪い方の例だけを挙げるが、例えば「成績が悪いと社会下層に格付けされる」という恐怖心は学習の動機づけとして間違いなく有用である。
この「恐怖心」は実際には「未来において自分が失うかもしれないものについての欠落感の先取り」という複雑な心理操作を子どもに要求している。
そして、経験が教えるのは、恐怖心の強い子どもほど高い確率で「ガリ勉」になるということである。
この子どもの「学ぶ力」の中核にあるのは「恐怖心」である。
「先取りされた喪失感」もまたある種の欠性態であることに違いはない。ただ、それは同学齢集団内の競争で相対優位をめざす以上の目標を持たない。
だから、「恐怖心の強い子ども」は自分の成績を向上させるのと同じ努力を(場合によってはそれ以上の努力を)競争相手の成績を下げるためにも注ぐことになる。
私はそのような努力を「学ぶ力」とは呼びたくない。

「言葉の力」という本題に戻る。
私が言いたいことはもうだいたいおわかりいただけたと思う。
人間的な意味での「力」は、何を達成したか、どのような成果を上げたか、どのような利益をもたらしたかというような実定的基準によって考量すべきものではない。
「言葉の力」も同じである。
「言葉の力」はそれが達成した成果やそれが発語者にもたらした利益によって計測されるのではない。そうではなくて、「言葉の力」とは、私たちが現にそれを用いて自分の思考や感情を述べているときの言葉の不正確さ、不適切さを悲しむ能力のことを言うのである。
言葉がつねに過剰であるか不足であるかして、どうしても「自分が言いたいこと」に届かないことに苦しむ能力を言うのである。


父親のかなしみ

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小学館の取材で「家族」についてお話しをする。
もう何度も書いていることだが、親族制度というのは言語や経済活動と同じだけ古く、それを営むことができるという事実が人間の人間性を基礎づけている。
と書くと「ああ、そうですか」と退屈そうなリアクションをする人がいそうだが、人間とサルを分岐するのがその点であるということは、見方を逆にすれば「およそ人間であれば、誰でもできる」ということを意味している。
そこのところを当今の家族論は見落としているのではないか。
家族について論じている言説に触れて、つねに感じることは「そんなむずかしいことが『ふつうの人間』にできるわけないでしょ」ということである。
かつて「アダルト・チルドレン」という言葉がはやったことがあった(死語になってくれたようでうれしい)。
機能不全な家族で育った子どもがその後社会的能力が劣化する現象をいうのだが、そのとき列挙されていた機能不全家族の条件を見ると、この世に機能不全でない家族など一つもないようなものばかりであった。
家族全員が平等で、お互いを理解し合い、愛し合い、あらゆることを相談し合い、決して秘密を持たず、互いの欲望を受け容れ合う。
そんな家族でなければなりませんと本には書いてあった。
それは違うだろうと私は思う。
社会制度というのは、「誰でもできる」という条件で制度設計してある。
例外的強者以外には簡単に実現できないような制度に基づいて社会は組み立てられてない(というか、それではそもそも社会が始まらない)。
家族は社会組織の基礎である。
それゆえ、例外的強者でなくても、例外的に知性的でなくても、例外的に倫理的でなくても営むことができる。
そのような「平凡な人間」が営む場合の方が「むしろうまくゆく」ように作られている。
私が人類史最初に「家族」を制度設計する係であったら、当然そうする。
家族構成員全員が市民的に成熟している人間的に立派な人でなければ機能しないようなものをデフォルトにするはずがない。
そこのところを当今の家族論は見間違えているのではないか。
新聞の「家庭欄」というのを書いているのはエリート新聞記者たちだが、彼らは「たいへんな努力をしないと実現できないもの」にしか価値がないと思いがちである。
だから、家族を論じるときも必ず「たいへんな努力をしないと実現できない家族」こそがすばらしい家族であるというふうについ考えてしまう。
「適当にちゃらちゃらやっている方がうまく機能するように家族は制度設計されている」というようなアイディアは彼らの頭にはまず浮かばない。
それはメディアが学校教育を論じるときも、医療を論じるときも、統治システムを論じるときも変わらない。
眉間に皺寄せて、脂汗をかきながらやる仕事だけに価値があるという信憑をメディアは流布しているが、それは真実ではない。
たいていの場合、にこにこ笑いながら、遊び半分でやっている仕事の方がクオリティが高いのである。
家族も基本的には「ちゃらちゃら」やる方がうまくゆくように設計されている。
それは私の年来の主張を繰り返せば、「家族を理解と共感の上には基礎づけない」ということである。
家族とはいえ他人である。
何を考えているかなんか、わかるはずがない。
とりあえず私には母の考えていることも兄の考えていることも正直言うとよくわからない。娘の考えはさらにわからず、妻の思考内容に至ってはほとんど人外魔境である。
これが「わからない」と家族として機能不全であると言われてしまうと、私には立つ瀬がない。
それでもそこそこ仲良く暮らしているのだから、それで「OK」ということにしてはいただけないであろうか。
父子家庭で娘を育てた経験からわかったことは「父親」と「母親」の仕事は別のものであり、それぞれ非常にシンプルな役割演技によって構築されているということであった。
「母親」の仕事は子どもの基本的な生理的欲求を満たすこと(ご飯をきちんと食べさせる、着心地のよい服を着せる、さっぱりした暖かい布団に寝かせるなど)、子どもの非言語的「アラーム」をいちはやく受信すること、どんな場合でも子どもの味方をすること、この三点くらいである。
「父親」の仕事はもっと簡単。
「父親」の最終的な仕事は一つだけで、それは「子どもに乗り越えられる」ことである。
この男の支配下にいつまでもいたのでは自分の人生に「先」はない。この男の家を出て行かねば・・・と子どもに思わせればそれで「任務完了」である。
だから、「よい父親」というのがいわゆる「よい父親」ではないことが導かれる。
「ものわかりのよい父親」は実は「悪い父親」なのである。
否定しにくいから。
「愛情深い父親」もあまりよい父親ではない。
その人のもとを去りがたいから。
「頭のよい父親」はさらに悪い。
子どもと論争したときに、理路整然博引旁証で子どもを論破してしまうような父親はいない方がよほどましである。
それよりはやはり「あんなバカな父親のところにいたら、自分までバカになってしまう」というようなすっきりした気分にして子どもで家から出してやりたい(それについて文句を言ってはいけない。自分だって、そう言って親の家から出たのである。父親がそれほどバカではなかったことに気づくのはずっと後になってからのことである)。
言い遅れたが、人類学的な意味での親の仕事とは、適当な時期が来たら子どもが「こんな家にはもういたくない」と言って新しい家族を探しに家を去るように仕向けることである。
これが「制度設計」の根幹部分である。
それができれば親としての仕事は完了。
なまじ親のものわかりがよく、愛情深く、理解も行き届いているせいで、子どもがいつまでも家から出たがらない状態はむしろ人類学的には「機能不全」なのである。
当今の家族論は、家族の存立のそもそもの目的を見誤っているのではないか。
「イニシエーションの年齢に達したら、子どもを家から出して、新たな家族を作るように仕向けること」、それだけが親の仕事である。
自余のことは副次的なことにすぎない。

豊臣秀吉の幻想

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続いて大学院のゼミ。
本日のお題は「韓国と日本」。
日韓問題はたいへんむずかしい問題である。
あらゆるむずかしい問題がそうであるように、この問題がたいへんにむずかしいものであるのは「日韓問題については、最適解があり、私はそれを知っている」と主張する人たちが複数いて、かつ彼らのあいだで合意形成ができていないからである。
通常、このような場合には「それらはどれも『最適解』ではない」と判断する方が生産的である。
そうすると問題の次数を一つ上げることができるからである。
「なぜ、日韓問題については当事者全員が合意できる『最適解』が存在しないのか?」
この問いについてなら、とりあえず対立している立場のあいだでも冷静に意見交換できる可能性がある(「可能性がある」だけで、もちろん「やってみたらやっぱり泥仕合」という可能性もあるが)。
まあ、やらないよりはまし・・・くらいの期待度で、その「なぜ?」についてゼミで考えてみる。
「なぜ、日韓問題については当事者全員が合意できる『最適解』が存在しないのか?」
私の意見を申し上げる。
その一因は「日本」と「韓国」という現存する国民国家の枠組みを過去に投影して歴史問題を論じているからではないかというものである。
過去のできごとのうちには「過去の時点」に立ち戻ってみないと、その意味がわからないものがある。
そういうものについては、いま・ここ・私を「歴史的進化の達成点」とみなし、そこから逆照明して解釈することは適当ではない。
歴史は別に進化しているわけではないし、人間は時代が下るごとにどんどん知的・倫理的に向上しているわけではない。
今の私たちにはうまく理解できないものが、過去の人々のリアルタイムの現場においては合理的かつ適切なふるまいだと思われていたということはありうる。
それを現在の基準に照らして「狂気」とか「野蛮」とかくくっても、あまり生産的ではない。
というのは「狂気」や「野蛮」というタグをつけて放置されたしたものはなかなか「死なない」からである。
「正しく名づけられなかったもの」は墓場から甦ってくる可能性がある。
私がそう言っているのではない。マルクスがそう言っているのである。
「狂気」や「野蛮」を甦らせないためには、それが「主観的には合理的な行動」として見える文脈を探り当て、その文脈そのものを分析の俎上に載せる必要がある。

今回の発表で気になったのは、「豊臣秀吉の朝鮮侵略」の扱われ方である。
ふつうはこれを「大日本帝国」の「李氏朝鮮」侵略の先駆的なかたちであり、本質的には「同じもの」だと考える。
私は簡単にこれを同定しないほうがいいと思っている。
豊臣秀吉の時代に「国民国家」という概念はまだ存在していないからである(政治史的に言えば、国民国家の誕生はウェストファリア条約以前には遡らない)。
では、豊臣秀吉は何を企図していたのか。
彼はそれまで分裂していた日本列島を統一した。列島の部族を統一したので、「次の仕事」にとりかかった。
それは「中原に鹿を逐う」ことである。
華夷秩序の世界では、「王化の光」の届かない蛮地の部族は、ローカルな統合を果たしたら、次は武力を以て中原に押し出し、そこに君臨する中華皇帝を弑逆して、皇位に就き、新しい王朝を建てようとする。
華夷秩序のコスモロジーを内面化していた「蕃族」はシステマティックにそうふるまってきた。
匈奴もモンゴル族も女真族も満州族も、部族の統一を果たすと、必ず中原に攻めのぼった。
そのうちのいくつかは実際に王朝を建てた。
豊臣秀吉は朝鮮半島を経由して、明を攻め滅ぼし、北京に後陽成天皇を迎えて「日本族の王朝」を建てようとした。その点では匈奴の冒頓単于や女真族の完顔阿骨打やモンゴルのチンギス・ハンや満州族のヌルハチとそれほど違うことを考えていたわけではない。
華夷秩序のコスモロジーを深く内面化した社会集団にとってそれは「ふつうの」選択肢と映ったはずである。
もし、このとき豊臣秀吉の明討伐が成功した場合(その可能性はゼロではなかった)、この「日本族の王朝」は、モンゴル族の王朝である元、漢族の王朝である明に続く、漢字一字のものとなったはずである。
仮にそれが短命のものに終わり、日本族は列島に退き、そのあとを満洲族の王朝である清が襲った場合でも、この王朝名はたぶん「中国史」の中に歴代王朝の一つとして記載され、日本の中学生たちは「世界史」の受験勉強のときに、その王朝名とその開始と滅亡の年号を暗記させられたはずである。
だって、それは「中国の王朝」だからである。
そんなはずはない。それは日本人が勝手に侵略して建てた王朝だから、中国の王朝には数えないということをおっしゃる人がいるかも知れない。
だが、それだと、夏も殷も周も出自は怪しいし、元と清はむろん正史からは削除されねばならぬし、金や遼も「テロリスト集団による漢土の不法占拠」として扱われねばならない。
秀吉の朝鮮半島への軍事行動は「辺境の列島に住む一部族が、ローカルな統一を果たしたので、半島に住む諸族を斬り従えて、大陸に王朝を建てようとした(が失敗した)」という、華夷秩序内部の「できごと」として考想されていたはずである。
侵略した日本人も侵略された朝鮮人も侵略の報を受けた中国人もたぶん「そういうふうに」事態をとらえていたのではないかと思う。
勘違いしてほしくないが、私は別に「だから、豊臣秀吉の朝鮮半島侵略は歴史的に正当化される」というようなことを言っているわけではない。
「辺境の一部族が幻想的な王朝建設を夢見て、周辺地域に大量破壊をもたらした」という事実に争う余地はない。
そんなことをしないで列島でじっとしていればよかったのに、と私も思う。
ただ、その「幻想」がどういうものであったのかを見ておかないと、「どうして」そんなことをしたのかはわからない。
どうしてそれをしたのかがわからないことは、どうしてそれをしたのかがわかることよりも「始末に負えない」。
それは繰り返される可能性がある。
秀吉の朝鮮侵攻を論じた史書はあまり多くない。
その多くが「秀吉の行動は不可解」としている。
中には「秀吉は晩年、精神錯乱に陥っていた」という説を立てているものもある。
「気が狂っていた」ように見えるのは、その歴史学者が現代人の国民国家観を無意識に内面化したまま、そのようなものが存在しなかった時代の出来事を解釈しようとしているからではないかと私は思う。

明治維新の後に西郷隆盛は「征韓論」を唱えた。
この唐突なプランもまた現代の私たちにはほとんど理解不能である。
歴史の教科書は「西郷は外部に仮想敵を作ることによって、国内の士族の不満をそらそうとした」という「合理的」な説明を試みるが、そうだろうか。
豊臣秀吉と同じように「部族が統一されたら、次は『中原に鹿を逐う』事業を始めなくてはならない」という「中華思想内部的」な思想が西郷隆盛のような前近代的なエートスを濃密にもっていた人間には胚胎された可能性は吟味してもよいのではないか。
大久保利通と西郷隆盛の間の国家論的な対立を「華夷秩序コスモロジー」と「帝国主義コスモロジー」の相克として理解することはできないのだろうか。
事実、その後、日本が江華島条約で朝鮮半島への侵略を企てたとき、日本は直前に経験したペリーによる砲艦外交を再演し、陸戦隊による砲台の占拠では、四カ国艦隊による長州下関砲台占拠の作戦を再演してみせた。
これは日本が「華夷秩序のコスモロジー」を離れて「帝国主義のコスモロジー」に乗り換えたことの一つのメルクマールのように私には見える。

ある社会集団の「狂気じみた」ふるまいの意味を理解したり、次の行動を予測したりする上では、その集団の「狂気じみたふるまい」を主観的には合理化していた幻想の文脈を見出す必要がある。
繰り返し言うが、それはそのふるまいを「今の時点」で合理化するためではない。
私たちもまた今の時点で固有に歴史的なしかたで「狂っている」ことを知るためである。
国民国家のあいだの「和解」は、「私たちはそれぞれの時代において、それぞれ固有の仕方で幻想的に世界を見ている」ということを認め合い、その幻想の成り立ちと機能を解明するところから始める他ないと私は思っている。
もちろん、私に同意してくれる人はきわめて少数であろうけれど。


ルーツについて、ほか。

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忙しくてブログ更新できず。備忘のために速足でこの一週間の出来事を記しておく。
ツイッターには書いているんだけど、あれ備忘録としては機能しないですね。内容が散漫すぎて。
5月16-17日。
鶴岡宗傳寺にて法事。母、兄夫婦、従兄の雄介・成子ご夫妻、そして私。
雄ちゃんから内田家の家系図を示され、いろいろと祖先について学ぶ。
すでに何度か書いたことだが、内田の本家は埼玉県比企郡嵐山にある(亡父の代までは行き来があったそうだが、私は行ったことがない)。
私の高祖父にあたる内田柳松(りゅうまつ)がその家督を弟に譲って江戸に出た。
神田お玉が池の北辰一刀流玄武館で修業し、浪士隊の一員として京都に上り(柳松は一番隊隊士。六番隊が近藤勇率いる試衛館のみなさん)、彼らと訣別して、清河八郎とともに江戸にもどり、庄内藩預かりの新徴組に加わった。彰義隊の戦いのあと藩主酒井忠篤(ただずみ)を護衛して庄内に下り、戊辰戦争を戦った。
わりとスペクタキュラーな人生を過ごされたご先祖さまなのである。
柳松さんが庄内藩士であったのは、ほんのわずかな期間であるが、その恩を多として、明治維新後もそのまま鶴岡にとどまった。
家老の松平家から養子をもらい、その人が曾祖父の維孝(いこう)。
維孝さんはもとは会津藩の人。白虎隊に入ろうとしたが、年齢が足りなくて家に戻され、生き延びた。その点は柴五郎に似ている。
どういう事情で庄内藩の家の養子になったのか、その事情はつまびらかにしないが、庄内藩と会津藩は軍事同盟関係にあったから、藩士のあいだにも人的交流があったのかもしれない。
その後さらに松平家から内田家に養子に入った。その事情もわからない。
内田家はずいぶん貧乏だったらしく、維孝さんの子どものうち二男孝次が武田家に、三男信吉が鈴木家に養子に出された。長男重松、四男信次、五男五郎、七男清が内田姓を継いだ(六男は夭逝)。
私の祖父重松(しげまつ)は維孝さんの長男である。
祖父は私が生まれる前に死んだが、祖母高井(たかい)さんは長く生きて、ときどき岳父から聞いた白虎隊のことや庄内藩酒井家の当主のお姫さまの遊び相手に選ばれたことなどを話してくれた。
「賊軍」庄内藩と会津藩の流れを汲む一族であるから、明治時代はずっと冷や飯食いであった。内田家の人たちに歴代「へそまがり」が多いのはたぶんそのせいであろう。
内田の嵐山の本家の先代は内田範次郎さんとおっしゃる方である。戦後の食べ物がなかった時期、私の父はよく本家までお米を貰いに行ったそうである。本家は父たち兄弟を歓待してくれたそうで、父は本家とのつながりを大事にしていた。
当代は内田康憲さんという方である。その血筋の方々が埼玉にはおいでになると思う。
退職して時間ができたら、一度「ルーツ」をたどる旅をしてみたいものである。
5月17日。
飛行機で庄内-羽田-伊丹。そのまま大学で学部長会。
5月18日。
大学でゼミ二つ。小学館の取材。お題は親子関係。
5月19日。
会議、朝日新聞の取材、島崎徹さんとのトークセッション授業のあと、『Sight』の担当者だった大室みどりさんとご飯を食べる。
就職と結婚の二大身の上相談を同時にされる。
結婚予定のお相手の名前を聴いてびっくり。ええええええええ。
いつのまに、そんなことを。
5月20日。
授業、面談、そのあと『考える人』の「日本の身体」のための対談。お相手は平尾剛さん。場所は引越したばかりの阪神御影のペルシエ。
お野菜はもちろん淡路島の橘真さんの提供である。
競技スポーツと学校体育とスポーツメディアについて、ふたりでたいへん「辛口」のコメントをする。
5月21日。
ゼミ、会議、NHKの取材、会議。それから朝日カルチャーセンターで名越康文先生との対談。
NHKの取材はテレビ。
ふだんはテレビの取材は受けないのだが、これはNHKワールドという外国向けの英語放送で、「日本国内で見る人はいません」ということなので出演を承諾する。
日米関係の話をする。
名越先生との対談はいったい何を話したのか、三日経つともう何も覚えていない。
たいへん面白かったことだけは覚えている。
二次会で名越先生が「実名全開トーク」。絶対活字にできない話。
5月22日。
第48回全日本合気道演武大会のために東京の日本武道館へ。
毎年自慢するように、私はこの演武会に1977年から皆勤である。34回連続で出場しているのである。
一度も風邪も引かず、急な仕事も入らず、冠婚葬祭とぶつかることもなかった。
出場者7500人のうち、34回連続出場はその1割に満たぬであろう。
この記録をどこまで伸ばせるか。
演武後、例年のように九段会館屋上にて多田先生主宰のビールパーティ。
北澤くん、タカオくん、のぶちゃんら気錬会の諸君と歓談。
東大気錬会と早稲田合気道会の現役の幹部のみなさんが来る。
日曜の三大学合同稽古会で私が指導をすることになったので、そのご挨拶。
さわやかな方たちである。
二次会をパスして等々力の母の家へ。
朝早かったのであまりお話もせずにすぐ爆睡。
5月23日。
母の手づくり朝ご飯をいただき、早々においとま(せわしなくてすみません、お母さん)
早朝より(9時半はウチダ的には「早朝」である)駒場の第一体育館にて三大学合同稽古。
ひさしぶりのイベント。
鍵和田くんと原くんが両大学の主将だったときにうちも呼んでもらって、いっしょにお稽古をしたのが始まり。
駒場で稽古するのはヒロタカくんが気錬会の主将だったとき以来である。
お昼に稽古が終わり、坪井兄、梶浦兄にご挨拶してから、当代主将の松村くん、先代主将の中村くんに見送られて駒場をあとにする(みなさん、お世話になりました!)
渋谷に出て平川君と会って、新宿御苑のラジオカフェでラジオ収録。
お題は普天間問題とツイッター。
日曜の無人のオフィスでコーヒーを飲みながらわいわいとおしゃべり。
雨の中、平川くんの車で東京駅まで送ってもらって、こんどは筑摩書房の吉崎さんと打ち合わせ。
また本を一冊書くことになってしまった・・・
5月24日。
高橋源一郎『「悪」と戦う』と村上春樹『BOOK3』をめぐる鼎談(沼野充義、都甲幸治さんと)を仕上げて送稿。
大学で修論の面談、部長会、ミッションステートメントについて管理職会議、AERAの取材。メディアの普天間報道について批判(平川くんやジローくんも書いているとおり、マスメディアの普天間報道は「米軍基地の全面撤去」という主権国家としての当然の要求を抑圧している)。
それからAERAのみなさん(大波さん、市川さん、小境さん)と三宮に出てKOKUBUでステーキ。國分さん、ごちそうさま。
5月25日。
下川先生のお稽古。それから授業二つ。授業のあいまに原稿を書いていたら、毎日新聞から電話取材。「事業仕分けについてどう思うか」というお問い合わせ。
「諸悪の根源」を想定して、それを除去すれば万事解決という発想は「供犠儀礼」的なものであり、短期的には有効だが、長期的には市民的成熟を妨げるので運用は慎重に、ということを申し上げる。
制度改革というのはできるならば怒号や罵声の中でなされるべきものではない。
できうるならばそれは「それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって管理、運営されるもの」でなければならない。
そこにはできるだけ政治イデオロギーや市場原理が介入すべきではない。
これを宇沢弘文先生は「フィデュシアリー(fiduciary)の原則」と呼んでいる。(宇沢弘文、『社会的共通資本』、岩波新書、2000年、23頁)
Fiduciary とは「受託者、被信託者」のことである。
それは私の用語で言えば「大人」ということである。
システムの保全と補修を主務とし、そのことについて誰からも賞賛も報酬も求めない「雪かき」の別名である。
私たちの国の不幸は、官僚にも政治家にも「大人」が少ない、あまりにも少ないということである。
大学院ゼミは「○○と日本」の○○には好きな国名を入れて毎回それを論じるという比較文化論のゼミである。
今回は「ユダヤと日本」
土曜日に日本ユダヤ学会の公開講演で「どうして日本人はユダヤ人の話をしたがるのか?」という演題で話すことになっているので、それについて考えながら発表を聴く。
考えた末の、私の結論は「日本人は本質的に日猶同祖論者的である」というびっくりものである。
どうしてそういうことになるのかは土曜日の講演でお聴きください。
学会員でないかたもご来聴になれます。
とき:5月29日(土)15時から
ところ:早稲田大学戸山キャンパス36号館382教室

マトグロッソ始まりました。

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お待たせしました、ようやくマトグロッソ始まりました。
やれやれです。
http://www.matogrosso.jp/
ブックマークしておいてくださいね。
いろいろな企画があるんですけれど、NSPもその中にあります。

いよいよ本格的にストーリー募集です。

募集要項
National Story Project Japan

みなさん、こんにちは、内田樹です。
ポール・オースターの『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』の「日本版」を作成することになりました。
お読みになった方はご存じですよね。新潮社とアルクから訳が出てます。翻訳は柴田元幸さんたち。
『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』はどういうものかと申しますと、アメリカのいろいろな普通の人たちに寄稿してもらったショート・ストーリーの中から佳作をラジオでポール・オースターが朗読するという、それだけのものです。
でも、これが面白いんです。
ポール・オースターはラジオで、どのような物語を求めているかについてこんなふうに話しました。
「物語を求めているのですと、私は聴取者に呼びかけた。物語は事実でなければならず、短くないといけませんが、内容やスタイルに関しては何ら制限はありません。私が何より惹かれるのは、世界とはこういうものだという私たちの予想をくつがえす物語であり、私たちの家族の歴史のなか、私たちの心や体、私たちの魂のなかで働いている神秘にしてはかりがたいさまざまな力を明かしてくれる逸話なのです。言いかえれば、作り話のように聞こえる実話。大きな事柄でもいいし小さな事柄でもいいし、悲劇的な話、喜劇的な話、とにかく紙に書きつけたいという気になるほど大切に思えた体験なら何でもいいのです。いままで物語なんか一度も書いたことがなくても心配は要りません。人はみな、面白い話をいくつか知っているものなのですから。」(『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』、ポール・オースター編、柴田元幸他訳、新潮社、2005年、10頁)
そうやって集まったショート・ストーリーは4000通を超えました。
それはあらゆる場所の、あらゆる年齢の、あらゆる職業の語り手による、信じられないほどに多様な「作り話のように聞こえる実話」。それを読んでいるときポール・オースターは「アメリカが物語を語るのが私には聞こえた」(11頁)と感懐を述べています。
どのような物語が収集されたかは実物を徴していただくとして、このプロジェクトの日本版をやることになりました。
どういう事情でぼくと高橋源一郎さんがこのプロジェクトにかかわるようになったのかについてなど事細かに話す機会はいずれあると思いますが、とりあえずはお知らせ。

「物語を求めています。」
「本当にあった『嘘みたい』な話」

ある出来事を「嘘みたい」と思うか、「そんなのよくあることじゃないか」と思うかの識別の基準は客観的なものではありません。それはあくまで主観的なものです。「嘘みたい」と思うときに、その人の、余人を以ては代え難い、きわだった個性が露出する(ことがある)。たぶん、そうなんだと思います。つねにそうなるとは限りませんけれど、そういうことが起こる確率が高いはずです。
「その人にとってはあり得ないはずのこと」があり得たという事件を語るさまざまなアメリカ人の証言を通じて、ポール・オースターは「アメリカが物語るのを聴いた」のでした。同じようにして、ぼくたちも、「日本が物語るのを聴いてみたい」と思います。

■テーマ
トライアルをやって何十通か応募原稿を拝見してみましたところ、選択される主題にかなり「偏り」があることがわかりました。それなら逆に、テーマを自由に選んでもらうより、こちらからテーマを指定して書いてもらった方がむしろ面白いものが集まるかな・・・と考えたので、テーマ指定で募集することにしました。
とりあえず第一次募集(第二次募集のときはまた告知します)のカテゴリーは以下の通りです。ご自分のストーリーはどのカテゴリーのものかを原稿に明記して応募してください。
「犬と猫の話」
「おばあさんの話」
「マジックナンバーの話」
「ばったり会った話」
「もどってくるはずがないのに、もどってきたものの話」
「そっくりな人の話」
「変な機械の話」
「空に浮かんでいたものの話」
「予知した話」
「あとからぞっとした話」
以上10個が第一次募集のテーマです。
適当に今書きだしたんですけれど、ぼくはたちまち三つ思いついてしまいました(「空に浮かんでいたものの話」と「あとからぞっとした話」と「猫の話」)審査員だから書きませんけど。

それ以外の応募条件。

■字数
長さは1000字まで。
短い分にはいくら短くても構いません。トライアルのときに「2000字以内」って書いたら、長過ぎたらしく、みんな「序文」と「あとがき(というか教訓とか反省とか)」を書いてきました。申し訳ないけど、そういうのは要りません。ショート・ストーリーの要諦は「いきなり始まって、ぶつんとカット・アウト」です。ロックンロールと一緒。

■応募資格:年齢・性別・職業・国籍は問いません。ただし、プロジェクトはあくまで「ジャパン」ですから、そのストーリーを通じて、日本の「何か」が浮かび上がるものであることが条件です。

■締め切り:随時募集しております

■選者:ぼくと高橋源一郎さんが審査します。そのほか誰か「やってもいいよ」という奇特な人がいたら、その人にもお願いすることがあるかもしれません。

■発表:本サイトにて随時発表させていただきます。書籍化する(ことがあったら)収録させていただくことがあります。

■注意:謝礼はお出しいたしません(すみませんね)。書籍化した場合は収録させていただいた方に一冊ずつ送らせていただきます。

■原稿は返却いたしません。また、選考に関するお問い合わせには応じられません(「なんで落とした」なんて言われてもね)。

■応募方法についてはamazonの方をみてください。
みなさまのご応募、心よりお待ちしております。

ポール・オースターは「人はみな、面白い話をいくつか知っているものなのですから」と書いていますけれど、これは日本人の場合はどうかな~とぼくは実は思っているのです。
いろいろなバックグラウンドをもっている、性別も年齢も身分も立場違うひとたちが「たまたま」ある場所に行き会わせて、一夜をともにするときに「とっておきの話」をするというのは、『デカメロン』や『カンタベリー物語』以来のヨーロッパ文学の定番ですけれど、アメリカにもその伝統は脈々と伝わっているんじゃないかと思うんですよ。
移民の国ですしね。
そもそもわりと冒険的な気質の人たちが集まって作った国ですから、「奇想天外な経験談」には事欠かない。
マーク・トウェインとか、メルヴィルとか、ポウなんかも、そういう「ホラ話」の伝統を引き継いでいるんじゃないかな。
現代文学でも、フィッツジェラルドの「ダイヤモンドの山」の話なんかも、ある意味その「ホラ話」系かもしれないです(フィッツジェラルドはもう「現代文学」とは言わないか・・・)
だから、そういう話の仕込みはわりとふだんからまじめにやるという「ストーリー・テリング」のための訓練はしているんじゃないですかね。
それに比べてわが国の人々はどうか。
「とっておきの話」の二つ三つはいつでも出せるという人はあまりいないんじゃないでしょうか。
パーティジョークとか、日本人やらないでしょ。
妙に器用にそういうジョークを連発する人って、日本だと「怪しい人」だと思われません?
でも、ぼくはそれはそういう感覚でいいんじゃないかと思ってもいるんです。
もしかすると日本人が得意なのは「オチのない話」じゃないって思うんですよ。
ぜんぜんパーティジョーク向きじゃない話。
「は?その話のどこが面白いの・・・」というような話を妙にたいせつに抱え込んでいるというところがむしろ「にほんじん的」ということはないのでしょうか。
というようなことを考えています。
どんどんお話送ってくださいね。
源ちゃんとふたりで待ってます。


「それ」の抑止力

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共同通信の取材。参院選についての見通しを訊かれる。
月曜にAERAのみなさんともその話をしたばかりである。
民主党は議席を減らすが、「大敗」というほどではないだろう。自民党はさらに議席を減らし、谷垣総裁の責任問題に発展し、党の分裂が進む。公明党も政権与党という条件がなくなったので議席減。「みんなの党」に多少議席をふやす可能性があるが、投票率が低いだろうから、「風が吹く」というような現象には達しないだろう。
というあまりぱっとしない見通しを語る。
見通しがぱっとしない理由は民主党政権が「期待したほどではなかった」という思いはあるが、「じゃあ、何を『期待』していたんだ?」と訊き返されると、有権者も政治家もだれもが明確な中長期的構想を語れないからである。
民主党だって「やろう」としたのだが、うまくできなかったのである。
それを民主党の政治家たちがとりわけ無能であったと見るか、「やれる」と思って取り組んだ政策的課題が「意外に根が深い」ことに気づいたと見るかによって、現政権に対する評価は変わるだろう。
私は現代日本の政治家のレベルが政党ごとに大きく差があるとは思わない。
どこの政党も悪いけど「似たようなもの」である。
だから、民主党政権が「期待はずれ」だったのは、政権交代前は「できる」と思っていた政策的課題が「できない」ものであったことに気づいた、という可能性の方を採るのである。
普天間基地問題は「大山鳴動して鼠一匹」的なアンチクライマックスな終わり方をしそうである。
「基地の県外移転」の主張が一気にトーンダウンしたのは鳩山首相が沖縄を訪れたあとの5月4日に記者団に対して述べた次の言葉がきっかけである。
「昨年の衆院選当時は、海兵隊が抑止力として沖縄に存在しなければならないとは思っていなかった。学べば学ぶほど(海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」
この言葉に対してマスメディアは一斉に罵倒を浴びせた。
いまさら抑止力の意味がわかったなんてバカじゃないか、と。
私はこのコメントを「不思議」だと思った。
アメリカ軍の抑止力や東アジア戦略のだいたいの枠組みについては、官邸にいたって専門家からいくらでもレクチャーが受けられたはずである。
しかし、そのときのレクチャーでは「分からなかった」ことがあった、と首相は言ったのである。
「抑止力の実態」について、首相は沖縄で米軍当局者から直に聞かされたのである。
聞かされて「あ、『抑止力』って、そのことなのね。あ、それは政権取る前は知るはずがないわ・・・」とびっくりしたのである。
だとすれば、そのときの「抑止力」という語が意味するのは、論理的には一つしかない。
ヘリコプターとか揚陸艇とかいうのは抑止力の「本体」ではない。
考えれば当たり前のことである。
日本が想像できるとりあえず唯一の「現実的な」軍事的危機は「北朝鮮からのミサイル攻撃」であるが、それに対してヘリコプター基地なんかあっても何の防ぎにもならない。
「朝鮮半島有事」のときにそんなにヘリコプターが必要なら、何よりもまず韓国内の米軍基地に重点配備すべきであろうが、韓国内の基地は2008年から3分の1に縮小されている。
休戦状態であり、いまだに「宣戦布告」というような言葉を外交官が口走る一触即発の国境線近くの基地を「畳む」ことは可能だが、沖縄の基地は「畳めない」としたら、理由は一つしかない。
韓国内の基地には「置けないもの」が沖縄には「置ける」ということである。
「それ」が抑止力の本体であり、「それ」が沖縄にあるということを日本政府もアメリカ政府も公式には認めることができないものが沖縄にはあるということである。
そのことを野党政治家は知らされていない。
政府の一部と外務省の一部と自衛隊の一部だけがそのことを知っている。
「それ」についての「密約」が存在するということはもう私たちはみんな知っている。
私たちが知らされていないのは「密約」の範囲がどこまで及ぶかということだけである。
だから論理的思考ができる人間なら、沖縄の海兵隊基地に「それ」が常備されている蓋然性は、そうでない場合よりもはるかに高いという推論ができるはずである。
「それ」があるせいで北朝鮮は日本へのミサイル攻撃を自制している。中国は近海での軍事行動を「今程度」に抑制している。
そういう説明を聞かされた総理大臣は「『それ』が沖縄になかった場合の東アジアの軍事的バランスについての確度の高いシミュレーション」を提示する以外に米軍に「出て行ってくれ」ということができないということに気がついた。
それで「出て行ってくれないか」という言葉を呑み込んでしまったのだ。
「それ」が沖縄に常備されているということは自民党政権時代からの密約の結果なのだから、カミングアウトしても民主党政権の瑕疵になるまい、と首相も一瞬思ったかもしれない。
でも、それをカミングアウトすることは、日本がアメリカの軍事的属国であり、主権国家の体をなしていないということを改めて国際社会に向けて宣言することに他ならない。
できることなら、体面だけでも守りたい。
何よりも、「それ」は公式には「ない」ことになっている。
いずれ水面下の交渉で、「それ」が沖縄から撤去された場合でも、「もともとないはずのもの」がなくなっただけだから、誰にも報告する必要がない。
誰にも報告する必要がないのだから、「それ」が沖縄に「まだある」のか「もうない」のかは北朝鮮にも中国にもロシアにもわからない。
「パノプティコン効果」というものがありうる。
あるのかないのかわからないものについては、それが危険なものであれば、とりあえず「ある」ことにして対応する、という人間心理のことである。
「それ」について黙っていれば、「日本国内には強大な抑止力があるかもしれない(ないかもしれないけど)」という疑心暗鬼の状態に東アジア諸国を置くことができる。
うまくすれば、「それ」がないまま何十年か、「ある」ふりをして「はったり」をかますことができる。
私がいま中国人民解放軍の情報担当将校であったら、このときの鳩山総理の「抑止力」発言をそのような文脈で解釈することが「できる」というレポートを書いて上司に提出するであろう。
上司はそのレポートを見て、渋い顔をしてこう言うであろう。
「ま、そうだな。ふつうはそう考えるな。ほんとうは『それ』はないのかも知れない。ずっとなかったのかも知れない。ないのに、『それ』があるように見せるというフェイクを演じている可能性は排除できない。日本人にはそんな演技力はないけれど、アメリカ人にはある。まあ、万が一ということがあるから、いちおう『それがある』ということにして対日戦略プラン立てておくか・・・それに『それ』がある可能性が高いというふうに上には言っておいた方が人民解放軍の予算枠が大きくとれるし」
と中国人は考えているわけですね、おそらくは・・・というような説明を鳩山首相は沖縄で米軍のインテリジェンス担当者からレクチャーされたのではないか、と私は想像している。
なるほど抑止力というのはそういう心理の綾も「込み」で展開しているのか・・・と知って首相は腕を組んで考え込んでしまった。
その果てに出た言葉が「学べば学ぶほど連携し抑止力を維持していることが分かった」というものである。
新聞は(海兵隊の各部隊が)という言葉を勝手に書き加えたが、たぶん「連携」しているのは、そんなかたちのあるものではない。
抑止力というのは一種の心理ゲームである。
「それ」があるかないか判然としないというときに、抑止力はいちばん効果的に働くのであると米軍のインテリジェンス担当者に聞かされて、首相は「不勉強でした・・・」と頭を下げたのである。
じゃないかと思う。
その場にいたわけじゃないから想像だけど。
残念ながら、私の推理を裏書きしてくれる権威筋の人はたぶん日米中通じてひとりもいないはずである。そうしたくても、できないし。
でも、私と同じように推論して、その上で何も言わずに黙っている人は日本国内に30万人くらいはいるはずである。

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