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大瀧詠一の系譜学

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2013年12月31日、大瀧詠一さんが亡くなられた。
むかしばなしを一節語って供養に代えたい。
1976年の3月に野沢温泉スキー場で『楽しい夜更かし』を聴いたのが最初の大瀧音楽経験だった。スキー場から戻ってすぐにレコード店に行って『Niagara Moon』を買い、以後37年忠実なナイアガラ-として過ごした。
大瀧さんとはじめてお会いしたのは2005年8月21日。そのときの感動については当時の日記に詳しいので再録。

「行く夏や明日も仕事はナイアガラ

長く生きているといろいろなことがある。
まさか大瀧詠一師匠にお会いできる機会が訪れようとは。
お茶の水山の上ホテルの玄関で、キャデラックで福生にお帰りになる大瀧さんを石川くんとお見送りして、ただいまホテルの部屋に戻ってきたところである。
午後3時から始まった対談は二次会のホテルのレストランから「営業時間終わりです」と言われて追い出されるまでなんと8時間半続いた。
いやー、話した話した。
30年間のナイアガラーとして大瀧さんに訊きたかったあのことこのこと、もう訊ける限り訊いた。
8時間半の話はとても文藝別冊『大瀧詠一/大滝詠一』特集号には収録しきれないだろうから、残念ながらみなさんにお読み頂けるのはそのごくごく一部である。
小学四年生のときの「右投げ左打ち」転向のことから始まって、中学高校時代のレコードライフへの耽溺、布谷文夫さん細野晴臣さんとの出会い、はっぴいえんど時代、『Each Time』からの15年の音楽活動、『幸せな結末』録音秘話、山下達郎、伊藤銀次両君にまつわる逸話の数々、音韻論にもとづく歌唱法、エルヴィスのオリジナリティ、楽曲を提供した数々の歌手の話、遠藤実、船村徹、星野哲郎、小林信彦、ムッシュかまやつ、高田渡、植木等、ハナ肇、上岡竜太郎さんらとのインタビュー・バックステージ話、竹内まりやとのSomething stupid 録音の経緯、太陽族映画と現代政治との関連性・・・と話頭は転々奇をきわめて録することがかなわない。
敬して止まない師匠の「分母分子論」以来の系譜学的思考のほとばしるような叡智のおことばを全身に浴びて、私はこの希有の人と同時代を生き、まみえることのできた喜びに手の舞い足の踏むところを知らなかったのである。
昨年の『ユリイカ』の「はっぴいえんど」特集に私は「大瀧詠一の系譜学」と題する短文を寄せた。
大瀧さんはこれをお読みになって私の述べるところを諒とされて、私と石川くんという「ナイアガラー第一世代」との交歓のひとときを快諾せられたのである。
実際にお話しを伺ってみて、私は自分がいかに大瀧さんのものの見方に深い影響を受け、その思想を知らぬまに血肉と化していたことを改めて思い知った。
このような機会を恵んで下さった編集の足立さん、ソニー・ミュージックの城田さんはじめ関係者のみなさんに御礼を申し上げたい。
なにより、『ユリイカ』に「大瀧詠一について書くなら、ウチダさんでしょう」と推輓の労をとってくれた増田聡くんにお礼を申し上げる。彼は私の人生の節目節目に登場して思いがけない出会いへと私を導いてくれる守護天使のような人であることがだんだんわかってきたよ。
そして、私のナイアガラー・ライフを30年にわたって支えてくれた石川茂樹くんの友情ある忍耐に感謝。」

上に記した「大瀧詠一の系譜学」も再録しておく。


大瀧詠一の系譜学

1・
「大瀧詠一の系譜学」と言っても、別に大瀧さんの故事来歴をご紹介するわけではありません(ご紹介したくても、知らないし)。そうではなくて、これは一「ナイアガラー」によるところの、大瀧さんの(ふつうはこういう文章では敬称を略するのですが、どうにも抵抗感があるので、敬称つきで続けさせて頂きます)系譜学的な音楽史の卓越性を讃える試みであります。
私は大瀧詠一さんの音楽史こそは(ミシェル・フーコーを学祖とする)構造主義系譜学の日本における最良の実践例の一つだとつねづね考えてきました。
今回、縁あって、いささかの紙数を『ユリイカ』編集部からお借りすることができましたので、この論件について、広く日本全国の皆さまのご理解を賜るべく、以下に思うところを述べたいと思います。
最初に、二点だけ確認させて頂きます。
第一に、本稿は冒頭で名乗っております通り、「ナイアガラー」という党派的立場からなされる論考です。はなから「ナイアガラの擁護と顕彰」のために書かれたテクストでありますから、「そういうもんだ」と思ってお読み下さい。「学術的中立性が欠けている」とか言われても困ります。
第二に、本稿が扱うのは、大瀧さんの音楽史の方法でありまして、その音楽そのものではありません。大瀧さんはみずからの方法についてきわめて自覚的な人で、83年の「分母分子論」以来、折々にその理論的基礎づけを行ってきていますけれど、ナイアガラーの皆さんの中に、大瀧さんの方法の卓越性について検証された向きは、これまではおられないようです。私はさいわいフランス現代思想が専門ですので、そのささやかな知見を動員して、いまだなされていない方面からのアプローチを試みてみたいと思います。
『ユリイカ』の「はっぴいえんど特集号」をご購入のみなさんの中に、「ナイアガラー」の語義をご存じない方はたぶんおられないと思いますが、一応念のためにひとこと解説しておきます。
「ナイアガラー」というのは、大瀧詠一さんが実践してきた音楽活動(には限定されないもろもろの活動)をフォローすることを人生の一大欣快事とする人々の総称です。
ナイアガラーが通常の音楽ファンと違うところは、この「フォロー」行為が、新譜購入や追っかけやツァーでも「出待ち入り待ち」といった定型的なファン活動のかたちを取らない(というより「取れない」)点にあります。
というのは、ご承知のとおり、歌手「大滝」詠一氏は『Each Time』のあと『幸せな結末』まで13年間作品をリリースしませんでしたし、コンサートも『ナイアガラ・ツァー』を最後に20年以上停止してきているからです。
ナイアガラーたちを「失望を織り込み済みの期待」のうちにとどめおいていた17年ぶりのニューアルバム企画『2001年 ナイアガラの旅』(仮題)も発売されることなく終わりました。けれども、それに不満をもらすような狭量な人間は、そもそも「ナイアガラー」とは呼ばれないのであります。
では、ナイアガラーたちは何で「満たされている」のかと言いますと、大瀧さん自身のことばを借りて言えば、大瀧さんの「広義における音楽活動」によってなのであります。
「広義における音楽活動」とは何のことでしょうか?
山下達郎さんとの『新春放談』(99年)で、大瀧さんは「音楽活動」について独特な定義を下しています。同じ年の1月にNHKで放送されるラジオ番組『日本ポップス伝2』について論じたときのことです。大瀧さんはこう語っています。

「大瀧:自慢じゃないんだけどさ。あれは今回、自分のアルバム以上のものなんだよ(笑)。音楽活動ということがアルバムづくりとかシングル製作だけに集約されるということ自体がね、おれは非常に偏った考え方だと思ってるわけ。音楽なんてそんな狭義なものじゃないんだよ。ものすごく、広義のもんなんだよ。だからあれがおれのニューアルバムなんだけど、どうせ分ってもらえないだろうな、とはなから思ってるんだ(笑)。」(『新春放談』、1999年、1月3日)

 『日本ポップス伝』は大瀧詠一さんの「ライフワーク」とでもいうべき仕事で、明治以来の近代音楽史の読み直しをめざした壮大な企図のものです。その全五回、八時間に及ぶ音楽史講義は、大瀧さんの持論であるところの「分母分子論」を実際の楽曲を資料に、徹底的に考究したものです。ですから、ナイアガラーの条件は、このような学術的講義を「大瀧詠一のニューアルバム」として満腔の歓びをもって享受することができる人、ということになります。録音テープをすり減るまで繰り返し聴くのでは足りず、テープ起こしを「写経」と称して楽しむナイアガラーまでいたんですから。

2・
では、本題に入りましょう
大瀧詠一さんの音楽史の方法は構造主義系譜学の方法を実践している。私は上にそのように書きました。
「構造主義系譜学」とはどういう方法のことなのか。具体的な方が話が早そうなので、ピーター・バラカンさんとのラジオ対談の中での、次のような発言からご紹介しましょう。
「ビートルズって、今見ると、変なスーツ着てるし、別に大騒ぎするほどロングヘアーでもないし、不良っぽくないじゃないですか。あれをどうして当時のイギリスの人はショッキングに感じたんですか」というリスナーからの質問にピーターさんはこう答えました。
「バラカン:ショッキングになんか感じませんでしたよ。だから、ショッキングに感じないように、マネージャーのブライアン・エプスタインがわざわざあんなスーツ着せていたわけですから。ジョン・レノンは非常に嫌っていたようですけどね。髪の毛の長さは、そりゃ90年代の基準から考えれば、もちろん短く見えますけどね。ビートルズ以前のことを考えれば、それは長かったんですよ。」
 大瀧さんはそれにこう続けています。
「今の基準で考えれば短いけれども、って言うけれど、何でも今基準にして考えちゃいけません。どちらかというと、昔から流れて来ているから今があるんですからね。歴史を逆に見ちゃいけないということですよ。」(FM横浜、『我が不滅のリバプール』、1997年2月7日)
ここで大瀧さんは若いリスナーに発想の切り替えを要求しています。
それは「今・ここ・私」を中心としてものを見ることを自制せよ、ということです。系譜学的思考の第一条件は何よりもまずこの「節度」です。
学問的方法の条件が「節度」であるなんて言うと変に聞こえるでしょうけれど、「節度」というのは実は学問的にはとても大切なことなのです。というのは、人間は例外なく自分の判断の客観性を過大評価する傾向にあるからです。それはことばを言い換えると、「今・ここ・私」の批評性を過大評価するということです。
「ビートルズの髪はそれほど長くない」という判断を自明のものとするためには、かなりの自己中心性と愚鈍さが必要です。大瀧さんはラジオ放送のときに、きびしい口調でこのリスナーの自己中心性をたしなめました。おのれにとって「自明」であり「自然」と思えることを、そのまま「現実」と思い込まないこと。自分の「常識」を他の時代、他の社会、他の人間の経験に無批判的に適用しないこと。それが系譜学者にとって、第一に必要とされる知的資質です。

3・
私たちの自己中心性と愚鈍さの核にあるのは、判断基準のでたらめさではありません。むしろ、判断基準のかたくなさです。
マルクス主義が支配的なイデオロギーである時代が終わった今でも、多くの人々は依然として歴史は「鉄の法則性」に従って粛々と「真理の実現」に向かって流れていると信じています。これは、ほんとうです。
さすがに人間社会が「未開」から「文明」へ直線的に進化していると素朴に信じている人は少なくなりましたけれども、いまここにあるものだけが存在するに値するものであり、存在するに値しないものは消滅した(あるいは、消滅したものは、存在するに値しなかったものだ)という「歴史の淘汰圧」についての信頼はにわかには揺るぎません。
「これからは・・・の時代だ」とか「・・・はもう古い」ということばづかいの前提にあるのは、この歴史の淘汰圧への盲信であると言ってよいでしょう。
このような考え方を本稿では「歴史主義」と呼ぶことにします。
歴史主義は音楽史を語るときの私たちの考え方にも深く浸透しています。現に、いまだに「今・ここで・私が」聴いている楽曲こそ、歴史の審判と市場の淘汰を生き延びた、もっとも洗練され、もっとも高度で、もっとも先端的な音楽であると、何の根拠もなく信じているリスナーは少なくありません。人々の嗜好が変わり、ひとつの音楽ジャンルが衰微すると、それにつれて、それまで我が世の春を謳歌していたプレイヤーもソングライターもプロデューサーも・・・次世代に席を譲って、表舞台から退場する・・・という諸行無常盛者必衰の歴史主義が声高に語られ、リスナーはそれを信じ込まされています。もちろん、音楽商品が短期的に無価値になる方が資本主義的にはベネフィットが大きいからです。
けれども、音楽の「変化」(それは決してレコード会社や音楽評論家たちが信じさせようとしているように「進化」ではありません)はほんらいもっとランダムで、もっとワイルドなものだったのではないのでしょうか?
キャロル・キングの音楽的遍歴について山下達郎さんと語った中で、大瀧さんは「ひとりの音楽家にひとつの音楽ジャンルでの活動しか認めない」硬直した歴史主義に鋭い批判を突きつけています。

「山下:大瀧さんは『ロコモーション』から始まってずっと来て、自分でプロになって、はっぴいえんどをやるときにバッファロー・スプリングフィールドになるわけじゃないですか。だけど、結局あの、バーズとあの周辺のウェストコーストのああいうもので、いきなりあそこで出てくるじゃないですか、キャロル・キングが再び。
大瀧:再び出てきたわけよ。何なんだ!と思ったよ、だから。『ユーヴ・ガッタ・フレンド』で。キャロル・キングでしょ。
山下:どう思いました?
大瀧:何してんのと思ったよ。ずうっと、お化粧変えてさ。何なんだと思って(笑)。でも、その曲って、ヒットしてるじゃない。知らなかったから。それでキャロル・キングって言うからさ。はあっと思ったよ。あ、歌っていうのは歌なんだ。つまりさ、『ロコモーション』はダンスナンバーだ、『ユーヴ・ガッタ・フレンド』はシンガーソングライターだ。そんなことはどうでもいいんだ(笑)。なあんだ、歌は歌じゃねえか。そう思ったのよ。(・・・) だからさ、同じ人間がいろんなタイプの曲作っていいわけよ。(・・・) 船村(徹)さんがね、自分だって、『ダイナマイトが百五十屯』とか、いろんなああいうの作っていたんだと。やっていくうちに『王将』が出て、『王将の船村、船村の王将』ってことになって、まわりがみんな、ああいう曲じゃなきゃあ、という感じになってきて・・・というのがよくわかったんだよ。」(『新春放談』、2002年1月13日)

ここで大瀧さんは「同傾向の楽曲を繰り返し聴きたい」というリスナーたちの欲望(とそこから利益を引き出すビジネスの要請)が、音楽家をひとつのジャンルに縛り付け、彼らの「曲を作る自由」を抑圧し、ジャンルと運命を共にすることをほとんど強要することで成立しているという事情を指摘しています。
音楽家たちは収益の高そうなジャンルに縛り付けられます。例えば、演歌というジャンルの収益率が高ければ演歌ジャンルにリソースが集中され、それが売れなくなれば、ジャンルごと「歴史のゴミ箱」に棄てられる。そして、収益の高そうな次のジャンルに人々は雪崩打つ・・・音楽ビジネスはそんなふうに、ジャンルを短期的に使い捨てにすることで収益を上げてきました。そして、そのビジネス戦略のためには、「音楽史はそのつど最高の音楽ジャンルが継起的に出現する不可逆的な進化のプロセスである(つまり、最新の音楽が最高の音楽である)」というほとんどヘーゲル的な歴史主義イデオロギーをリスナーと分かち合うことが必要だったのです。
大瀧さんの音楽史のねらいの一つはこの素朴な進歩史観を退けることにありました。
歴史主義への痛烈な反証として、大瀧さんは、ジャンルの消長にもかかわらず、つねに「同じ音楽家」が、そのつど異なるジャンルで良質の作品を提供し続けているという(業界内部的には熟知されているけれど)リスナーにはあまり知られていない事実を示します。
60年代のボビー・ヴィーやクッキーズのアイドル歌謡から、エヴァリー・ブラザーズの『クライング・イン・ザ・レイン』、『ロコモーション』、スティーヴ・ローレンスのバラード、70年代の『タペストリー』まで、ジャンルにとらわれず縦横無尽の活躍をしたキャロル・キングは、ご存じの通り、大瀧さんの変わることのない敬愛の対象です。そのことは、大瀧さんの伝説的なDJ番組『Go! Go! Niagra』(ラジオ関東)がキャロル・キング特集から始まったことからも窺い知ることができます。
その敬意の理由は、もちろんキャロル・キングの音楽性(大瀧さんのカテゴライズによると「教条主義的・啓蒙主義的な匂いのある」曲想)に対する嗜好もありますけれど、彼女が「歌っていうのは歌なんだ」というきっぱりとした主張を貫いて、音楽における歴史主義に対する「生きた反証」となっていることへの共感もおそらくはかかわっているのではないでしょうか。
『ロング・ヴァケーション』がキャロル・キングへのオマージュであることは、大瀧さん自身も認めています。

「山下:ぼくこのあいだキャロル・キング特集、自分で三週間やってみて、何がいちばん面白かったかというと、いかに大瀧さんがね。キャロル・キングに、とくに『ロンバケ』。ナチュラルにぱっとああいうふうに出したときに。キャロル・キングをいかに大瀧さんがよく取っているかと思う。そう思うほどにキャロル・キングがよくわかっているんだなということが、ぼくはよくわかった。だって、聴くとわかるんだもん。
大瀧:1、2、3は完璧にキャロル・キングですよね。」(『新春放談』、2002年)

大瀧・山下ご両人の伝説的プログラム『新春放談』(これはナイアガラーにとっては20年来の、年に一度の「お年玉」です)でもっとも頻繁に言及されるミュージシャンの名前は、キャロル・キングとエルヴィスと小林旭とフィル・スペクターですが、私の記憶が正しければもう一人います。それはハル・ブレインです。
ハル・ブレインは、存じの通り、ロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』以後のフィル・スペクターのほとんどのセッションに参加し、ビーチ・ボーイズ、アソシエイション、ママス&パパス、バーズ、サイモン&ガーファンクルに至るまで、60年代―70年代にかけて数百のヒットナンバーのレコーディングに参加した伝説の「レッキング・クルー」ドラマーです。何度も聴いているうちにヴォーカルもギターもだんだん印象が薄くなって、いつしかドラムばかり聞こえるようになる・・・という不思議な経験はハル・ブレインならではのものです。
このハル・ブレインに対する大瀧・山下ご両人の高い評価はもちろん何よりもまずその卓越した技量に対するものなのですが、それと同時に(キャロル・キングの場合と同じく)、「ジャンルの消長に伴って、古いミュージシャンは新しいミュージシャンによって駆逐される」という歴史主義イデオロギーをハル・ブレインの存在そのものがきっぱりと否定していることへの共感によるものではないかと私は思います。
系譜学者の第二の条件、それは「歴史はある法則性に従って、粛々と進化している」という物語を決して軽々に信じないこと、これです。

4・
すぐれた音楽家は、どのような音楽的リソースからも自由に楽想を引き出すことができる。「歌は歌だ」という大瀧さんのことばを私なりに書き換えると、こんなふうになります。「どのような」に傍点をふったのは、ぜひその点を強調したいからです。
大瀧さんは前出のピーター・バラカンさんとの対談の中で、(ピーターさんの嫌いな)ハーマンズ・ハーミッツの『ヘンリー八世くん』を掛けたあとに、次のような驚くべき指摘をしています。
「大瀧:皆さん、お聴きになりましたか、いまのエンディング。『シェー』いうてまんねん、これ。(笑)ほんとだよ。ちょうど『おそ松くん』がはやっているとき、日本に来たのよ。それで、『シェー』が気に入って、帰って行ったの。いや、マジ、マジ。ほら、これ見て、日本に来たとき、みんな『シェー』してるでしょ。写真、証拠写真。来日したとき、『シェー』が気に入って。『ヘンリー八世くん』のエンディングは『シェー』なんですよ。知らなかったでしょう?」
大瀧さんはここで、全米、全英のヒットチャートをにぎわした『ヘンリー八世くん』(ほんとにひどい曲だけど)のエンディングが赤塚不二夫からの「盗用」であったというトリビアな情報を披露しているのではありません。そうではなくて、私たちが「ロックは英米発のもので、日本人リスナーはそれを受動的に享受することしかできない」という前提に立って、「だからなんとかして英米の流行にキャッチアップしなきゃいけない」という歴史主義の論法を(それは今日では「グローバリズムの論法」というのとほとんど同じことですね)無反省的に採用していることについて、自制を求めているのです。
音楽の伝播というのは、人々が思っているほど一方向的なものではないし、時代とともに「進化する」というものでもありません。それは時間と空間を行きつ戻りつし、さまざまな非音楽的なファクターをも吸い寄せて、絶えざる変容と増殖を続ける不定形的でワイルドな運動なのです。
ピーター・ヌーンがおのれの「出っ歯」的風貌の戯画的な達成を赤塚が造型した「イヤミ」の図像のうちに見い出して、深い親しみを覚え、そこから音楽的アイディアを得て、全世界に発信した・・・というようなことは「ロック英米渡来説」を素朴に信じる限り、なかなか理解しがたいことです。けれども、「イヤミ」のモデルがトニー谷であり、トニー谷がアメリカのボードヴィリアンの戯画であったことを考え併せると、そこにはおそらく俗眼には見えにくい「因果の糸」が紡がれているのです。

5・
大瀧さんの音楽史の真骨頂は、この「目に見えない因果の糸」を自在に取り出す手際にあります。この名人芸を支えるのは、もちろん大瀧さんの膨大な音楽史的知識であるわけですが、通常の音楽評論家と大瀧さんの違いは、その音楽史が過去から未来にではなく、しばしばそこでは時間が現在から過去へ向けて逆走する点にあります。そして、このような逆送する時間意識こそ、系譜学者の第三の条件なのです。
歴史学者と系譜学者の発想の違いを一言で言うと、歴史学者は「始祖」から始まって「私」に達する「順-系図」を書こうとし、系譜学者は「私」から始まってその「無数の先達」をたどる「逆-系図」を書こうとする、ということにあります。
歴史学的に考えると、祖先たちは最終的には一人に収斂します。『船弁慶』の平知盛が「われこそは桓武天皇九代の後胤」と告げるのは典型的に歴史主義的な名乗りです。
しかし、これはよく考えるとかなり奇妙な計算方法に基づいたものです。というのは、私たちは誰でも二人の親がおり、四人の祖父母がおり、八人の曾祖父母・・・つまり、私のn代前の祖先は2のn乗だけ存在するはずだからです。平知盛の九代前には計算上は512人の男女がいます。にもかかわらず、知盛が「桓武天皇九代の後胤」を名乗るとき、彼は残る511人をおのれの「祖先」のリストから抹殺していることになります。
たしかに、歴史学的な説明はすっきりしています(しばしば「すっきりしすぎて」います)。系譜学はこの逆の考え方をします。「私の起源」、私を構成している遺伝的なファクターをカウントできる限り算入してゆくのが系譜学の考え方です。ファクターがどんどん増えてゆくわけですから、これをコントロールするのは大仕事です。けれども、まったく不可能ということはありません。それは、炯眼の系譜学者は、ランダムに増殖するファクターのうちに、繰り返し反復されるある種の「パターン」を検出することができるからです。
歴史学者がレディメイドの「ひとつの物語」のうちにデータを流し込むものだとすれば、系譜学者は一見すると無秩序に散乱しているデータを読み取りながら、それらを結びつけることのできる、そのつど新しい、思いがけない物語を創成してゆくことのできる人のことです。
『日本ポップス伝2』で、大瀧さんは遠藤実さんの曲を時間を逆送しながら聴くことで、それまでどのような音楽史家も思いつかなかったような「物語」を提出してみせます。
千昌夫の『星影のワルツ』をかけた後、大瀧さんは「この曲の前に、遠藤さんはこのタイプの曲をつくっています」として、同じワルツ形式の舟木一夫の『学園広場』に遡航します。
「こうなると遠藤さんのその前の曲というのを聴きたくなってきますね。島倉千代子さんの『襟裳岬』というのをちょっと聴いてみましょう。」(『襟裳岬』をかける)
「これが島倉千代子さんの『襟裳岬』ですけれど、『襟裳岬』というと、みなさんはこちらの方の曲を思い起こすのではないかと思われます。」(森進一の『襟裳岬』をかける) 
「誰が聴いても、『襟裳岬』というと、今はもうこれを思い出すと思うんですけれども、島倉さんのヴァージョンの方が先な訳ですよね。(・・・)偶然だと思うんですけれど、私思うには、これは決して偶然じゃないんですね。偶然なんですけど、歴史的な必然が実はあるんです。なぜか、襟裳岬を選んでしまったと思うんですね、岡本おさみさんは。実はそのオリジナルが遠藤実さんだったんですよ。で、この吉田拓郎ヴァージョンと島倉ヴァージョンに何の関係があるかというと・・・次の曲を聴くと分る、ということになっています。」(千昌夫『北国の春』をかける)
「『北国の春』、千昌夫なんですけど。これ遠藤実さんなんですよね。(・・・)70年代の日本の若者によって作られたフォークというジャンルがあるんですけれど、島倉さんよりも拓郎ヴァージョンの方が有名になりました。けれど、実は本家は遠藤実さんだったんですよ。で、遠藤実さんも、負けてはいられないのというので、『襟裳岬』の後に『北国の春』でその位置を奪還したんじゃないかなと思います。
70年代フォークというと吉田拓郎さんですけれど、その前に岡林信康さんがいて、その前にさらに千昌夫さんがいたんですよ。日本のフォークというのは遠藤実さんが創始者である、と私は思います。
といいながらもね・・・実は千昌夫さんにも先達がいるんです。歴史というのはそういうものですね(笑)。千昌夫さんの先達はこの人です。」(『新相馬節』をかける)
「これが三橋美智也さんの『新相馬節』です。(・・・) この人が歌謡曲に本格的な民謡の小節を入れた最初の人なんですね。この人以上にうまく入れてる人は他には後は出てこないんすね。最初の人のすごいところというんでしょうか。で、結局、日本のフォークはこの人が原点だったんですよ。三橋美智也が。『北国の春』は70年代の一つの頂点でしたけれど、三橋さんの頂点はこの曲でした。」(『達者でナ』をかける)
「これがもう日本のフォークの祖ですね。(・・・)日本のフォークはこれです。これが原点なんです。誰が何て言っても。」
日本のフォークの中興の祖には岡林信康さんがいて、はっぴいえんどはそのバックバンドとして活動した時期があります。ですから、大瀧さんが概括したこの流れには、大瀧詠一さん自身を含む風景が描かれているわけです。よく知られている通り、はっぴいえんどはバッファロー・スプリングフィールドをドメスティックに解釈するところからスタートしたわけですが、大瀧さん自身は、そのはっぴいえんどの代表曲『春よ来い』が三橋美智也さんの『リンゴ村から』に深いところでインスパイアされたものであり、それゆえに70年代の(尻尾にいまだ「前近代」をひきずっていた)聴衆に支持されたのだという音楽史の「必然」を過たず見据えています。
このようなファクターは、「ジャンルの消長」という「単純な物語」で音楽史をとらえる立場に立つ限り、決して主題化されえないものだと私は思います。
系譜学者の第四の、そしてもっとも重要な条件は、自分自身を含む風景を俯瞰する視座に立つ知性です。

『ユリイカ』編集部から与えられた紙数をすでに大幅に超過してしまったので、「分母分子論」と系譜学の関連についてさらに論及することはできなくなりました。最後に大瀧さんのみごとなことばで私の論考を締めさせて頂きます。
「分母でも地盤でもいいけど、思ったのは、その下のほうにあるものをカッコにしてしまわないで、常に活性化させることが、やっぱり上のものがあるとすれば、そこがまた活性化する原因だと思うんですよ。だから、そのひとつとしてパロディ作品にトライしてみるとか、確認作業とか、そういうことをやってるんですよね。だから、常に一面的な見方の地盤というんじゃなくて、その地盤も変幻自在に変わっていく部分もあると思う。そこを見つめていくことが大事じゃないかって考えてるんです。」(「分母分子論」、『FM fan』、83年4月号)
 過去を歴史のなかに封印することなく、つねに活性化させ続けること。大瀧さんのこの方法論的自覚こそ、系譜学的思考の核心をひとことで言い切っていることばだと私は思います。

(ナイアガラ関連の資料提供につきまして、30年来のナイアガラー・フレンドである石川茂樹くんのご協力に深く感謝いたします。) 

 



大瀧詠一師匠を悼む

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朝日新聞から依頼があって、大瀧詠一さんの追悼文を書いた。
字数の関係でショートヴァージョンが紙面には掲載されたので、ブログにはオリジナルを掲げておく。

音楽や映画について、信じられないほど広く深い知識を持っているだけでなく、ふつうの人は気づかないものごとの関係を見出す力において卓越した方でした。2歳違いですが、久しく「師匠」と呼んでいました。
ツイッターで大瀧さんが手がけた曲の元ネタについてつぶやいたら、数分のうちに「この二つを結びつけたのは地球上で内田さんが最初の人です」と返信をいただきました。うれしかったですね。大瀧さんの元ネタをみつけるのは、ナイアガラーにとって最高の勲章だからです。
一度聴いた曲はすべて記憶しているのかと思うほどの桁外れの記憶力でした。無人島に1枚だけレコードを持って行くなら何にするかという雑誌のアンケートで、大瀧さんは『レコードリサーチ』というカタログの1962~66年を持って行くと答えました。「全曲思い出せる」から、「ヒットチャートを頭の中で鳴らしながら一生暮らす」ことができる、と。
はっぴいえんどは、米国のロックバンド、バッファロー・スプリングフィールドをドメスティックに解釈して「日本語のロック」を作り出したのですが、代表曲の「春よ来い」は地方から都会に出てきた青年の孤独と望郷の念を歌う、春日八郎や三橋美智也にも通じる楽曲でした。少年時代から、ポップスやロックだけでなく、ジャズも民謡も、あらゆる音楽を身に浴びてきたことが、大瀧さんの血となり肉となっていたのでしょう。
長く新曲を出していませんでしたが、ラジオには定期的に出演して、「ラジオ番組がニューアルバムなんだ」と話していました。ですから、『日本ポップス伝』と『アメリカンポップス伝』、山下達郎さんとの『新春放談』を録音したものは何十回聴いたかわかりません。車に乗っている時間はほとんどカーステレオから流れる大瀧さんのDJを聴いて過ごしていたわけですから、僕が人生で一番たくさんその人の話を聴いたのは、間違いなく大瀧さんです。
師匠が残してくれた音楽とラジオ番組はこれからも繰り返し聴くことができますが、あの話の続きを聴くことがもうできなくなると思うと、失ったものの大きさに愕然とします。

従属と謝罪について

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朝日新聞に「安倍首相の靖国参拝」についてコメントを求められたので、すこし長めのものを書いた。もう掲載されたので、ブログでも公開することにする。

東京裁判は戦後日本に対して二つの義務を課した。
一つは、敗戦国として戦勝国アメリカに対して半永久的に「従属」の構えをとること。
一つは侵略国としてアジアの隣国(とりわけ中国と韓国)に対して半永久的に「謝罪」の姿勢を示し続けること。
従属と謝罪、それが、東京裁判が戦後日本人に課した国民的義務であった。
けれども、日本人はそれを「あまりに過大な責務」だと感じた。二つのうちせめて一つに絞って欲しいと(口には出さなかったが)願ってきた。

ある人々は「もし、日本人に対米従属を求めるなら、日本がアジア隣国に対して倫理的疚しさを持ち続ける義務からは解放して欲しい」と思った。別の人々は「もし、東アジアの隣国との信頼と友好を深めることを日本に求めるなら、外交と国防についてはフリーハンドの国家主権を認めて欲しい」と思った。
伝統的に、従属を求めるなら謝罪義務を免除せよと主張するのが右派であり、独自の善隣外交を展開したいので、アメリカへの従属義務を免除して欲しいと主張するのが左派である。
そういう二分法はあまり一般化していないが、私はそうだと思う。
その結果、戦後の日本外交は「対米従属」に針が振れるとアジア諸国との関係が悪化し、アジア隣国と接近すると「対米自立」機運が高まるという「ゼロサムゲーム」の様相を呈してきた。
具体的に言えば、戦後日本人はまずアメリカへの従属を拒むところから始めた。内灘・砂川の反基地闘争から60年安保闘争、ベトナム反戦運動を経由して、対米自立の運動は1970年代半ばまで続いた。
高度成長期の日本企業の精力的な海外進出も対米自立の一つのかたちだと解釈できる。江藤淳はアメリカ留学中にかつての同級生であるビジネスマンが「今度は経済戦争でアメリカに勝つ」とまなじりを決していた様子を回顧していた。敗軍の兵士であった50~60年代のビジネスマンたちの少なからぬ部分は別のかたちの戦争でアメリカに勝利することで従属から脱出する方位を探っていた。
だから、日本国内のベトナム反戦運動の高揚期と日中共同声明が同時であったことは偶然ではない。このとき、アメリカの「許可」を得ないで東アジア外交を主導しようとした田中角栄にアメリカが何をしたのかは私たちの記憶にまだ新しい。
同じロジックで政治家たちの「理解しにくい」ふるまいを説明することもできる。
中曾根康弘と小泉純一郎は戦後最も親米的な首相であり、それゆえ長期政権を保つことができたが、ともに靖国参拝で中国韓国を激怒させた経歴を持っている。彼らはおそらく「従属義務」については十分以上のことをしたのだから「謝罪義務」を免ぜられて当然だと思っていたのだ。
その裏返しが「村山談話」を発表し、江沢民の反日キャンペーンを黙過した村山富市と東アジア共同体の提唱者であった鳩山由紀夫である。彼らはともに「謝罪義務」の履行には心を砕いたが、アメリカへの「従属義務」履行にはあきらかに不熱心だった。
このようにして、戦後70年、従属義務をてきぱき履行する政権はアジア隣国への謝罪意欲が希薄で、対米自立機運の強い政権は善隣外交を選好するという「ゼロサムゲーム」が繰り返されてきた。
このロジックで安倍首相の行動は部分的には説明できる。今回の靖国参拝は普天間基地移転問題でのアメリカへの「従属」のポーズを誇示した直後に行われた。「従属義務は約束通りに果たしたのだから、謝罪義務は免じてもらう」というロジックはどうやら首相の無意識にも深く内面化しているようである。
問題は、アメリカ自身は「従属か謝罪か」の二者択一形式には興味がないということである。彼らが同盟国に求めているのは端的に「アメリカの国益増大に資すること」だけである。「われわれはアメリカに対して卑屈にふるまった分だけ隣国に対して尊大に構える権利がある(その結果アメリカの「仕事」が増えても、その責任は日本に従属を求めたアメリカにある)」という日本人の側のねじくれた理屈に同意してくれる人はホワイトハウスにはたぶん一人もいないだろう。

ル・モンドの記事から

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2月4日、フランスの『ル・モンド』がNHKの百田経営委員の「南京虐殺はなかった」という発言について、それがどのような政治的文脈の中のものであるかについて解説記事を載せた。
欧米の安倍政権に対する警戒心と嫌悪感はかなり高まっていることが記事から知れると思うので、ここに翻訳しておくことにする。

「憎悪を保つ技術について」
日本の公共放送NHKの経営上層部にある人物が1937年に南京で帝国軍隊によって遂行された虐殺を全面的に否定した。 「列国は南京において日本が犯したとされる虐殺についての国民党指導者蒋介石のプロパガンダに何の注意も払わなかった。なぜだと思いますか?そんなものは存在しなかったからです」百田尚樹は東京での政治集会でそう言い放った。
火曜日に複数のメディアが伝えてところによれば、百田氏は東京都知事ポストをめざす極右候補者を応援している。この候補者は元航空幕僚長の田母神俊雄、2008年にさきの大戦において日本は侵略行為をしていないと述べたために更迭された人物である。
「百田氏のこの発言については知っているが、これはNHKの内規には違反していない。政府はこれについて意見を述べる立場にない」とだけしか菅官房長官はコメントしなかった。
中国は1937年12月13日の日本軍南京入市以後の6週間で、日本軍による殺戮、暴行、破壊による死者の総数は30万人に達するとしている。海外の学者たちによる調査では、この数字はこれよりはかなり低く見られている。アメリカの歴史家ジョナサン・スペンスは死者、民間人の死者は42000人、暴行された女性が20000人、その多くがその後死んだものとしている。
NHKが話題になるのはこの数日間で二度目のことである。1月26日にNHKの新会長籾井勝人が軍による強制的な売春について「どこの国でも戦時中は行われていたことだ」と発言した。NHKの就業規則は国営放送の経営委員会の12人のメンバーに「均衡の取れた、政治的に中立的な内容を保障することによって民主制を守る」ことを課している。
帝国軍隊の役割を最少化しようとするこの意思について、政府は踏み込んだコメントを避け、これは籾井氏の個人的見解であると言うに止まっている。籾井氏は安倍晋三首相のお気に入りの一人である。南京虐殺と性的奴隷は年来日本と中国、韓国の間の懸案の論争点となっている。
昨年の8月15日、日本の降伏の記念日に、きわめて民族主義的な安倍晋三首相は約二年間にわたって続けられてきた伝統を覆して、日本がアジアにもたらした苦難についての悔悟の言葉を口にしなかった。これは天皇明仁の臨席の場でのことであった。
安倍首相は大戦中の商工大臣、戦後アメリカによって収監されたが裁判をまぬかれた人物の孫であり、去年の12月に政権の座について1周年を期して東京の靖国神社を参拝した。この神社は250万人の日本人戦死者が祀られており、戦争犯罪人14人もそこに含まれている。

NewYork Times 3月2日の記事から

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アメリカの対日世論はしだいに疑惑と不信の論調に傾きつつある。
New York Times の昨日の記事「安倍氏の危険な歴史修正主義」を訳してみた。
安倍首相の「真意」を記者が読み切れないのは、つねづね申し上げているとおり、「対米従属を通じての、対米自立」という自民党の伝統的な戦略の「意味」と、それを支える「心性」がアメリカ人には理解しにくいものだからである。
記事は首相の真意を「hard to decipher」と評しているが、decipher というのは「意味不明の言葉・暗号・古文書などを解読する」というかなり特異な含意の動詞である。
首相の対米姿勢は友好的なのか対立的なのか、よくわからないという先方の当惑がよく伝わってくる記事である。
なにより「does not want to be dragged into a conflict between China and Japan」(アメリカは「日中間の紛争に巻き込まれたくない」)というのは私が知る限りこれまでアメリカのメディアでここまではっきり書かれたことのない文言である。
そこまでアメリカは「日中間の紛争」の可能性について真剣に危惧し始めている。

(訳はここから)
安倍晋三首相のナショナリズムの旗印は今や日米関係に対するかつてなく深刻な脅威となりつつある。彼の拠る歴史修正主義的立場は、東シナ海、南シナ海における中国の攻撃的な態度によって混迷を深めているこの地域で、危険な挑発と見なされている。
しかし、安倍氏はこの現実を一向に気にとめる様子がなく、条約上の責務によって日本防衛を約束しつつ、日中間のトラブルに巻き込まれることを望んでいないアメリカの国益に対しても配慮する様子が見られない。
安倍氏のナショナリズムは理解が困難である。というのは、それはどの国に対して向けられたものでもなく、彼自身恥ずべきものとみなしている日本そのものの戦後史に向けらたナショナリズムだからである。「戦後レジーム」と彼が呼ぶところの体制の廃棄と、新たな愛国主義の創出を安倍氏はめざしている。
問題は彼が日本の戦後文化に手を着けるより先に、戦争の歴史を改竄している点にある。彼とナショナリストたちはいまだに1937年の日本軍による南京虐殺はなかったと主張している。彼の政府は金曜日に、日本軍によって性的奴隷労働を強制された韓国女性たちに対する謝罪を再検討し、場合によっては廃棄すると述べた。
そして、安倍氏は戦争犯罪人を含む戦死者を慰霊する靖国神社参拝の意図を祖国のため命を犠牲にした人々に対する敬意を表するためだけのものであると説明している。ワシントンからの参拝を自制して欲しいという明瞭なシグナルにもかかわらず、安倍氏は12月に神社を参拝した。
中国との対立的な関係が生じたため、平和主義的な日本国民の間でも国防力強化の必要性を説く安倍氏の主張は説得力を持ちつつある。軍事力の強化を求める人々がしばしば歴史修正主義と重複するのが日本の特徴である。しかし、安倍氏のナショナリズムは別にして、今のところは彼も他の日本のメインストリームの指導者の誰も日本の軍事力をアメリカの同意抜きに増強しようとする動きは示していない。彼ら自身が日米の安全保障同盟に深くコミットしているためである。

中野晃一先生の安倍政権論

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Australian national university の出しているAustralia and Japan in the region という英字媒体の3月号に上智大学の中野晃一先生が寄稿している。原文が英語なので、例によって訳文を付す。
中野先生の状況解釈のすべてに私は同意するわけではないが、今日本で起きていることが安倍晋三という人政治的個性に帰しうるような属人的な出来事ではなく、長期的な政治過程そのものの変化のうちの現象であるという意見には深く同意する。
(訳文はここから)
2012年12月に安倍晋三の自民党が政権に復帰して以後、日本が右傾化しているからどうかについては活発な議論が展開されている。ある人々は、安部の側近を含めて、彼はアベノミクスの三本の矢の追求だけに目的を限定しているプラグマティストであると主張する。また別の人々は第一次政権以前からの全期間を通じて彼がなしてきた歴史修正主義者としての言動の長大なリストを根拠に、彼を極右的な見解を持つ「信念の」政治家であると見なしている。
2013年12月、彼の政権発足1年を期しての彼の突然の靖国神社参拝によって、この議論は後者の見解に最終的に決したように思われる。しかし、今でもまだ安倍と彼の擁護者たちはこの参拝は戦死者を慰霊し、不戦の誓いをなすためのものであると主張して、安倍が軍国主義を復活させようとしているという批判を退けている。私は安倍と彼の友人たちのこのような主張は不実なものであり、彼は日本を右傾化させているという判断に与する。それだけにはとどまらない。私の考えでは、日本政治の右傾化傾向はすでに20年前から始まっている。言い換えると、安倍の右翼的な政策はここ何十年かにわたって日本の政治を変容させてきた右傾化傾向の一部(それが重要な一部であるにせよ)に過ぎない。安倍が政権にある間に日本をさらに日本を右傾化させるにせよ、しないにせよ、この右傾化傾向は彼によって始められたものではなく、彼が退場すれば終るというものでもない。そのことが重要なのである。

毎日新聞のインタビュー

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3月5日の毎日新聞朝刊にインタビューが載りました。
お読みでないかたのためにオリジナル原稿をアップしておきます。ちょっと紙面とは文言が変わっているかも知れませんが大意はそのままです。


ー中国、韓国との関係改善が進まず、米国も懸念しています。

内田 長い歴史がある隣国であり、これからも100年、200年にわたってつきあっていかなければならないという発想が欠けている。安倍政権は外交を市場における競合他社とのシェア争いと同じように考えているのではないか。韓国や中国との「領土の取り合い」と経済競争における「シェアの取り合い」は次元の違う話だということを理解できていないように見える。

昨年12月の靖国神社の参拝も、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移転先の名護市辺野古への埋め立てについて沖縄県知事との話し合いがついた直後に行われた。米国に「貸し」を作ったので、今度は米国が厭がることをする「権利」が発生したと考えたのだ。本人はクールな取引をしているつもりだろうが、米国は同盟国としての信頼を深く傷つけられた。安倍政権はアメリカを「パートナー」ではなく、市場における「取引相手」だとみなしている。その「実のなさ」が米国を不安にさせ、苛立たせている。

ーなぜ短期的な発想になるのですか。

内田 民主主義は政策決定にむやみに時間がかかる政体である。時間がかかるかわりに集団成員の全員が決定したことに責任を引き受けなければならない。「そんな決定に私は与っていない」という権利が誰にもない。政策決定が失敗した場合でも、誰かに責任を転嫁することができない、それが民主制の唯一のメリットだということをたぶん首相は理解していない。
民主制が政策決定の遅さと効率の悪さに首相は苛立っている。たぶん彼は株式会社と同じように、経営者に権限も情報も集約して、経営者の即断即決ですばやくものごとが決まる仕組みを政体の理想としているのだろう。会社経営の失敗はせいぜい倒産で済むが、国家の失政は国土を失い、国民が死ぬことさえある。その違いを理解していないのだと思う。

そのような「楽観的な」政権運営を可能にしているのは国民的規模での反知性主義の広がりがある。教養とは一言で言えば、「他者」の内側に入り込み、「他者」として考え、感じ、生きる経験を積むことである。死者や異邦人や未来の人間たち、今ここにいる自分とは世界観も価値観も生活のしかたも違う「他者」の内側に入り込んで、そこから世界を眺め、世界を生きる想像力こそが教養の本質である。そのような能力を評価する文化が今の日本社会にはない。

—ただ、中国も韓国も理解するには難しい国です。

内田 どこの国のリーダーも「立場上」言わなければいけないことを言っているだけで、自分の「本音」は口にできない。その「切ない事情」をお互いに理解し合うリーダー同士の「めくばせ」のようなものが外交の膠着状況を切り開く。外交上の転換はリーダー同士の人間的信頼なしには決してありえない。相手の「切ない事情」に共感するためには、とりあえず一度自分の立場を離れて、中立的な視座から事態を俯瞰して議論することが必要だ。自分の言い分をいったん「かっこに入れて」、先方の言い分にもそれなりの理があるということを相互に認め合うことでしか外交の停滞は終らない。

—外交において相手に譲るのは難しいことです。

内田 外交でも内政でも、敵対する隣国や野党に日頃から「貸し」を作っておいて、「ここ一番」のときにそれを回収できる政治家が「剛腕」と呼ばれる。見通しの遠い政治家は、譲れぬ国益を守り切るためには、譲れるものは譲っておくという平時の気づかいができる。多少筋を曲げても国益が最終的に守れるなら、筋なんか曲げても構わないという腹のくくり方ができる。大きな収穫を回収するためにはまず先に自分から譲ってみせる。そういうリアリズム、計算高さ、本当の意味でのずるさが保守の智恵だったはずが、それがもう失われてしまった。
最終的に国益を守り切れるのが「強いリーダー」であり、それは「強がるリーダー」とは別のものである。

隣人としてのイスラーム 収奪から共生へ

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2014年2月24日集英社新書『一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』
刊行記念トークイベント@スタンダードブックストア心斎橋
中田考&内田樹
隣人としてのイスラーム 収奪から共生へ

――今日はたくさんの方にお運びいただきありがとうございます。今日は「隣人としてのイスラーム 収奪から共生へ」というようなテーマ設定でお話いただければと思います。
最近、イスラームに関しては、ハラール認証ビジネスというものがたいへん盛り上がっているという報道が目立つようになってきましたね。イスラームといえば「いろいろなタブーがある」というイメージが一般にはあると思うんですけれども。このトークの皮切りの話題として、ハラールというものに我々日本人はどう理解し、接したらいいのかということをイスラーム学者である中田先生からまず、お話いただきたいのですけれども。

ハラール認証ビジネスの問題点

中田 「ハラール」の反意語の「ハラーム」という言葉はですね、この『一神教と国家』を読んでいただいた方は一応ご存じだと思うんですけれども、「禁じられたもの」ということですね。皆さんご存知のとおりイスラームは戒律といいますか法の宗教ですので、「禁じられたもの」とか「許されたもの(ハラール)」という概念があるわけです。

けれども、「禁じられたものが何であるか」ということ以前にもっと重要なことは、そもそも許されたもの、ハラールというものをどのように認証するかという、こちらのほうがずっと問題なのですね。

我々みんな世界史などで習ったと思いますけれども、なぜキリスト教で宗教改革運動が起こったのか。カトリック教会が「我々が罪を許す」という「免罪符」を売るということが問題となり、これが宗教改革の原因になったわけです。

イスラームというのは、そもそもカトリック教会やローマ教皇のようなそういった宗教的権威を有する機関のようなものがないんですね。皆さんご存知のとおりイスラームは聖俗一致が基本ですので、そういう聖職者階級がいない、すべての人間は平等であるというのがイスラームなわけです。

ですので、もちろん戒律として「禁じられたもの」「許されたもの」はあるのですけれども、それはすべてのイスラーム教徒が個人として神の啓示であるところの『クルアーン(コーラン)』、神から与えられた聖典、あるいは預言者の言葉を記した『ハディース』、それを見てムスリム(イスラーム教徒のこと)個人が判断すべきというものであって、本来、どこかの機関が神の権威をかりて認証するということは歴史的には存在しなかったのです。これはたいへん重要な問題なのですけれども、そうした検証がまったく抜けたままに、ハラール認証ビジネスなどといういかがわしい議論がひとり歩きしている、これが一番の問題だというふうに思っております。

内田 宗教にビジネスが絡んでくるのってすごく胡散(うさん)臭い気がするのですよね。そのハラール認証ビジネスの問題も、今はイスラーム圏だけの問題ですけれども、多分これから日本でも絶対、目ざといビジネスマンは「これからイスラームが金になります」ということを言ってですね、そういう性質(たち)の悪いコンサルティングをあちこちでもうやっていると思うのですよ。「これからはイスラーム金融ですよ」とかね。ロンドンなどでもやりますでしょう、「ドバイと並んで世界の金融、イスラーム金融のセンターになるんだ」って。だから、今アベノミクスとか言っている人たちは「これから東京を世界のイスラーム金融のセンターにしよう」なんていずれ絶対言い出しますよ。その状況を思うと今から腹立ってくるのですよね。

彼らは中田先生がおっしゃったイスラームの考え方自体には何の興味もない。これまでずっと「イスラームは聖戦原理主義テロリスト」などと言っておいて、急に「人口は16億人」「平均年齢20代」「経済成長している」と聴いて、「おい、じゃあ、お得意様じゃないか」って。イスラームに関するイメージって今激変しているのですよね。

この本はですから、かなり広く受け入れられると思うんです。「なんかもしかしたらイスラームの風が吹いているかもしれないから、ここで一発イスラーム専門家になっちゃおうか」、「イスラームで金儲けしようか」という人がね(苦笑)。そういうあざとい人間がこれからわらわらと出てくるような気がするのですけど、どうでしょう。

中田 そうですね、今はとくにオリンピックですね。内田先生も私もオリンピック反対派なわけです(参照『街場の五輪論』朝日新聞出版)。そのオリンピックで特にイスラーム系、ムスリムの多い国が世界中に150カ国ほどあるわけですね(本を読んでいただいた方は分かると思いますが「イスラーム国家」という言い方私はしません)。

そういう国からたくさん人が来る。これをビジネスチャンスと考える人がたくさんいて、今本当にそのホテルとかショッピングセンターとかみんなでイスラーム教を取り込もうとイスラーム展などを始めているわけです。それ自体は構わないのですが、それをビジネスチャンスと便乗してハラール認証の売り込みに来るコンサルタントがいっぱいいるわけですね。

これが先ほども言ったとおり、本来イスラームとは真逆の考え方で、イスラームには本来ハラール認証機関というものはない。個人ひとりひとりが認証機関によってではなく、『クルアーン』や『ハディース』に照らして判断するのがイスラームなわけで、それをそういう機関が代行するというのは、これもやはりある意味での西洋化ですね。内田先生がよくご存じですけど、コシェルという、ユダヤ教の食事既定はイスラームよりもっと食物規制きついですのでそれの認証というのは昔からあったのですね。ハラール認証機関というのもそれを真似したものとして始めたものになりますし、こういうそもそも認証機関を作るというのもヨーロッパ的な発想ですので、キリスト教的な発想なのです。そういったものに今度イスラームが侵されていくのが私も非常に不愉快に思っているわけですけれども。なかなかこういうこと言えるところがないので、今日は非常にありがたいです。

内田 日本にはまだないのですか、そのハラール認証機関というのは。

中田 それが実はあるのです。

内田 それは日本人がやっているのですか。

中田 日本人がやっているのもありますし、それが日本人だけだと権威がないというふうに考えるので、マレーシアとかその辺の政府の認証機関は、そっちのほうから来ているのです。現在はインドネシアとマレーシアが競合しておりまして。

内田 それぞれ政府認証なのに「俺たちのほうが本家だ」とか。なるほど、国家的なビジネスとしてやっているわけですね。でも、日本には進出しても現在のところ日本のムスリムの数というのは数万人規模ですよね? もっといます?

中田 在日のイスラーム教徒全体を合わせると多分10万人くらいいると思いますけど、そんなものですね。むしろどちらかといえば焦点は輸出ですね。

内田 日本で作ったものを輸出する場合。なるほど。本でも触れておりますがインドネシアはこれから急成長する市場ですからね。

中田 インドネシアとマレーシア。この二国はかなり国のあり方が違うのですが、どちらも国家が強いというのは同じです。しかもそれが何て言うのですかね、物欲の問題のもとになっているということなのです。認証ビジネスはある意味日本でもそうですけれども、「国家がこれを認証しなければ禁止」という形にすればいくらでももうかるのですよね。ですからハラール認証は、「うちの国にはそれがなければ入れない」と言ってしまえば輸出貿易する側は認証を受けざるをえなくなりますから。一番おいしいビジネスなのですね。

内田 なるほどね。それでそのインドネシア向けにそのハラール認証をした即席メンとかそういうものを作っているわけですね。ところで、先生は結構ジャンクフードお好きですよね。

中田 大好きです。

内田 先生、すごくまめに自分の食べられたものを写真で撮って、夜中によくツイッターにあげてらっしゃいますけれども。見ているとかなり悪食といいますか、体に悪そうなものが結構好きですよね。でも、あれは全部戒律的には正しいものなわけですよね、先生の基準では。

中田 そうですね。基本的に奇特な方々がいろいろと差し入れしてくださる。差し入れされたものは基本的にすべていただくというのは、お布施をいただく仏教のお坊さん的な精神にも通じているかもしれませんね。

内田 先生は今、基本的に人々の差し入れ、喜捨によって生活の基盤を作ってらっしゃるんですか。

中田 最近、喜捨をいただくことが多いですね。明らかに豚肉とかとんかつとかそういう戒律に明白に反するもの以外は基本的には私は大丈夫だと考えております。ありがとうございます。

収奪される側の若者にメッセージを発信する理由

内田 そうですか。そういえば昨年の五月にカリフメディアミクスという会社を作られたそうですが、「カリフメディアミクス」というのが一体どういう意味なのか、名前を聞いても全然わからない。ライトノベルとアニメーションとそれから最終的にゲームを作ろうということだそうですが。どんな戦略なのでしょう?

中田 もともとは本当に「瓢箪(ひょうたん)から駒」というか神様のお導きというか、たまたま私の中学高校時代の同級生が京大のアニメ研究会の創設者でして、何年かぶりにメールが来たのです。「脱サラしていて、アニメ脚本家になるんだ」と。

そのころ、カリフ制を再興するためには若者が動かないといけない。若者が動かすにはやはり若い人が見るメディアを使わないといけない、ということを考えていたので、カリフ再興についてのアニメを作ろうというアイデアがあったのですね。それを話したら、彼のほうから「一緒にやろう」ということになりまして。そのためには会社を作らないといけないというふうに言われてですね。「じゃあ、まあ作ろうか」ということで作った会社なのですね。

なかなか設立するのは大変だったんですが、一応それを立ち上げまして。しかし、基本的にはアニメを作るには億単位の金がかかるのですね。でも、千里の道も一歩からなので、とりあえずはやろうと。

内田 とりあえずはラノベから。先生、ラノベはもう完成したのでしょう?

中田 実は書いたのです。『俺の妹がカリフなわけがない』という作品ですね。

内田 それは舞台は日本なのですか。

中田 舞台は日本です。あらすじはですね、お兄さんが主人公なのですね。妹がいきなりカリフになってしまう。

内田 そこがちょっと無理がある(笑)。

中田 ツイッターで発信して原稿用紙に換算して500枚くらい書きました。まだ刊行の予定はありませんが。

【中略】

中田 アニメやコミックに関しては、日本のアニメとかゲームは日本で通用するクオリティがあれば自然に海外に流れていきますので、我々がそういう外国にわざわざ翻訳して発信する必要がないのですよね。ですから日本で通用すればそれでいいのですよ。日本の中でやるわけですけど、日本で通用する物は外国でも視聴されるわけですから。

内田 結局、先生のお話うかがっていて改めて思ったんですけど、先生は本当に若い人に注目していますね。自分たちより年齢上の方たちはある種、投げているというか、この辺はもう駄目だろう、ということで今は10代20代、もっと若い世代の人たちがこれから先、世界の運命を変えていく。だから彼らに向けて語りかけようという、そのポジションの取り方が今の日本の知識人にはないですよね。見たことないです、そんな10代の若者をターゲットにして自分の思想を語ろうとする人なんて先生くらいですよ。

中田 単純に、私の暮らしていたイスラーム世界は人口構成が若いんですよね。

内田 すごく若いのですね。

中田 以前、私は京都に住んでいたのですけど、その家を学生に譲って今、放浪生活をしているんです。その家を譲った彼が今年、インドネシア人と結婚したのですよ。それでその奥さんが先週日本に来て京都の町を見て、「なんで日本はこんなに若い人がいないの。老人ばかりなの?」と言ったのですね。本当にそうなんですね。これは単純にこのままだと滅びますので…。

それがイスラーム世界へ行きますと見ただけで若い人が圧倒的に多いので、それがすごく印象的で、何も考えなくても若者の存在、大切さを実感できるんですね。やはり若い人たちが変えていかないと、というのは、向こうにいると普通の感覚なのですけど、日本にいると若者の存在自体が希薄といいますか。

内田 今の日本の逼迫(ひっぱく)感というのは単純に言ってしまうと、若い人の数が少ないということですよね。数が少ないので、孤立し、分断されている。年長者が若い人に対して支援するっていう感じがまったくなくて、むしろ「どうやってこの人たちを利用したり収奪したりしようか」っていうことばっかり考えている。

だから世の中が、なんとなくどんよりした感じなのは、若い人たちの顔にあまり希望がないからですね。ここ(会場)は若いほうかもしれませんけれども、イスラーム圏の16億人の平均年齢が20代ってすごいですよね。日本って今どのくらいでしたっけ、平均年齢って。うっかりしたら40才を越してるのですよね。

中田 日本だと「子供を作れない」ってよく言うわけですね、我々の生活が苦しくて。それで思い出す話があります。私の生徒のひとりに、ヨルダンで社会活動をしている人がいるのです。そうすると、例えばイラクから難民がヨルダンに流れてくるわけです。流れてくるのですけど、領域国民国家はそれを切るのです、それを入れないと。するとイラクとヨルダンの国境の間に緩衝(かんしょう)地帯があるんですね。

これ「ノーマングラウンド」というんですけれども、そこに住み着いている人間が結婚してしまうんですね。結婚して子供をつくってしまうのです。ノーマングラウンドですからどちらの統治権もありませんので、生活のためにですね、そこを通る車がたまたま置いてってくれる物資以外なんの収入もないわけですね。でも、そうした人も平気で結婚してしまって子供を作っていくわけです。

そういう事例を知っておりますので、日本のように、生活が苦しいから、定職がないから結婚できないというのは、事実ではなく、思い込み、洗脳でしかありえないと。事実として知っていますので、日本の若者はやはりそういうマインドを変えていかないといけない、と私なんかは考えるわけですけど、日本にいるとなかなか難しいのですね。

漂泊するホームレス博士の共生と贈与の精神

内田 今、ネットで調べていただいたのですが、日本人の現人口の平均年齢は44.9歳でございまして、イスラーム圏より20歳くらい年上なのですね。日本は恐らく世界でもっとも高齢化が進行している国なのですけれども、この後、韓国も中国もヨーロッパもアメリカも、日本に続いて高齢社会に突入していく。大体20年から30年日本がアドバンテージというか、先を切って高齢化しているわけです。この高齢化とか人口減少とかいうことを経験する先進国は日本が近代で最初なわけです。人類史上こういう形でピークアウトしていきだんだんと人口が減っていき社会の活力がなくなっていく国っていうのは非常に珍しいケースなんです。けれども、先生はこのような力がなくなっていく日本の中で何かまったく新しいオルタナティブという形でカリフ制という、それは誰も思いつかなかったというようなオルタナティブを提示されている。

そして主に若い方たちに「こっち来ないか」という形で呼びかけている。その一番根本にあるメッセージが贈与することなんです。なにしろ、ご自分のおうちをあげちゃったんですもんね、学生さんに(笑)。それで、住む所なくなっちゃって、施しで生きているホームレス博士になっているという…。すばらしい生き方だと思うんですけれども、そういう形を日本人ムスリム方は実践されているものなのですか。

中田 そういうことはないですね、私の場合、個人的な事情があって、何も縛られるものがないので。大学にいる必要もありませんし、実際に日本は物価が高いとはいえですね、そういうもの(しがらみ)がなければあまりお金っていらないのですよね。必要なのは食べるものだけですので。ですから、住む所もいろんなところを居候(いそうろう)して歩いておりますし、奇特な人が食べ物を恵んでくれたりしますのでね。

内田 あの、差し入れというのは複数の方たちが絶えずお餅とかそういうものを持ってきてくださるんですか。

中田 そうですね。わざわざアマゾン(インターネット通販)で送ってくれる人もいるもので。

内田 アマゾンで送ってくるのですか。じゃあ、あとで僕、先生の住所を聞いて、僕もアマゾンで何か定期的に送りますよ(笑)。

中田 ありがとうございます。

食物、金…。身体ベースというコモンセンス

内田 我々、非常に宗派の違いといいますか、大分違うのですけれども、衣食住ベースというのが一番近い身体ベースではないでしょうか。「何を食べるのか、何を着るのか、どこで寝るのか」。結局この身体って6尺くらいの体で体重が70キロとかそういうような身体があって、この身体を維持できるというのが一番基本でして、これをベースにして考えようと。

「どうやって食っていこうか?」 文字通り我々が「食っていく」とき、ついメタフォリカル(隠喩的)に考えて年収何百万とかあればいいのかと考えますよね。でも、「食っていく」というのはそういう数値的なことじゃなくて、文字通りご飯を食べて、生命を維持するためにどれくらいのものがいるかということですよね。生物学的なベースをまず設定して、そこから発想していかないといけないと思っているので、そこは先生と深く共感するところがあります。特にあの本の中で、先生が金貨の伝道師ということに触れられていますが、貨幣はゴールド(金)でなければならないということを先生から伺って、その話僕は非常に感動したのですけれども、できたらその話をもう一度お願いできますでしょうか。

中田 基本的にイスラームは自由なので何を商売に使ってもいいわけで、そういう意味では物々交換でも何でもいいんですけど、いけないのは自由を奪うことなのです。今の日本というのは、これはもちろん歴史的には意味があるわけですけれども、現物で本屋さんで従業員に本を支給して、「これ給料」というのはいけないわけですよね。それ自体は意味があるわけですが、じゃあどうするかといったら国の作った貨幣というもので払わないといけないことになっているんです。ですから国が強制力を持って、実は紙切れなのですけれども(紙幣は1枚刷っても40円くらいの紙切れなのですけれども)、そういったものを強制的に通用させていくと。これは間違いであると考えるわけです。

金と銀とかはもともとなぜだかわかりませんが、実は1400年前から同じ価値なのでした。例えばですね羊一頭に対して(の金の対価)だと実は全然変わってないのですね。昔も1ディナール150ドルくらい、今でもそうなのです。まったく変わらないのです。それで見ると金の値段というのはそういうものなのですね。金というのはもともと価値を持っていますので希少性もありますし、キラキラしていたら嬉しいというのもあります。みんなそれなりに欲しいわけです。本来の値段を持っていると。

ところが貨幣というのは完全に記号なわけですね。本でも触れましたが、それが銀行のお金だともっと記号になっていく、そうすると逆に金というのは、確かに金を持っていると喜んでいるとこれを捨てるのかと思うわけですけど、あまりたくさん持っていても仕方ないわけです。むしろ邪魔なのです。しかも盗まれますから。邪魔ですから使ってしまおうと思う、ところがデジタルのお金っていうのはいくら持っていても邪魔にならないわけですね。しかも楽しいわけです。何兆円とかそういうふうになってしまうわけです。そういうのは恐ろしいところでして、そういうところが金というのはもともとの金貨という意味でまず持っていると邪魔になるということだと思います。

内田 すばらしいですね。貨幣を金貨で持っていると重くてたくさんは持てないと。紙幣というものが発明されたのは、自力で持ち運びできる財産の量を増大させるためでしたから、もう一度生身の身体で運べる重量を自分の所有しうる財産の上限にしてしまう、と。それ以上持ち歩けないわけですし、どこかに隠しておいても、誰かに取られるんじゃないかという心配でしょうがない。それだったら、いっそ誰かにあげるか、ぱあっと使っちゃったほうがいいと。

僕は金本位主義ではないですけど、金貨はある程度以上は「重くて邪魔になる」というお話を聴いて、目からうろこが落ちました。個人が持ちうる財産には上限があって、それを超えてまで所有してもしかたがないといういうのは、極めて優れたアイディアですよ。兌換(だかん)紙幣というときまでは、「金だと持って歩くのが邪魔だ」という身体感覚がまだリアルに残っていたから、紙幣に代えたんでしょうけど、経済活動がヒューマンスケールを超えて活動するようになると、貨幣が数字と記号で表象されるようになった。電磁パルスとしての財産はいくらあっても邪魔にならないわけですよね。結局、お金がいくらあっても邪魔にならないという仕組みが完成したことで貧富格差が拡大することになった。金本位制度に戻そうと言うと何を馬鹿なことをと思う人が多いのでしょうけど、僕はこっちの方が直感的に正しいような気がします。

それで、イスラーム圏というのは金本位制度にいくのですか。

中田 そこが難しいところですね。実際そういう動きはありますけど、これは金本位制に限らずハラール認証もそうですし、そもそも「国」自体がイスラームに反しているのでそれに反する動きはあるんですけれども、やはり心ある人はそういう動きはしているのですね。

内田 どういう形で動くんですか。

中田 まずは今言ったとおり、もともと金は固有価値を持っていますので必ずしも国が賛同しなくても自分たちで作れるわけですね。自分たちで金貨を作っている、そういう運動があります。

内田 個人が、プライベートにつくっちゃった金貨。

中田 ですからこれは信用に支えられているんですね。結局、金(きん)は持っていてもしょうがないとなると最後はお金を持っていてもしょうがないということで貸すわけですね。それが国家の支えになっている、個人の信用でお金を貸していると。それがイスラームのシステムなのですね。持っている全部貸してしまう。利子ありませんもんで。利子がないだけでなくてですね、イスラームの教えだとお金を貸して、なければ返さなくていいのですね。もちろんあったら返さないといけないですが、なかったら無限に待たないといけないのですね。無限に待っていても仕方ないです。最後のほうあげちゃうのですね。

内田 いいよって。


中田 そういうシステムなのですね。この意味でイスラームは個人の信用に支えられていますので、そういう個人のレベルで金貨をつくっているところはいくつかあります。
これはですね、もともと始めたのがスペインのバスクの人。それが広がっているのはインドネシアとマレーシアです。

内田 やっぱりそうなのですか。

中田 もともと特にインドネシアは経済が悪いので紙幣を信用してない。いまは多少よくなってきていますが。

内田 ゼロが多すぎるんですよね。インドネシアルピアって。100万ルピアと言われてもちょっと待ってね、ゼロ2個とって・・・「あ、1万円」ね(笑)。

中田 もともと今のシリアとかイラクもそうなんですけど、国のお金は信用していませんので金(きん)でもって。今はその中で金貨をつくって復興しようという動きは個人だけがやっていますね。

内田 それは何かグローバル資本主義の暴走を抑制するために我々が金を買って重たいから人にあげちゃうっていう。だって金の延べ棒1個ってこれいくらくらいですかね。

中田 1キロで今450万円くらいですね。

内田 2個で900万くらい。じゃあ人間が持って運べる量は上限、これ4本で1800万円くらいですね。それが人間が持ち歩ける金額の金の上限である、と。それだって長く背中に背負って歩くと腰痛になりますよ。人間、貯めるのはそれくらいにしといて、余った分はあげちゃう。

【中略】

その、資産運用とか投資とか「持っているお金を失いたくない」というそういう動機で貨幣について論じるのって、僕は大嫌いなのです。でも、先生のおっしゃる「持っていると邪魔になる」というのがいいですよね、悪い人が人を買収するときに「まあ、いくらあっても邪魔になるものじゃありませんから」っていいながら懐にねじこむじゃないですか。あれがいけないんですよね。「いや、そんなにもらっても持ち歩けませんから」ということになればいいんだ。

僕は貯金を金貨に換える気はないのですけど、なんとなく実感として自分が持っていられるお金、自分がコントロールできるお金の上限ってわかるんですよ。2000万円くらいが上限かな。2000万円超えたお金は、もうどう使っていいかわからない。それ以上だと不動産買うとか、株買うとか、国債買うとか思いつかないけれど、それって要するに「カネでカネを買っている」わけで「使っている」わけじゃない。僕が使い道を思いつくのは2000万円までですね。それを超えた金額で「欲しいもの」を思いつかない。
自分自身の身体実感から言って、買える最大のものが家ですよね。ちょっと小さくて車。家はもう建てちゃったし、車にはあまり興味ない。今の車をあとあと10年くらい乗ってると、もう買い換える機会もなくなる。そうすると本当に買うものがないんですよ。普段から買い物しないし。半年に一度、元町の大丸に行って、パンツと靴下を買うくらいですね。このセーターもこの間クリーニングに出したら、「お客さん襟(えり)のところほつれてますけど」って言われて。「うんいいんだよ」って(笑)。ほつれたところを糸でつくろって着てます。全然買わないですね、服も買わないし。食べ物も先生のように健啖(けんたん)家ではないし。今日だって晩ご飯あれですよ、梅田の立ち食いそばで月見そば330円です。けっこう美味しいですよ。
じゃあ、どうやって余ったお金を回していくか。先生は若い人たちのために使う。こうやてカリフメディアミクスをだんだん大きくしていって、やがて利益をあげたところで、どーんとこれをカリフ制再興のために使われるわけですね。

カリフ制再興までのロードマップ

内田 今日はあらためてカリフ制再興の先生のロードマップについてお話を伺いたいのですけれども。大体どのようなカリフ制再興の展望があるのでしょうか。

中田 アラブの春といいますか、状況はもう春でなくて冬になっちゃいましたけれども、あれも実は誰も予想できないときに起きたことなのです。これはもちろん我々イスラーム学者にも中東研究者もそうですし、イスラーム運動家も民主主義の運動家も誰ひとり予想できませんでした。それは多分ベルリンの壁の崩壊とかソ連の崩壊も同種のそういう問題もそうですよね。あれも直前まで、基本的にはまったく予想外だったんですね。そういう意味では具体的にどこで、いつ起こるかはわかりません。はっきり言ってわからないのですけれども、その時は多分同時発生的に起こるだろうと思っています。

その前にこれは今もグローバリゼーションに対する反抗として、地域ブロック化が進んでいますのでそういう意味でやはりイスラーム圏をブロック化しないといけない、と。この動きはあります。特には今シーア派のイランの台頭がすごく強いのですね。それに対してスンナ派のアラブがまとまらないと、そもそもアメリカなどに対抗する以前に、イランの脅威に対抗できないということもありまして、かなり地域ブロック化が進んでいます。これ自体はカリフ制ではないのですけれども、数ある動きの中で注目されるべき動きです。特にアラブ圏では3億人くらい同じアラビア語を使っていますし。我々イスラーム教徒もアラビア語を勉強していますので、アラビア語は共通語ですから、文化的国境がなくなりつつあります。

ですから、そういう動きと政治的なグローバリゼーションに対抗する地域ブロック化が進む中で、アラブの資本と人間の力と物ですね。それがうまく回ってかないと再興できませんので、そういう動きを進めていく。それをいずれひとつにまとめないといけない。ひいてはブロック内の国境をつぶしてしまう、という動きになるとは思っています。それは今がまさにそうですね、若い人が動かないといけないわけで。そういう意識を高めるのがカリフメディアミクスの仕事なわけです。それを特にそういう意味では日本は先進国ですので、アニメでそれを広げていくと。そういうことを考えていると。

【中略】

もともとイスラームは組織というものをつくらない、これは本の中にも書いてあるんですけど基本的には個人と個人がつながっていく。それは共通するイスラーム法というそういうコードがあるので、別に組織がなくても人間がつながっていけるというのが基本でありますので。国境も超えて非常に個人と個人のネットワークがつくりやすいのですね。
ですからそれで逆に組織の重要性ありませんし、指導者もあまり必要ないんですね。基本的には法がある、法に従うのがイスラームですので。ある日突然その動きが始まってしまえば、一気にカリフ制ができてしまっても不思議はありません。そこで無名な人間がカリフになるという可能性もなくはありません。

内田 先生のラノベ『僕の妹がカリフなわけない』も、ある意味そういうことなのですね。

中田 そうですね。

内田 意外な人が出てくる。僕、この言葉は、亡くなられた大瀧詠一さんからうかがったのです。「新しいものっていうのは、必ずこんなところから出てくるとは思ってもいなかったところから出てくるものだ」と。時代を書き換えるような新しいものって、「まさかこんなところから」というところから出てくる。その言葉が印象に残っています。

イスラーム圏について「人口16億のイスラーム圏」という言葉が新聞紙面にぱらぱらと出てきたのって、ほんのこの1年くらいです。北アフリカのモロッコから東南アジアのインドネシアまでイスラーム圏共同体が存在していて、同一の祈りの言語をもち、独自の倫理観を持っている。僕はそのことをまったく考えたこともなかったです。イスラーム圏といっても、仏教圏とかキリスト教圏と同じように、そういう宗教を信じている国民を含む国民国家ばらばらにあって、それぞれ勝手に国益を追求しているのだと思っていた。でも、どうもそうではないらしい。
アメリカ主導のグローバリズムが進行していった結果、イスラーム圏がグローバリズムに抵抗するかたちで残った。イスラーム圏が「残った」ということで、グローバル資本主義とは違う仕方でグローバルに結ばれた共同体が存在するということに気がつかされた。
これまで中東専門家の話がまったく理解できなかったのは、彼らがイスラーム圏というグローバルな共同体のレベルで起きている出来事を国民国家の国益対立という古い枠組みで説明しようとしていたからだ、と。国民国家同士が競合的に国益を奪い合っている。そういうゼロサム的な国家対立の図式をあてはめると、イスラーム圏で起きていることはぜんぜん意味がわからない。みんなクロスボーダーで移動していますしね。誰が国民で、誰が外国人なのか、誰が市民で、誰がテロリストなのか、識別できないという状況が各国であるのですね。

結局、中東専門家の政治学者たちの現状分析というのが僕にはまったく意味がわからなかった。意味がわからないというより、ロジックがわからなかった。僕は決してそれほど歴史や宗教について無知ではないし、理解力だってふつうにあります。それがわからないというのは、彼らが使っている標準的な学問的な道具そのものがここには適用できないものじゃないのかという気持ちが出てきたのですよ。そのときに先生と出会って、カリフ制再興という運動を知ったわけなのです。そのとき、近現代の中東の出来事を、カリフ制と領域国民国家の間の熾烈(しれつ)な戦いとして見ると、イスラームの問題が急にクリアカットに見えてきた。考えてみたら、イスラーム圏の人たちにしてみたら、日常的に「イスラーム圏の政治問題」を生きているわけで、専門家以外には理解不能というくらいに複雑怪奇なものであったら、そんな世界では誰も生きていけない。でも、16億の人たちはその世界を毎日ふつうに生きている。ということは、そこに展開している物語はそれほど複雑でも怪奇でもなく、実際はかなりシンプルなものだということになります。
なにしろ1924年までカリフがいたなんてことは、中田先生言われるまで知りませんでしたので。カリフの空位期間はわずか90年なのですよね。これを「カリフ制が終わってから90年」と数えるか、「カリフが空位になって90年」と数えるかでは、イスラーム世界の風景はまったく違ったものとして見えてくるんじゃないか。
だったら、「じゃあ、またカリフが戻ってくるかもしれない」と考えておいた方がいい。そういう可能性はどれほど少なくても勘定に入れておきたい。僕は武道家なので、予想外のことに遭遇して、驚かされるということが嫌なんです。武道家は驚かされてはいけない。腰を抜かしちゃいけない。慌てちゃいけない。そのためにどうするかというと、「起こりそうにないこと」も列挙できるだけ列挙して備えておく。そして、こまめに驚く。人が驚かないようなときにもまめに驚いておく。これ、とても大事なんです。人が「たいしたことないよ」と無視するような変化でも、「なんか想定外のことが起きるのかなあ・・・」とびくびくしながら見守っている。すると、「ここ一番」という変化に遭遇したときにもあまり驚かされない。これは僕の経験則なのです。幸い、僕は中田先生と出会って「びっくりした」ので、この「びっくり」のおかげで、これから後、イスラームの問題で「そんなことが起きるとは思わなかった」と不意打ちを食らって腰を抜かすリスクが劇的に軽減したと思うのです。
どう考えても、イスラーム問題で、西側世界の人間が一番びっくりするのは「カリフ制再興」ですからね。これ以上に過激な話というのは僕は思いつかない。
カリフ制が再興して16億のイスラーム共同体がそこに成立して、これまでイスラーム諸国として区切られていた国民国家が段階的にではあれ、消滅してしまう。
このシナリオは決して「ありえない」ものではない。極端ではありますけれど、政治的な選択としては想定可能です。少なくとも、今起きている中東の政治的混乱を「カリフ制」と「領域国家」の間の根本的矛盾というスキームでとらえると、見通しはきわめてすっきりしたものになります。
ですから、局所的なカリフ制、不十分なカリフ制というような過渡的形態が出現する可能性は十分にあると思うのです。そのようなものが最終的に16億のムスリムがグローバルな共同体を形成するカリフ制に移行する過渡的なものとして局所的、部分的に実現されていると見立てるというのは、イスラーム世界で起きている出来事を理解する上でたいへん有効な仮説だと思います。

ヨルダンのクリスチャンもカリフを求めてる」(アフタートークから)

中田 実はあの今日のトークでお話できなかったのですけども、ヨルダンから帰ってきた留学生の話があるのです。ヨルダンにはクリスチャンが結構いるのですが、ヨルダンのクリスチャンのアラブ人が、「我々はカリフ制を求めているんだ。カリフ制が復活してくれれば、我々クリスチャンも安心して暮らせる」と言っているのだそうです。

――それは、とても重要なメッセージではないですか。

中田 カトリックなのですね。本来はカトリックも共同体を持っていますので、その辺はやっぱり、アラブという地域的な視点でも領域国民国家は間違っていると思っていますから、やはり論理的に話すとみんな納得してくれるという。クリスチャンでもそう思っているのか、と思ってすごく面白かったですけどね。本来はユダヤ教もカトリックも一神教はそういう領域国民国家という偶像や国家崇拝の偶像化と戦ってきたわけで、それが今はイスラームに変わっているわけですよ。というようなところから考えていけば西洋の方でもカリフ制の理路は理解できると思うのですけど。

――やっぱり偶像化と戦ってきたわけですよね。

中田 そうなのですよね。でもやっぱり今は勝利者史観なので、全ての教科書は国民国家の立場なんて言いはじめていますから。

――その根底から疑うというのはすごいですね。まさにパラダイムシフト。

内田 国民国家というのは一つのオプションに過ぎないわけです。アメリカにしても中国にしても、少し前のソ連にしても、そういう国家形態は一定の歴史的条件が整ったせいで成立した。それがたまたま世界の覇権国家になったために、これが唯一の正しい政治単位のかたちだとみんな信じ込まれたのですね。

中田 日本の場合は、それを信じ込ませやすい、いろいろな条件があるので、なかなかそこから自由になるのも難しいですよね。そう言っていると本当に、先生がふだんおっしゃっている通り、戦争が起きかねないという状況になっていますから。そんな悠長なことを言っていられないですよ。【了】


赤旗日曜版のインタビュー

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3月16日付け、『赤旗日曜版』にインタビューが掲載されました。
こちらには少し加筆したロングバージョンを転載しておきます。

安倍晋三首相は本音はもちろん改憲して、憲法9条を廃棄したい。だが、それはアメリカ政府の強い抵抗があって実現がむずかしい。それゆえ、アメリカの軍事活動を支援するという、アメリカから正面切って反対できない口実を掲げて、解釈改憲による「集団的自衛権」の行使容認を持ち出してきたのです。
しかし、日本が集団的自衛権を行使するというのは、政治史的に見てありえない想定です。
集団的自衛権は、同盟国が武力攻撃を受けたとき、国連が介入するまでの緊急避難的な措置として認められた権利ですが、実際にそれを行使したのは軍事的超大国ばかりです。米ソのような超大国が自国の勢力圏で起きた反政府運動、独立民主化運動を弾圧するためにこの権利を行使しました。
これまで集団的自衛権が行使された実例を見ればわかります。1960年代に始まったアメリカによるベトナム戦争、ソ連によるハンガリー(56年)、チェコスロバキア(68年)、アフガニスタン(79年)への軍事介入など、大国による勢力圏への武力干渉の事例ばかりです。日本のような「勢力圏を持たない」国が行使するような筋のものではありません。
本当に日本が集団的自衛権を行使しても「アメリカを守りたい」というのなら、まず日米安保条約を双務的なもの変えるのがことの筋目でしょう。日本が攻撃されたらアメリカが助けに来てくれる。それが片務的で恥ずかしいというのなら、アメリカが攻撃されたときに日本が助けにゆけるように日米安保条約を改定すればよろしい。
日米安保条約を「日米相互防衛条約」に変える。難しいことはありません。現行の安保条約第五条の「日本における、日米いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し」の「日本」を「日米」に一字書き換えるだけでよい。
そうすれば、アメリカ国内への武力侵攻にも日本がただちに援軍を出すことができます。
でも、そのためにはまず米国内に自衛隊基地を展開する必要があります。自国だけ米軍基地で守ってもらって、相手の国土には自衛隊基地を置かないというのでは双務的な防衛条約とは呼べないでしょう。
片務的な日米安保を放置しておいて、集団的自衛権を行使するというのは法理的に矛盾しています。アメリカに「手伝いに来い」と呼ばれたときだけ自衛隊を出すという約束なら、それは「集団的自衛の権利」の行使ではなく、「集団的自衛の義務」の履行と呼ぶべきでしょう。言葉は正確に使ってほしい。

安倍政権の政体改革は行政府への権力の集中をめざすものです。
特定秘密保護法は立法府が国政調査権を制約される点に三権分立上の大きな問題点があります。
世界史を見ればわかるとおり、独裁というのは行政府が重要な政策を立法府の審議に委ねず、閣議決定だけで実行してしまう政体のことです。行政府への権力の過剰な集中のことを「独裁」と呼ぶのであれば、安倍政権はあきらかに独裁を志向していると言わざるを得ない。
民主主義というのは意思決定に長い時間のかかる仕組みです。それが非効率だから権限をトップに委ねて「決められる政治」を実現しようと言う人々がいます。彼らは統治システムを株式会社のような組織に改組しようとしている。
しかし、民主制を株式会社のように制度改革することはできません。「文句があるなら次の選挙で落とせばいい」というのは企業経営者なら言えることですが国の統治者が口が裂けても言えないことのはずです。
株式会社は有限責任ですからどれほど経営上の失策があっても、株主の出資額以上のものは失われない。でも、国家は無限責任ですから、失政によって私たちは国土も国富も生命までも損なうリスクがある。だからこそ時間をかけた議論と合意形成が必要なのです。
安倍首相は政治とビジネスの違いが理解できていないようです。

佐藤学先生の台湾情報第三報

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台湾滞在中の佐藤学先生から速報の第三報が届きましたので、お伝えします。Twitterだと読みにくいので、ブログにあげておきました。できるだけ多くの方に読んで頂きたいと思います。

台湾情報第三報(佐藤学)

一昨日の「台湾情報第2報」は、ブログ発信のアクセス数で日本一になりました。また、その文章は直ちに翻訳されて台湾でもツィターで広がり、学生たちにも共有されています。アジアの民主化を希求する人々を繋ぐ役割をはたせたことを喜んでいます。
行政院の学生たちへの機動隊による暴力以後の情報を伝えます。26日の昨日は、朝から機動隊の学生に対する暴力への批判が強まりました。立法院を占拠している学生たちは「学生の暴動」ではなく「国家の暴力」であると訴えました。学生たちはフェイスブックの顔写真の部分を黒く塗って、機動隊の暴力の事実を伝えあい、その全貌を明らかにする作業を続けています。ところが、このフェイスブックの情報が何者かによって次々に消去される暴挙が起こっています。
立法院を占拠している学生たちの冷静で賢明な闘いは市民の支持を獲得しています。先の「台湾情報」で、学生運動が53人の学長の支持表明を獲得していること、世論調査で83%の人々が、立法院を占拠する学生たちの対話要求に馬英九が応じるべきだと回答していることをお知らせしました。昨日の世論調査では、70%の人々が学生運動を支持すると回答しています。さらに、中国との自由経済協定立法の前に中国政府と馬英九との「秘密交渉」を許さないために政府間の交渉を公開する管理法を学生たちは提案しているのですが、この提案について75%の人々が支持すると回答しています。
これら広範な支持を背景として、学生運動は一定の勝利を収めつつあります。一つは、行政院への突入を指導した責任者として逮捕された学生が無罪として釈放されました。学生たちの要求する馬英九との「対談」については、馬英九はこの要求を無視できなくなり、総統府での「会話」に応じると返答しました。また警察は、機動隊の暴力行為の事実を認めて謝罪しました。さらに民進党は、立法院の委員会で成立した自由経済法案がわずか30秒の国民党議員内部の一方的決議であったことから、「違法」であると言明しました。これらは学生運動の成果です。
しかし、本格的闘いはこれからです。立法院(国会)は国民党が多数を占めているので、立法院を占拠している学生たちが排除されれば、自由経済協定は簡単に可決されてしまいます。そうなると中国の巨大な資本が台湾を買い上げてしまうでしょう。馬英九は総統府で「会話」に応じると学生に伝えましたが、学生たちが求めているのは公開の場における「対話」です。学生たちは馬英九の承認した「会話」には応じないと返答しています。賢明な判断です。
学生たちの冷静沈着で賢明な闘いは、大学生たちのほぼ全員の支持と大多数の参加、大多数の市民の支持を獲得しています。名物の夜市の屋台が立法院のまわりに集まって、闘う学生たちに無料で食事を提供しています。昨日は、タクシー協会が学生支持を表明し、タクシーのデモを行いました。ほとんどの国民が「学生たちを尊敬する」「学生たちの勇気に感謝する」と語っています。私は台北教育大学大学院で講演と集中講義を行っているのですが、ほぼすべての教授が学生運動を支援し、「素晴らしい学生たちだ」「学生たちを尊敬する」「学生たちに感謝する」と語っています。立ち上がったすべての学生たちは、私から見ても感動的なほど素晴らしい学生たちです。私も学生の正義と勇気と民主主義と祖国を愛する姿に心からの敬意を表明しています。
大学の動きですが、台湾全土の大学で学生たちが立ち上がりました。ほとんどの学長、教授たちは学生たちを支持しています。それに対して、国家教育部は緊急に全国の学長を集め、教授が学生を扇動しないよう忠告し、学生運動の抑圧策を講じています。しかし、ほとんどの学長と教授たちの学生運動の支持は崩れることはないと思われます。
テレビと新聞のニュース報道は毎日24時間、学生運動の情報を伝えていますが、情報は混乱していますし、真実を伝えていないので、学生たちはブログとフェイスブックのネット通信で事実と真実を見極めています。しかし、ニュースを通じて愉快な話題が台湾市民の間で話題になっています。一つは、「太陽餅」(台中市の名物)の話題です。行政院の副秘書官が占拠した学生の[暴力]の証拠として「私の部屋の餅が一つ食べられた」とテレビで語った(笑)のですが、翌日、匿名の市民が「太陽餅」150箱(1500個)を贈ったのです。1990年の学生運動が「野百合革命」と呼ばれたのに対して、今回の学生運動は「太陽花(ひまわり)革命」と呼ばれています。「太陽餅」は「太陽花革命」のシンボルになりました。副秘書官はテレビで「贈り物には感謝する」というピンボケの応答をして笑ってしまいましたが、受け取りは拒否し立法院に送ったものだから、学生運動の学生たちは「ありがとう!」と笑顔で叫んで食べました。(太陽餅は民主餅として大人気になり、売りきれ。)
そのほかに、いろいろな話題がニュースで報道されています。立法院の院長はもと台湾大学の政治学者ですが、これまでの政治学者としての格好いい発言に対して今回の政治対応はひどいものでした。それを憤った学生たちは院長のリコール署名を始めましたが、その書名に彼の娘が署名して話題になっています。
まだまだ闘いは続きます。今日のNJKテレビは「立法院は民主主義の象徴であるため、占拠している学生の排除は難しいと考えられ、まだ解決の見通しはたっていません」という趣旨の報道をしていましたが、まったくまちがっています。立法院の学生占拠が続いているのは、国民の大多数が学生たちを支持しているからです。そして、学生たちの勇気ある闘いが敗北すれば、台湾の民主主義と独立が破壊されてしまうからです。
台湾の学生たちは今月30日に、世界各国の留学生たちが連帯してデモを行い、報道の虚偽を批判して真実を伝える行動を行います。日本の留学生も立ち上がるでしょう。ぜひ彼らと対話し、台湾と日本の民主主義者の連帯を築き上げましょう。
最後に、何度も繰り返しますが、祖国と民主主義のために立ち上がった台湾の学生たちの思慮深い勇気ある闘いを尊敬し、支持します。

佐藤学先生の台湾速報(その4・最終報)

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佐藤先生の台湾情報最終報をお伝えします。
佐藤先生、貴重な情報をお伝えくださいまして、ありがとうございました。これからあと、私たちも台湾の学生たちへの連帯の気持ちをなんとか具体的なかたちにしてゆきたいと願っております。

台湾情報第4信(最終報)佐藤学

昨日、6日間の台湾への滞在を終えて、台北から東京に帰ってきました。立法院を学生が占拠してから10日目でした。学生による「パリコミューン」の状態が10日間、続いているわけです。これほどの歴史的事件に遭遇し、数々の感銘を受けるとともに、アジアの将来について深く考えさせられました。
現在、馬英九総統の国家権力と学生たちの関係は拮抗状態にあり、膠着状態に入っています。この闘いは、その当初から沈着で冷静で静かな闘いとして展開していました。11日前に立法院の委員会でわずか30秒の国民党内の議員の内輪話で法案が成立し、それに抗議するデモ隊の学生(台湾大学と精華大学の学生)が立法院(国会)の窓が一枚あいているのを発見して、そこから約100人の学生が乱入して立法院を占拠したのが始まりです。この学生たちは機動隊を40名に限って立法院に入れることを認め、機動隊も敵対関係ではなく協調的な関係で、立法院の占拠が続きました。
異変が起きたのは、23日、馬英九が国際記者クラブで学生たちを愚弄する発言を行い、それに激怒した学生の一部が行政院(政府)に突入して占拠。その深夜11時から午前4時にかけて馬英九は機動隊の暴力によって行政院から学生を実力で排除しました。この一連の動きで、明らかに馬英九は学生を挑発し「暴力学生」を演出させて、一挙に鎮圧する意図だったと思います。実際、私が確認した行政院の突撃舞台には、明らかにヤクザや暴力団と思われる人物が相当数、入っていました。(檳榔を食べ刺青をしている学生はいません。)
しかし、この謀略も馬英九の愚作と学生たちの賢明な行動によって、完全に破たんしました。あまりにも残虐な機動隊による流血事件は市民の怒りを呼び起こしました。(実は、台湾では数か月前に軍隊が若者を虐待死した事件があり、その時のデモは25万人に達していました。この怒りの延長線上に、今回の事件があります。)
馬英九は、もはや機動隊や軍隊によって学生たちを立法院から追い出すことは不可能です。前回の通信でお知らせしたように、世論調査では83%の市民が、馬英九は学生の対話要求に応じるべきだと主張していますし、約70%の市民が学生運動の支持を表明しています。この事態が膠着状態を生み出しています。
テレビや新聞の報道はエキセントリックに声を張り上げ、しかも虚偽の情報を発信し、事実を歪めて報道しています。それに対して、学生たちや市民たちの対話は柔らかく、思慮深く、知性的です。この対比こそ私が最も印象づけられたことです。
たとえば、街角の一つの光景です。焼き芋の屋台に一人の人が買いに行くと、その屋台の主人は「申し訳ないね。この焼き芋は今から立法院の集会に参加している学生たちに届けてやろうと思っているんだ」すると、そのお客は「あんたも貧しいだろうから、その焼き芋の代金を俺がはらってやるよ」と金を置いていったのです。こういう光景が、毎日、いたるところで展開されています。たとえば、夜遅く、集会やデモから帰る学生がタクシーをとめるとタクシーは無料で自宅まで送ってくれるそうです。
有名になったエピソードとしては、電気屋さんの協力があります。立法院は窓が締め切られ、内部の照明は煌々と照らされ、しかもエアコンは動かないようにされているので、空気が悪く、しかも外でも30度に達する気候で蒸しぶろ状態です。学生たちの健康を気遣って、医科大学や病院の教授や医師たちが何十人も常駐して健康管理にあたっていますが、それでも過酷な状態です。それを見かねた電気屋さんが立法院に入り、エアコンが作動するように工事をしてくれました。彼は一躍、台湾の人気者になっています。
そのような話は山ほどあります。学生運動のトップのリーダーの林飛帆(台湾大学大学院生)は、今や若者の英雄であり、彼が着ているジャケットは「民主ジャケット」としてたちまち売り切れなりました。大陸の中国で学生運動をなじっている元国民党議員が、テレビで「ほら見てごらんなさい。学生運動をそそのかしているのは民進党ですよ。あの黄色の山を見てください。あれは民進党が贈ったバナナですよ。」と報じたものだから、市民と学生の笑い話になっています。なぜなら、彼が指さした黄色の山は「バナナ」ではなく「ひまわり」で、彼は、今回の学生運動が「ひまわり革命」と呼ばれて展開している事実も知らないで、報道していたからです。これ以来、「バナナ=ひまわり」は、前の通信でお知らせした「太陽餅=太陽花(ひまわり)」と同じ、大うけのジョークになっています。これら、どのエピソードにも、悲愴感はありません。
一昨日、学生たちの間に緊張が走りました。学生たちは秘密の連絡網で情報を交換しているのですが、そこに「信頼できる議員からの秘密の情報で、今晩、馬英九は軍隊を準備して隙を伺っているので、決して一人で行動しないように」という情報でした。しかし、これも30分後には、学生たちを夜の集会に出させないための謀略情報であることが判明しました。すべては、このように緊迫した中で展開しています。
明後日の30日、台湾中の都市で市民と学生は集会とデモを行います。それに連動して、世界中の留学生たちが、台湾の危機と真実を訴えて集会とデモを行います。この学生たちの闘いに対して、どの教授も市民も「学生たちの勇気に感謝する」「学生たちの真摯で思慮深い行動を尊敬する」と述べています。私も同感です。彼らの闘いがアジアの民主主義の次の一歩を準備することは確実です。これからも、その歩みに学び続けたいと思います。(完)

平田オリザさんからの台湾速報

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佐藤学先生と入れ替わるように台湾の大学で集中講義をされた平田オリザさんから、台湾事情についてたいへん興味深いレポートが寄せられました。
ふうむ、そういうことなのか・・・

第一報(4月4日)

佐藤先生と入れ替わりで、四月一日から台湾に来ています。国立台北藝術大学で五日間の集中講義(ワークショップ)をしています。

立法院の占拠は、政府が強攻策をとるという噂もあれば、このまま持久戦に持ち込んで学生が疲れるのを待つのではないかという説もあります。今週は台湾の大学は、もともと休みなので(私は、その期間を利用して行う公開講座の講師として呼ばれたのですが)、大学が再開される来週からが山場かもしれません。

私がいまいるのは、芸術系の大学ですので、教授陣も全員が学生側を支持しています。今回は特に、「サービス貿易協定」で言論の自由を実質的に封殺される可能性の高い演劇、映画、出版界などからの支持が強いようです。
30日(日)のデモには50万人、全国では70万人以上の人々がデモに参加したといわれています。「台湾の人は普段は政治に無関心な人間が多いのに、これは異常な数字だ」と、私を招いてくれた教授も言っていました。馬英九の支持率は、実質は5%を切っているのではないかと噂されています。

今回の学生運動と、その支持が大きく広がったのは、運動の過程を通じて、中国資本の浸透が思っていた以上に進んでいたという事実が、はからずも露呈したということがあるようです。
たとえば、地方から運動に参加する学生たちがバスをチャーターしようとしたところ、多くのバス会社に中国資本が入っており、バスを貸さないという事態が起こった。あるいは、テレビは中国資本の影響(直接的な資本参加とCMのスポンサーとしての影響)が強いので、公平な報道をしていないといった事実。こういったことが重なって一般市民が危機感を強めたようです。
たまたま、先週は香港にいたのですが、香港でも、中国資本による柔らかい言論封殺への危機感が叫ばれていました。30日のデモでは、香港でも800人の市民が連帯を示すデモをしました。
私の中国の友人も、「いま中国は、共産党とグローバリズムの二つの抑圧を受けている」と言います。韓国などでは成立した「経済の繁栄が民主化を促す」というモデルが、完全に破綻した世界に、私たちは生きていると認識すべきなのかもしれません。

明日の夜には帰国なので、もう少し早くご報告出来れば良かったのですが、朝から夕方まで授業をしているので、ご連絡が遅くなりました。

第二報(4月5日)

いま、台北の松山空港です。すべての日程を終えて、搭乗を待っているところです。
やはり、今日、明日にも警官隊が突入するのではないかと噂になっています。昨日まで通常の装備だった警察隊が、昨夜から防弾チョッキなどを身につけているとも言われています。暴力行為が心配されます。大統領は週明けには立法院を正常化する方針のようです。

私は佐藤先生のように現場に行ったりしたわけではないので、あくまで側聞に過ぎませんが、大きな問題点をいくつか、まとめてみました。

1.台湾の産業の空洞化は、ある意味では日本以上に進んでいて、大企業の工場の中国移転はすでに完了している。問題は、その大企業が大陸で儲けた金が台湾に戻ってくるときに、現在は大きく課税されいるが、新しい協定ではこれがなくなる。要するに儲かるのは大企業に投資した資本家たちだけ。その投資家たちは、台湾で金を使うわけでもないし(国民党に献金はするだろうが)、納税するわけでもないし、国内に再投資をするわけでもない。一方、現在、九割以上と言われる台湾の中小企業は、中国資本の進出によって壊滅的な打撃を受ける。

2.国民党は台湾全土にネットワークを持っていて選挙に強い。そのため、国会議員の選挙では、民進党はなかなか勝てない。総統選挙で勝ったとしても少数与党になりがち。また、反国民党が党是のような野党体質の党なので、派閥が多く内紛も絶えない。といった背景から、もともとあんまり政治に関心のない台湾国民は、「やっぱり安心なのは国民党」という感じで巨大与党を選んだら、それが暴走し始めて現在に至っている。という、どこかの国の近い将来を予感させる状態になっている。

3.これほど広範囲な運動になったのは、前回報告したように、中国資本に対する漠然
とした不安が顕在化したことにある。誰も、台湾が中国に飲み込まれることを望んでい
ない。

中国嫌いの安倍政権にとっては、今回の反対運動はシンパシーを持つべきものだと思いますが、それは一方で、経済のグローバル化に反対するという自己矛盾を起こします。世界がバルカン化する状況の中で、反中国色を強めながら、いわゆる「中国化」していることに無自覚な安倍政権の外交政策が、よりいっそう迷走することも懸念されます。

最後に私の仕事について。今回のミッションは、五日間、毎日6時間ワークショップをするというものでした。今日は最後の成果発表の日で、28人が4チームに分かれて15分ほどの劇を作り上演しました。
ある班のストーリーは、以下のようなものでした。

・河口湖畔のホテル、富士山のいちばんよく見えるスイートルームが舞台。この部屋は子作りパワースポットしても有名。
・そこに中国人の夫婦が、子作りのためにやってくる。
・部屋でくつろごうとすると、バスルームから台湾人の女性が出てくる。どうもダブルブッキングしたらしい。
・いろいろもめるが、オーナーを呼んでくることになる。
・オーナーは、このホテルを最近買い取った中国人で、当然、中国人夫婦の味方をする。
・台湾人女性、怒って部屋の中で座り込みを決行(ここで観客から大拍手)
・台湾人女性のフィアンセのアメリカ人実業家が遅れてやってくる。
・アメリカ人実業家との提携話を進めるために、中国人オーナーは、突如、台湾人女性の味方をする。中国人夫婦激怒。
・オーナー権限で全員、退去させられて、台湾人女性とアメリカ人のフィアンセが残る。台湾人女性は、早く子作りをしようと迫る。しかし、アメリカ人は東洋かぶれで、「もう儲けるだけ儲けたから、全財産を寄付して、日本で出家する」と言って去って行く。
・ここで、掃除にやって来た日本人女性従業員と中国人オーナーの不倫がばれる。共働きの日本人従業員の夫が泣き出す。台湾人女性は、アメリカ人を追いかけて出て行く。
・みな、部屋に戻ってくる。日本人女性従業員が、オーナーの子供を身ごもっていることを告白。中国人夫婦が「どこで身ごもったの?」と聞くと、女性従業員から「下の部屋です」という答えが返ってきて、夫婦は急いで子作りのために下の部屋に移動。中国人オーナーは、「これでどうにかして」と札束を女性従業員に投げつけて逃げ去る。
・残った日本人夫婦が、窓の外を眺めながら、「やっぱり富士山いいよね」としんみり話していると、富士山が噴火し始める。

この劇を作った学生たちに聞くと、このホテルのスイートルーム自体が尖閣諸島のイメージなのだそうです。単純なネトウヨの人とか怒るんでしょうけど、でも、この芝居における台湾学生の国別好感度は、台湾-日本-アメリカ-中国なんですね。

楽しい五日間でした。

大阪大学コミュケーションデザインセンター外部評価報告書

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阪大のコミュニケーションデザイン・センター外部評価委員を委嘱された。
平田オリザさんからのご依頼であるので喜んでお引き受けした。
村上陽一郎先生を委員長とする評価委員会の報告書がさきほど届いたので、その中の自分の書いた分だけを採録する。


評価書(内田樹)        

1.組織と運営

a.すぐれている点
コミュニケーションデザイン・センターの設立趣旨はたいへんユニークで、かつすぐれたものと評価できる。領域を異にする専門家間の、あるいは専門家と非専門家間のコミュニケーションは、特異な能力を持った媒介者の存在なしには果し得ない。
しかし、この機能を担いうる「架橋する知性」あるいは「トリックスター的知性」を評価する伝統は日本の大学には存在しなかった。ひとつには、そのような知性を育てる効率的なプログラムが知られていなかったからであり、ひとつには架橋的な活動を数値的に評価する基準が存在しなかったからである。阪大のコミュニケーションデザイン・センターはこの先例のない、組織的に運営することの困難な研究教育活動の中心となるという野心的な企てである。その創発性は結果の成否を措いても評価に値する。

b・改善を求める点
創発的であるということは、言い換えれば、「これまで誰も取り組まなかった」ということであり、それはその事業の困難さを意味している。それゆえ、すぐれた点はそのまま問題点に転化する。
架橋的知性の育成については「こうすればうまくゆく」という経験知の蓄積が日本の大学には存在しない。いきおい、教育活動は試行錯誤の繰り返しにならざるを得ない。これまでのところコミュニケーションデザイン・センターの教育的取り組みは失敗もなく、十分な成果を上げているように見えるが、これは立ち上げメンバーの「意気込み」がオーバーアチーブをもたらしたと見るべきであろう。センターの活動がある程度ルーティン化したあとも、同質のオーバーアチーブを次世代以降の教員たちに継続的に期待できるかどうか。ただし、これは先の心配なので、「改善を要する点」とは言えない。
 もう一つ、コミュニケーションの生産性・豊穣性は「始めて見るまで、どこにゆくのかわからない」という予見不能性にあり、このような研究教育活動は「中期計画を示せ」とか「PDCAサイクルを回せ」というようなタイプの評価枠組みにはなじみが悪い。その点についてはしかるべき理論武装が必要だと思う。

2.教育

a.すぐれている点
 対話的・双方向的教育、専門的な社会知との接続など、多くの創意がみられ、成果も十分なものと評価される。

b.改善を求める点
 これも同じ話になるが、対話的・双方向的な教育活動というのは、臨機応変にあらゆる素材を教育的に活用できる教員の属人的資質に依存しており、この資質もまたマニュアル化することも、体系的に教育することもできないタイプの知的能力である。日本の大学教育はこういうタイプの知力を開発するプログラムを有していない。これもまたどうやってその任に堪える教員をどうやって継続的に供給するのかということが問題になる。

3.研究

a.すぐれている点
 協働型実践研究において、センターそのものがさまざまな他領域とのコミュニケーション実践を行い、それ自体を教育の場とするという発想がすぐれている。

b.改善を求める点
 特になし。

4.広報・社学連携活動

a.すぐれている点
 活動の特異性を伝える工夫はなされている。

b.改善を求める点
 「特異な活動をしている」ということはわかるが、その実績を社会に告知する媒体力が弱いように見える。書籍の有料頒布は制度的にできないという説明があったが、学校会計には研究教育活動で得られた収入の「戻入」という制度があるはずである(前任校では叢書の売り上げを毎年大学会計に戻していた)。一般書店での販売を視野にいれれば、研究誌の作り方はずいぶん変わるのではないかと思う。

5.自由記述

原理的なことを言うと、コミュニケーション能力というのは「円滑にコミュニケーションを進める力」のことではなく、「コミュニケーション失調に陥った状態から立ち直る能力」、「中断している回路を開通させる能力」のことである。コミュニケーション不全を「治療する能力」と言ってもよい。
すぐれた臨床医の場合と同じで、そのためには「使えるものは全部使う」というプラグマティズムと「出たとこ勝負」という覚悟が必要である。
こういう臨機応変の瞬発力を涵養するためにどういう体系的プログラムがありうるかということになると私にもわからない。とりあえずは、「そういうことができてしまう教員や専門家」たちを探し出して、学生院生たちの前に並べて、その手際を見せるしかないように思う。ある意味では、職人が弟子に伝えるような「技術知の継承モデル」である。現在の大学教育ではこのタイプの教育モデルは「前近代的」として廃絶されつつあるが、ぜひコミュニケーションデザイン・センターではこの貴重な学統を次代に繋いでいって欲しい。

法治から人治へ

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安倍政権は集団的自衛権の行使について、行使の範囲を明確にしない方向をあきらかにした。
「行使を容認できるケースを『放置すれば日本の安全に重大な影響が及ぶ場合』と定義し、これが自衛権を発動できる『わが国を防衛するための必要最小限度の範囲』に入ると新たに解釈する。『重大な影響』『必要最小限度』の基準が何を指すかは解釈変更後の政策判断や法整備に委ねる。
今の政府解釈は、武力行使が許される必要最小限度の範囲を『わが国が攻撃(侵害)された場合に限られる』と明示し、個別的自衛権だけ認めている。政府原案は、これに集団的自衛権の一部が含まれると新たに解釈するものだ。政府は解釈変更後に個別の法律で行使の範囲を示し、法で縛ることで行使は限定されると説明する方針。だが、憲法上の解釈が『安全に重大な影響』と曖昧では、時の政府の判断で範囲が際限なく広がる可能性があり、歯止めはなくなる。
政府原案では、憲法九条の下で禁じてきたイラク戦争(二〇〇三年)のような多国間による海外での武力制裁への参加も、憲法が禁じる国際紛争には当たらないとの新解釈を打ち出すことを検討していることも判明。政府解釈として確定すれば、他国の武力行使と一体化するとし、違憲と判断してきた戦闘地域での多国籍軍への武器・弾薬などの補給や輸送も可能になる。
首相の私的諮問機関『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』(安保法制懇)は、同様の内容の報告書を五月の連休明けに提出する予定。安倍政権は報告書を受けた後に原案の「政府方針」をつくり、自民、公明両党との協議に入る。合意すれば政府として閣議決定し、憲法解釈を変更したい考えだ。」(東京新聞、4月17日朝刊)
この記事を読んで、さまざまな印象を持つ人がいるだろう。
私の印象は一言で言うと、「憲法が軽くなっている」ということである。
「法律が軽くなっている」という言い方でもよい。
法条文そのものにはもはや何の重みもなく、運用者の権威や人気が憲法や法律に優先するというのが、現代日本の支配的な「気分」である。
私の例を話す。
先日兵庫県のある団体から憲法記念日の講演依頼があった。護憲の立場から安倍政権の進めている改憲運動を論じて欲しいという要請だった。むろん引き受けた。
主催団体はこれまで二度援集会を後援してくれた神戸市と神戸市教育委員会に今回も後援依頼をした。だが、後援は断られた。
後援拒否の理由は「昨今の社会情勢を鑑み、『改憲』『護憲』の政治的主張があり、憲法集会そのものが政治的中立性を損なう可能性がある」ということであった。
この発言はたいへんに重い。
たぶん発令者は気づいていないだろうが、たいへんに重い。
というのは、「改憲」「護憲」についての政治的主張をなすのはどれほど大規模な政治勢力を率いていても「私人」であるが、行政はどれほど小規模な組織であっても「公人」としてふるまうことを義務づけられているからである。
この発言は「公務員の憲法遵守義務」を事実上否定した。
その点で憲政史上大きな意味をもっている。
市長も教育委員も特別職地方公務員である。
憲法99条は公務員が「この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定めている。
30年前私が東京都の公務員に採用されたときにも「憲法と法律を遵守します」という誓約書に署名捺印した。当然、神戸市長も教育委員たちもその誓約をなした上で辞令の交付を受けたはずである。にもかかわらず、彼らは彼ら自身の義務であり、かつ公的に誓約したはずの「憲法を尊重し擁護する義務」を「政治的中立性を損なう」ふるまいだと判定した。
改憲派である総理大臣が高い内閣支持率を誇っている。そうである以上、護憲論は今のところ「反政府的」な理説である。お上に楯突く行為を行政が後援すれば政府から「お叱り」を受けるのではないか。
そう忖度した役人が市役所内にいたのだろう。
立憲主義の政体においては、憲法は統治権力の正当性の唯一の法的根拠であり、いかなる公的行為も憲法に違背することは許されない。しかるに、神戸市は「時の権力者が憲法に対して持つ私見」に基づいて、公務員の憲法遵守義務は解除され得るという前例を残した。
繰り返し言うが、公務員たちが私人としてのどのような憲法観・法律観を抱いているか、個々の条文についてその適否をどう判断しているかはまさに憲法19条が保障するところの思想良心の自由に属する。しかし、彼らにしてもひとたび公人としてふるまう場合は「憲法を尊重し擁護する義務」を免ぜられることはない。
憲法は私人から見れば一個の法的擬制に過ぎない。だが、公務員にとってはその職務の根本規範である。
私人と公人の区別がわからない人が公務を執行する国を「法治国家」と呼んでよいのだろうか。
一昨日の新聞では、高知の土佐電鉄が護憲を訴える車体広告の掲載を拒否したという記事が出ていた。
ある市民団体が毎年憲法記念日にあわせて「守ろう9条」などの護憲メッセージを車体広告に掲げた「平和憲法号」と名づけられた路面電車を走らせてきたが、今年は電鉄会社に広告の掲載を拒絶された。
数名の市民から「意見広告ではないか」という抗議が寄せられたためだという。
電鉄側は「世論が変われば意見広告ととられることもあり、政治的な問題になってしまったので運行は中止する」と説明した。
ここでもまた「憲法を尊重し擁護しよう」という主張は「私人の政治的私見」に過ぎず、公共性を持たないという見解が示されている。
電鉄会社は私企業であるから、公務員よりもある意味正直である。
彼らははっきりと「世論が変わった」のかどうかが法律にどういう規定があるかよりも重要であると考えたのである。
憲法98条にはこうある。
「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部はその効力を有しない」
この会社は「憲法は国の最高法規である」がゆえにそれを遵守することが望ましいという市民団体の主張を「世論になじまない」という理由で退けた。
法律よりも世論の方が大事だ、というのは民間企業にとってはある種の「本音」なのかも知れない。
そもそも私企業の場合、経営者が改憲派であり、その私見を「護憲広告の掲載を拒否」というかたちで表明しても、公務員とは違って「憲法遵守義務」に違背しているわけではない。
憲法にそう書いてある。
しかし、官民挙げての憲法軽視は重大な「潮目の変化」の徴候である。
これは日本の統治原理が「法治」から「人治」に変わりつつあることを示しているからである。
特定秘密保護法によって、憲法21条、「表現の自由と集会・結社の自由」については事実上空文化した。絶望的に煩瑣で意味不明な条文によって(一度読んでみるといい)国民の権利は大幅に縮減された。
その一方で、今進められている解釈改憲は法律を「どう解釈するのも政府の自由」という政府への気前のよい権限委譲をめざしている。
つまり、国民の権利は法律によってがんじがらめに制約される一方で、政府の支配力は法律を弾力的に解釈し運用する権利を自らに与えることによってひたすら肥大化している。
政府が法律条文や判例とかかわりなく、そのつどの自己都合で憲法や法律の解釈を変え、その適否については「世論の支持」があるかどうかで最終的に判断されるというルールのことを「人治」と呼ぶ。
世論がどう言おうと、権力者がどう言おうと「法律で決まっていることはまげられない。まげたければ法律を変えなさい」という頑なさが法治すなわち立憲主義の骨法である。「法律が何を定めているのかはそのつどの政府が適宜解釈する。いやなら次の選挙で落とせばいい」というのは法治の否定である。
法律は世論や選挙の得票率とはかかわりなく継続的でかつ一意的なものでなければならない。そのつど「私が『民意』を代表している」と自称する人間の恣意によって朝令暮改ころころと法律解釈が変わるような統治形態のことを「人治」と言うのである。
集団的自衛権行使について、それを政府解釈に一任させようとする流れにおいて、安倍内閣はあらわに反立憲主義的であり(彼が大嫌いな)中国と北朝鮮の統治スタイルに日ごと酷似してきていることに安倍支持層の人々がまったく気づいていないように見えるのが私にはまことに不思議でならない。

NewYork Times 「日本の平和憲法」

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5月8日付けのNew York Times の社説Japan's Pacifist Constitution が、日本の民主制がいよいよ危機的状況に直面していると報じた。
改憲の動きにアメリカはこれまでもつよい警戒心と不快感を示してきたが、官邸はアメリカの反対をかわす意図で、「憲法をいじらずに解釈改憲で実質的に九条を空洞化する」戦術を選択した。
これまでのところ、ホワイトハウスは解釈改憲が専一的にアメリカの軍事戦略への協力をめざすものであるという説明を受け入れてきたが、ニューヨークタイムズに代表されるアメリカのリベラル派の世論は安倍内閣の「積極平和主義」路線がその本質においてアメリカの国是である民主主義そのものを否定するモメントを含んでいることを指摘している。
アメリカの政治理念を否定する政権がアメリカの戦略的パートナーであるということは、開発独裁や対露、対中戦略を見るとありうることである。
ニューヨークタイムズの懸念は理解できるが、「あの国は嫌いだけれど、利用できるなら利用する」というマキャベリズムをホワイトハウスはいずれ採用するだろう。その点、アメリカはドライである。
ただ、アメリカの知識階級から日本は「自ら進んで成熟した民主主義を捨てて、開発独裁国にカテゴリー変更しようとしている歴史上最初の国」とみなされつつあることは記憶しておいた方がいいだろう。


記事は以下のとおり。

日本の安倍晋三首相は日本軍の役割を拡大して、領土外で同盟国とともに戦う方向に突き進んでいる。彼のいわゆる「積極的平和主義」によってより広汎な地球規模での安全についての責任を担うことをめざしている。
しかし、彼の前には巨大な障害がある。憲法九条である。この条項は今年ノーベル平和賞候補にノミネートされたばかりであるが、「国権の発動たる戦争を永久に放棄する」と謳っている。軍事力行使の変更という安倍氏の目的は憲法の改定を必要とするが、これは両院での三分の二の賛成と、その後の国民投票を意味している。きびしい注文である。それゆえ、改憲ではなく安倍氏は憲法の内閣解釈を変えることで憲法九条を空文化することをめざしている。しかし、このような行為は民主的なプロセスを根底的に掘り崩すことになるだろう。
安倍氏の最終的な目標は第二次世界大戦後に米軍によって起草され、日本国民に押しつけられた憲法を別のものと置き換えることである。過去67年間、憲法はその一語も改定されていない。憲法が日本の主権にとって邪魔くさい制約であり、時代遅れのものだと感じてる。しかし、批判勢力が指摘しているように、彼は憲法の第一の機能が行政府の力を制御することにあるということを知るべきである。憲法というのはときの政府の恣意によって改定されてよいものではない。それで構わないというのであれば、そもそも憲法などという面倒なものを持つ理由がなくなる。
このままことが進むなら連立政権の相手であり、平和主義的傾向の強い公明党だけしか安倍氏の野心を抑制することはできない。公明党抜きでは安倍政権は参院での過半数を制することができないからである。安倍氏が公明党にも受け入れられるような憲法解釈を必死で探っているのはそのためである。他の八野党は混迷のうちにある。
安倍氏は強い政治力を発揮しており、日本は民主制の真の試練に直面している。(Japan is facing a genuine test of its democracy)

ここまで。

文中で興味深いのは「積極的平和主義」を記事がwhat he calls proactive pacifism と訳している点。「彼のいわゆる先取り的平和主義」。まだ何も起きていないうちに「これはいずれ平和を乱すことになるかもしれない」と判断したら他国への武力攻撃を含む干渉を行う立場というニュアンスがこのproactive pacifism にこめられている。
語の選択に安倍政権が東アジアで戦争を始めるリスクファクターになりつつあることへの懸念が表明されている。


半分あきらめて生きる

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半分あきらめて生きる

「半分あきらめて生きる」という不思議なお題を頂いた。「あるがままの自己を肯定し、受け入れるためには、上手にあきらめることも必要なのでは。閉塞感漂う現代社会でどう生きていけばいいのか」という寄稿依頼の趣旨が付されていた。 
 『児童心理』という媒体からのご依頼であるから、不適切な(過大な)自己評価をしている子供たちの自己評価を下方修正させることの効用と、そのための実践的な手順についてのお訊ねなのであろうと思った。
 なぜ私にそのような原稿発注があったかというと、ずいぶん前に学校教育について論じた中で、「教師のたいせつな仕事のひとつは子供たちの過大な自己評価を適正なレベルにまで下方修正することにある」と書いたことがあるからである。これはたしかにほんとうの話で、「宇宙飛行士になる」とか「アイドルになる」とか「サッカー選手になる」とかいうことを「将来の夢」として小学生が卒業文集に書く分には可憐だが、二十歳過ぎて仕事もしないで家でごろごろしている人間が語ると少しもかわいげがない。そういう人はどこかで「進路修正」のタイミングを失したのである。むろん、そういう人の中にも10万人にひとりくらいの割合で、それからほんとうにNASAに就職したり、グラミー賞を受賞したり、セリエAにスカウトされたりする人も出てくることがあるので、あまり断定的には言えないが、そういう「起死回生の逆転劇」を演じられるような大ぶりな若者は年寄りの説教など端から耳を貸さないので、こちらががみがみ言ったくらいで「大輪と咲くはずだった才能が開花せずに終わった」というような悲劇は起きないから、いささかも懸念するには及ばないのである。
というようなことを書いたかに記憶している。その意見は今も変わらない。才能というのはまわりの人間がその開花を妨害しようとすればつぶせるようなやわなものではない。むしろ「自分をつぶしにかかっている」という現実そのものを滋養にして開花するのである。説教くさい一般論ですぐにつぶれてしまうような才能は「才能」とは呼ばれない。
真にイノベーティブな才能は、その人の出現によって、それまで「旧いシステム」に寄食していた何千人か何万人かの面目を丸つぶれにしたり、失業に追いやってしまうものなのであるから、その出現が「既得権益者」によって妨害されて当然なのである。万人がその出現を諸手を挙げて歓迎する才能などというものはこの世に存在しない。
かつて白川静は孔子を評してこう書いたことがある。
「孔子の世系についての『史記』などにしるす物語はすべて虚構である。孔子はおそらく、名もない巫女の子として、早くに孤児となり、卑賤のうちに成長したのであろう。そしてそのことが、人間についてはじめて深い凝視を寄せたこの偉大な哲人を生み出したのであろう。思想は富貴の身分から生まれるものではない」。(白川静、『孔子伝』、中公文庫、2003年、26頁)
思想は富貴の身分から生まれるものではないというのは白川静が実存を賭けて書いた一行である。「富貴の身分」というのはこの世の中の仕組みにスマート適応して、しかるべき権力や財貨や威信や人望を得て、今あるままの世界の中で愉快に暮らしていける「才能」のことである。「富貴の人」はこの世界の仕組みについて根源的な考察をする必要を感じない(健康な人間が自分の循環器系や内分泌系の仕組みに興味を持たないのと同じである)。「人間いかに生きるべきか」というような問いを自分に向けることもない(彼ら自身がすでに成功者であるのに、どこに自己陶冶のロールモデルを探す必要があるだろう)。富貴の人は根源的になることがない。そのやり方を知らないし、その必要もない。そういう人間から思想が生まれることはないと白川静は言ったのである。
同じようなことを鈴木大拙も書いていた。『日本的霊性』において、平安時代に宗教はなく、それは鎌倉時代に人が「大地の霊」に触れたときに始まったという理説を基礎づける中で大拙はこう書いている。
「享楽主義が現実に肯定される世界には、宗教はない。万葉時代は、まだ幼稚な原始性のままだから、宗教は育たぬ。平安時代に入りては、日本人もいくらか考えてよさそうなものであったが、都の文化教育者はあまりに現世的であった。外からの刺激がないから、反省の機会はない。(・・・)宗教は現世利益の祈りからは生まれぬ。」(鈴木大拙、『日本的霊性』、岩波文庫、1972年、41-42頁)
白川静が「思想」と呼んでいるものと、鈴木大拙が「宗教」と呼んでいるものは、呼び方は違うが中身は変わらない。世界のありようを根源的にとらえ、人間たちに生き方を指南し、さらにひとりひとりの生きる力を賦活する、そのような言葉を語りうることである。思想であれ宗教であれ、あるいは学術であれ芸術であれ、語るに足るものは「富貴の身分」や「享楽主義」や「現世利益」からは生まれない。二人の老賢人はそう教えている。
これが話の前提である。私が問題にしているのは「真の才能」である。なぜ、私が「自己評価の下方修正」についての原稿をまず「真の才能とは何か?」という問いから始めたかというと、「真の才能」を一方の極に措定しておかないと、「才能」についての話は始まらないからである。というのは、私たちがふだん日常生活の中でうるさく論じ、その成功や失敗について気に病んでいるのは、はっきり言って「どうでもいい才能」のことだからである。
「富貴」をもたらし、「享楽主義」や「現世利益」とも相性がよいのは「どうでもいい才能」である。それは思想とも宗教とも関係がない。そんなものは「あっても、なくても、どうでもいい」と私は思う。
ところが現代人は、まさにその「あっても、なくても、どうでもいい才能」の多寡をあげつらい、格付けに勤しみ、優劣勝敗巧拙をうるさく言挙げする。
今の世の中で「才能」と呼ばれているものは、一言で言ってしまえば「この世界のシステムを熟知し、それを巧みに活用することで自己利益を増大させる能力」のことである。「才能ある人」たちはこの世の中の仕組みを理解し、その知識を利用して、「いい思い」をしている。彼らは、なぜこの世の中はこのような構造になっているのか、どのような与件によってこの構造はかたちづくられ、どのような条件が失われたときに瓦解するのかといったことには知的資源を用いない。この世の中の今の仕組みが崩れるというのは、「富貴の人」にとっては「最も考えたくないこと」だからである。考えたくないことは、考えない。フランス革命の前の王侯たちはそうだったし、ソ連崩壊前の「ノーメンクラトゥーラ」もそうだった。そして、「考えたくないことは考えない」でいるうちに、しばしば「最も考えたくないこと」が起き、それについて何の備えもしていなかった人たちは大伽藍の瓦礫とともに、大地の裂け目に呑み込まれて行った。
この世のシステムはいずれ崩壊する。これは約束してもいい。いつ、どういうかたちで崩壊するのかはわからない。でも、必ず崩壊する。歴史を振り返る限り、これに例外はない。250年間続いた徳川幕府も崩壊したし、世界の五大国に列した大日本帝国も崩壊した。戦後日本の政体もいずれ崩壊する。それがいつ、どういうかたちで起きるのかは予測できないが。
私たちが「真の才能」を重んじるのは、それだけが「そういうとき」に備えているからである。「真の才能」だけが「そういうとき」に、どこに踏みとどまればいいのか、何にしがみつけばいいのか、どこに向かって走ればいいのか、それを指示できる。「真の才能」はつねに世界のありようを根源的なところからとらえる訓練をしてきたからだ。
問題は「すべてが崩れる」ことではない。すべてが崩れるように見えるカオス的状況においても、局所的には秩序が残ることである。「真の才能」はそれを感知できる。
カオスにおいても秩序は均質的には崩れない。激しく崩れる部分と、部分的秩序が生き延びる場が混在するのがカオスなのである。どれほど世の中が崩れても、崩れずに残るものがある。それなしでは人間が集団的に生きてゆくことができない制度はどんな場合でも残るか、あるいは瓦礫の中から真っ先に再生する。どれほど悲惨な難民キャンプでも、そこに暮らす人々の争いを鎮めるための司法の場と、傷つき病んだ人を受け容れるための医療の場と、子供たちを成熟に導くための教育の場と、死者を悼み、神の加護と慈悲を祈るための霊的な場だけは残る。そこが人間性の最後の砦だからである。それが失われたらもう人間は集団的には生きてゆけない。
裁きと癒しと学びと祈りという根源的な仕事を担うためには一定数の「おとな」が存在しなければならない。別に成員の全員が「おとな」である必要はない。せめて一割程度の人間がどれほど世の中がめちゃくちゃになっても、この四つの根源的な仕事を担ってくれるならば、システムが瓦解した後でも、カオスの大海に島のように浮かぶその「条理の通る場」を足がかりにして、私たちはまた新しいシステムを作り上げることができる。私はそんなふうに考えている。
自分の将来について考えるときに、「死ぬまで、この社会は今あるような社会のままだろう」ということを不可疑の前提として、このシステムの中で「費用対効果のよい生き方」を探す子供たちと、「いつか、この社会は予測もつかないようなかたちで破局を迎えるのではあるまいか」という漠然とした不安に囚われ、その日に備えておかなければならないと考える子供たちがいる。「平時対応」の子供たちと「非常時対応」の子供たちと言い換えてもいい。実は、彼らはそれぞれの「モード」に従って何かを「あきらめている」。「平時対応」を選んだ子供たちは、「もしものとき」に自分が営々として築いてきたもの、地位や名誉や財貨や文化資本が「紙くず」になるリスクを負っている。「非常時対応」の子供たちは、「もしものとき」に備えるために、今のシステムで人々がありがたがっている諸々の価値の追求を断念している。どのような破局的場面でも揺るがぬような確かな思想的背骨を求めつつ同時に「富貴」であることはできないからである。
人間は何かを諦めなければならない。これに例外はない。自分が平時向きの人間であるか、非常時向きの人間であるかを私たちは自己決定することができない。それは生得的な「傾向」として私たちの身体に刻みつけられている。それが言うところの「あるがままの自己」である。だから、「あるがままの自己」を受け入れるということは、「システムが順調に機能しているときは羽振りがよいが、カオスには対応できない」という無能の様態を選ぶか、「破局的状況で生き延びる力はあるが、システムが順調に機能しているときはぱっとしない」という無能の様態を選ぶかの二者択一をなすということである。どちらかを取れば、どちらかを諦めなければならない。
以上は一般論である。そして、より現実的な問題は編集者が示唆したとおり、今私たちがいるのが「閉塞感漂う現代社会」の中だということである。
「閉塞感」というのは、システムがすでに順調に機能しなくなり始めていることの徴候である。制度が、立ち上がったときの鮮度を失い、劣化し、あちこちで崩れ始めているとき、私たちは「閉塞感」を覚える。そこにはもう「生き生きとしたもの」が感じられないからだ。壁の隙間から腐臭が漂い、みずみずしいエネルギーが流れているはずの器官が硬直して、もろもろの制度がすでに可塑性や流動性を失っている。今の日本はそうなっている。それは上から下までみんな感じている。システムの受益者たちでさえ、このシステムを延命させることにしだいに困難を覚え始めている。一番スマートな人たちは、そろそろ店を畳んで、溜め込んだ個人資産を無傷で持ち出して、「日本ではないところ」に逃げる用意を始めている。シンガポールや香港に租税回避したり、子供たちを中学から海外の学校に送り出す趨勢や、日本語より英語ができることをありがたがる風潮は、その「逃げ支度」のひとつの徴候である。彼らはシステムが瓦解する場には居合わせたくないのである。破局的な事態が訪れたあと、損壊を免れたわずかばかりの資源と手元に残っただけの道具を使って、瓦礫から「新しい社会」を再建するというような面倒な仕事を彼らは引き受ける気がない。
だから、私たちがこの先頼りにできるのは、今のところあまりスマートには見えないけれど、いずれ「ひどいこと」が起きたときに、どこにも逃げず、ここに踏みとどまって、ささやかだが、それなりに条理の通った、手触りの優しい場、人間が共同的に生きることのできる場所を手作りしてくれる人々だということになる。私はそう思っている。
いずれそのような重大な責務を担うことになる子供たちは、たぶん今の学校教育の場ではあまり「ぱっとしない」のだろうと思う。「これを勉強するといいことがある」というタイプの利益誘導にさっぱり反応せず、「グローバル人材育成」戦略にも乗らず、「英語ができる日本人」にもなりたがる様子もなく、遠い眼をして物思いに耽っている。彼らはたしかに何かを「あきらめている」のだが、それは地平線の遠くに「どんなことがあっても、あきらめてはいけないもの」を望見しているからである。たぶんそうだと思う。

世阿弥の身体論

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というお題での寄稿を「観世」から頂いた。
書いてはみたけれど、ぜんぜん世阿弥の身体論が出てこない文章になってしまった・・・
観世流の広報誌という一般の方が読む機会のない媒体なので、ブログに転載して、ご高覧に供したい。
「いつもの、あの話」ですので、あまり期待しないように。

世阿弥の身体論

平安末期から室町時代にかけて能楽と武芸と鎌倉仏教が完成した。それらは日本列島でその時期に起きたパラダイムシフトの相異なる三つ相であるという仮説を私にはしばらく前から取り憑かれている。そういうときには「同じ話」をあちこちで角度を変え、切り口を変えながら繰り返すことになる。今回は能楽の専門誌から「世阿弥の身体論」というお題を頂いたことを奇貨として、「同じ話」を能楽に引き寄せて論じてみたい。

武道と能楽と鎌倉仏教を同列に論ずる人が私の他にいるかどうか知らない。たぶんいないと思う。私の鎌倉仏教についての理解はほとんどが鈴木大拙の『日本的霊性』からの請け売りだが、武道と能楽については自分の身体実感に基づいている。身体は脳よりも自由である。だから、ふつうはあまり結びつけられないものについても、「これって『あれ』じゃない?」という気づき方をすることがある。武道と能楽と鎌倉仏教が「同一のパラダイムシフトの三つの相」だという直感も、頭で考えたものではなくて、身体が勝手に気づいたことである。居合の稽古中に、門人に剣の操作について説明しているときに、能楽の「すり足」の術理に思い至り、それが鈴木大拙の『日本的霊性』の中の鎌倉仏教についての説明につながって、「ああ、そういうことなのか」と腑に落ちたのである。などという説明ではどなたにも意味がわからないはずなので、順を追って話すことにする。
薩摩示現流の流祖に東郷重位(しげかた)という人がいた。城下に野犬が出て人々が困っているという話を聞きつけて、重位の息子が友人と野犬を斬りに行った。何十匹か斬り殺してから家に戻り、刀の手入れをしながら、「あれだけ野犬を斬ったが、一度も切先が地面に触れなかった」と剣をたくみに制御できたおのれの腕前を友に誇った。隣室で息子たちの会話を聞いていた東郷重位はそれを聞き咎めて、「切先が地面に触れなかったことなど誇ってはならない」と言って、「斬るとはこういうことだ」と脇差で目の前にあった碁盤を両断し、畳を両断し、根太まで切り下ろしてみせた。
私の合気道の師である多田宏先生は稽古で剣を使うときには必ずまずこの話をされる。剣技の本質をまっすぐに衝いた逸話だからである。重位が息子に教えたのは剣技とは「自分の持つ力を発揮する」技術ではなく、むしろ「外部から到来する、制御できない力に自分の身体を捧げる」技術だということである。
剣というのは、扱ってみるとわかるが、手の延長として便利に使える刃物のことではない。そうではなくて、剣を手にすると自分の身体が整うのである。私が剣を扱うのではなく、剣が私を「あるべきかたち」へ導くのである。
「身体が整う」「身体がまとまる」というのが剣を擬したときの体感である。ひとりではできないことが剣を手にしたことでできるようになる。構えが決まると足裏から大きな力が身体の中に流れ込んで来て、それが刀身を通って、剣尖からほとばしり出るような感じがすることがある。そのとき人間は剣を制御する「主体」ではもはやなく、ある野生の力の通り道になっている。
東郷重位は「斬るとはこういうことだ」と言って、地面に深々と斬り込むほどの剣勢を示してみせたが、人間の筋力を以てしては木製の碁盤を斬ることはできない。むろん鉄製の甲冑を斬ることもできない。できないはずである。でも、それができる人がいる。それらの剣聖たちの逸話が教えるのは、彼らは「人間の力」を使っていなかったということである。
解剖学的にも生理学的にも人間には出せるはずのない力を発動する技術がある。良導体となって野生の力を人間の世界に発現する技術がある。それが武芸である。今のところ私はそのように理解している。
それが能楽とどう繋がるのか。
古代に「海部(あまべ)」「飼部(うまかひべ)」という職能民がいた。「海部」は操船の技術、飼部は騎乗の技術を以て天皇に仕えた。それぞれ「風と水の力」「野生獣の力」という自然エネルギーを人間にとって有用なものに変換する技術に熟達していた人々である。この二つの職能民がヘゲモニーを争って、最終的に「騎馬武者」が「海民」に勝利したのが源平合戦である。
この戦いで、騎馬武者たちは馬の野生の力をただ高速移動のために利用しただけでなく、「人馬一体」となることで人間単独では引くことのできぬほどの強弓を引き、人間単独では操作することのできないほど重く長い槍を振り回してみせた。
那須与一が屋島の戦いで船に掲げられた扇を射抜いた話は広く知られているが、与一はこのとき騎射をしている。的は揺れる船の上にある。砂浜に立って静止して射る方が精度が高いのではないかと私は思っていたが、たぶんそうではないのだ。騎射するとき、乗り手は馬の筋肉をおのれのそれと連結させて、人間単体にはできないことをし遂げる。だから騎射の方が強度も精度も高いのである。そのような技術の到達点を那須与一は示したのである。
他にも、源氏の側の軍功にはその卓越した「野生獣の制御技術」にかかわるものが多い(義経は難所鵯越(ひよどりごえ)を騎馬で下り、木曾義仲は倶利伽羅(くりから)峠の戦いで数百頭の牛を平家の陣に放った)。
それも源平の戦いが、海民と騎手が「自然力の制御技術」の強さと巧みさを競ったのだと考えると筋が通る。戦いは「野生獣のエネルギーを御する一族」が「風と水のエネルギーを御する一族」を滅ぼして終わった。けれども、能楽にはにこのとき敗れ去った海民の文化を惜しむ心情がゆたかに伏流している。
古代に演芸を伝えた職能民たちは「獣の力」よりもむしろ「風と水の力」に親しみを感じる海民の系譜に連なっていたのではあるまいか。海幸彦・山幸彦の神話でも、戦いに敗れ、おのれの敗北のさまを繰り返し演じてみせる「俳優(わざおぎ)」の祖となったのは漁(すなど)りを業とする海幸彦の方である。
今さら言うまでもなく、能楽には『敦盛』『清経』『船弁慶』をはじめ『平家物語』の平家方に取材した曲の方が多い。そればかりか龍神・水神が水しぶきを上げて舞い(『竹生島』『岩船』)、船が海を勇壮に進む情景を叙し(『高砂』)、海浜の風景や松籟の音を好む(『松風』『弱法師』)。ここにかつて「風と水のエネルギー」を御して列島に覇を唱えた一族への挽歌を読むのはそれほど無稽な想像ではないのではないか。

「飼部」が体系化した「弓馬の道」はわれわれの修業している武芸のおおもとのかたちである。それは野生の力と親しみ、身を整えてその力を受け入れ、わが身をいわば「供物」として捧げることでその強大な力を発動させる技法である。能楽に通じた人なら、この定義がシテに求められている資質ときわめて近いことに気づくはずである。
能楽は起源においては呪術的な儀礼であった。その断片は今日でも『翁』や『三番叟』に残っている。シャーマンがトランス状態に入って、神霊・死霊を呼び寄せ、彼らにその恨みや悲しみや口惜しさを語らせ、その物語を観衆たちともども歌い、舞い、集団的なカタルシスとして経験することで「災いをなすもの、祟りをなすもの」を鎮める。おそらくはそのようなものであったはずである。起源的に言えば、シテは巫覡(ふげき)であり、祭司である。おのれの「自我」を一時的に停止させ、その身を神霊に委ねる。ただ、その巨大なエネルギーは能舞台という定型化された空間に封じ込められ、美的表象として限定的に発露することしか許されない。それが舞台からはみ出して、人間の世界に入り込まないように、人間の世界と神霊の世界を切り分ける境界線については、いくつもの約束事が能楽には定められている。
例えば、シテは舞い納めて橋懸かりから鏡の間に入るとき、自分で足を止めてはならない。後見に止められるまで歩き続ける。それはあたかもシテに取り憑いた神霊が、後見が身体を止めた瞬間に、そのまま惰性で身体から抜け出すのを支援するかのような動作である。あるいは演能中にシテが意識を失ったり、急な発作で倒れたりした場合も舞台は止めてはならない。後見はシテを切り戸口から引き出した後、シテに代わって最後まで舞い納めて、舞台におろした霊をふたたび「上げる」責任がある。

私がなにより能楽のきわだった特徴だとみなすのは「すり足」である。「すり足」の起源については諸説あるが、温帯モンスーン地帯で泥濘の中を歩むという自然条件が要求したごく合理的な歩行法であるという武智鉄二説には十分な説得力がある。膝をゆるめ、股関節の可動域をひろく取り、足裏全体に荷重を散し、そっと滑るように泥濘の上を歩む。たしかにヨーロッパ人が石畳を踵から打ち下ろすような仕方で泥濘を歩めば、脚を泥にとられ、身動きならなくなるだろう。しかし、「すり足」を要求したのは、そのような物理的理由だけにはとどまらない。
温帯モンスーンの湿潤な気候と生い茂る照葉樹林という豊穣で、宥和的な生態学的環境は、そこに住む人々にある種の身体運用の「傾向」を作り出しはしなかったであろうか。「すり足」は言い方を換えれば、足裏の感度を最大化して、地面とのゆるやかな、親しみ深い交流を享受する歩行法である。そうやって触れる大地は、そこに種を撒くと、収穫の時には豊かな収穫をもたらす「贈与者」である。列島における私たちの祖先たちは、その泥濘の上を一歩進むごとに、「おのれを養うもの」と触れ合っていた。贈与者との直接的な触れ合いを足裏から伝わる湿気や粘り気から感じ取っていたはずである。おのれを養う、贈与者たる大地との一歩ごとの接触という宗教的な感覚が身体運用に影響しないはずがない。
能楽には「拍子を踏む」という動作がある。強く踏みならす場合もあるし、かたちだけで音を立てない場合もあるが、いずれにせよ「地の神霊への挨拶」であることに違いはない。土地の神を安んじ鎮めるために盃にたたえた酒を地面に振り注ぐ儀礼は古代中国では「興」と呼ばれたと白川静は書いているが、それは「地鎮」の儀礼として現代日本にも残っている。酒を注ぐと地霊は目覚める。そして、儀礼を行った人間の思いに応えて、祝福をなす。この信憑は稲作文化圏には広くゆきわたっているものであろう。
足拍子もまた、神社の拝殿で鈴を鳴らすのと同じく、地霊を呼び起こすための合図であったのだと思う。それは逆から言えば、足拍子を踏むとき以外、人間は地霊が目覚めぬように、静かに、音を立てず、振動を起こさぬように、滑るように地面を歩まねばならぬという身体運用上の「しばり」をも意味している。「すり足」とはこの地霊・地祇の住まいする大地との慎み深い交流を、かたちとして示したものではあるまいか。一歩進むごとに大地との親しみを味わい、自然の恵みへの感謝を告げ、ときには大地からの祝福を促すような歩き方を、日本列島の住民たちはその自然との固有なかかわり方の中で選択したのではあるまいか。

私が「すり足」に特にこだわるのは、この「すり足」的メンタリティから鎌倉仏教が生まれたというのが鈴木大拙の「日本的霊性」仮説の核心的な命題だからである。
大拙はその『日本的霊性論』において、古代においても、平安時代においても、日本人にはまだ宗教を自前で作り出すほどの霊的成熟には達していなかったと書いている。日本において本格的に宗教が成立するのは鎌倉時代、親鸞を以て嚆矢(こうし)とする。というのが大拙の説である。その親鸞も京都で教理を学問として学んでいたときには宗教の本質にいまだ触れ得ていない。親鸞が日本的霊性の覚醒を経験するのは大地との触れ合いを通じてである。

「人間は大地において自然と人間との交錯を経験する。人間はその力を大地に加えて農産物の収穫に努める。大地は人間の力に応じてこれを助ける。人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。誠が深ければ深いだけ大地はこれを助ける。(・・・)大地は詐らぬ、欺かぬ、またごまかされぬ。」(鈴木大拙、『日本的霊性』、岩波文庫、1972年、44頁、強調は鈴木)
「それゆえ宗教は、親しく大地の上に起臥する人間-即ち農民の中から出るときに、最も真実性をもつ。」(45頁)
 
大宮人たちの都会文化は洗練されてはいたが、「自然との交錯」がなかった。『方丈記』に記すように、「京のならひなに事につけても、みなもとは田舎をこそたのめる」のが都会文化の実相である。都会には「なまもの」がない。加工され、人為の手垢のついた商品しかない。そして、大拙によれば、自然との交流のないところに宗教は生まれない。

「大地を通さねばならぬ。大地を通すというのは、大地と人間の感応道交の在るところを通すとの義である。」(45頁)

だから、都市貴族は没落し、農村を拠点とする武士が勃興する必然性があったと大拙は説く。
 
「平安文化はどうしても大地からの文化に置き換えられねばならなかった。その大地を代表したものは、地方に地盤をもつ、直接農民と交渉していた武士である。それゆえ大宮人は、どうしても武家の門前に屈伏すべきであった。武家に武力という物理的・勢力的なものがあったがためでない。彼らの脚跟(きゃっこん)が、深く地中に食い込んでいたからである。歴史家は、これを経済力と物質力(または腕力)と言うかも知れぬ。しかし自分は、大地の霊と言う。」(49頁)
 
流刑以後、関東でひとりの田夫として生きた親鸞は「大地の霊」との出会いを通じて一種の回心を経験した。「深く地中に食い込む脚跟」の、その素足の足裏から、大地から送られる巨大な野生の力、無尽蔵の生成と贈与の力が流れ込んでくるのを経験した。そのような力動的・生成的なしかた超越者が切迫してくるのを感知したとき、日本的霊性は誕生した。大拙はそう仮説している。
そして、「大地の霊」との霊的交流は、能楽の誕生、武芸の体系化とほぼ同時期の出来事であった。この三つの出来事の間には深いつながりがある。列島住民が経験したある地殻変動的な文化的土壌の変化がこの三つの領域ではっきりしたかたちを取った。他にもこのパラダイムシフトが別のかたちで露頭した文化現象があるのかも知れないが、私の思弁がたどりついたのは、はとりあえずここまでである。
世阿弥の能楽は海民文化をどのように受け継いでいるのか、世阿弥の技術論において「大地の霊」との交錯はどのように表象されているのか、興味深い論件はまだいくつ手つかずのまま残されている。いずれそれらについても語る機会があるだろう。

GQの人生相談6月号

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Q1 抽象的な質問なんですけど、漠然たる不安を感じています。これを打ち払うにはどうすればよいでしょうか。

「漠然たる不安」というのは、未来が見通せないということなんでしょうね、きっと。でも、未来はいつだって不透明ですよ。僕の知る限り、僕の生まれた1950年からあと63年間、先行きがクリアーに見通せたことなんか、一度もないですよ。
50年代の終わりは、いつ核戦争が起きて世界が滅びるかわからなかったし、60年代は世界中で革命闘争が展開していて、体制は全部崩れそうだったし、80年代はやけくそな蕩尽に浮かれていたし・・・、そしてそのつど「思いがけないこと」が起きて、時代ががらりと方向転換したのでした。
確かに原発事故処理も震災からの復興も遅れているし、首都圏直下型地震や南海トラフ地震がいつ来るかわからないし、解釈改憲で戦争に巻き込まれるリスクも高まっているし、国の赤字は積もる一方だし……。いろいろ不安のたねはあります。でも、この程度の国なら他にいくらもありますよ。だから、そんなに心配しなくても大丈夫です。
心配しているような「思いがけないこと」が来ないと言っているんじゃありません。それはやっぱり来るんです。そして、システムががたがたになる。これは避けようがない。でも、日本は他の国とくらべると「負けしろ」の厚さがだいぶ違いますから。地震が来ようが、国債が暴落しようが、年金制度が崩壊しようが、そのときはそのとき、国が破れても山河が残っている限りは大丈夫です。なんとかなります。
「負けしろ」が日本にはあります。
それは豊かな自然です。国土の68%が森林なんです。これほどの森林率の国は先進国にはノルウェー以外にありません。多様な植生があり、さまざまな動物が繁殖し、きれいな水があふれるように流れ、強い風がよどんだ大気を吹き払う。日本のこの自然環境には値札がつけられません。
経済の話をするとき、エコノミストはみんな「フロー」の話しかしません。でも、日本には「眼に見えないストック」があります。目の前にあるのでありがたみがわからないのですけれど、改めてそれを金を出して買おうとしたら1000兆円出しても買えないような資産です。それはまず自然資源です。飲料水がいくらでも湧き出ている。水のほとんどをマレーシアから輸入しているシンガポールから見たら羨ましくなるほどの資産です。
でも、日本人は自分たちがそんな豊かな資産を享受していることを知りません。
第二が銃による犯罪がほとんどないこと。アメリカは銃で年間3万人が死んでいます。一昨年、日本では銃による死者は年間4人でした。殺人発生件数もほぼ世界最低です。このレベルの治安を仮にアメリカやメキシコやブラジルで実現しようとしたら国が破産するほどの天文学的なコストを要するでしょう。
それだけの資産がとりあえずここにある。
その他に温泉もあるし、神社仏閣もあるし、伝統芸能もあるし、ご飯は美味しいし、接客サービスは世界一だし・・・、国民的な「ストック」はさまざまにあるわけです。
でも、経済成長論者の方たちはこのストックをゼロ査定しておいて、フローがないカネがないと騒いでいる。日本がほんとうは豊かな国であること、みんなでフェアにわかち合えば、ずいぶん愉快に暮らせることをひた隠しにしている。そして、経済成長しなかったらもすぐに国が滅びるというような煽りをしている。
だから、原発は再稼働するしかない、消費増税もするしかない、賃金も下げるしかない・・・と勝手なことを言っています。でも、彼らは日本には豊かな山河と文化的蓄積があることを故意に言い落とします。それをたいせつに使っていれば、別にシンガポールのような自転車操業をする必要なんかないということは決して言わない。水も食べ物もエネルギーもすべて金を出して買わないと生きてゆけない国と比べて「経済成長への熱意が足りない」と言うのははなから無理なんです。
麻雀で点棒が5万点ある人と、箱シタの人では打ち方が違うじゃないですか。箱シタは「後がない」から、ハイリスク・ハイリターンな打ち方をするしかない。点棒がざくざくある人はリスクは冒さないで、高い手も安手も自由自在に打ち回せる。「金持ち喧嘩せず」です。でも、だいたい金持ちが勝つんです。経済成長論者は「それがイヤだ」と言っているんです。もっとひりひりするようなバクチを打ちたい、と。そのためには「点棒」を一度全部失った方がいいと(無意識に)思っている。
だからこそ彼らは原発を稼働したがるんです。うまくすればもう一度事故が起きて、国が破れたとき「帰るべき山河」さえ失われるから。だからこそ移民を入れたがるんです。うまくすれば国内の治安が悪化して、暴力的な排外主義運動や民族対立が起きるから。だからこそカジノを作りたがる。うまくすれば勤勉な労働者たちが一攫千金を夢見て、眼を血走らせてバクチにのめりこみ家産を失ってホームレスになるから。
ほんとうにそうなることを経済成長論者は願っているんです。そうなれば日本の「負けしろ」はなくなり、彼らが夢見る「シンガポールみたいな国」になる他なくなりますから。
ですから、どうせ 「不安」を抱くとしたら、日本が向っているこのような未来について不安を抱く方がいいと思いますよ。

Q2 20代男子です。やっぱり年金には入っておいた方がよいでしょうか? 年金制度は崩壊する、ということを耳にしたのでおたずねします。

年金というのは「政府に対する信用」に基づいているという意味では通貨と同じです。「日本円が使えなくなるらしい」と聞いた日本人たちが「じゃあもう日本円をドルに換えよう」と一斉に動いたら、日本円はたちまち紙くずになります。日本銀行券が通貨として機能しているのは、日本銀行が発行するこのぺらぺらな紙切れに価値があると「みんなが思っている」からです。1万円札の製造コストは40円ですから、残り9960円は幻想なんです。その幻想が機能するのは要するに「日本国はこれからも健全に機能する」と日本人たちが何の根拠もなく信じているからです。
年金だって同じです。年金制度が成り立つのは無窮の国民国家という幻想です。日本国は100年後も200年後も存在していて、まともに統治されているということを前提にして年金制度は設計されているし、日本円で貯金もできる。もしかすると、あと10年か20年くらいで日本は破産国家になるかもしれないと思っていたら、日本円なんか誰も買いません。
日本の年金制度や健康保険制度は世界で最も優れている制度の一つだと思います。制度自体は。ただし、国民の信用供与によって成立しているので、みんなが国を信用しなくなったらその瞬間に崩壊する。
オレは年金なんか払わない。自分の尻は自分で拭く。だから、政府はオレのカネに手を出すなと言う人がいたとします。でも、この人が守ろうとしている「カネ」が日本円なら、彼は自分のカネを守るために、そのカネの価値を担保している日本国の信用を破壊しているんです。年金は「税金のようなもの」です。税金をみんなが払うのをやめちゃったら国家財政は破綻し、日本円は紙くずになる。
100年後も日本はあると思いますか? と問われると、僕も「あります」とは断定できません(彗星が衝突するかも知れないし、地殻変動があるかも知れないし)。でも、どんなことがあろうと、国家というのは国民からの信用供与によってはじめて成立するものです。国民が国に対して信用供与すれば、信用に値する国家ができあがり、誰も信用しないと、なるほど信頼に値しない国家ができあがる。その点では株と一緒です。みんなが買えば高くなる。みんなが売れば安くなる。国民と国家の関係はそんなふうにダイナミックで生成的な関係なんです。国民とは別に自存しているわけじゃありません。
「この国を住み易い国にしたい。そのためには身銭を切ってもいい」と思っている人の数が多ければ多いほどその国は住み易くなり、「この国は住みにくいし、先行きもわからないので、無駄に年金も税金も払いたくない」と思う人の数が増えれば増えるほど、その国はますます住みにくくなる。それだけのことです。

立憲デモクラシーの会の緊急記者会見

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2014年6月9日立憲デモクラシーの会緊急記者会見(衆議院第一議員会館) 

【参加者】
司会・杉田敦(法政大学・政治学)
山口二郎(法政大学・政治学)
西谷修(立教大学・思想史)
千葉眞(国際基督教大学・政治学)
小森陽一(東京大学・日本文学)
小林節(慶應義塾大学名誉教授・憲法学)
阪口正二郎(一橋大学・憲法学)
中野晃一(上智大学・政治学)

杉田敦(法政大学・政治学):それでは「立憲デモクラシーの会」の記者会見を始めさせて頂きます。私、本日司会をいたします法政大学の政治学の杉田でございます。それではまず、山口代表のほうから、一言申し上げます。

山口二郎(法政大学・政治学): 共同代表の1人であります法政大学の山口です。このたび、安保法制懇報告および、それを基にして出されました5月15日の安倍首相記者会見の内容を中心に、今の政府が進めようとしている集団的自衛権行使容認についての見解をまとめましたので、ここで発表させていただきたいと思います。まずお配りした資料の要点の所を読み上げます。

【要点】
1 内閣の憲法解釈の変更によって憲法9条の中身を実質的に改変する安倍政権の「方向性」は、憲法に基づく政治という近代国家の立憲主義を否定するものであり、「法の支配」から恣意的な「人の支配」への逆行である。
2 首相が示した集団的自衛権を必要とする事例等は、軍事常識上ありえない「机上の空論」である。また、抑止力論だけを強調し、日本の集団的自衛権行使が他国からの攻撃を誘発し、かえって国民の生命を危険にさらすことへの考慮が全く欠けている点でも、現実的ではない。
3 「必要最小限度」の集団的自衛権の行使という概念は、「正直な嘘つき」と同様の語義矛盾である。他国と共同の軍事行動に参加した後、「必要最小限度」を超えるという理由で日本だけ撤退することなど、ありえない。また、集団的自衛権行使を可能とした後、米国からの行使要請を「必要最小限度」を超えるという理由で日本が拒絶することなど、現実的に期待できない。
4 安全保障政策の立案にあたっては、潜在的な緊張関係を持つ他国の受け止め方を視野に入れ、自国の行動が緊張を高めることのないよう注意する必要がある。歴史認識等をめぐって隣国との緊張が高まっている今、日本政府は対話によって緊張を低減させていく姿勢をより鮮明にすべきである。

次に、内容について少し補足いたします。

まず第1の立憲主義に関する問題点です。お配りした資料の声明文の次のところに『月刊自由民主 2010年2月号』のコピーを付けております。これは、民主党政権時代に小沢一郎氏が、政治主導で内閣法制局の長官を国会答弁の補佐人からはずするというような事をやっていたときに、自民党がそれを批判して出したコメントでして、四角で囲ってあるところを読みますと、「憲法は、主権者である国民が政府・国会の権限を制限するための法であるという性格を持ち、その解釈が、政治的恣意によって安易に変更されることは、国民主権の基本原則の観点から許されない」とはっきり書いているわけです。いわば私どものこの第1の論点は、2010年の自民党の見解と全く同じであります。

そういう意味で、自民党という政党も、野党時代には真にまともなことを言っていたんだなと思います。しかし、ご都合主義的に今、安倍首相の下で、立憲主義についてのまっとうな議論をかなぐり捨てているという状況であります。ともかく、自衛隊が憲法第9条のもとで、「自国の防衛に専念する」という体制は、半世紀以上続いて来たわけありまして、これは定着しているわけですね。これを一内閣の解釈変更によって、根本的に役割を変えるということは、まさに、自民党のこのペーパーが言うところの「政治的恣意による安易な変更」であります。安倍首相は外国に行きますと、明らかに中国等を念頭において、『自由』『民主主義』『法の支配』という3点セットの、政治的価値の重要性を強調するわけです。しかしながら、今回のこの内閣の、閣議決定による憲法解釈の変更をもし許せば、日本も『法の支配』ではなくて『人の支配』の国になってしまうという結果になる訳です。ここの所は、自民党政権が過去に見てきたことを思いだしていただいて、慎重に考えてもらわなければ困るという事であります。

それから第2の論点は、「国民の生命・安全を守る」という強弁についてであります。これは特に5月15日の記者発表の時の様子を念頭において我々が考えた批判なのです。要するに、集団的自衛権の行使を解禁することが本当に国民の生命・安全を守るために役立つのか。あるいはそのために必要不可欠な手段なのかという問題点であります。あの記者発表においても安倍さんは、紙芝居まで用意して、有事の際に日本人を運ぶ米国の艦船を護衛する必要があると.そのために集団的自衛権が必要だという理屈を立てたわけなのですけれども、こういった話は真に荒唐無稽であります。そもそも米国の、特に米軍の艦船に、民間の日本人が乗って、日本に帰還するなどうという事は、米軍自体はまったく想定していないわけですね。

有事の際の邦人帰還については従来防衛省、自衛隊等で、いろいろなシミュレーションをしてきたわけでありまして、そういう現実的な議論の積み重ねは無視して、集団的自衛権を認めるための、いわば道具、方便としてあのような事態を持ち出すというのも、真に非現実的な話であります。より大きな問題は、集団的自衛権を行使することが、全面的な戦争への参加につながる.そして、かえって国民を危険にさらしかねないという側面を、意図的か、あるいは無知のゆえか、無視しているという点であります。言うまでもありませんが、集団的自衛権を行使して日本が米国の艦船等を守る為に武力攻撃を一緒に行えば、向こう側にとっては、「日本は戦争を仕掛けた」という解釈をされるわけであります。

そうなると、仮に、日本の近くで有事が起こった場合、その敵対国は米国本土ではなくて、日本にある米軍基地、あるいは、更には日本の国土を攻撃することは、明らかであります。したがって、「船に乗って帰ってくる日本人を守る為に武力攻撃が必要なんだ」というわけですけども、その数百倍、数千倍の損害、人命の損失、あるいは環境破壊を引き寄せる危険性について何ら考慮していない。あるいは考慮していることを隠しているという点で、真に不誠実極まりない説明であると言わなければなりません。とりわけ、日本という国は、日本海沿岸に多数の原発を置いているわけでありまして、通常兵器による戦争は、すなわち、核戦争を意味いたします。そのような脆弱な国土を作っておいて、武力攻撃を行う、あるいは戦争状態を誘発するという事をいったいどこまで真面目に考えていたのか。この辺の問題も、安保法制懇の議論、あるいは安倍首相の議論からまったくうかがえないということであります。

3番目は「必要最小限」という言葉のまやかしであります。個別的自衛権については、その資料にありますように、「我が国に対する急迫不正の侵害」「これを排除するために他に適当な手段がない」そして「必要最小限度の実力行使にとどまる」という、3つの要件を挙げて、それを満たす場合に自衛権を発動するということが憲法上できるのだという説明をしてきたわけであります。しかし集団的自衛権の場合は、それとはまったく、その構成が違う訳でありまして、その下に書いてありますように、直接武力攻撃を受けていないのに、放置すると我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるか、ないか、という不明確な基準によって、その時々の政府が実力行使の判断をするという問題点。そして、「自国の安全への危害の可能性を未然に防ぐこと」と、「緊密な関係を有する他国を防衛すること」という二つの異なる集団的自衛権行使の目的が存在するなかで、自衛隊の任務が何で、その達成のための必要最小限度の実力行使とは何かを、政府がどのように判断するのか、明確な基準が存在していない訳であります。

さらには、攻撃を受けた密接な関係を有する他国からの要請を受けて、集団的自衛権を行使し、自衛隊が、他国軍と協力して敵国に対して実力行使をしている事態になって、「必要最小限度を超えた」という理由で日本政府が単独で戦争から「早期退出」を判断できるというのは、これは非現実的極まりない話であります。ということで、集団的自衛権というのは、いったん行使をすれば、歯止めがない。軍事力の行使は無制限のものになるという事は、明らかであります。そういう意味で、「必要最小限度の集団的自衛権」というのは、集団的自衛権の本質を誤魔化す詭弁であると言わなければなりません。

4番目は、今後の国際協調のあるべき方向性でありまして、ここは、いわゆる「安全保障のジレンマ」に言及している訳であります。つまり、こちらが侵略とか、攻撃の意思を持っていなくても、攻める力、あるいは攻めるための法的な仕組みを整備すれば、仮想敵とされている国々は当然、「攻撃を受ける」という警戒心を持って一層防衛力の強化を図る。そこから悪循環が進んでいく。これが「安全保障のジレンマ」であります。その意味で、日本は、東アジアにおいて、緊張を減らす方向での努力を、むしろすべきではないか。ここで唐突に集団的自衛権の行使を可能にするために、事実上、憲法の中身を作り替えるという事をやれば、これはむしろアジアの緊張を高める効果をもってしまうという主張であります。このような論点から今回の安倍政権の集団的自衛権行使についての見解は大きな問題をはらんでいるという事が、この見解の主旨であります。

私どものこの見解は、先ほど申しましたように、安保法制懇の報告を受けて作ったものですが、その後、この3週間くらいの間に議論はどんどん拡散しております。集団的自衛権以外の、例えば、グレーゾーン事態、マイナー自衛権とか、それから非戦闘地域の概念だとか。いろいろなことを次々と打ち出して、与党協議の中で、自衛隊の役割についての法的な縛りを外していく。あるいは役割を拡大していくという試みが繰り返されております。しかし、その中で打ち出された議論がほんの数日で撤回されるという事がありました。これは本当に、今の安倍政権、あるいは自民党の、信じがたい不誠実と言いますか、非常にいい加減な態度の表れだと言わなければなりません。ですからそこで出てきた多数の類型なるものについて、いちいち、「これはできる」「できない」といったことを議論すること自体が無意味なものであります。そういう形で、いろいろな「場合」を繰り出してきて、議論を混乱させて、そしてどこか1点でも「集団的自衛権の行使が必要である」という議論を公明党から引き出す、あるいは特殊なありもしない事例を想定して、「そういう場合は集団的自衛権を認めなければ対処できない」という世論の反応を引き出す、これが現政権のねらいです。こういう安倍政権、自民党のやり方についても非常に、私たちは怒りを持っているという現状であります。私の見解についての説明は以上とさせていただきます。

杉田敦: それでは引き続きまして、出席の呼びかけ人から順次、発言があります。

西谷修(立教大学・思想史): 立教大学の西谷です。哲学をベースにした仕事をしております。今、山口代表の話にもありましたように、今の政府のやっていることは、要するに与党内部での調整を付けるためだけにいろいろな些末な議論を出して、時間を過ごしているだけですね。それで議論をしたかのような振りをして、もう「今国会中に結論を出す」というような事を言っています。それでいったいどうなるのか。
根本的なことは、要するに解釈だけで憲法の中身を変えていいのかという事ですけれど、これは国内においても、国外においても大きな影響を持つことになります。国内においては、この前も言いましたが、当然ながらこの国の、この社会の法規範の基本的な枠組が、いわば、シロアリが食ったかのように崩れてゆく。戦後憲法体制が崩れるだけではなく、あらゆる法律の準拠性というのがなし崩しに崩れていきます。つまり政府が、法律があってなきがごとくに振舞えるということになる。
そして国外に対しては、日本がどういう姿勢を持つ国であるかということが通用しなくなります。憲法9条がありながら、じゃあ実際はどういうことをしているかということで、国際的な信用がなくなっていくわけです。この60年にわたって日本が積み上げてきた、さまざまな努力がありました。多少の政治的な考えや立場の違いはあっても、結果的に、日本は戦争はやらない、少なくとも外国に軍隊を送って人を殺すようなことはしない、他国を荒らさない、といった枠組みは守られてきた。そしてそれをベースにして日本は国際貢献をやってきたという実績があります。その実績のすべてが崩れて、信用をなくすわけです。

これは「9.11」後のアメリカを思い出させます。アメリカは「テロとの戦争」を始めることで、20世紀の戦争を通してまがりなりにも築いてきた「自由」をもたらすという――これはかなり前から神話化はしていたんですけれども――、「アメリカの正義」というものがその国際的影響力の基盤にあったはずなんですが、アフガニスタンの空爆だとか、世界の最貧国を「石器時代に返す」だとか言うことで、その信用をまったく無くしてしまった。あるいはイラクを不都合な体制を壊して、そしてその結果どうなったかといえば、あの国はもはや何十年にもわたって安定的な社会ができないような場所になってしまった。それがまたさらに色々な所に飛び火しています。それによって、アメリカが20世紀に築いてきた、国際的威信の元手がすべて崩れてしまった。それと同じように、日本も、この数十年で築いてきた信用の原資を実質的に失うことになってしまいます。
ところが今は、そういう根本的な問題から目を逸らして、目先の技術的な、それもためにするというしかないような例ばかり挙げて、それも公明党を何とか追い込むためにと、急ぎ足で場当たり的な議論をしています。「集団的自衛権」でもいいですが、戦後70年近く経って、「憲法体制をどうするか」、「これでいいのか」とか、日本の戦後は「屈辱の戦後」だったのか、あるいは「名誉ある戦後」だったのかといった根本の議論はまったくなされていません。細かい議論だけが日々、新聞紙上を賑わせ、テレビで図入りで報道されて、それだけが課題であるかのような事態になっているということです。

あまり長くならないよう、最後に1つだけ言わせていただきますと、安倍首相がよく口にする「国民の安全」とか「国民の命を守る」ということがあります。けれども、「解釈改憲」がこの間の最優先の政治課題になっていて、政治プロセスが全てそこに集中している間に、じゃあ「福島はどうなっているのか」とかは、まったく後景に退いているわけですね。まさか「アンダー・コントロール」というのをみんな信用しているわけではないでしょうが。コントロールするための日々新たな課題が生じているとか、長期に避難している人たちをどうするのかとか、最終処理場の問題もあります。その緊急であるべき対応はまともにされていない訳ですね。
あの事故対応に関心を払わず、どうしてそれで「国民の安全」「命を守る」と言えるのか。結局、それもこれも、今までずっとやってきた自民党政権が起こした問題ですが、その責任をむしろネグレクトするために、外敵を作って緊張を高めているのではないか。少なくとも、そういう事にしかなっていないわけです。
安倍首相はよく外遊にでかけます。つい最近もヨーロッパに行って「大本営発表」風のニュースが日本の国内には伝えられています。けれども、そうして遠い外国で威勢のよいことを言って、それがまた中国に対する批判だったりします。だからますます隣国との緊張を高めるような事しかならなりません。安倍首相が遠くで何かすればするほど、近くの緊張は高まっていくわけです。つい最近、アメリカの著名投資家が安倍首相を「アジアで最も危険な人物だ」と言ったようですけれども、実際、アジアの緊張緩和に関しても何もしていないわけですね。実際、悲しいことに――よく私はよく言いますけど――、悲しいことに日本は、周りに友だちがひとりもいない国です。作る努力をしてこなかったし、いまはしようともしない。それで、「向こうが折れないから悪いんだ」と言ってつっぱっている。
それで「集団的自衛権」で守ってもらおうと、「遠い友だちの戦争を手伝うんだ」といきがっているわけです。このことの異様さというのは、ちょっと考えた方がいいと思います。そんなふうに考えて、そんな振る舞いをする人たちというのは、もうほとんど病理学的な名前がつくような事態だと思います。実際、安倍首相が、安保法制懇にしろ、内閣法制局にしろ、NHKにしろ、集めてくる人たちは、我々の社会常識から考えれば、極めて異様な人たちです。そこに加わっている学者という人たちも、学会でも極めて特殊な少数派ですね。そういう人たちが国の舵を取り、それを動かそうとしている。それが政府の息がかかっているということで、メディアに――皆さんもメディアだから申し訳ないですが――、新聞紙上、テレビに取り上げられるわけです。それに対して、おかしいとか異様だといった反応が出てこないというのが、いまの日本の社会の異様さを示していると思うんですが、そのことを考えなくてはいけない。ちょっと長くなって申し訳ありません。

千葉眞(国際基督教大学・政治学): 国際基督教大学の千葉と申します。政治学を専攻しております。手短に3つの論点を、私は申し上げたいと思います。

第1点は、今も西谷さんからも出ましたが、安保法制懇への批判です。
第2点は、思慮を欠いた現政権の憲法破壊、立憲主義への暴挙は決して許されるものではないという点。
そして第3点は、現在、安倍政権は、この国会会期中(6/22まで)に「なんとかして閣議決定をしよう」という事を言い出しましたですね。今こそ総力を結集して立ち上がらないと、この国の将来は本当に危ういものになる。これらの3点を申し上げたいと思います。

(1) まず安保法制懇への批判ですけれども、結局、問題は3つあると思います。第1にこの団体は、憲法を骨抜きにし、立憲主義を破壊することに手を貸した点。憲法の定める改正手続きを否定し、憲法破壊をし、立憲主義を葬り去ろうとするこの政権に尻尾を振って、学問的および職業的良心を持つはずの人たちが、それを捨て去ってまで、こういう暴挙に加わったこと。これをやはり徹底的に批判していく必要があると思います。第2に、時の政権の支配をやりやすくするために、政権の露払いの役をし、政権に利用されることを知りながら、その意向に節操を売り渡した点。これは支配権力との距離の問題です。政権と一枚岩になってしまい、政権にお墨付きを与えるだけの御用学者集団に成りはてたということ。これまた、許しがたい暴挙だと思います。(小泉政権時代の靖国懇の方がまだ骨があったと思います。支配権力と距離を取ることを自覚していました。)第3の問題点は、これが悪しき先例となって、今後の政権もこのような手法を使用することによって、やりたい放題になったらこれは大変だという点です。
それから、安保法制懇が出しました報告書の内容に関わりますけれども、いくつもの箇所で「個別的自衛権と集団的自衛権との線引きは難しい」そして「不可能に近い」ということを繰り返し言っていますね。そして「必要最小限度」の自衛権の範囲内で、集団的自衛権を含める憲法解釈変更でなんとか、しのぎたいという主張ですね。これはやはり大きな問題だと思います。集団的自衛権というのは結局、他国の軍事的防衛、それを意味する訳ですね。ですから戦闘行為、あるいは準戦闘行為に参与するということを実質的には意味します。先ほど、山口共同代表、それから西谷さんも言われていましたが、戦闘行為になったら途中で引くということはほとんど不可能なことなのですね。憲法9条の「交戦権の否認」と真っ向から対立しています。こうした立憲主義を傍若無人に破壊する現政権の権力指向型虚偽体質にお墨付きを与える、まったくもって問題だらけの報告書になっております。

(2) 第2点はですね、この思慮を大きく欠いた現政権が、結果的に憲法破壊、立憲主義否定を大手を振って行っているという点です。結局今、現政権がやっている事は、中国や北朝鮮への挑発でしかないです。外交政策としては絶対やってはいけないリスクの大きな事を今やっているのです。仮想敵国を設けることによって、極めてタカ派的で挑発的な戦争準備外交を行っています。軍事の抑止力を保持するどころでなく、仮想敵国を挑発する馬鹿げた外交です。現在の集団安全保障論の関連でいえば、この数十年、ヨーロッパにおいても、NATO(北大西洋条約機構)への反省があって、その集団安全保障体制への大幅な依存過多で、結局、冷戦を持続してしまったという反省があるのですね。そこで1970年代初め以降、NATOという軍事的なある種の集団保障体制への依存度を弱め、OSCE(全欧安保協力機構)を設立して、両陣営に信頼醸成のメカニズムを作り、冷戦構造を克服しようとする試みを始めました。1995年には常設事務局をジュネーブに設置し、OSCEの役割は一段と強化されました。パルメ委員会の報告書(1982年)もあって、両陣営間に対話の通路を確保し、信頼醸成を作りだそうとする気運が生まれた。これは「共通の安全保障」といわれるあくまで対話と信頼醸成のメカニズムを駆使して、平和を確保する非軍事的な安全保障です。これが1990年代初頭の米ソ冷戦の終結を準備する一要因となりました。現在ではさらに非軍事的な安全保障体制が進化し、「協調的安全保障」が提唱され、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、ASEANなどが、それに基づく手法を採用しています。
 結局今、現政権がやっている事は、現代の安全保障論からいえば、時代遅れもいいところで、中国や北朝鮮を仮想敵国に仕立てあげ、挑発しようとしている。今日の日本は、「共通の安全保障」や「協調的安全保障」という非軍事の安全保障を機軸とし、これまでの平和憲法の「非戦」の信用力と信頼醸成によるソフトパワーを中心にした平和構築外交を推進すべきです。
安保法制懇の座長代理の北岡さんの発言に、安全保障の専門家のほとんどは、集団的自衛権を擁護しているというのがあったのですが、これは明らかに事実誤認です。私たちの先輩の世代では、坂本義和先生や武者小路公秀先生、百瀬宏先生ら、そして次の世代では遠藤誠治さん、佐々木寛さん、高原孝生さん、奥本京子さんたち、これらの研究者は、非軍事的な安全保障、さっき申しました「共通の安全保障」や「協調的安全保障」の枠組で安全保障をずっと考えてきたと思います。
ヨーロッパで展開した1つの大きな成果として、信頼醸成を促すOSCEのやり方から学び、軍事同盟に依存するような形から脱却して、非軍事の平和構築外交を駆使して、近隣諸国との関係を良好なものにしていこうという手法を、日本政府は今後、東アジアで追求すべきであると思います。

(3) 最後に、「国民法制懇」ができましたし、ここに小森さんもいらっしゃるわけですが、「九条の会」も明日10周年の記念会を持ちますね。その他、今回の政府の暴挙に反対する市民団体、人権団体、平和団体が、たくさんあります。今、この大きな危機に際して、とにかく一緒に連携して「声を挙げる」ということを、一生懸命やっていかないといけないと思います。本当に大変な決定的時機(カイロス)に入ってきたと思います。そのような事で、ジャーナリズム、マスコミ、報道機関の皆さんとも一緒に「声を挙げて」、全国的な規模で異議申し立てをしていくような運動を展開していく必要があると思います。そういう決定的時機ではないかと思っております。これを逃すとですね、日本の将来の歴史に大きな禍根を残すような、そういう誤った道筋に進んでしまうのではないか。こういう危機感を持っているという事を、最後に申し添えさせていただきたいと思います。

小森陽一(東京大学・日本文学):東京大学の小森です。私の専門は日本文学です。日本文学の立場から今、安倍晋三政権がやっている事を規定します。それは与党である公明党に対しての愚弄であり、同時に立憲主義そのものに対する愚弄であり、主権者である国民に対する愚弄だと思います。
ただ「愚弄」という熟語は、「侮り、からかう」という意味です。しかし安倍晋三政権がやっている事は、「からかう」などという生半可なものではなくて、「謀る(たばかる)」ことだと思いますね。「愚謀(ぐぼう)」という熟語がないので、安倍晋三政権の3つの「侮りと謀り」を批判したいと思います。

まず与党である公明党に対しての「侮りと謀り」とは、6月3日に与党協議に出した4条件を、6月6日に直ちに引き下げて3基準にするという手口です。概ね報道は出したばかりの4条件を3基準に引き下げたというふうになっています。すると、何か妥協が成立したかのような印象が、報道自体の中に出てきてしまうわけです。けれども、まずその4条件の1は、「現に戦闘を行っている他国部隊の支援」ということです。3は「戦闘現場での支援」。日本語からいってこれがどう違うのかは、説明不可能です。つまりほとんど重なっているような想定状況を非常に曖昧な言葉で言語化して、この4条件が全部揃って当てはまる場合にだけ行ってはいけないということでした。実はもう、たった1つの条件でも完全に戦闘地域に行けてしまうということだったのです。この4条件を取り下げて、3基準にした。

1つは「戦闘が行われている現場には支援しない」。もう1つは「のちに戦闘が行われている現場になったときには撤退する」と、あたかも戦闘地域では何もしないというふりをしながら、3つ目に「ただし、人道的な捜査、救助活動は例外とする」というふうにして、明らかに戦闘地域で行動をすると言っている訳です。つまり、この事が、2番目の立憲主義そのものに対する「侮りと謀り」になると思うのです。

自衛隊の海外派遣は非戦闘地域に限定するというのが、1992年、宮沢喜一政権の時にPKO法が成立したときの非常に重要な条件だった訳です。そのあと、さまざまな特措法で、小泉政権のもとで自衛隊が海外派遣されました。覚えていらっしゃると思いますけども、イラクのサマワに派遣するときに、国会で徹底追及されて、小泉純一郎首相は「自衛隊が行くところが非戦闘地域です」というふうに原因と結果をひっくり返した答弁をしました。でも昨年の11月16日の「九条の会」の全国交流討論集会のシンポジウムの中で、柳澤協二さんはこの国会での発言を小泉純一郎から引き出したことが、サマワに行った自衛隊が一発の銃弾も撃たずにかえって来れたことなのだ。そしてそれが日本の、9条を持つ日本の、国際貢献のあり方を世界に知らしめたし、理解を得たことだった、と発言されました。

去年の年末、南スーダンが戦闘状況になったときに日本の自衛隊が撤退しなければならない、その時に、1万発、弾を渡してきたかどうかっていう話にも重なります。つまり、日本の自衛隊の活動が9条の縛りの中で、「非戦闘地域」に限定されていたことが、日本の国際的な評価を高めてきたことであるわけですね。だからそこのところ、非戦闘地域という縛りをとって、自衛隊を戦闘地域に派遣して実際に戦闘行動に参加させるとくことを押し隠して、言葉のごまかしをやっているということが3つ目の、主権者である国民に対する「侮りと謀り」ということになります、

第1次安倍晋三政権が、どのようにして崩壊したか。それは2007年の9月初め、シドニーでブッシュ大統領から、泥沼状態になっているアフガニスタンに自衛隊を出せと要求されました。どこが非戦闘地域で、どこが戦闘地域なのか線引きができないアフガニスタンにPKOで自衛隊を送れと強く言われた。けれども当時の内閣法制局長が強く反対してそれができなかった。ある意味では、かつての武士が、殿様に対して、詰め腹を切る代わりに突然「おなかが痛い」と言って政権を投げ出したのです。その安倍晋三という政治家個人の「歴史的使命」のために、総理大臣が国民である自衛隊員の命を人身御供に出していいのか、ということが問題なのです。自分の名誉のために国民の命を犠牲にする政治家を総理大臣にしていていいのか。その事を私はメディアの皆さんに追及していただきたいと思います。

小林節(慶應義塾大学名誉教授・憲法学): 毎日驚くように勝手に状況が進んでしまっているのですけれども、いつも原点を確認しておきたいと思います。集団的自衛権の本質が議論の核心となっていますけれども、集団的自衛権というのはご存知の通り、「同盟国の戦に我が国は無条件で駆けつけて参戦する」これが本質なんですね。
この事は忘れられて、何か細かな状況論議に変わってしまっている。そしてその中で、「尖閣諸島は危ないでしょう」「やる事は少しだけだから」「限定的だからいいでしょう」というと、世論調査で○×△だと△が多くなると、それを○に足して、「ほら、過半数が認めているではないですか」。このトリックに対して、○か×かというと、みんな改めて集団的自衛権の本質を思い出して×をつける。それはなぜかというと、これは「日本国憲法9条に照らしてもだな」みたいな話になっているのが私は恐ろしいのですけれども、9条はどう見たって文言と、歴史的背景からいって、海外派兵を厳禁しているとしか読めない。

だからこそ、改憲論者が「私はこれは改正して、状況によっては海外派兵もあり得るという選択肢はあった方がいい」という議論をずっとしてきたわけです。ただ、今この段階で、「何いってるの」と。「9条がある以上、海外派兵が場合によってはあり得る」なんて議論はそもそも憲法に管理されている内閣が決める事ではない。この、先生方がおっしゃったことと同じです。それから、これも山口先生のお話と重なりますけれども、必要最小限というのは、これは安全弁のように言われますけれども、これは「必要」から入る以上、言葉の性質からいってね、「必要です」といって入ったら、始まっちゃうんですね。始まったら関係者は無限の安心感を持つまで、「まだいて」「まだいて」「まだいて」「だって必要を感じるから」という社会で、最小限なんて歯止め、なくなっちゃうんですよね。

だからこの言葉のトリックには騙され、もちろんそれ以前に必要最小限であれ何であれ、「海外派兵いけないんだよね」っていうふうに質問しなきゃいかん、というふうにいつも思っております。それから今回この論争に参加して、私自身成長したと思っているのは、憲法9条のおかげで、戦後日本が戦(いくさ)働きをしないできたという事は、ある意味では、私はたしかに、国際協調主義から言っても、つまり戦働きでは国際協調に参加しない、こんな大国があるのだというユニークな、自民党が好きな言葉で言えば、ユニークな「国柄」ですよね。国柄という話は、彼らはいつも明治憲法の所で歴史止めちゃいますけども、そのあとの歴史も我々の歴史なので、国柄というのは変化があって、変遷があっていいと思うんですね。私は本当にこの国の国民でよかったと思うのは、今の世界の中でこんな大国で、武器を振り回さない、我慢強い国民がいるという事がこれからの世界にとってどれほど重要かという、この国の新しい国柄を捨てることの恐ろしさというか、もったいなさを感じます。

阪口正二郎(一橋大学・憲法学): 一橋大学の阪口です。私は憲法が専門なので、その観点からちょっとお話をしたいと思います。まず現在の問題については2つのことを分けて、議論すべきだと思います。1つは集団的自衛権の行使を容認するか、解禁するかという問題です。もう1つは、容認する、あるいは解禁するとして、それをどういう方法で行うのかということで、前者の問題はもちろん大きな問題ではあるのですが、今日は後者の問題についてお話したいと思います。後者の問題は、本日我々「立憲デモクラシーの会」がまとめた意見の1番目の項目に関わります。それは、集団的自衛権の行使を容認するのを、憲法を改正せず、一内閣の解釈、憲法解釈の変更で行うという事がどういう問題なのかということです。

皆さん御承知のように、ここ2年間くらい実はこの問題の前に、憲法を改正するのかどうかということで、自民党は憲法を改正すべきだという議論をずっとやってきた訳ですね。特に憲法96条について、改正要件を緩和して、もっと憲法を改正しやすいようにしたいというふうに安倍さんを含めて自民党は言ってきたんです。その議論と、今回の憲法改正ではなくて、一内閣の解釈変更によって集団的自衛権の行使を容認するというのは、私はかなり矛盾すると思います。もちろん、矛盾しない部分もない訳ではありません。憲法というのは私の見るところでは権力の行使を抑制するものです。その権力の中には、国民、我々国民も入っています。

国民は憲法制定権力という意味では最大の権力だと思いますが、この権力をも抑制するのが、今の憲法の考え方だろうと思います。例えば、表現の自由がある中では、たとえ国民の大多数の人が「ある人の言論を制限しろ」というふうに言っても、それだけでは制限できない。多数決でも人権を侵害できませんよというのは、そういう現れだと思います。権力を縛っている立憲主義というものを弱めたいという意味では、その当時の96条改正論と、今回の憲法解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認したいというのはつながっている部分があります。

ただ、あのときと違っているのは、あのとき安倍さんは、なぜじゃあ96条の要件を緩和したいのかというふうに言ったときに、「それは国民に憲法を改正するチャンスを与えるためだ」というふうに彼は言ったはずです。国民に憲法を改正するチャンスを与えたい、その機会を増やしたいというのは、ある意味で、これは民主的な議論としてはあり得る議論です。私は民主主義をも制約しているのが今の憲法だと考えておりますので、こうした議論には反対ですけれども、民主主義を重視する議論としてはあり得る議論です。ところが今回のやり方はまさに、一内閣が自分たちの考え方だけで憲法の解釈の変更によって集団的自衛権の行使を容認する、という話です。これは明らかにあの時の安倍さんの民主主義論とは矛盾しているように思います。

もし、当時の議論に忠実であれば、国民に意思を問う憲法改正によってこれは行うべきだということ以外にはないはずなのに、なぜか今回は国民の意見は聞かなくてもいい、内閣の、しかも私が決めればいいのだという話になっています。どうも安倍さんは、立憲主義について、それは王様がいたころには必要だったけれども、現在はいらないということをおっしゃったみたいですけど、先ほど申し上げたように、立憲主義は国民主権になっても、国民を縛るためにもいるわけです。国民以外のもちろん、統治権力を縛るという事もあります。

しかし、実は安倍さん自身が、どうも最近は王様のように振る舞っているのではないか。国民の意見なんか聞かなくて、憲法を改正せずに集団的自衛権の行使を解禁することができるのだ、というふうな事をおっしゃっているのは非常に異常な事態だろう、と思います。戦後60年間、我々だけでなく、自民党自身が自分を縛ってきた9条の拘束を解くのに、憲法の改正を経ずにこれを行うというのは、私には非常に異常な事態だと思います。その意味で安倍さんは、立憲主義でもないし、まさにデモクラシーでもない人なのだろうという感じがします。この会が「立憲デモクラシーの会」という名称を冠して、安倍さんのやり方に反対している理由の一つはそこにあります。

中野晃一(上智大学・政治学): 上智大学の中野晃一です。先ほど山口さんのほうからも話があった野党時代の自民党の『月刊自由民主』というところからあった一行(ひとくだり)なんですけれども、同じ2010年の野党時代に自民党が採択した平成22年綱領の中に「意に反する意見を無視し、与党のみの判断を他に独裁的に押し付ける国家社会主義的統治とも断固対峙しなければならない」という一節があるんですね。

当時は民主党の政治主導というものをそういった形で批判していた、と。しかし皆さんご記憶だと思うのですが、政権に戻って昨年、参議院選挙にも勝ったあとなのですけれども、麻生太郎さんの発言があった訳です。「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。ワーワー騒がないで、本当に、みんな、いい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし私どもは重ねていいますが、喧騒の中で決めてほしくない」と。

御承知の通り、ナチス憲法というものは存在しないわけですね。ワイマール憲法自体が全権委任法によって無効化されて、それによってヒットラーの独裁制が完全に成り立ったということですけれども、今回もまた同じような形で、憲法について法律どころか、その前の段階として閣議決定によって、憲法の無効化をしてしまおうというようなことを、これだけ公然と、現職にある副総理が言っていたのが昨年のこと。それが今現実のものとなりつつあるという事に対して、いったい我々はどういったことができるのかという無力感は非常にあります。

やり方ということに関してみれば、これは本当に憲法泥棒であるとか、いろいろな言い方で、私どもも問題意識としている訳ですけれども、そもそもが、その憲法改正が必要であるものに対して、それをしないでやろうという事を今進めている、と。それもそのやり方が、先ほどの小森さんの話しにもあったのですけれども、完全に政権外の人間。これはもうマスコミから、国民から、すべてだと思うのですが、バカにしているようにしか思えないやり方をしている、と。

どれくらいバカにしているかというと、これは安保法制懇の報告書と、そのあとの安倍さんの記者会見もそうでしたし、つい先頃の、その与党協議の中での4つの条件から、3つの基準への豹変とかもそうなんですけれども、どうも何か目の前で、腹話術の、腹話術師が人形を抱えながら、目の前で密談を大声でしているような感じな訳ですね。その腹話術師がその人形に対して、極端なことを言わせて、そのあとで腹話術師が「そんなことはできないだろう」ということでたしなめたような形で、あたかも何かが良くなったような形で、とんでもない暴論を通そうとするというような、まあ、猿芝居なのか何なのかよくわからないのですけれども、状況としてはっきりしていることというのは、安倍政権は、今も阪口先生の話しにもありましたが、何をしたいのかということに関しては、一切の制約を取っ払いたい、と。憲法9条の制約を一切取っ払いたいという事はある。それははっきりしていたから96条の改正の議論であるとか、今に至るまで、安保法制懇の枠組から何から、すべてそのためにやってきている訳ですね。

とりあえず、だけど、それだとうまく通らなそうだったらば、小さく生んで大きく育てればいいというようなことで、「トロイの木馬」のように、事例だの何だかという、フィクションにすぎないものをいくつでも用意してきて、今だと16くらいまで膨らんでいるようですが、それで1つでも通れば、そのあとはどうにでもなるという事がよくわかっているので、集団的自衛権が可能だということで、憲法9条の縛りを無効化さえしてしまえばそれでいいということでやっている、と。その意図というのははっきりわかっているにもかかわらず、マスコミの皆さんも含めて、猿芝居に付き合っている。これは一体どういうことなのだろうかというのは、このワイマールの経過も、麻生副総理自身が言っていたということからもあるように、我々の今後、我々の子ども、孫たちの世代になったときに、どういう役割を果たしたのか。これは冷静に考えてみないといけないことだというふうに思っています。

で、じゃあ、何をやりたいのだろうかということなんですね。ここまで欺くようなマネをして、ここまで手の込んだ芝居というか、たいして手も込んでいないですけれども、ここまで、何て言うんですか。白々しいお芝居をやっていったい何をしようとしているのかというと、積極的平和主義なんていう言葉がある訳なのですが、これは少なくとも私が調べた範囲の中では、報告書から、安保法制懇はもちろんそうですけれども、あるいは国家安全保障戦略会議もそうなんですが、積極的平和主義の定義というものがやっぱり見当たらないんですね。

これで何をしようとしているのかというので、北岡伸一さんが両方とも、国家安全保障戦略にも関わってきたし、法制懇の方でも座長代理をしていらした方ですから、彼が日経新聞に、今年の頭に書いたものを見ると「積極的平和主義とは、消極的平和主義の逆である」と言っているんですね。「消極的平和主義とは、日本が非武装であればあるほど世界は平和になるという考えである」と。それで終わっちゃってるんですね。結局、積極的平和主義のことについて、「消極的平和主義」と彼が呼ぶものの否定でしか定義ができていない。で、じゃあ、これを実際に当てはめてみると、じゃあ、消極的平和主義が、日本が非武装であればあるほど世界は平和になるという考えの逆と彼は言っているわけですから、積極的平和主義は「日本が武装すればするほど、世界が平和になる考えだ」と。あ、なるほど、わかってくるわけですね。

実際の所、「夢みる抑止論者」というふうに柳澤協二さん(元内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当))が安倍さんのことを言っているように、日本があれも、これも、これも、これもできるようになればなるだけ世界は平和になるというのが、その、記者会見での紙芝居でもありましたけれども、「あ、困りました」と。おじいさん、おばあさん、お孫さん、みんな困ったところに、自衛隊が制約なく到着できると「これで平和が訪れた」という、そういう彼のバラ色の脳みその中に、おそらく付き合っているんだと思うんですけれども、それでいっこうに安心感が出てこないのは何でかというと、結局、ここまで歯止めがきかない政治状況がある中で、最後の歯止めであるというか、一番強い歯止めである憲法9条の事実上の無効化ということを許してしまったら、このあと歯止めがある訳がないというのは、多分、みんなどこかのレベルでわかっている事だと思うんです。

これほど政党システムが壊れていたことは戦後の日本ではなかったですし、そして今、周りを見てみても、合従連衡の野党再編の動きからしてみても、公明党が、その腹話術と人形の役割の中の、人形をやらないというふうになった場合には、今度は維新の会、みんなの党だの、何だのというのが、いつでも用意をしてやっていきますよということで、お付き合いをするわけですね。特定秘密保護法の時はまさにそういったようなことで、形だけの野党協議をしましたといって、かえって内容が悪くなったような法律が通る、と。そういう政党状況の中にあって、そして今、特定秘密保護法の話もしましたけれども、あれによって安全保障というのは軍事機密という形でこれから国民の議論から益々遠ざかっていくということがもう決まっているわけですね。

その中で、安全保障に関して、自国が攻撃をされていないのに、どうもこれは危険になるぞと政府が判断したものに対して我々が関わっていく余地は全くなくなってくるわけです。挙げ句の果てに、巻き込まれるという形を作り上げて、言葉は悪いんですけれども、自衛隊の、要はどなたかのお孫さんにあたる方、お子さんにもしものことがおきたら、マスコミの皆さん、それに対して批判できますか。今これだけの状況で、セットアップされた中でしか議論できていないのに、実際に死傷者が出て、日本人が傷ついて亡くなったというときに、「これはそもそも戦うべきでない戦争である」とか、政権批判がいったいどこまでできるのか。

そして安全保障の状況に関して、政府の判断に対して、そのチェックの役割を果たすような情報が得られるような国の形に、今なっているかというと、ならない。むしろ遠ざかっていっているという、そういう状況にあるわけですね。なので今回「限定容認論」というような形で、とにかく通してしまえば、トロイの木馬を一頭でも通してしまえば、あとは城壁がないものはわかっているので、そういった猿芝居をえんえんと目の目でやっている、と。おそらく多くの人というのは、ある程度知識があればこれは猿芝居だとわかっているのに、なんとなく見物をしていて、マスコミでも毎日毎日、どうでもいい議論を、翌日どうでもよくなってくるのがわかっている議論を、とにかく報道し続けるという形になっていて、あたかも政権が時間を使って何らかの妥協、少しはおとした、抑制をきかせたような形になることの演出に加担をしてしまっている、と。

これこそがまさに、「ナチス憲法」というふうに麻生さんが呼んだような憲法の無効化というものが目の前で行われていっているという。その事について一体、我々はどういうことができるのかというのは、正直今日は、マスコミの方たちにも含めて、呼びかけたいと思っています。

杉田敦: 今回の私どもの見解では、安全保障のあるべき姿についても若干踏み込んで述べております。抑止論についてどう考えるか。あるいは抑止よりも緊張緩和が必要であるといった論点。そして安保法制懇や安倍さんが示しているオプションというものの非現実性というふうな事にも言及しておりますが、ただ私どもの会は、基本的には立憲デモクラシーの擁護という一点で集まっているわけで、安全保障論についてはさまざまな考えの人びとがいます。

集団的自衛権がらみの問題というのは、一方においては憲法問題ですが、他方では安全保障の問題、ということで、2つの領域にまたがっており、この2つの関係をどう扱うかが難しい。この会は、安全保障についての考え方は違っても、憲法についての考え方が同じならば一緒にやっていくという前提で考えている訳です。そういう趣旨の会であるにもかかわらず、なぜ今回、ここまで安全保障論議をせざるを得なくなったかというと、それはまさに、安倍さんや安保法制懇等が、彼らなりの安全保障論を持ち出すことによって憲法を空文化、無効化しようとしているからに他なりません。

これは、法制懇座長代理の北岡さんに非常に典型的に見られる議論なんですけれども、憲法より安全保障のほうが大切であり、憲法なんか道具にすぎない。こういう言い方をしまして、安全保障について、時の政府がフリーハンドで判断できるように、憲法上の抑制をすべて外したいと主張する。そういう主張をされますと我々としては、憲法が大切であり、立憲主義をないがしろにすると、国家そのものが保たないですよと言わざるをえなくなります。

憲法に9条という形で、安全保障のあり方について大きく制約する規定が設けられているというのは、必ずしも世界で一般的なやり方ではないでしょう。しかし、それこそが、戦後の日本が一貫して追求してきたプロジェクトであり、この意義というものを改めて強調せざるを得ないということです。そういう観点で我々も安全保障論議にある程度踏み込まざるを得ない。北岡さんや安倍さんたちは、憲法を軽視して、政治を全面化させようとしている。しかし、戦後日本では、戦前から戦中の経験をふまえて、政治に何らかの歯止めを設けないと、政治そのものが破たんしかねないと考えてきた。政治が暴走する危険が大きい。そういう判断のもとに、まさに憲法9条を中心としてある種の歯止めの役割を期待してきたということですね。それはもう古いというのが北岡さんたちの主張なんですけれども、しかし古いというからには、政治が自らの中できちんとした歯止めなり、あるいは歯止めの前提としての根本的な議論というのができるという事を示していただかないと、我々としては困るという事になります。

その点で行きますと、まさに、イラク戦争というのが1つの大きなポイントになるわけでして、大量破壊兵器を、サダム・フセインが持っているというガセネタに基づいて日本も協力したわけです。これについてその後、アメリカでもかなり政治的な厳しい議論がありましたし、イギリスではブレア政権に対して極めて厳しい追及が行われた。一方日本では何も行われていません。そして、政治家や政治学者として、イラクへの介入を推進した人々が現在、集団的自衛権行使を進めようとしていることを見れば、何をかいわんやです。まずは、かつて安全保障について適切な判断ができなかったことの反省をした上でなければ、受け容れられません。

先ほど来指摘されているように、現在、推進派の方々は、「必要最小限」というレトリックを使ってなんとか突破しようとしているようですが、この必要最小限という言葉は、戦争のやり方に関する基準(「交戦法規」)であって、戦争や武力行使をやるかどうかの基準(「開戦法規」)ではない。ここのところを意図的にごまかして、いざ集団的自衛権を認めても、めったに手は振り上げませんよという印象操作をしている。
この「必要最小限」というのは歯止めにはなりません。結局、歯止めなどは一切なく、すべて政治家の判断にお任せということになってしまいます。政治家は民意に従うし、やがて選挙の洗礼を受けるからいいのだといった乱暴な議論を、北岡さんたちはしますが、泥沼のような戦争に入ってしまった後で、いくら選挙で与党を倒したって、取り返しはつきません。
そこまでフリーハンドを政治家に渡すだけの準備が我々にはない。それだけの説得力を日本政治は示してこなかった、まずはイラク戦争の検証を徹底的にやって頂いたあとに、この問題は提起して頂きたいというに私は考えております。以上です。

(質疑応答は省略します)

Japan Times の記事から

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安倍、デモクラシーをハイジャック、憲法を空洞化。
JEFF KINGSTON

民主的プロセスを簡略化することで、安倍晋三首相は有権者からの負託を濫用している。憲法九条の解釈変更によって日本の軍事行動への制約を解除し、集団的自衛権を容認しようとする彼の動きは安倍が日本のデモクラシーを破壊しつつあることの直近の実例である。
日米両国における彼と彼の支持者たちは、憲法九条は時代遅れであり、増大しつつある地域の脅威に対処すべく、日本はより断固とした軍事的役割を果すことが重要であると主張している。
日本が安全保障においてよりマッチョな役割を演ずべきだと主張しているこれらの人々は、日本は危険な隣国に囲まれており、日本の軍事的行動への制約が日米同盟を傷つけていると指摘する。
それゆえ、日本は集団的自衛権を含む軍事行動に参加する喫緊の必要性があるというのが彼らの所見である。
なるほど。だが、ほんとうに安倍がそう確信しているなら、あらゆる手段を使ってでも憲法の改定を進めるべきではないか。
憲法改定の手続きは憲法に規定してある。両院の三分の二以上の賛成と国民投票での過半数の支持である。このようにハードルが高く設定されているのは、日本のデモクラシー・システムの基幹的なルールが不当に政治問題化されたり、恣意的に変更されたりすることがないようにするためである。
改憲というのは重い仕事なのだ。
そこで改憲に代えて、安倍は憲法の解釈変更で乗り切ろうとした。これは法律と憲法のルールを歪めるものであり、夜陰に乗じて盗賊が裏口から忍び込むようなやりかたであり、憲法についての正当な手続きを回避し、憲法を愚弄する危険な前例を作る、非民主的なふるまいである。
安倍は自民党の歴代内閣が30年間にわたって維持してきた「憲法九条は集団的自衛権を認めていない」という解釈を覆そうとしている。
安倍と彼の支持者たちは目的は手段を正当化すると考えており、改憲のための時間のかかる手続きを回避する方法を探している。
彼らは憲法を出し抜くための怪しげな理屈を考え出した。それはアメリカの責任ある同盟国であるためにという名目のもとに憲法の意味をねじまげるトリックである。
逆説的なことだが、安倍はアメリカが起草した憲法は日本を弱小な従属国たらしめるためのものだと久しく主張し、改憲をめざしてきた。
ではなぜ彼は、高い支持率に支えられ、自民党が国会を支配している今改憲を企てないのか。
それは安倍が国民投票におそらくは敗れると思っているからである。だが、これは彼が自分の信念を守る勇気があるなら、回避してはならない戦いである。
当初安倍は反対派をなぎたおすようなことをせず、さまざまな勢力と忍耐づよく合意形成をはかっているかのようにふるまってきた。
彼は彼の賛同者たちだけを並べた有識者会議なるものを指名した。驚くべきことに、この有識者会議が用意したサプライズは自衛隊の制約を解除する安倍の計画を支持する勧告を行うことだった。
政治ショーの舞台はそのあとワシントンに移る。安倍が派遣した国会議員は、このプログラムに日本を巻き込むことを長く画策してきたワシントンのインサイダーたちと談合し、彼らは全員集団的自衛権について安倍を支持していると恭しく報告したのである。
かくして安倍はすでに彼に賛同していたすべての人々の承認を獲得した。
しかし有権者はこの笑劇を受け入れておらず、彼の手品まがいの憲法解釈変更につよく反対している。
自民党内部でも、岐阜県連は安倍の性急なやりかたや党内議論の欠如に対して苦情を申し立てた。この批判は安倍の支持基盤も一枚岩ではないことを示している。
「チーム安倍」はまた連立与党のパートナーである公明党とも合意のためにあれこれ努力しているふりをしている。公明党は参院での多数派形成に必要だからである。
この見え透いた政治ショーにおいて、意外にも公明党は集団的自衛権の必要性のために挙げられたあれこれのシナリオについて疑念を表明することで安倍の性急な動きを牽制しようとしている。
この政治ショーを通じて、国民は自衛隊の活動を抑制するルールについて、自民党が説明を二転三転している様を見つめてきた。
公明党の支持母体である宗教組織創価学会は、安倍に憲法を尊重し、解釈変更によってすり抜けるのではなく、むしろ改憲をめざすように進言している。
しかし、公明党がこの「論争」の最初から、この問題で連立政権から離脱することはないと明言している以上、公明党がはじめから譲歩するつもりでいることはあきらかだ。
安倍の側近の一人飯島勲は、ワシントンで、創価学会と公明党の関係は政教分離を定めた憲法20条に違反しないとしたこれまでの裁定について内閣法制局に再調査させる必要があると述べて公明党を恫喝した。
彼は安倍のアジェンダとその不正な手続きに同意しないという理由で安倍の足をひっぱっている政党に恫喝を加えているのであろうか。しかし、これはデモクラシーのやり方ではない。それにいつから内閣法制局は身元の疑わしいラフプレイヤーからの作業命令に従う組織になったのであろうか。
安倍は法律の合憲性を決定する内閣法制局を取り込むために、去年その長官のポストに彼の支持者である大使を任命した。しかし、この長官が健康上の理由で退職したために局内の繰り上げ人事を行わざるを得なかった。法制局はその独立性を重んじており、前例をときの首相の恣意によって覆すことに懸念を抱いている。
安倍はここに来て集団的自衛権についての閣議決定を急いでいるが、それは彼がメディアと国民の間に彼の計画に対する敵意が急激に高まっていることを感知しているからである。そして、次の国会における増税議論が始まる前に問題を片付けたいと思っている。
それに11月には沖縄知事選があり、その前にこの問題についての怒りを鎮める必要もある。集団的自衛権をめぐる論争は世論に再び火を点け、反基地候補に有利に働くことが見込まれているからである。
憲法を事実上改定しながら国民投票は回避するという術策をめぐらせることで、安倍は2013年末に特定秘密保護法を通したときと同じく、国民を信じていないということを明らかにしている。
安倍のデモクラシーの「ダウンサイジング」は、また米軍基地に対する沖縄県民の感情を無視し、原発再稼働に対する国民的反対を踏みにじることをも意味している。
権力者たちに対してある程度の臆病なご機嫌取りはあろうとはいえ、嫌がらせを受けているような気持ちにさせる最近の国際的なジャーナリストたちの安倍に対するすり寄るような働きぶりは、その程度の低さにおいて最低記録を更新している。
安倍の断固たる政治姿勢についてこれまでうれしげに報道してきた記者たちは、そうすることで安倍の反民主的な手法と実現されることのない誓言と約束の山から眼を逸らそうとしているのだ。

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